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第三十七話 花の色は移り行く

 ――老人の一言に、ディランの心臓がわずかに跳ねる。

 だが彼は、驚く程に冷静にその言葉を受け止めた。何事もなかったように墓碑へ視線を戻す。


「この、サラ・アクオーネという方は……どのような方だったのですか」

 老人は小さく笑った。

「知らずに訪ねてきたのか」

「いえ……」


 煮え切らない返答に老人がまた微笑む。静かに頷き立ち上がると、墓碑の脇にあった石造りのベンチを杖で軽く示した。

「あいてててて……腰が……あそこに掛けて話さんか」

 やっと二人が並んで座れるような雨風によって浸食された小さな立方体の石。老人はそこへ腰かけると、厚く垂れ込めた灰色の雲を見上げた。続いてディランも隣に腰を落とし黙って空を仰ぐ。


 ――老人は『尾行の存在を告げた』あの言葉以降、それについて口にしなかった――自然に会話を続けろ、そういうことなのだろう。ディランは老人の意図を察し、つとめて平静を装った。


「さて……何から話したものか」

 老人は懐かしむように目を細める。

「ここはもともと、原始的な星だった。発展し始めたのは千年以上も前……月から来た企業がこの星の海底資源を掘り始めた頃の話だ」

 ゆっくりと語り始める声は慈しみに満ちている。先ほどの囁きをした老人とは別人のように穏やかで人懐こい、話好きな好々爺そのものだ。


「様々な星から人が訪れ、人々が生まれ、育ち、陸地を埋め尽くすほどに活気に満ちておった」

 老人は丘いっぱいに並ぶ墓碑へ視線を向ける。

「あそこに並ぶ墓、あれは皆この星に繁栄をもたらしたとされた月の人間たちの墓だ」

「なるほど……」

「……だが、その繁栄は続かなかった」

 老人は静かに息をついた。


「海底の岩盤が大規模に崩落してな。多くの命が失われた。それだけでも十分に大きな災害だったが……始まりにすぎんかった」

 しばし沈黙が流れたのち、

「おっと、年寄りの悪い癖だな。寄り道が過ぎたかな……」

 と、老人は苦笑した。

 落ちくぼんだ視線が墓碑へと落ちる。磨き上げられた石肌はこの老人の手入れなのだろう。ディランは少し緊張をしていただろうか。視点を墓碑から動かせず、表情も硬い。


「――長話になりそうだが。時間はあるのか?」

 そう言いながら顔色を窺ってくる老人に、ディランはなんとか微笑み返した。

「時間を潰さなくてはならないので、むしろ詳しく聞かせていただけると助かります」

「そうか」

 老人はその顔に刻まれたしわを深く寄せ、嬉しそうに笑った。


「では、少し話に付き合ってもらおうか」

 老人は再び空を見上げる。


「岩盤の崩れた場所から閉じ込められていた物質が滲み出してきた」

「……それが、公害の正体、ですか」

「そう」

 老人は頷いた。

「もっとも、毒のように人をすぐ殺す代物ではなかった。気づかぬ間にゆっくりと、静かに、この星へ広がっていった……」


 遠くに広がる灰色の水面を見つめながら、老人は続けた。

「それは少しずつ、この星に生きる者たちの体を蝕んだ。そのうちに海の景色が変わり、陸の景色も変わった……この花たちも、環境に合わせ生き残ったしたたかな者たちよ……」


 老人は少し寂し気に俯いた。ディランはまっすぐ墓碑を見つめたまま、相槌を打つこともなく聞き入っていた。そこへ風が吹き、草花が揺れる。そしてまた、風が収まる頃を見計らい、老人はまた訥々と語り始めた。


「失われたのだ。それまで豊かだった草木も動物も人も。そして、水も……先進文明に頼りきった罰、だったのかもしれん。人々はまた貧しくなったが……みな、すでに便利の中毒になっていた。不便を受け入れられない者も多く、様々な諍いも生じたよ……」

「……」


 苦く笑う老人の話を、ディランは黙って聞いている。英雄とうたわれる人間の墓碑が荒れ果てているのは、そういう事情があったからであろう。


「企業も最初こそ、封じ込めや医療支援をしていたが、倒産した……いや、逃げたと言うべきだろうな……結局賠償は今、月の王家が引き継いでいる」

 その老人の言葉に、ディランは眉をひそめた。月の人間が原因となって引き起こした事故、そのようなお粗末な事故を起こして、当事者たちが対処しなかったとも考えられない。ましてや王家が引き継いだとなれば、月の科学、医術、それを結集して公害をおさめることができたのではないか……?

 そんなディランの疑念は口を衝いて出ていた。

「ですが……月の技術をもってすれば……」


 しかし、老人はゆっくり首を横へ振る。


「……効果がなかったのか、高額すぎて施せなかったのか……いずれにせよ多くの者が苦しみ、多くの者が大切な人を失った。生き残った者たちも次々とこの星を離れた。それでも星を捨てられなかった者たちが、こうして今も苦しんでいる」

 そう言いながら、老人は目を細めて大きく息を吐く。まるで、自ら見てきた出来事を語るような口ぶりである。


「一つ、質問、いいでしょうか……?」

「何だ?」

「いえ、その様に有害なものが溶け出しているとして、今、この星の皆さんは普通の生活をしているように見えます。大丈夫、なのですか?」

「ふむ。あくまでも体に蓄積して支障をきたす。主な被害者は子供。成長が阻害されるからな……だが、大人だからといって、そのあたりの草を食ったりしたらいかんぞ?」


「ですが――」と、続けようとするディランの言葉を遮るように、老人が立ち上がった。そして、「ふう、やれやれ……」と腰を手の甲で叩きだす。その一連の行動を、ディランは眉をひそめたまま見ていた。


 しばらくすると、ようやく老人はディランに視線を合わせる。

「もう、いいぞ。どうやら気が済んだらしい」

 と言って、あくびを放った。

「え……?」

 老人の言葉に唖然とするディランをしり目に、老人は墓碑へと静かに歩み寄る。


「あ、あの……実は私、昨日襲われて荷物を奪われたのです。その、同じ一味なのでしょうか?」

「そんなことは知らん。だが、今朝は珍しく先客がいてな……あの身のこなし、かなりの手練れだ……奴らを探そうとしても徒労に終わるぞ。荷物はあきらめるがいい」

「そ、そんな……しかし、あなたは一体……」

「言えん。が、考え方くらいは教えてやろう。奴らが何者か、お前も心当たりがあるのではないか?」

「心当たり……」

 そう呟くと、ディランは眉を寄せ記憶を辿り始めた。自分を尾行する人間……軍の関係者か、麻薬カルテルか、はたまた月の純血主義集団か。ルミナリアへの横恋慕、いや、父親の、守備機兵の機密を狙う者たちという可能性もある……いや、先回りしていたということは……などと、あれでもない、これでもないと思い耽る。


 そのディランの長考を見て、老人はやれやれと言わんばかりに、額へ手を当てて嘆息した。

「お前……そんなに心当たりがあるのか……」

「い、いえ。一番あり得るのは……おそらく……」

「……やはりあるのだな。だが、お前は本当に何も知らないようだな……こうなれば恐らく、やつらもお前を監視対象から外すだろう」

「監視対象……」


 老人の推測が正しいのであれば……父親があえて不明な手紙やメモを自分へ差し向けたのは、それを餌にして襲わせ、関与がないことをわからせようとしたということも考えられる。それにしても何も聞いていない。そう思い至ったディランは、妙に父親へ腹立たしい思いがした。


「さて……月の技術や医術がなぜ通用しないのか……そして、アクエッタの苦しみがなぜ続いているのか……気になるか?」

 そう言いながら、老人はディランを見据えた。その表情からは、すっかり笑みが消えている。

「い、いえ……」

「それはこんな老いぼれに尋ねず、自分の目で確かめるのが一番だろうな……そうすれば、なぜ『サラ・アクオーネ』が英雄なのかを知ることもできる」

「自分の目で……それは……?」


 老人は墓前に落ちていた書物を拾い上げてほこりをはたき、ディランに差し出しながら、

「かつてのこの星はアクオーネと呼ばれていた」

 と、呟いた。

 ディランは書物を受け取りながら、頷く。

「ええ、それは知っています。しかしいつからか、アクエッタと呼ばれるようになったと」

「ふむ。ならば行ってこい。始まりの地、アクオーネへ」

「アクオーネ……」


 奇しくも英雄と同じ名前の地が、この星にあるという。しかも、「はじまりの地」、だと老人は言う。母親と同一人物かも知れない人物の名。ディランは心の中に、まだ見ぬその地への強烈な興味が湧いてくるのを感じていた。

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