第三十三話 水の星アクエッタ
「では、元気で」
「お世話になりました!!」
場面は交易船の乗降口。ディランとシプタが、船長そして少年とグランに見送られている。
少年とグランはそのまま、次の目的地へと向かうらしい。船長はしきりにエンジンが万全なのかを案じていたが、あいにく、アクエッタには船長が満足するような造船技術はない。一番近場のドッグのある星へ向かうのだと、ディランに恨めしげな目線を向けながらぼやいていた。
――ドアが開いた瞬間、生ぬるい空気が一気に流れ込んでくる。吸い込んだ湿気った空気は、これまで経験したことのないような重みを持っていた。まるで呼吸器官にのしかかられたようで、ディランは思わず咳き込む。
見知らぬ星の複雑な香り、穏やかな自然の風。厚い雲に覆われた空は薄暗く、人工的な月の環境しか体験したことのないディランにとっては、何もかもが初めての経験である。
そのためか、タラップを下りる足取りは自然と慎重になった。
ディランが手すりにすがるように足を運んでいると、
「大丈夫ですか? 重力酔いでしょうか?」
と、シプタが不安げにディランへ声をかける。
「いや、体は問題ないのだが……他の星に来ること自体が初めてで……」
「なるほど……でも本当に、不思議なくらい体に違和感がないですね。船長がすごいんでしょうか? 私が火の星へ行くときに乗った船は滅茶苦茶でしたから」
通常、星から星へ渡航する際は、その重力差によって重力酔いが起こる。しかしそこは経験豊かな船長の船、居住モジュールの回転速度による遠心力を徐々にこのアクエッタの重力に合わせ、乗客の体を慣らせていたのだろう。
シプタはディランのオドオドした姿を見て少し微笑むと、また前を向きタラップを降りて行った。彼女はゆっくりと辺りを見回し、銀髪を風になびかせながら、
「ふふ、なんにも変わってない……」
と小さく呟いた。
その何気ないシプタの一言がディランにとっては妙に格好良く思え、自身も月に戻った時にそれを第一声にしようとまで考えた。
タラップを降りきると、「おーい!!」と滑走路中に行き渡るほどの大声が後方から発せられる。
船長だ。
「ディラン! これに懲りたら、帰りは普通の客船に乗れよ! ドクターも元気でな!」
「ああ、考えておくよ!」
ディランとシプタは振り返りながら大きく手を振った。
船長はそれを見届けると、船内に姿を消していく。それに連なるように、少年、グランも手を振りながら船内に入っていく。この後すぐ、荷下ろしの作業の手続きがあると言っていた。
「船代の代わりに、こき使ってやるからな……」そんなことを船長がグランに言っていたのを思い出し、ディランは少し顔をほころばせた。
◇ ◇ ◇
大いなる水の星、アクエッタ。厚い雲に覆われ、地表の水域は九割にも及び、人々はその限られた大地を拠り所に文明を営む。もともと、開拓民による入植によって育まれた星である。その文明レベルは、月どころか周囲の星に遥かに及ばない。
空港の端にある入星手続きの管理塔までは、バスでの移動となるようだ。物珍しそうにバスを見るディランへ、
「タイヤなんて初めて見たんじゃないですか?」
と、シプタは自嘲気味に尋ねた。
乗客が次々と乗り込んでいく。
二人掛けの席に隣同士で座ると、今後についての話題になった。シプタは実家に戻った後、すでに内定している勤め先へ向かうらしい。水の星の公害被害者の緩和ケアを行う医療施設だという。
「ディランさんは、お母様のお墓参りでしたっけ?」
シプタがディランの顔を覗き込むように聞いた。
「ああ。あともう一つ、親父を探そうかと思っている」
「え? お父様……?」
「ああ。いや、なんというか……実は音信不通の状態でね。ただ、その父から実に三年ぶりに、いや……月の外に換算すると千年ぶりになるかな……母の墓参りに行ったらどうだという手紙をもらったのだ」
「では……どちらにいらっしゃるのかも、その……」
「ああ、そうだな。まぁ、生きているとは思うのだが……この手紙に、この星の貸金庫を尋ねるよう書いてあってね。そこを調べれば何かわかるかなと……」
「え……? 情報はそれだけですか?」
「ああ。そうなるな」
そこまで話すと、シプタは急に失笑した。笑いをこらえようと必死だが、体が小刻みに震えている。
ディランは眉をひそめながら、
「何かおかしかったかな……?」
とシプタに尋ねた。
彼女は息を整えながら、
「……だって、親子の間でもそんな謎解きみたいなことをしているんだなって。血は争えないと言うか、家族の伝統なのかなって、そう考えたらなんかおかしくて……」
と答えた。
「……」
ディランは沈黙したまま、車窓をぼんやりと眺めた。
――父親を探す理由。それは、あの、小さい時に聞かされたおとぎ話について確認したいからである。その話に出てくる「白い箱」。これがあれば、ルミナリアを救うことが出来るのではないか。そんな、一縷の望みに賭け、彼はここまでやって来たのだ。
「……どうしたんですか。ああ、すいません、笑いすぎですよね、私……ごめんなさい……」
思案するディランの表情を見て、シプタが申し訳なさそうに頭を下げた。
「いや、良いんだ……」
そう返すディランの目にはアクエッタの厚い雲が映り込んでいる。
その雲はまるで、彼の行き先を示すかのように重く霞んでいたのだった。
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