第三十二話 これが最後になるのなら
「すでに懐かしい……」
「そんな事もあったな……」
――場面は交易船がアクエッタに到着する直前、交易船内の食堂に戻る。
ディラン、シプタ、グラン、そして少年は、彼らの出会いとデキシ騒動の一件を思い出しながら、この面子では最後となるであろう食事と酒を楽しんでいる。
「まっらく……いつもせんせえは……大事なことを言わないんらから……」
シプタはその一言を最後に、テーブルに突っ伏してしまった。銀髪の隙間から覗いた耳が真っ赤に染まっている。
その様子を見たグランは、「だ、大丈夫でしょうか……シプタ様、酔いつぶれてしまいましたが……」と、心配そうに声を漏らす。
少年は少しはにかみながら、
「緊張の糸が切れたのだろう。この数年背負ってきた船医という重責から解放される、それも初仕事となれば……なぁ、ディラン?」
と、ディランへ視線を向けた。
その問いに「ああ……」と短く返すディラン。そのつれない態度を見て少年は眉をひそめた。
「何だ……? 何かあるのか? ならば話してみろと言いたいところだが、どうせ話さぬだろうし……」
と、少年が煽るようにディランの煮えきらない態度を咎めた。
その横でグランは少しうつむきながら、
「まぁ、そうですよね……ディラン様の悩みを話していただいたところで、私では力になれないでしょうから……」
と、一人で落ち込み肩を落としている。
その二人の様子を見たディラン、わずかに首を振りながら、
「いや、そうでは無いんだ……その、心配事と言うか……」と歯切れ悪く返す。そんな彼の態度を見て、少年はついに身を乗り出し、
「なんだその奥歯に物が挟まったような言い方は? 星に着けば離れ離れ、言いたいことが有るなら今のうちに言っておけ」
と、苛立ちを露わにする。グランは慌てて二人の間に手をかざし、事態を収めようとした。
――ディランは軽く頭を下げ、しばらく俯いていた。そしてようやく口を開く。
「……そうだな。二度と会えないかも知れない」
と噛みしめるように言うと、組んだ腕をテーブルに預けながら、ただし目線は伏せたまま続ける。
「……寂しい、と思ってな……」
そこまで言い終わると、ディランは天井を仰いだ。
少年は眉をひそめ声に惑いをにじませながら、「今、寂しいと言ったか……?」と聞き返す。ディランは小さく息を吐いて続けた。
「私は人付き合いが苦手というか……これまでは周囲から疎まれようがそれでも構わない思っていた。しかし今回……このような繋がりが出来たことで、良いようのない安心感というのかな……なので、別れと思うと感傷的になってしまう……などと自分なりに分析してはみたが、上手く言えないな、どうも」
そう言い終わると、ディランは少し照れくさそうに鼻を掻いた。
――予想もしなかった心境の吐露に、少年は目を見開いたまま言葉を失っていた。横からはすすり泣きの声。驚きのまま顔を右へ向けると、そこでは巨体を震わせながら涙をぼろぼろこぼすグランがいた。
「ディラン様……この私をそこまで……!」
袖で目をこすりながら、声を震わせている。
不安げな眼差しでディランが問う。
「……友と呼んでもいいだろうか、グラン」
「もちろんです! あなたの友として恥じぬよう、倍旧の努力をお誓いします!」
その叫びは食堂中に響き渡った。到着に向け片付けをしていた職員の作業の手が止まり、衆目が集まる。
少年はすっかり置いてけぼりにされていたが、ふと呆れたように眉を下げ――次の瞬間、吹き出すように笑った。目尻を指でこすりながら、小さくつぶやく。
「……お主にそんな感情があったとはな。まったく、読めん男だ。これだけ頭が回るのに……」
何か言いかけて、少年は口をつぐんだ。その横顔には、わずかな陰りが差している。
ディランの純粋さ――それは同時に、危うさの裏返しでもある。彼の力を抱えるには、あまりに清らかすぎる精神の器。もし絶望に沈んだら、もし悪意に触れたら、針はどちらへ振れてしまうのか。
実直さゆえに、汚され、壊れてしまうのではないか――
少年は胸の奥に生まれた不安を押し込み、意を決したように口を開いた。
「ディランよ……我々は友。そして、友というのなら私の話も聞いてもらわねばならん」
「……いや。申し訳ないが、君たちの事情にまで踏み込むつもりはない」
「話すぞ。お主はもう巻き込まれている。それに――昔から言うだろう、災厄は才にすり寄ると」
「しかし……私は……」
「ならば、今から私は“大きな独り言”を言う。それをどう扱うかは、お主次第だ」
「……」
ディランは、少年のどこか慈しむような眼差しから逃れるように、視線を卓へ落とした。
ニコスにも散々、もとをただせばファニ姫から、平和のための研究に専念せよと言われている。ディランももう、厄介事には関わるまいと心に決めていた。だが――少年の言葉には、抗いがたい重みがある。
ディランはゆっくりと顔を上げ、再び少年を見つめた。
少年はそれを合図に、静かに語り始める――
「……我々は森の星から逃げてきた。第一王子オーガス・コンプレの手の者に命を狙われていてな。道中、多くの仲間を失った。その末に、辿り着いたのがこの船だった」
ディランが周囲を見回そうとした瞬間、少年が手のひらで制した。
「……まだ続きがある。オーガスの派閥は、例の麻薬シンジゲートと繋がって勢力を伸ばしていた。しかし、知ってのとおり月の軍部が悪事を暴き、シンジゲートは事実上崩壊。月と火の星の入管でも逮捕者が出る大事件となっている」
少年は軽く肩をすくめる。
「おかげで、こうして堂々と食事ができる……お主に礼を言わねばな」
「……さて、何のことやら」
そう言いながらディランは再び視線を逸らし、手酌で杯を満たした。
少年がグランへ目配せすると、グランは深く頷き、話を引き継ぐ。
「……調査団長カンサ。彼は独自に密輸ルートを検挙し、シンジゲート解体に大きく貢献したとして功績を上げました。しかしその後、シンジゲートとの繋がりが密告され、月へ更迭されています」
ディランは興味がないと言わんばかりにそっぽを向き、杯を傾けた。その態度はむしろ“その程度は想定内だ”と語っているようでもあった。
だが、グランは淡々と続ける。その声は冷たく沈んでいた。
「……そのカンサですが、本来なら処刑されてもおかしくないところ……月の第一師団に入隊したようです。第一師団といえば、王宮の親衛隊を抱える部隊」
その言葉に、ディランの手がふっと止まった。
「もう一点。シンジゲートに軍が踏み込む前に、関係者が“処理”されていたようです。おそらく黒幕はすでに――」
そこまで聞くと、ディランは再び平静を装って杯を傾けた。だが中身は空で、軽い音を立てて卓に置かれる。
酒瓶へ手を伸ばそうとしたその瞬間、少年が静かに口を開いた。
「……粛清は、とある人物を守るために行われた。その中心にいるのはアシャディ・リポフス。政治に興味のないお前でも、廃嫡姫の噂くらいは知っておろう。黒い噂が絶えぬ女だ。その調査中に――我々の密偵は消息を絶った」
――月の民ではあるディランだが、彼は一介の市民に過ぎない。少年とグランの話は、明らかに彼の及ぶ範疇を超えている。だからこそディランは声で、
「……それを聞いたところで、私に関係があるとは思えないな」
と返した。月の王宮で、軍で、何が行われようと自分には何もできない……そんな思いが込められていただろうか。しかし、本心ではなかったのだろう。言葉とは裏腹、盃を持つ指先がかすかに震え、酒面の鏡像が揺らぐ。
――全てを聞かずとも、ディランは察してしまった。月の腐敗が、心臓部まで及ぼうとしていることを。月の都に何かがあれば、残してきたルミナリアが心配だ。それだけではない。自分たちの恩人であるファニ姫の命が脅かされている。
思案に沈むディランを見て、少年は柔らかい表情で言葉を継いだ。
「どちらにしろ、あの一件で黒幕の勢力は大きく弱ったはずだ。奴らにとって、この月の政情が不安定な時期を逃すのは痛手。お主の機転が月の王家を救ったと言っても過言ではない」
少年はそこで一度息をつき、真剣な眼差しを向けた。
「だが、これで終わりではない……ディランよ。
友人として忠告しておく。この先、お主は大きな陰謀に巻き込まれるかもしれん。心せよ。真の悪意には道理は通じない。不条理に、理で対抗しようとするな。正しいことをなすには、理想だけでは足りん。 共感と力――この三つを兼ね備えて初めて、正義は成り立つ……」
その言葉に、ディランは思わず首を振った。
「ま、待ってくれ。さっきから聞いていれば……私は一介の研究者だ。変なことを吹き込むのはやめてくれ……」
戸惑いを隠せないディランを、少年はまっすぐに見据えた。
「……今の私には力がない。この程度の忠告をすることしかできん。だが、何年かかってでも、受けた恩は必ず返す。それだけは覚えておいてほしい」
その瞳は、まるでディランの魂に直接語りかけるように澄んでいた。
ディランも姿勢を正し、少し照れたように答える。
「嬉しいが、こっちにも事情がある。それに、友人なら貸し借りなんてないだろう。また会える日まで元気でいる――足りないか?」
「それでは私の気が済まない。この誓いを受け取ってくれ」
「……分かった。ふふ……このくすぐったさも、私の人生では初めての感覚だ。君の前途こそ困難に満ちていると思うが、健闘を祈るよ」
「ああ。森の民の誇りにかけて、不断の努力を誓おう、友よ」
少年が右手を差し出す。
ディランは照れたように微笑み手を重ねた。
「あの……」
そこへ、横から料理長が遠慮がちに声をかけてきた。
「盛り上がってるとこ悪いんだけど、そろそろアクエッタの重力圏に入っちまうもんでね……片付けてもいいかな……?」
グランが椅子から跳ねるように立ち上がり、深々と頭を下げる。
「あっ、すみません! ごちそうさまでした!」
「いやいや、それはいいんだよ。どうせ捨……ああいや、喜んでもらえてなにより」
「片付け、お手伝いします! 固定作業などもあれば言いつけてください!」
「本当? 助かるなぁ。お兄ちゃんガタイいいし、まるで船長の息子みたいだよ」
「い、いえ……そんな恐れ多い……」
二人のやり取りを横目に、少年も椅子から立ち上がった。
「では、お開きとするか。シプタ嬢はグランに運ばせる。どうせお主、荷造りも途中であろう?」
ディランはよろめきながら立ち上がり、苦笑した。
「お見通しか。ではお願いしよう。一足先に部屋へ戻らせてもらう……」
そう言って、ふらつく足取りで食堂を後にした。
ディランの背中が完全に見えなくなったところで、少年は軽く咳払いをした。
「……嬢。いつまで寝たふりをしている。そろそろ起きろ」
すると、突っ伏していたシプタがムクッと上体を起こす。
目は座り、頬には袖のシワが赤黒く刻まれている。
「聞いておったのだろう? まったく……そんな顔をして。友だけでは不服だったか?」
「ませちゃって……あのねぇ。いくら王子だからって、私に“嬢”はないでしょう。年上に対する礼儀を知らないの?」
酒の勢いそのままに、シプタは少年へ軽口を叩く。少年は怒るでもなく、どこか気まずそうに視線を逸らした。
そこへグランが控えめに割って入る。
「あの、シプタ様……」
「ん? 何?」
「シェルマン様は、ああ見えて齢は千を超えております。私よりも遥かに年上ですので……」
「……は?」
シプタはこめかみに指を当て、深い息を吐いた。
少年はその様子に微笑み、「無理もない」と言って続けた。
「我が星では、古来よりデキシを“死の華”として恐れてきた。森の民は長命だが、王族はデキシを感知する器官が異常発達し、さらに幼体期が長いという特徴がある」
「……」
「つまり我々は、文明の創世記に“感知器”として重宝された変異種……生存には適さない出来損ないのようなものだ。それが、いつの間にか王として祭り上げられた。他星の者からすれば理解しがたいだろうな……ふふ」
そんな少年の自嘲に、グランが強く首を振った。
「そんなことはありません! 王族は長き治世をもって民に崇められているのです。森の星を繁栄に導いたのは間違いなく王族!」
その真っ直ぐな眼差しに、少年は深く頷いた。
そして、シプタへ向き直る。
「ありがたいことだ。今では権力争いに堕ち、民を困惑させるばかりの王族……私も誇りを忘れかけていたが……すっかり心が熱くてな」
「……」
「森の星――愛する故郷を必ず取り戻し、正常化してみせる。私にはそれができる。そう思えてならんのだ。だからこそ、恩人である嬢にも誓いたい」
「……」
「……おい、嬢。聞いているのか?」
シプタは長い、酒気を含んだ溜息を吐いた。
そして、座った目で少年を見据えながら言った。
「要するに……先生が私に詳しく教えてくれなかったことがまだあった、ってわけね?」
その言葉が釘のように鋭く、少年の胸に刺ささる。
「お、おう……気の毒だが、そのような……だな……」
気まずい沈黙が落ちかけたその時、料理長が再び近づいてくる。
「あの……本当にそろそろ、片付けを……」
「……ああ、つ、つい。すまない。そろそろ退くとしよう」
少年が軽く頭を下げると、グランは慌てた手つきで皿をまとめ始め、シプタはまだ半分眠ったような目で立ち上がった。宴の終わり。皿の触れ合う音が、一転静まり返った食堂に淡く響く――
――こうして、ディランはアクエッタへ至る。
水の星に渦巻く光と闇が、まるで彼を誘うように、その運命を流転させていく。




