第二十六話 甘美な毒
「美味い、やはりコクもキレも、何もかもが違うな……!」
「貴方のように味のわかる方に飲んでもらえれば、この酒も本望というものでしょう」
――交易船の食堂で、カンサと男が酒を酌み交わしている。いや、男が持参した銘酒の瓶を大事そうに抱えながら、実質、カンサが独り占めの状態。無邪気な笑みを浮かべている様子から、この男の中に遠慮という思考は存在しないようだ。
「こんなボロ船でこの酒に巡り合えるとは。久々にいいことがあった!」
「喜んでいただけて何より……しかし、久々にいいこと、とは気になってしまいますな……」
「あ、いや」
「失礼、詮索するような真似を。私にはあなた様のお悩みなど理解できるはずもありませんから。もしよろしければそろそろ、ありがたき金言をご享受いただければ……」
男はそんなことを言いながら、恭しくカンサにすり寄った。しかしそこで、カンサの顔つきが変わる。
酒瓶はしっかりと胸元に抱きながら、男を見据えて口を開く。
「……お前、まさか。何か探ろうとしているのか?」
他人を信じてはならないという誓約と引き換えに手に入れたような、光なき目。全身から放たれる酒の匂い。しかし何か、獣のような不気味な迫力までをも帯びている。
男はすぐさま立ち上がると、
「申し訳有りません。あなたのような百戦錬磨の将がどの様に酒を嗜まれるのか、興味があったもので……しかし、実に浅はかな考えでした。そんな心の内さえ見透かされてしまうとは、さすがとしかいいようがない」
と頭を下げ、自身の勘繰りをあっさり認めた。カンサはその深淵のような瞳を男に向けたまま、
「その様におだてて……私がそんな手に……」
と口元だけを小さく動かす。
――緊迫。
しかし間を待たず、カンサは言葉より先に、下卑たニヤつきを漂わせた。
「……だが、正直者は嫌いではないぞ。私は確かに優秀だからな。ただ、才に恵まれぬ者の苦しみまではわからんし、私の話が理解できるかわからんが……座れ。ありがたい言葉を恵んでやろう……」
そう言うと、上機嫌に鼻歌を奏でながら、グラスに酒を継ぎ足していく。他人の酒を飲み散らかす無神経さ、突如として別人のような疑心暗鬼。それがこのカンサという男の性分のようだった。
◇ ◇ ◇
――しばらく経った頃。
カンサの側近が食堂に姿を見せ「団長!」と大声で呼びかけた。カンサのテーブルまで歩み寄り、卓上を一瞥――そこに転がる5、6本の空き瓶。側近はその傍らに座っていた男をギラッと睨み、カンサへ
「……誰でしょうか? その者は」
と尋ねた。
当のカンサはその問いに、いや、大声で「団長」と呼ばれたあたりからすでに顔を腐らせていた。酒瓶を我が子のように抱きかかえながら、
「……うるさい……なんだお前は。ここに……来るなと……今いい気分、だ、と言うのに、邪魔を……」
と、怪しげな呂律で悪態をつく。
「い、いえ……邪魔など、そんなつもりは毛頭ありません」
この様に深酒し、威厳も何もない上司。しかし、それに対しても、側近は怯えるように敬礼をする。
側近は次に、傍らの男に向けて
「おい、お前。そのマスクとフード、手袋を外せ。変な気を起こすなよ?」
と言った。その右手は、小脇に携えた小銃にかかる。
男は慌てず、平然として指示通り手袋を外し、マスクを下げ、フードを上げた。そして露わになる火傷のような頬の傷。手袋に隠されていた右手も、爛れて皮まで引きつっているように見える。
男の隠された姿を見た側近は、静かに眉間へしわを寄せた。男はその緊張の面持ちを察すると、
「驚かせてすみません。このようなお見苦しい姿を将軍にお見せするわけにもいかず……お恥ずかしい限りです」
と、極めて柔らかく発して、恥じ入るように顔を赤らめた。
「将軍だと……?」
側近が小さく漏らす。カンサ団長は将軍ではない、しかし、そんな訂正はしない方がいいだろう。さらにカンサの機嫌を損ねる可能性がある。
当のカンサは男の傷を見て、
「おえっ! 気色の悪い! 隠せ隠せ!」
と嫌悪感をむき出しの顔をそっぽにそむけながら、さっさとマスクを付けろというふうに手振りをした。男は側近へ軽く一礼すると、再びフードをかぶりながら
「……お許しください。少しばかりお話をさせていただいたのです。このような高貴な、軍の上層の方をお見かけする機会などめったに無いもので、つい舞い上がってしまい……」
と、また一段と顔を赤らめ、弁明を続けた。高貴や上層などと言われて心地よいのか、カンサはまたニタニタとご満悦の表情である。
「その、話とは……一体どのような……?」
と、側近が続けて尋ねる。すると男はカンサの方を見て、
「よ、よろしいのですか……?」
と尋ねた。そこでカンサが大声で笑う。
「ヌハハッ! よいぞ、話してやれ!」
「しかし……」
男はバツ悪そうに目線を下げた。側近もその態度が気になり、「話すのだ」と促す。
「で、では……」
そんなやり取りの後、男はすっかり表情を落とし消え入るような声で話し始めた。
「将軍の、お悩み事をいくつか伺っておりました」
「悩み事? 何だそれは?」
側近がそう聞き返した時、カンサが失笑する。
男はまた一段と申し訳なさそうに身をすくめながら、口を開く。
「その、私ごときに真意ははかりかねるのですが……その、要はですね……」
歯切れの悪い男の横で、カンサがとうとう吹き出す。そして、
「いいぞ。私が許す。言ってやれ!」
と、笑いを堪えるように顎を上げた。
男は少し頷くと、背筋を引き延ばしてまた小さく口を開く。
「で、では……恐れながら。まず、部下の皆さんが思うように動いてくれないのが悩みだと」
「何?」
側近が聞き返すと、カンサがいよいよ、抱えた酒瓶を上下に揺らしながら笑い始め、
「おいおい、お前。言葉は正確にな。私が何を言ったか、一字一句違えることは許さんぞ?」
などと訂正しながら男を脅す。そして、「もっと話せ」とばかりに顎を振り上げる。
男は一層目力を込めながら、
「……あいつらは成長しない、学ばない。自分で考えて行動しなくて困っている。決断も遅い。私を困らせるのが趣味のようで、今日も一生懸命、私の足を引っ張って……」
「……」
絶句する側近の横で、カンサがケタケタと笑っている。涙を拭いながら、
「なんだ、不服か!? 文句があるなら言ってみよ!」
と、側近の足を蹴飛ばした。
「い、いえ……」と側近が小さく答えると、カンサはさらに、
「おい、それだけではないだろう! もっとあっただろう!」
と促す。
男は目を強くつむりながら軽くうなづき、
「はい……」
と応じ、言葉を続けた。
「どうして能力の低い人間ほど、自己評価が高いのであろうな。生き恥を晒しながら、何のために生きるのか。それすら考えることが出来ない動物なのか……? 私の話を理解できるレベルにないのだ。だからな、私から降りてやって、話を合わせてやっているのだ。あいつらはそれすら気づいていないだろうな。全く。私のような人間は、どこまでいっても孤独……」
しおらしい態度の男から、滑らかに次々と悪口が発せられる。男の一句一句にカンサが声をあげて笑い、机をバンバン叩いている。その光景の中、側近は表情も変えずただただ立っていた。
「おい!もっとあるだろう、もっと。ぐふふ……」
カンサは涙を流しながら男を急かす。
「では……」と男が言いかけたところで、側近が「分かった。十分だ」と遮った。
その言葉を聞いて、カンサは眉をしかめ、しかし口元は半笑いのまま、
「何? もういいのか聞かなくて?」
と不満げに言う。
「はい。団長。我々の精進が足りず、申し訳ありません」
そう言って頭を下げる側近を見て、カンサは
「そうかそうか!ああ、愉快だな。わかってもらえればいいのだ!」
と、手を叩いてはしゃいでいる。
「あ、あの……申し訳ありませんでした。しかし実はまだ色々とお話しが……」
男が申し訳なさそうに悪口の残弾を匂わせるが、側近は首を振り、
「いや、お前が嘘をついていないことは分かった。聴取への協力、感謝する」
と謝意を示した。
「い、いえ……先ほどの皆様への言葉は、きっと深い考えがおありの事かと……」
「もういい。そういえば名前を聞いていなかったな」
「はい、月の都のディラン・クレセントと申します」
「ディラン・クレセント……今後は控えることだな。興味本位で軍に近づいた者の末路は分かるだろう?」
「は、はい! も、申し訳ありません!」
ディランが深々と頭を下げる。側近はそれを横目に見ながら、
「さぁ団長。もう艦に戻りましょう」
と、すでに飲み疲れたか笑い疲れたか、ぐったりとしているカンサに声をかけた。
「うるさい……指図するな……だが、眠い……戻るか……」
そう言いながら立ち上がろうとするが、ふらついたところで側近に支えられた。入り口付近で様子をうかがっていた兵たちも駆け寄り、その身を支える。
そのまま食堂の外へ連れ出されていくカンサ、急に吹き出すように笑いだすと、
「……いい策が……これでアシャディへ……面目が……」
と、独り言を呟く。
側近はその不明瞭なその発言が気にはなったが、もし聞き返せば機嫌を損ねる。開きかけた口を閉じ、兵たちへ首を振る。
そんな男たちの背中を、ディランはじっと見つめていたのであった――
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