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第二十話 先生の企み

「——術式は経口による胸腔内の組織郭清及び縫合、並びに肺洗浄です。では開始します。」


 少年の口から内視鏡が挿入されていくと、それに伴ってシプタの顔つきが変わるーー柔和な表情は失せ、指先の軌跡は機械のように必要な動きだけを捉えていく。

 ディランもさすがに、施術にまでは手をださない。出すべきではないと、その程度の分別はあった。シプタもディランが助手を申し出ないことを、経験を積ませるためにあえて自分に任せているのだと、何の疑いも持っていない。


「素晴らしい手際だ……」

 モニターを覗き見ていたディランが、興奮のあまり感嘆を漏らす。そんな賞賛の中でも彼女の動きに一切の淀みはない。その集中力たるや凄まじいものがある。

 ーーこれまでディランは、医療処置をされる側であった。このように医療行為を間近に見ることは初めての経験で、目をキラキラとさせながら、シプタの手さばきに見入っていた。


 程なくして手術は完了する。ディランの指示した施術を、滞りなく的確に実行するシプタ。初仕事で船医を任されるのも納得の腕前である。

「これはいい経験になった。なにか、新たな世界が開いたような……そんな気すらする」

「ありがとうございます……見守られながらだったので、一段と気合が入りました……」

 シプタは少し恐縮するように首をすくめながら、吸入器に薬瓶を取り付けている。その額には流れるほどの汗、しかし表情は実に晴れやかである。


 一方のディラン、そんな彼女を横目に、血に塗れた摘出物をまじまじと見つめていた。

 今回摘出された感知器官は、森の民が危険な植物から身を守るために進化してきた呼吸器官の臓器だ。この臓器がデキシの成分に過剰反応し、発作を誘発する。それがこのデキシ性肺炎症の病理である。しかし、今回摘出されたものは、ディランが以前資料で見たよりものよりだいぶ大きい。

(王族に近しい人間ほど器官が肥大、との記述もあったような……)

 ディランは自身の記憶の片隅から知識を引き出そうと、低く唸りを上げている。


 シプタはそんな彼の様子を一瞥し、施術録を打ち込もうとした手を止めた。天井を見上げ、

「うーん……どのように書いたものでしょうか……」

 と、助けを求めるように迷いの声を漏らした。

 ディランはすぐさま反応する。眉間へシワを寄せ、そして重々しく口を開いく。

「……シプタさん、こう案じているのだね。原因不明の病気発生。たまたま乗り合わせた人間が治療に志願してきて、丁度良く特効薬を提供……話が出来すぎているのではないか、と」

「え? いや……どちらかと言うと原因の……」

 ディランは目を瞑って深く頷きながら、シプタの言を聞いている。すると、小荷物から箱を取り出し、シプタに見えるよう机上へ広げていった。そこに現れたのは夥しい量のアンプル。箱の中に、混然と詰められている。

「旅行するにあたり、何かあってはいけないと薬品を色々持ってきていた。ただ、船や星に持ち込めないものも多く、たったこれだけになってしまったが」

「こ、これは……」

「調合次第で薬になる。本来持ち込めないものもそれでなんとか……ただ、あくまでも無事に帰還するためのお守りのようなもの。そこにたまたま、今回の特効薬が含まれていただけ、というわけだ」

「余計にすごいことです……偶然ではなく必然。これがディランさんの、医師としての矜持……なのですね」

「いや……」

 医師ではないのだと、まだ打ち明けられていない。いや、もう打ち明けるタイミングなど訪れないであろう。ディランは鼻頭を中指で掻きながら、

「そのような大層なものではない……単に健康上の懸念だ。私が倒れるわけにはいかないからな」

 と、やっと返すのが精一杯だった。シプタはその言葉に小刻みに頷くと、

「医師たるもの、自分が健康でなければ説得力がありませんからね!」

 と、目を輝かせて言うものだから、ディランも今度は頭を掻きながら、

「……月に病気の妻を残しているので、それで私が倒れるわけにはいかない、それだけだ」

 と、たまらず補足する。

 そのさりげない一言に、シプタの頬がさっと引いていく。彼女は力なく、

「あっ……ああ、そうですよね……」

 と、うつむいて小さなため息をついた。


 ◇ ◇ ◇


 ——沈黙を破るように、廊下にどよめきが湧く。


「何だろうか……?」

 ディランが首を傾げて言う。複数の男が言い争う声。その時、シプタが跳ね上がるように目を見開き、

「……あっ! そうだった!」

 と甲高い声を上げた。

「すっかり忘れてました! グランさんを廊下で待たせているんでした。術後の説明もしなければ」

 と、言いながら急ぎ手術着を脱ぎ置くシプタをディランが制して、

「いや、待ってくれ。彼には無事に終わったことだけ伝えてやればいい。詳しい話はこの子が目を覚ましてから、直接した方がいいだろう」

 と言う。それに対し、シプタは少し首を傾げるような仕草を入れて、

「え? そ、そうですか? まぁ、そっか、わかりました……」

 と返した。


 扉を開くと、そこに現れたのは壁——いや、グランの背中だった。

「グランさん!? ちょっと、いいですか!」

「あっ……」

 グランはシプタに気づくと、すぐさま横に退いた。視界がひらけると、数名の男たちが医務室の前に佇んでいるのが見える。

「ドクター!」

 男たちは哀願するような目線をシプタに向けてくる。まるで雲間に指した光明であるかように彼女に手を合わせた。

「皆さん……どうしたのですか?」

「どうしたも何も……湿布を貰いに来たんだがね、ほら、そいつがいいからまた後で来いなんて言うもんで……って、ひぃ!」

 男性は後退り、縮みあがった。シプタが振り向いたところには、腕組みし仁王立ちするグランーー鍛え上げられた胸板、その前で丸太ほどあろうかという腕がぎゅうっと押し込むように組まれている。そびえ立つ巨体は天井を貫きそうなほどである。

「ああ、グランさん! 無事終わりましたよ!」

 そのシプタの一言に、グランの張り詰めた表情が瓦解した。咄嗟に大きな手でシプタの小さな手のひらを包み、

「ありがとうございます!」と、床を震わすほどの大声を上げる。

「これでもう、大丈夫なのですね!?」

「……とりあえずの応急処置、と術前に説明をしていますが……」

 シプタはあっけにとられながら、なんとか言葉を紡いだ。グランが説明を全く聞いていないこともあったが、何より、紅玉のように血走った眼球が押し出されんばかりに張り詰め、涙をためていたことに驚いた。

「では、入っていいですよね!?」

 と、室内に入ろうとするグラン。シプタは慌てて、

「ダメです! 絶対安静です! グランさんは部屋に戻ってください!」

 と、巨体を必死に押し返した。そして、そのまま体勢のまま振り返り、今度は男たちに向け、

「皆さんもすいません! 今取り込み中です。後で船室に湿布を持って伺いますので!」と声を上げた。目の下のクマや汗によって額にべっとりと付いた前髪が、シプタの激務をもの語っている。それを見て荷役のスタッフたちも、

「え、あ、ああ。すまないね、忙しい時に……」

 と言い残し、素直に帰っていく。

 一人居残ったグランもやがて、「治療の邪魔をするわけにはいかない……よろしく頼みます……」と受け入れて、部屋へと戻っていった。


 シプタはさっと部屋内に入り扉を締めると、「はぁあああっ……」と大きく息をつく。

「もう既に、大事になっていますね……グランさんも噂になるでしょうし、私も船内を駆けずり回ったので……」

「そうだな……」

「この後、一体どうすれば?」

「その件についてなのだが、先程の」

「ああ、船長への顔つなぎ、ですね?」


 ——術前、ディランはシプタに、『交換条件』として船長との顔つなぎ、と要求していた。何だそんなことですかと言ったシプタではあったが、

「もしよかったら、一体どんな話するかおつもりか、伺っても?」

「ああ。1つ目は客室の入れ替えだ」

「入れ替え?」

「ああ。私の客室と彼らの船室を交換してもらう」

「あ、そうか……この子……」

「そうだ。この子を同じ場所に置いておけない。いや、なにより、原因の出どころを調べるのが先か……経過の観察は引き続き頼むよ」

「でも、それは申し訳ないです。荷室は無重力なので、支障が出るかもしれません。この子だけでも私の部屋に」

「それでは君も休まらない。正直、体験してみたいのだ。それに、彼、グランを見れば筋力を維持することも可能であると言うことであろう」

「しかし、それでも荷室に入ることは出来ないかと思いますが……」

「ああ、万が一見つかった場合の話も、その時にしようと思っている。考えなしに告発すれば、相手も必死に抵抗するはずだ」

「なるほど……それでグランさんには詳細を隠すのですね。いや、確かに。彼に知られては危険かもしれない……」

「では、私は部屋に戻る。荷物の整理もしないといけないのでな。船長の準備ができたら、教えてくれ」

 ディランはそう言って小荷物を持ち上げた。シプタは退出を留めるように、

「あのっ!」

 と大きな声を出す。

「何か?」

 ディランが振り向き、シプタの目を見つめた。彼女は意を決したように、目を見開く。

「ディランさん。ディランさんを……先生と、先生と呼ばせてください!」

「へっ……?」

 ディランは表情を曇らせた……

 彼の頭の中に浮かんだ計画、それを決行するまで身を明かさない方が都合がいい。

 しかし、彼女にいつ真実を知られてしまうのか……純真なシプタの尊敬の眼差しが、痛いほどにディランの良心を突き刺している。

「まぁ、遠慮しておこう。では、後ほど」

 と、ディランは言い残し、逃げるように退出していった。

「あ……あれ? まずかったかな……?」

 シプタはそう言いながら、すっかり容態の落ち着いた少年を見つめる。

「良かった、本当に……ってあれ? そう言えば、1つ目って言ってなかったっけ……」


 ——さて、一体、ディランは何を企んでいるのか。この船における騒動は、ここからがいよいよ本番である。

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