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第十七話 命の灯火

「はぁ、はぁ……」

 なまり切った足で船内を駆け抜け、医療室の前へと到着する。

「失礼!」

 内から漏れ聞こえる喘鳴。扉が開くと、ベッドに年の頃十歳くらいの子供が寝かされている見えた。その傍ら、大男がちょこんと丸椅子に腰掛けている。その男、走り込んできたディランを見るや否や、嫌悪感をあらわにして凝視してくるのだった。


(何だ? こいつは?)

 ──お互いにそう思ったことだろう。


 船内の狭苦しい医務室で、大きな男が小さく座っている。たが、その眼光はまるで野生の獣のように敵意に満ちていた。

「お連れの方、心配でしょうが退出を。あなたにも感染してしまうかもしれない」

 大男の威圧に物怖じせず、ディランは毅然と言った。しかし、その男は微動だにしない。

(言葉が通じない……?)

 見回すと、部屋奥の机の上に診断結果と思われる画像や少年の食事や既往歴などの資料が並べられている。ディランはそれらを手に取った。

 ……アレルギー様のショック症状、しかしアレルギーテストには反応がないとの診断。

 ディランの脳内に、以前に修めた月の医学の用語、画像、映像、それらが連なり渦巻く。だが、導けるものがない。


「失礼するよ」

 ディランは伸び放題になっていた髪を紐で縛ると、ベッドに向き直り少年の服をまくりあげた。傍らでその様子を見ていた男が一層と憤怒の眼差しを向ける──彼の拳は、鍛えられ盛り上がった腿の上で、筋が浮き上がるほどに握りしめられていた。

 そんな爆発寸前の大男とは対照的に、ディランは一切の表情を削ぎ落とし診察を進めていく。激しい咳、高熱、頻脈。寄港まで持つものかという程の重症だ。ここまで放っておいた……と、問い詰めたくなる。

 ディランの触診が胸部に差し掛かった時、

「うっ……!」

 と、少年は苦悶の表情を一段としかめ、大きくうめき声を上げた。胸部表面の激痛──ディランはその時、自分の脳が一気に、無限に広がるような錯覚を得る──

「そうか……次はお腹の方を」

と、手を伸ばすと同時に、ディランの手首は大きな手に握られた。横で見ていた男が咄嗟に腕を掴んできたのだ。息を荒くする男、その目は血走り、さらに力が加えられていく。

 しかしディランは冷徹な顔を崩さぬまま、眉一つ動かさない。

「放してくれ。治療の邪魔だ」

「貴様っ……」

「月の言葉を話せたのか。ならば教えてくれ。どこを旅してきた?」

「お前に教える理由が無いだろう……!」

「余計な詮索はしない……質問に答えてくれるだけでいい」

「何?」

「何か、問題があるのか?」

 低く抑えた声。ディランが男を一睨みする。手首を掴む力が瞬間緩んだ隙に、一気に手を振り払った。

 油断。いや、その男はディランの、まるで深淵を渡り歩いてきた戦士のような底の知れない目に、一瞬とはいえ怯んだようだった。こんな学者風情の男がしていい貌ではない、しかし、引き下がりはしない。

「……船医がもどってからだ。信用ならん」

「許可は得ている。一刻を争う。この子は森の星出身、違うか?」

 ディランが尋ねると、大男は視線をそらした。一瞬、その眉がピクリと動いたように見えた。一呼吸置いてさらに問う。

「次の質問だ。火の星には渡航したか? ヴェスフォ星に」

 男は壁を見ている。ディランにはその態度があまりにも無責任に思えて、つい、

「手遅れになってもいいのか……」

 と、漏らした。子供の前で脅すような言葉は使いたくなかった。だが、彼はなりふり構っていられないという状況を伝えたかったのだろう。

 その意図を汲んだか、大男は少し肩を震わせたが、それを抑え込むようにまた、爪が食い込むほど拳を握りしめた。

 ──なにかある。憚るような事情が。だからといって救える命を、子どもの命を、見捨てていい理由になってはならない。そんな判断は、ディランには到底受け入れられない。

「……頼む。質問の意図はこうだ。森の星の植物が現地民に重篤なアレルギー反応を引き起こす。この子の症状は当てはまるんだ。ただ、とうの昔に人為的に絶滅させられた聞いていた。それでアレルギーテストの項目から削除されていたのだろう」

 ディランが男を諭すよう、なるべく平易な言葉を紡いでいく。男は変わらず唇を固く結び、拳を見つめ続けていた。

 少年の顔が苦痛に歪む。ディランは何かこみ上げるものを必死に抑えながら、説明を続ける。

「……『デキシ』と言う植物だ……何か心当たりはないか?」

「……貴様! 口を慎め!」

 男は声を荒げた。

 『デキシ』とは、激しい覚醒作用をもたらす、悪名高い植物だ。はるか昔、蔓延により滅んだ星さえある。心当たりが無いかという問いは侮蔑に他ならない。

 男は怒りに任せ、今度は殺意に満ちた目でディランを睨んだ。が、その表情はすぐに驚きへと変わる。


 ──ディランの目元に、光るものが溢れていた。


「なっ!?」

 その反応に少し自嘲を含んだ苦笑い浮かべながら、ディランは静かに発した。

「……すまない、つい。言い方が悪かった。『デキシ』が何者かによって保存され、例えばこの船内で使用しているものがいて、それをたまたまこの子が被曝したなど……荒唐無稽な予測だが、様々な可能性が考えられる。君たちを疑っているわけではないんだ」

 

 ディランは少年の上下する胸をぼんやりと見つめながら、さらに続ける……

「……話すことも、触れることも、共に未来を歩むことも、できなくなるんだぞ……そこに希望があるなら……すがるべきだ」

 微かに動く唇から発せられる弱々しい言葉たち。まるで、生々しい苦しみが込められているようだった。しかし男は会話を拒絶するように、視線を壁際へ逃がしたままだ。


「グランよ……こ、この者に、話して……みよ」

 初めて少年が言葉を発した。

 その短い言葉をなんとか言い切ると、また咳き込む。

 男はすぐさま向き直り「しかし……」と返したが、少年は虚ろな目を向け、諭すように小さく頷く。

 大きくうなだれた男。心の内の葛藤を示すように、全身がわなないている。ディランは身じろぎ一つせず、じっと彼の言葉を待った。


 男は意を決したかのように背筋を伸ばし、大きく息をついた後、ディランを見据えた。

 そして、食いしばった歯から滲み出すような声で、語り始めるのであった……

後書き


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