第十六話 船医シプタ
『当機は巡航から間もなくアクエッタの引力圏内に進入します。荷役班はハッチへ集合しください。繰り返します……』
──淡々とした機械音声のアナウンスが、泥のように眠っていたディランの意識を引き寄せた。凝り固まった細胞たちを引きはがすように、ベッドからはみ出すほど大きく背伸びする。
「……着いた、か……」
低い掠れ声が漏れる。かぶりを振って意識を覚ますと、なんとも億劫そうに膝を押して立ち上がり、船室の小さな窓を覗き見る。
船の進行方向に小さく浮かぶ、一面を厚い雲で覆われた惑星──水の星、アクエッタ。
待ちに待った興奮の瞬間、のハズだったのだが……月の都を出発して既に三年。余りに長い待ちの時間は、到着の喜びまで削いでしまうものなのか。まるで他人事のように、ぼんやりと眺めてはあくびを放つ。
……出発して間もなくは初めての旅に浮かれ、アクエッタへ想像を膨らませたり、船内を落ち着きなく歩き回ってみたり、時折寂しくなって望郷の思いを馳せてみたり、ルミナリアの体調を案じてみたり……そして、そんな事を思いのままに綴っては、ルミナリアに通信して日々の憩いを求めた。
しかし……月と外部は時の流れが異なる。
一日一通のペースも守ったとしても、月側にしてみれば四分に一通が届き続けることになる。さすがのディランも自重せざるを得ない……
──何故これほどまで伝えたくなるのか。共感が欲しいのか。などなど冷静に分析していき、自制を取り返す。
この船は交易船──人目を引きつけるような遊興や暇を紛らわせる催しもない。だが、それらはさしたる問題ではなかった。彼は荷物に研究資料を詰め込んで来ているし、安い料金で乗れた飾り気のない船は性に合っていた。そう彼は、時間を研究に費やすことが出来ればそれでいいのだ。
問題といえば、この三年間一度も父親と連絡が取れていない。現状の手がかりは受け取った手紙だけ。想定外のことではあったが、(親父のことだ。何か考えがあるのだろう)と、どこか楽観的に捉えている。
──別れてから手紙を受け取るまでの月の三年間は、外部では千年以上に相当する。通常なら寿命どころか存在の事実すら消え去っていそうな年月だが、月の医療技術をもってすれば、脳の機能を保存したまま延命も若返りも思いのままである。
(親父、今はどんな姿かな……)
追憶に浸るように再び目を閉じようとしたその時、
「ディラン様、いらっしゃいますか?」
と、ドア越しに声がした。
「はい」
「よかった。お別れの前に、食事でもしながらお話が出来ないかと思いまして」
「おお、是非……少々お待ちを」
扉を透通すような清廉な声色。声の主はグラン、船内で知り合った同乗客の青年である。彼は少年を連れて旅をしているが、その詳細までは聞いていない。浅黒い肌、大きな背中。彼のあまりに立派な体躯を見るたび、ディランは(月に帰った時に私がこんな体をしていたなら、ルミナリアは何と言うだろうか……)などと妄想にふけった。
到着に向け徐々にあわただしくなる船内、行きかう船員の間をすり抜け導かれたのは乗組員用の小さな食堂、既に食事時を過ぎたようで既に閑散としている。隅の席に二名の先客、この船の船医を務めるアクエッタ人の女性医師シプタと、グランが連れている少年が座っていた。
シプタは二人の姿に気づくと立ち上がり、大きく手を振る。
テーブルには様々な具材が並べられていた。4人前にしても食べ切れるかと言うほど量が多い。
「料理長が、この交易を支えた船医へのお礼、ということで腕をふるっていただけたのです!」
シプタが得意げに胸を張る。料理長の思惑は到着前に廃棄される食品を処理してしまいたいということであろうが、それは言わぬが花というものだ。
「ありがたくご相伴に預かろう。お腹が空いていたんだ」
「シプタ様が、どうせディラン様は不規則なので食事はまだであろう、誘ってはどうかと」
「そ、それは言わなくてもいいでしょう?」
シプタがその透き通るような青白い肌を紅潮させながら、呟くように漏らす。
筋骨隆々の青年と少年、若い船医、墓参り中の研究者。なんとも奇遇な組み合わせであるが、星間の長期渡航ではこういうつながりができるのも決して珍しいことではない。
「あの時、先生が居なかったらどうなっていたことか……」
「飲み過ぎでは……? それにその、先生というのはもうやめて欲しい。もったいない」
「お二方には本当に感謝しております。このグラン、御恩は決して忘れませんので」
ディランを『先生』と呼ぶ船医、そして彼らに感謝の意を表す礼儀正しい青年。この交わりが始まったのは2年ほど前、ディランの客室に血相を変えたシプタが尋ねてきたのが始まりだった──
◇ ◇ ◇
「お急ぎのところすみません! 途中寄港のお許しをお願いしたいのです!」
「寄港……?」
話を聞けば、彼女はこの交易船の船医であり、自身では治療できない病気が発生。近隣の星へ寄港し医療施設へ搬送したいということだった。
「救急船へのランデブー要請は?」
「それが……対応が難しくかえって時間がかかると言われてしまって……」
ディランも用事を済ませて一分一秒でも早くルミナリアの下に帰りたいと思っているが、人命がかかっているとなれば是非もない。
「わかりました。そのようになさってください」
「あ、ありがとうございます! では、失礼します」
女性の額には汗が浮かんでいた。客室数は少ない船だか、荷役たちも多数乗船している。これだけ焦っているのは、感染症の疑いもあるということか。
……ここで、彼の悪い癖が出た。
「ちょ、ちょっと待ってください」
廊下へ顔を出し、急ぎ足の女性を呼び止めるディラン。
「はいっ!?」
「あの、寄港を認める代わりと言ってはなんですが、もしよければ、私にも診させていただけないでしょうか?」
長い長い船旅、時折刺激が欲しくなるのが人情というものである。ディランは監視されていると確信していた時期もあったが、何も起こる気配がな。取り越し苦労だったのかと、一層退屈を感じるようになった。
──そこでもたらされた、医師でもわからないという病気──休眠しかけていたディランの知的好奇心が、鞭を振るわれたかのごとく奮い立つ。この場に、彼をたしなめる人間は不在だった。
「えっ!?」
不意をつかれた女性は、廊下に響き渡るほど声を上げた。そしてしばらくディランの真っ直ぐな目を見つめた後、
「は、はい! お願いします!」
と、気圧されたように口を動かしてしまう。
遠隔診断でベテラン医師たちからの知見を仰ぎ、手は尽くした後だ。それでも、何の根拠も無いはずのディランの眼差しが、頼もしく思えてならなかった。
「ご案内します!」
「いや、自分で行く。医務室で良いかな? 君は引き続き、乗客へ説明を」
「はい!」
……まるで、以前から上司であったかのように図々しく指示を出すディラン。走り去る背中を見送るやいなや、棚から小荷物を一つ取り出し廊下へ飛び出した。
後書き
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