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Ep.1-8 利き手

「この依頼、期限まで少し余裕がありますね。……拙速に依頼に向かうよりは、一度装備を見直してから挑みましょう」


ギルドを出た帰り道、依頼票の期限欄にふと目を落としたユリウスが、そう提案した。たしかに受注した依頼の期限には、まだ一週間ほどの猶予がある。


「そうだね。今度は本物の討伐依頼だし、油断は禁物か」


エレナも素直に頷いた。


――――――――


クエストに向けて、エレナは自室で支度を整えていた。


腰のショートソード、背の魔弓――いつもの装備を確かめた後、彼女は引き出しの奥から、もう一つの品を取り出した。


古びた革の鞘に収まった、細身のナイフだった。


「父さんの、か」


小さく呟いて、鞘から抜いてみる。刃こぼれ一つない、丁寧に手入れされた刀身が、朝の光を鈍く反射した。


これまで、実戦で使ったことはほとんどない。エレナの戦い方は、身のこなしと矢を軸にしたもので、接近戦は基本的にショートソード一本で済ませてきた。だが、このナイフもまた、父の形見であることに変わりはない。


「……ローワンと、また揃っちゃったな」


ふと苦笑が漏れる。ダガーを携えるようになったローワンと、こうして並べてみれば、なんだか妙な因縁を感じないでもなかった。


支度を終えて食堂に降りると、既にローワンとユリウスが待っていた。


「エレナ、それ……」


ローワンが目敏くナイフに気づく。


「うん、父さんの形見。今回はこれも持っていこうかなって」


「そういえば、エレナは近接戦でも防具らしい防具をつけていませんね」


ユリウスが指摘した。言われてみれば、エレナの装備は身軽さを優先したもので、これまでの研修でも本格的な防具は一切身につけていなかった。


「そうなんだよねー。動きにくくなるの、あんまり好きじゃなくて。でも、さすがに今回は本物の討伐依頼だし……」


エレナはしばらく考え込んでいたが、やがて何かを思い出したように、鞄の奥から古い腕甲を取り出した。


「あ、そうだ。これ、父さんが使ってたヴァンブレイス」


くすんだ革に、鈍い金属の縁取りが施された腕甲だった。使い込まれた形跡がはっきりと残っている。


「これなら、動きもそんなに邪魔しないと思うんだよね。ちょっとサイズ合わせてもらえば使えるかも」


「良い判断だと思います。せっかくですから、猫の工房に持っていきましょう」


「あ、僕も、何か防具考えた方がいいかな……」


ローワンがぽつりと呟いた。これまで防具らしい防具は何も持っていない。エレナとユリウスも、頷いて同意した。


――――――――


裏路地の工房を訪れると、親方はいつも通り快く三人を迎え入れた。


「おう、また来たか。今度は何の用だ?」


「今日は、これのサイズ調整をお願いしたくて」


エレナが差し出したヴァンブレイスを、親方は受け取ってしげしげと眺めた。


「ベルンのやつか。懐かしいな……」


しみじみと呟きながら、革の縁を指でなぞり、留め具の位置を確認していく。だが、ふと手が止まった。


「……嬢ちゃん、左利きだろ」


「え?」


「これ、右腕用だぞ。こういうのは普通は利き腕に着けるもんだ」


言われて、エレナは思わず自分の左手を見下ろした。


「あ……そういえば、私、左利きだった」


「そういえばって……」


ローワンが呆れたように呟く。


「私、両方の手で剣振れるようにしてるから、考えたこともなかった」


親方はヴァンブレイスを手に取り、当て板の曲がり具合を指でなぞった。


「だが、利き手と逆の腕に、盾代わりに着けるやつもいるぞ。弓がメインのやつとか、お前さんみたいに体術と剣術を同時に使うタイプには、案外多いんだ」


「じゃあ私にぴったりじゃん!」


パッと顔を輝かせるエレナに、親方はニヤリと笑った。


「まあ待て、そう単純な話でもねえ。……こいつは、ベルンが利き手に着けて、剣捌きの延長で受け流す用に作ってある。当て板の角度も留め具の位置も、剣を振り抜く動きに合わせて曲げてあるんだ。ベルンが使ってただけあって頑丈なのはいいが、盾みてぇに受け止めるとなりゃ話が別だ。衝撃を面で受け止められるよう、曲面から留め具の位置から、丸ごと組み直す必要がある」


「え、じゃあすぐ出来ない?」


「俺を誰だと思ってる……まあ任せろ。三日でできらぁ!」


少しおどけてみせるように胸を叩いて啖呵を切る親方に、エレナはぱっと顔を輝かせた。


「ほんとに!?」


「ベルンの忘れ形見の頼みを、断れるかよ。任せとけ」


親方はそう言うと、早速道具を手に取り、腕甲の分解に取り掛かった。慣れた手つきで留め具を外し、革の縫い目を丁寧にほどいていく。


その間、ローワンは店の隅に並べられた防具の数々を、興味深そうに眺めていた。


「これとか、どうかな……」


手に取ったのは、使い込まれた革の胸当てだった。値札を確認したローワンの表情が、みるみる曇っていく。


「……革の胸当てですら、手が出ないや」


肩を落とすローワンの声に、エレナが何か言いかけて、口をつぐんだ。飲み込んだ言葉の代わりに、努めて明るい声で言った。


「まあ、焦らなくても、少しずつ揃えていけばいいんじゃない?」


「うん……そうだね」


ローワンは無理に笑ってみせたが、その声には隠しきれない落胆が滲んでいた。


「当面は、危険度の低い依頼を中心にこなして、装備を整えることを目標にしましょう」


ユリウスが淡々とそう提案した。


「無理に背伸びをして高価な防具を揃えるより、着実に実績と資金を積み上げる方が、結果的に近道です。焦る必要はありません」


「……そうだね。うん、それでいいよ」


ローワンは少し気を取り直したように頷いた。


「せっかくだ、坊主たちの装備も、ついでに見てやろうか」


「私のはまだ大丈夫かな。ユリウスも持ってきてたよね」


「ええ、今度こそ見ていただこうと思います」


ユリウスが懐から取り出したのは、細身の杖だった。装飾は控えめだが、精緻な彫り込みが施されている。親方はそれを受け取り、目を細めて検分した。


「……ほう。良い造りだ。魔力の通りも滑らかだな。これは、既製品じゃないな?」


「実家に伝わるものです。もっとも、事業に失敗して家は傾きましたが……唯一、持ち出せたものの一つです」


淡々と語るユリウスに、親方は何も詮索せず、ただ頷いた。


「そうか。……大事にしな」


「ええ」


「それは調整は要らんだろう。軽く磨いて定期的に魔力を通してやれば十分だ」


親方は何かに気づいた風だったが、結局何も言わなかった。


「腕甲の代金は、出来上がった時にまとめてで構わんぞ」


親方がそう言うと、ローワンとユリウスは店の奥に並んだ防具をあれこれ品定めし始めた。その隙に、エレナはさりげなく親方に近づき、小声で耳打ちした。


「親方、今日の調整代、先に払っておくね」


「ん? ああ、別にいつでもいいんだが……」


エレナがちらりと二人の方に視線をやる。親方は一瞬きょとんとしたが、すぐに得心したように頷いた。


「……分かった。任せとけ」


親方が指で示した枚数の金貨を、エレナはそっと音を立てないように手渡した。


小さなやり取りは、防具に夢中になっているローワンとユリウスに気づかれることなく終わった。


――――――――


三日後、再び工房を訪れると、腕甲はすっかり生まれ変わっていた。


「ほら、試しにつけてみな」


差し出された腕甲を右腕にはめると、驚くほど自然に馴染んだ。腕に力を込めてもきつくなりすぎず、逆に力を抜いても固定が緩まない。留め具の位置も、動きを妨げない絶妙な角度に調整されている。


「……すごい、ぴったり」


エレナは何度か腕を振って、感触を確かめた。重さはあるが、動きを邪魔する感じはほとんどない。


「さすがベルンの得物だ。素材はしっかりしてるから、あとは使い手次第だな」


親方がそう言って笑うと、エレナも誇らしげに笑い返した。


「ありがとう、親方! これで、心置きなくクエスト行ってこれる」


「おう。……気をつけてな」


「うん、任せて!」


工房を出た三人は、宿への帰り道を歩いていった。夕暮れの空の下、明日に迫った出発を前に、三人の足取りには、確かな手応えが滲んでいた。


「明日は早朝に出発です。日帰り可能とはいえ、今までの倍の距離がありますから、必ず朝一番の乗合馬車で途中まで移動します。寝坊しないでください」


ローワンが、少しじっとりした目でエレナを見た。


「大丈夫だってば!ちゃんと起きれる……はず!」


「本当に……?」


「……もし起きて来なかったら起こして……」


舌をチラッと出して笑って誤魔化そうとするエレナにローワンは少しドキッとしたが、気づかなかったことにして帰路を急いだ。


――――――――


宿に戻り、ローワンとユリウスがそれぞれの部屋に上がっていった後も、エレナはしばらく自室の隅にしゃがみ込んだままだった。


明日の荷造りは、もう半分ほど終わっている。腰のショートソード、背の魔弓、父の形見のナイフ――机の上に並べたそれらを、指先でひとつずつ確かめる。


ふと視線が、部屋の隅に置かれた古い木箱へと向いた。


蓋を開けると、埃っぽい匂いとともに、それは出てきた。革と鋼でできた、大人の男物の胸当て。父の形見の中でも、一番大きくて、一番重たいものだ。


持ち上げてみると、ずしりと腕に重みがかかる。胸元に合わせてみて、エレナは思わず苦笑した。


「……うん、無理」


大きさが合わないのは、最初から分かっていたことだ。でも、それ以前に、そもそもの作りが違う。男物の胸当ては、胸の凹凸をほとんど無視した、真っ直ぐに近い曲面で仕立てられている。森のエルフは男女でさほど体格が変わらないと聞くから、母の一族ならこれでも十分だったのかもしれない。でも、人間の間で育ったエレナの身体には、単純に寸法を詰めるだけでは済まない話だった。


「こういうとこだけ、ちゃんと人間なんだよなー、私」


誰にともなく呟いて、乾いた笑いが漏れる。子供が大人の鎧をまとったような、頼りない滑稽さがあった。


「……これ着れたらよかったんだろうけどね、父さん」


いつもの明るい声とは、少しだけ違う声だった。


腕甲は、親方が三日かけて自分の身体に合わせてくれた。でも、これは違う。父の身体のかたちのまま、時が止まっている。


(強いって、みんな言うけど)


矢は外さない自信がある。剣も、それなりに振れる。でも、こうして父の鎧を抱えていると、自分がまだ何も守れていない、ちっぽけな存在のように思えてくる。


しばらくそうしていたが、エレナはやがて小さく息を吐き、胸当てを丁寧に木箱へ戻した。


「……まあ、いっか。ないものはないんだし」


無理やりのようにそう言って笑うと、蓋を閉め、机に向き直る。並べた装備を鞄に詰めていくその横顔から、さっきまでの湿った色は、もう消えていた。

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