Ep.1-7 電光石火
三回目の新人研修クエストを翌日に控えた午後、三人はギルドの裏手にある訓練場に足を運んでいた。
冒険者たちはクエストに出払っているのか、訓練場には誰もいなかった。
「つまり、明日の作戦立案のために私の弓の腕を把握しておきたいってことね」
弓の手入れをしながら尋ねるエレナに、ユリウスは手元の手帳をめくりながら頷いた。
「ええ。前回のゴブリン戦ではショートソードでの近接戦が中心でしたが、明日の現場は開けた広場です。エレナが背負っているその弓の性能と、あなたの実力を正確に把握しておかねば、最適な戦術は組めません」
「ふふん、見たらびっくりするよ? ローワン、的の準備お願い!」
「う、うん、一番奥の的でいいんだよね?」
ローワンが訓練場の隅へ走り、五十歩ほど離れた位置にある木製の標的を指差した。
実際に見ると、この距離はかなり遠い。そう簡単に当たるとは思えない距離だ。
エレナは背中の黒塗りの弓を構え、矢筒から親指を除く四本の指の間に挟むように三本の矢を一気に引き抜く。
ふっと息を吐いた瞬間、それまでの朗らかな空気が一変した。切れ長の緑の瞳が冷ややかに的を捉える。
掴んだ矢の一本をつがえたすぐ直後、間を置かずにバツン! と乾いた弦音が響いた。
矢は山を描かず一直線に宙を裂き、標的のど真ん中に深々と突き刺さる。
ユリウスが息を呑む間もなく、エレナの手は流れるように次の矢をつがえ、引き、放っていた。
バツン――!バツン――!
立て続けに放たれた三本の矢は、最初の一本を叩き折るようにして、すべて同じ中心点に吸い込まれていく。
「……標的までの距離、約五十歩。誤差なし。さらに連射間隔は一秒未満……」
ペンを走らせるユリウスの手が、わずかに震えていた。
「父さん仕込みだからね。動いてる魔物相手なら、もう少しブレるけどさ」
ローワンはエレナが弓を得意としていることは知っていたが、まさかここまでとは思っておらず、呆然と的に刺さった三本の矢を見ていた。
「これは……私が想像していたのと全く違いました。射手というのはこれほど素早く正確に撃てるものなのですか?」
「私は父さんほどは早く撃てないけどね。でも狩では他の人には負けたことないかな! どう? 作戦に使えそう?」
「……十分すぎます。明日の作戦、完全に組み立てられました」
ユリウスは書き物のときにだけかける眼鏡を外し、満足げに手帳を閉じた。商人としての計算を遥かに超える「切り札」の存在に、彼の瞳には静かな確信が灯っていた。
――――――――
三回目の新人研修クエスト当日。集合場所となった森の入り口には、見覚えのある顔ぶれが揃っていた。
「よお、月見草! 今日こそ本気出すからな!」
意気揚々と声を上げるガレットに、エレナも笑顔で応じる。
「望むところ! 今日はどんな作戦?」
二人のメンターが揃ったところで、ダードが今回の詳細を説明し始めた。
「今回の相手はコボルトの群れだ。数はおおよそ十匹前後、森の中でも開けた広場に巣を構えている。木々に遮られない分、視界は良好だが、逆に言えば向こうからもこっちが丸見えになりやすい」
地面に広げた簡易な図を指しながら、ダードは続けた。
「コボルトはゴブリンよりやや小柄だが、群れでの連携に長ける。一体一体は大した脅威じゃないが、囲まれると厄介だ。特に、物陰に隠れて数を減らしたと見せかけ、背後から回り込んでくる個体もいる。斥候の報告でも、広場の周囲には身を隠せる茂みや倒木がいくつか確認されている」
「なるほど、じゃあ隠れてる分もちゃんと想定しとかねえとな」
ガレットが顎に手を当てて呟く。
「今回は洞窟のような閉所じゃない分、前回よりも動きやすいはずだ。……さて、作戦はどうする?」
ダードに水を向けられ、フィンが眼鏡を押し上げながら一歩前に出た。
「今回は、シンプルにいこうと思う」
「シンプルに?」
ユリウスが首を傾げると、フィンは自信ありげに続けた。
「早い者勝ちだ。合図と同時に突入して、見つけた敵から各自倒していく。連携も何も、単純に数をこなした方が勝ちってルールにしよう」
我こそはと言わんばかりの提案に、ガレットとドニーも頷いている。前回の作戦負けを、真っ向勝負で払拭したいという意地が見え隠れしていた。
ユリウスはしばらく考え込んでいたが、やがて頷いた。
「いいでしょう。それで行きましょう」
「よし、決まりだな!」
フィンは内心でガッツポーズを決めていた。
(今回は俺の作戦が通った。単純な戦闘力勝負なら、こっちにも分がある)
その傍らで、ユリウスもまた静かに算段をつけていた。
(この条件なら、機動力に勝るエレナがいる私たちの圧勝です)
互いに違う勝算を胸に、両者は開始の合図を待った。
――――――――
「よし、いけっ!」
ダードの声が響くと同時に、両パーティーは森の奥へと駆け出した。
真っ先に飛び出したのはエレナだった。木々の間を縫うように走りながら、母の形見である黒塗りの魔弓を構える。
広場の入り口付近、無防備に佇んでいた一体目に、迷いのない一射。矢は正確に喉元を貫き、コボルトはそのまま倒れ込んだ。
「二体目!」
叫ぶと同時に、既に次の矢がつがえられている。木陰から様子を窺っていた二体目、三体目のコボルトが、状況を把握する間もなく次々と射抜かれていった。走りながら、振り向きざまに、時には木の幹を蹴って跳躍しながら――エレナの矢は、止まることを知らなかった。
「な――」
ガレットが目を見開いたときには、既に五体近くが地に伏していた。勝負の趨勢は、開始からわずかの間で決まりかけていた。
残ったコボルトたちは異変を察知し、慌てて茂みや倒木の陰へと身を隠し始める。だが、それで安全になったわけではなかった。
「左手、倒木の裏!」
ローワンが短くその位置を叫ぶ。側面から回り込んでいたユリウスが、小さく詠唱を省いた音の魔法を放つ。短い破裂音に驚くコボルトに対しローワンが退路の一部を塞ぐと、コボルトが慌てて飛び出した先には、既にエレナの矢が待ち構えていた。
「右の茂み!」
「任せて!」
同じ要領で、ローワンが見つけ、ユリウスが釣り出し、エレナが仕留める――その一連の流れが、三人の間で危なげなく繰り返されていく。まるで、初めから何度も練習してきたかのような連携だった。
一方、ガレットたちは、いまだ茂みの外を右往左往していた。
「くそ、どこに隠れやがった!」
大剣を構えたまま、ガレットが茂みを睨みつける。だが、姿の見えない敵に大振りの得物を振るう決心もつかず、無為に時間だけが過ぎていく。ドニーも同様に、槍を構えたまま立ち尽くしていた。フィンだけが冷静に周囲を観察していたが、彼一人の索敵では、次々と沈められていくコボルトの数に到底追いつかなかった。
やがて、広場に動くものはいなくなった。
「全滅、確認……」
ローワンが遠慮がちにそう告げると、辺りには奇妙な静寂が落ちた。
「……は?」
呆然と立ち尽くすガレットの手には、まだ一度も振るわれていない大剣があった。ドニーもフィンも、同じように立ち尽くしている。
「……まじかよ」
ガレットが呟いた声だけが、やけに大きく響いた。
――――――――
離れた場所で見守っていたダードと、もう一人のメンターは、揃って頭を抱えていた。
「……あー、いや、これは」
「予想以上ね……」
その後方では、後詰めの中級者パーティーが、堪えきれない様子で盛大に笑い転げていた。
「あっはっはっは! 見たか今の! 大剣持った坊主、剣抜く前に終わってたぞ!」
「いや笑いごとじゃないでしょう、あんた」
そんな声が飛び交う中、ダードが咳払いをして、二つのパーティーの前に立った。
「……ユリウス、合同作戦と言ったはずだが」
「……申し訳ありません。つい、ムキになってしまいました」
素直に頭を下げるユリウスの隣で、エレナはあっけらかんとした顔をしていた。
「えー、だって早い者勝ちって作戦なんだから、いいじゃん」
「まあ、それはそうなんだが……」
ダードが苦い顔で言葉を濁す横で、ローワンだけが小さく肩を落としていた。
「僕、あんまり活躍できなかったな……」
誘導役として動いてはいたものの、目立った戦果としては地味な役回りだったことに、少し落ち込んでいるらしい。
だが、その呟きを聞いたガレットたちの顔色は、ローワン以上に真っ青だった。
「……おい、あんな地味な奴ですら役に立ってたってのに、俺たちは何もしてねえのか」
ドニーが震える声で呟く。フィンは眼鏡の奥で、目を伏せたまま何も言えずにいた。
自分たちより格下だと思っていたローワンでさえ、それなりに戦闘に関わっていた。それなのに、ガレットたちは剣を抜くことすらできなかった。その事実の重さが、じわじわと三人に伸し掛かっていく。
――――――――
「さて、講評だ」
ダードの声に、六人はそれぞれ姿勢を正した。
「まず、月見草の灯火。今日の連携は見事だった。ローワンの索敵能力と合図、エレナの機動力、ユリウスの誘導魔法――この三つが噛み合ったからこその結果だ。特にローワン、お前の役割は地味に見えるだろうが、敵の位置を確認してから合図を出すまでの判断は、的確だった」
「え、そう、ですか……?」
ローワンが目を丸くする。ダードは頷いた。
「ああ。より早く相手を見つけ状況を捉えるというのは、こういった一見開けているようで遮蔽物がある戦場では特に重要なんだ。そして短く的確な合図がしっかり伝わったからエレナが確実に仕留められた。地味に見える役割こそ、丁寧にやるやつは信頼できる」
その言葉に、ローワンの肩が、少しだけ持ち直した。
「ただし」
ダードの声が、一段引き締まる。
「今日のやり方が、いつも通用すると思うなよ。合同作戦の意味を忘れて、単独で突っ走る癖がつけば、いずれ足元をすくわれる。今日は結果的にうまくいったが、次はもっと連携を意識しろ」
「……肝に銘じます」
ユリウスが素直に頭を下げる。
「次、紅蓮の牙」
ダードの視線が、ガレットたちへと移った。
「今日の作戦、悪くはなかった。単純明快で、指示も分かりやすい。だが、単純な作戦ほど、相手の実力次第で結果が大きく変わる。お前らは、相手の実力を見誤った」
「……面目ねえ」
ガレットが頭を掻く。
「恥じることじゃない。今日、痛いほど分かっただろう。自分たちの実力が、まだどの位置にあるのか。……それを知れただけでも、収穫だ」
ダードはそう言うと、少し表情を緩めた。
「一応言っとくが、希望があれば、この研修はあと二回まで、ギルド負担で追加できることになってる。そのあとは自費だ」
「やります!」
食い気味に答えたのはガレットだった。ドニーとフィンも、それに続くように頷く。
「このまま終われねえ、絶対」
その様子を見て、後詰めの中級者パーティーの一人が、感心したように口笛を吹いた。
「いいねえ、その根性。……今期の新人は、イキがいいのが豊作だな」
「まったくだ」
ダードもまた、満更でもなさそうに頷いていた。
夕暮れの森を、意気消沈しつつも闘志を燃やす紅蓮の牙と、いつも通り朗らかな「月見草の灯火」の面々が、連れ立って引き上げていった。
――――――――
ギルドに戻った一行は、規定の討伐証明を済ませ、受付カウンターの前に並んでいた。
「はい、お疲れ様でした! 規定の研修クエスト三回を無事に修了いたしましたので、皆さんに正式な冒険者プレートを発行いたしますね」
受付嬢の朗らかな声とともに、カウンターの上に六枚の金属タグが並べられた。
鈍く光る銅製のプレート。そこにはそれぞれの名前と、「E」の文字がしっかりと刻まれている。
「わあ……! これ、本物の冒険者の証拠だ!」
エレナが目を輝かせながら自分のプレートを手に取り、胸元に掲げた。ローワンも恐る恐る指先で触れ、じわじわと実感が湧いてきたのか、顔をほころばせている。
「これで、私たちも正式に討伐依頼を受けられる身分になったわけですね」
ユリウスもまた、平然を装いながらもどこか誇らしげにプレートを懐へと収めた。
その隣で、ガレットは自分のプレートをじっと見つめていたが、やがて意を決したようにカウンターへ押し戻した。
「……すみません。俺たち『紅蓮の牙』は、このプレートの受け取りを保留にしてください」
「えっ?」
受付嬢がきょとんとする。エレナたちも驚いてガレットを振り返った。
「今日の森で、よく分かったんです。俺たちはただ勢いだけで、実戦の何たるかも、自分たちの弱さも分かってなかった。こんな甘ったれた状態で外に出て依頼を受けたら、いつか誰かが死ぬ」
ガレットはダードに向き直り、深々と頭を下げた。
「ダードさん、さっき言ってた追加の研修、受けさせてください! 俺たちが胸張って一人前だって言えるようになるまで、もう一度みっちり鍛え直してほしいんです!」
ドニーも、フィンも、並んで頭を下げた。
先ほどまでの悔しさは消え失せ、そこには冒険者として生き残るための、泥臭くも真摯な覚悟だけが宿っていた。
ダードは呆れたように頭を掻いたあと、口元に不敵な笑みを浮かべた。
「……言っとくが、次は今日みたいに手ぬるくねえぞ。死ぬ気でついてこい」
「はいっ!!」
三人の威勢のいい返事が、ギルドのロビーに響き渡った。
――――――――
「ガレットたち、かっこよかったね」
手続きを終えた紅蓮の牙の背中を見送りながら、エレナが感心したように呟いた。
「ええ。身の丈を知り、自ら足場を固め直す判断ができるのは、冒険者として非常に優秀な資質です。……少々見直しましたよ」
そう言って、ユリウスは静かに手帳を懐にしまった。
「さて! そんなわけで晴れてE級になった私たちだけど!」
エレナはくるりと踵を返し、足早に依頼掲示板の前へと駆け寄った。壁一面に貼り出された依頼票を、端から端まで熱心に睨みつける。
「これ! これやろうよ!」
エレナが勢いよく引き剥がした一枚の依頼書を、ローワンとユリウスが覗き込んだ。
〈街道東部・放棄された炭焼き小屋周辺のコボルト小規模巣の殲滅〉
〈討伐推奨ランク:E級〉
〈報酬:大銀貨五枚〉
「えっ、コボルト? 今日倒したばっかりなのに!?」
ローワンが目を丸くする。エレナは満面の笑みで胸を張った。
「今日やったばっかりだからこそだよ! コボルトの戦い方はもうバッチリ覚えたし、すぐ終わるじゃん! E級依頼ってことは、私たちだけでも受けられるんでしょ!?」
「まあ、受けられますが……」
ユリウスは顎に手を当て、依頼票の数字を冷静に検分した。
「大銀貨五枚……。街からの距離と移動時間、消費する矢や物資のコストを差し引くと、討伐依頼としては少々実入りが悪いですね。小規模すぎて中級者は見向きもしない、いわゆる売れ残りの不人気依頼です」
「でもでも! 初めて自分たちだけで受ける討伐クエストとしては、相手の手の内が分かってる方が安全でしょ? ね?」
食い下がるエレナに、ユリウスはふっと息を吐いて苦笑した。
「……一理ありますね。背伸びをして高難度の獲物に挑むより、まずは確実にこなせる案件でチームの実戦経験を積むべきです。大銀貨五枚でも、借金の返済と明日の食費にはなりますから」
「やったー! じゃあローワン、決まりね!」
「え、ええーっ!? もう明日行くの!?」
頭を抱えるローワンをよそに、エレナは意気揚々と依頼票を受付窓口へと持っていった。
西日に照らされたギルドの中で、エレナの胸元の銅製プレートが、これからの冒険を祝福するように誇らしく輝いていた。
最後までお読みいただきありがとうございます!
更新を見逃さないよう、ブックマーク登録や応援の★評価をいただけると執筆の大きな励みになります。気長にお付き合いいただけますと幸いです!




