Ep.1-6 受け継がれたもの
朝の市場は、いつも賑やかだった。
「エレナちゃん、おはよう! これ、今朝採れたばっかりだよ」
八百屋の女将が、通りすがりのエレナに気安く声をかける。
「わあ、美味しそう! ギルドの帰りに寄るからふたつとっておいて!」
「毎度あり。……そういえば、冒険者になったんだって? 気張りなよ」
「はーい、頑張りまーす!」
軽い調子で手を振り、エレナは市場の雑踏を進んでいく。行く先々で、似たようなやり取りが繰り返された。パン屋の主人、花売りの老婆、路地裏で暇そうにしていた野良猫――誰も彼もが、エレナに気安く声をかけ、あるいは擦り寄ってくる。
「ほら、こっちおいで」
しゃがみ込んで猫の喉元を撫でてやると、猫は満足げに喉を鳴らした。通りすがりの子供たちが、その様子を見て駆け寄ってくる。
「エレナお姉ちゃん、猫となかよしなんだね!」
「まあね。動物にはなぜか好かれるタイプなの」
得意げに笑うエレナの周りに、子供たちがわらわらと集まってくる。誰かに命じられたわけでもないのに、自然と人が寄ってくる――それが、エレナという少女の持つ、ちょっとした才能だった。かつて両親が救った人々の温もりが、巡り巡って今、彼女自身を包んでいるのかもしれない。
「そろそろ行かなきゃ。またね!」
名残惜しそうな子供たちに手を振り、エレナは市場を後にした。
足を向けたのはギルドだった。次の研修クエストの日程を確認しておこうと思ったのだ。
「あ、エレナちゃん、おはよう」
受付のカウンターに顔を出すと、顔馴染みになった受付嬢が明るく声をかけてきた。
「三回目の研修、そろそろ日程決まりました?」
「今、確認するわね。……ああ、あった。予定通り、半月後ね」
「了解でーす」
軽い調子でお礼を言って踵を返そうとしたところで、聞き覚えのある声に呼び止められた。
「おい、月見草!」
振り返ると、ガレットが片手を上げてこちらに歩いてくるところだった。後ろには、いつも通りドニーとフィンの姿もある。
「あ、紅蓮の牙! この前はお疲れ様!」
「よお、次の研修も一緒だってな。今度は俺たちも負けねえからな!」
「望むところ! ……あ、そういえばフィン、この前はごめんね、なんかユーリがやり込めちゃったみたいで」
エレナがそう声をかけると、フィンは眼鏡を押し上げながら、ふんと鼻を鳴らした。
「別に、恨んじゃいない。あいつの理屈は、認めざるを得なかっただけだ。……次は、俺の作戦の方が上だと証明してやる」
「おー、燃えてるね! 楽しみにしてる!」
からりと笑うエレナに、フィンは毒気を抜かれたように、それ以上何も言わなかった。
「んじゃ、また半月後な!」
ガレットたちに手を振り、エレナはギルドを後にした。
――――――――
「このショートソード、昔父さんにもらって気に入ってるんだけど、これだけじゃダメなのかなー」
昼、食堂で顔を合わせたところで、エレナがそんなことを言い出した。
「先日のダードさんの講評、覚えてますよね。武器は一種類に頼りすぎず、状況に応じて使い分けた方がいい、と」
ユリウスが頷きながら続ける。
「エレナとローワンは二人ともショートソードのみです。手に馴染んだ得物というのは強みですが、裏を返せば、苦手な状況にも二人揃って弱いということです。今のうちに選択肢を増やしておくのは、悪くない判断かと」
そんな話をしていると、厨房の方から顔を出したアルドが、無言でローワンの前にダガーを一振り置いた。使い込まれた革の鞘に収まった、飾り気のない実用品だった。
「え、父さん、これ……」
「ほら、これ持ってけ」
「あの、僕らの話、聞いてた?」
「いや別に」
噛み合っているような、いないような返事をして、アルドはさっさと厨房へと戻っていってしまう。ローワンはしばらくダガーを見つめていたが、やがて思い切ったように尋ねた。
「……ねえ、父さんって、昔冒険者やってたの?」
だが、返事はなかった。既にアルドの背中は厨房の奥に消えていた。
その様子を見ていたエレナが、後でロゼッタに同じことを聞いてみたが、返ってきたのは意外な答えだった。
「アルドさんって、昔冒険者やってたの?」
「いや、そんなの聞いたことないけど……」
洗濯物を畳む手を止め、ロゼッタは首を傾げた。
「あの人、道具のことにはやたら詳しいし、たまに変な勘の良さ見せるけどね。冒険者やってたなんて話、あたいも聞いたことないよ」
「へー……」
ロゼッタの宿にアルドが雇われた時、先代の主人はアルドは隣町のパン屋のせがれだと言っていた。両親を亡くした後、実家を引き払って王都にやってきたと聞いている。ロゼッタは墓石に彫られた名前でしかアルドの両親を知らず、この宿に来る前に何をやっていたかは詳しく聞いていないという。
「ま、いっか!」
エレナはしばらく考え込んでいたが、結局深追いはせず、話を切り上げた。
――――――――
「じゃあ、武器屋行こっか」
エレナが立ち上がったところで、ふとローワンが困った顔をした。
「あの、僕、武器屋がどこにあるか知らないんだけど……」
「あれ、ローワンって生まれてからずっと王都暮らしじゃないの?」
「う、うん、住んでるけど……武器屋なんて、今まで縁がなかったから」
生まれてからずっとこの宿で育ったローワンにとって、武器屋という場所は、これまでの人生でまるで縁のない区画だったらしい。
「私は、なんとなく覚えてるよ。……えっと、猫と剣と盾の絵が描いてある看板のところ」
「それは、個人工房のお店ですね」
ユリウスがすぐに言い当てた。
「え、詳しいね」
「毎朝の散策で、大体の店構えは頭に入っていますので。この街には大きな武器屋が三店ありますが、そのうち一店は個人工房で、看板が猫と剣と盾の意匠でした」
事もなげに言うユリウスに、エレナとローワンは顔を見合わせた。日課の散策が、こんな場面で役立つとは思っていなかったらしい。
「個人的には、大きな商会の系列店をお勧めします。品質が安定していますし、価格も明瞭ですから」
商人の子らしい合理的な意見に、エレナは少し考えたが、結局首を振った。
「ううん、父さんが贔屓にしてたところに行きたい。せっかくだし」
「でしたら、そちらに向かいましょう」
――――――――
案内された裏路地の一角、猫と剣と盾の看板を掲げた小さな工房の扉を開けると、鉄の匂いと火の熱気が三人を出迎えた。
「らっしゃい……って、おお! 嬢ちゃんじゃないか!」
作業台から顔を上げたのは、腕っぷしの太い、白髪交じりの職人だった。エレナの顔を見るなり、破顔一笑する。
「お久しぶりです!」
「元気そうで何よりだ。すっかり大きくなったなあ」
親方は目を細めながら、それからふと三人の顔ぶれを見渡した。
「今日は何の用だ? ベルンの……いや、そういや、あいつが亡くなってから、もうしばらく経つか」
「あ、それが……実は私、冒険者になったんです」
エレナがそう告げると、親方は驚いたように目を丸くした。
「なんだって? そりゃ知らなかった。……そうか、あいつの後を継ぐんだな。ベルンも、天国で喜んでるだろうよ」
その言葉に、エレナは少しくすぐったそうに笑った。
「今日は、武器のことでちょっと相談しに来て」
エレナが事情を説明すると、親方は興味深そうにローワンの腰のダガーへと目を向けた。
「ほう、ちょっと見せてみな」
差し出されたダガーを受け取り、親方は鞘から抜いて、光にかざしながら刃を検分し始めた。
「……こいつは、古い型だな。だが、よく手入れされてる。使い込まれてるのに、刃こぼれ一つない。これなら、軽く研ぐだけで、まだまだ現役でいけるぞ」
「え、これ、僕の父さんが持ってたやつなんですけど……」
「へえ。親父さん、いい腕してるな」
親方はそう言って、感心したようにダガーを鞘へ戻した。
「そっちの嬢ちゃんの得物も、ついでに見せてみな」
促されるまま、エレナも腰のショートソードを差し出す。親方はそれを鞘から抜き、光にかざしながらしげしげと眺めた。
「……これは、うちで打ったやつだな。だいぶ古いが……先代の頃かもしれん」
刃の厚みを指でなぞりながら、親方は続けた。
「刀身の長さの割に、厚めでかなり重いな。細身の女の子が持つには……嬢ちゃん、ちょっと振ってみな」
エレナは受け取ったショートソードを、その場で軽く一振りした。危なげのない、迷いのない太刀筋だった。親方はそれを見て、満足げに頷く。
「さすがベルンの娘だ! 心配ねえな!」
「えへへ、ありがとうございます」
エレナが照れくさそうに笑うと、親方も釣られたように笑った。それから、刃を検分する目つきに戻り、鞘の方にも目を留めた。
「ただ、こっちの鞘は、そろそろ限界だな。革が薄くなって、縁のところが少し裂けかけてる。ついでに、柄の握りも作り直した方がいいだろう。使い込んでるうちに、微妙に歪んできてる」
「あ、確かに、最近ちょっと滑りやすいなって思ってました」
「だろうな。今日置いてくなら明日には仕上げるぜ」
ローワンが手際よく見積もりをつけていく親方の手元を感心したように眺めている。
「僕のショートソードも持ってくるべきだったかな」
「いつでも来てくれ。見るだけならタダだ」
親方はそう言うと、二つの得物を作業台に並べ、大きめの紙に金額を書き付けた。
「柄の直しがちょっと張るが、全部まとめて大銀貨三枚ってとこだな。ダガーの研ぎはオマケしてやるよ」
「ありがと! じゃあこれ」
エレナが即座に懐から巾着を取り出し、言い値をあっさりと支払った。あまりに躊躇のない様子に、ユリウスがふと眉を寄せる。
「エレナ、失礼ですが……その、お金の方は、大丈夫なのですか? 借金のことも考えると、あまり気軽に使うべきでは」
「ん? ああ、平気平気。別にお金に困ってるわけじゃないから」
あっけらかんと答えるエレナに、ユリウスは意味が分からないという顔をした。
「……失礼ながら、大金貨五百枚もの借金を抱えている身の上で、お金に困っていない、というのは」
「クックック」
低く笑ったのは、親方だった。作業の手を止め、面白がるような目でユリウスを見る。
「坊主がどう聞いてるかは知らんが、金の心配はしなくていいと思うぞ」
その言葉に、エレナは少し気まずそうに肩をすくめた。
「親方、あんまり言わないでよ」
「すまんすまん、ついな」
親方はカラカラと笑い、それ以上は深く追及しなかった。ユリウスはしばらく釈然としない顔をしていたが、それ以上踏み込むのも野暮だと感じたのか、追及の言葉を飲み込んだ。
「……そうですか。差し出がましいことを申しました」
「ううん、心配してくれてありがとね」
にっと笑うエレナに、ユリウスはそれ以上何も言わなかった。
――――――――
工房を出ると、通りにはすっかり夕暮れの気配が漂い始めていた。
「こういった個人工房のお店は、軍の規格品などを扱わない分、品質にばらつきがあるものと思っていましたが」
歩きながら、ユリウスがぽつりと呟いた。
「今日の様子を見て、少し考えを改めました。あの面倒見の良さ、道具への理解の深さは、大きな商会の系列店にはない強みですね。……なるほど、ベテランの冒険者が個人工房を頼る理由が、少し分かった気がします」
「でしょ? 父さんも、あそこじゃないとダメだって言ってたもん」
エレナが得意げに胸を張ると、ユリウスは苦笑まじりに応じた。
「今度、私の得物も一度見てもらおうと思います」
「あ、いいね! 今度一緒に来なよ」
「ええ、そうさせてもらいます。もっとも、代金の算段は、自分でつけてからにしますが」
きっぱりとした物言いに、エレナはくすりと笑った。
「ユーリって、変なところで律儀だよね」
「性分ですので」
澄まし顔で返すユリウスに、エレナはますますおかしそうに肩を揺らした。
三人は夕暮れの街を、宿への帰り道をゆっくりと歩いていった。
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