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Ep.4-14 これだけ

戦いが終わった、と知らされたのは、隘路での夜明けから三日後のことだった。


あの朝、東の尾根の裏に回ったシルヴィオの騎兵は、頭を失った魔族の助攻を、森の中でほとんど撃ち尽くした。生きて北へ逃げ帰った者は、ごくわずかだったという。


本陣は、無傷のまま守られた。


背後を脅かされる心配のなくなった正面の会戦は、援軍の数と質で、少しずつ、しかし確実に押し勝った。魔族の主力は前線を下げ、戦線は、一昨年に崩された位置よりも、さらに北へと押し戻された。


そして、四日目の朝、本格的な雪が降った。


一晩で膝の高さまで積もった雪が、平原を白く塗り潰した。魔族の陣は、雪の向こうに静まり返り、もう動かなかった。例年と同じように、雪が、戦に区切りをつけたのだ。


全てを取り戻したわけではない。公国の北の土地の多くは、まだ魔族の手にある。それでも、崩れかけていたものを押し留め、押し返すことはできた。破滅を防いだ、という勝利だった。


————————


「よう、同志!」


本陣の天幕の間を歩いていたエレナの頭に、大きな手が、どさりと乗せられた。


「ダンテさん!」


見上げると、ダンテが立っていた。顔にも腕にも、新しい傷がいくつも増えている。それでも、その笑顔は、夏の演習場で見た時と何も変わらなかった。


「聞いたぞ。東の尾根で、でかいのを一人、仕留めたってな」


「え、なんで知ってるんですか」


「戦場の噂ってのは、矢より速えんだよ。……足場で頭の上を越えて、首の後ろを一突き。おまけに、最後の一撃は、足場を立てて受け止めたって?」


ダンテは、エレナの髪をぐしゃぐしゃに撫で回した。


「あの理屈屋の盾じゃねえか。弟子が師匠の技を、勝手に盗みやがった」


「盗んだんじゃないです、気づいたら出たんです」


「そいつを盗んだって言うんだよ」


げらげらと笑ってから、ダンテは、ふと声を落とした。


「……腰は、入ってたか」


エレナは、少しだけ考えてから、真っ直ぐに答えた。


「入ってました。千回、振ったので」


ダンテは、一瞬、目を見開いた。それから、満足そうに、もう一度エレナの頭をぽんと叩いた。


「なら、いい。……あの人の娘だな、お前は」


それだけ言うと、ダンテは手をひらひらと振って、天幕の間へと消えていった。


————————


功績の話が伝わってきたのは、王都への出立を翌日に控えた夜だった。


ダードの天幕に、遊撃隊の隊長たちと、あの名乗らない士官が集まっていた。月見草の灯火の三人も、ダードに呼ばれて、天幕の隅に控えていた。


「先に言っておく」


士官は、いつも通りの淡々とした口調で切り出した。


「東の尾根の助攻の撃滅、敵将の討ち取り。軍の公式な戦功報告には、本陣直轄の騎兵隊と、尾根に駆けつけた傭兵団の功として記される」


天幕の中が、一瞬、しんと静まった。


「……は?」


古参の冒険者が、間の抜けた声を上げた。


「隘路を一晩守ったのは、うちらだぞ。でかいのを仕留めたのは、そこの嬢ちゃんだ」


「承知している」


士官は、表情を変えなかった。


「だが、軍の戦功報告に載るのは、軍の直接の指揮下にあった者の働きだけだ。冒険者は、ギルドを通じた間接の参加だ。その働きは、ギルドの記録には正しく残る。昇級の考査にも、間違いなく加算される。……だが、世間に語られる武勲には、ならない」


「春に言った通りだ」と、士官は付け加えた。


「けっ」


誰かが、吐き捨てるように言った。


「これだから、戦争は嫌なんだ」


天幕の入口に立っていた、傭兵団の髭面の隊長が、肩をすくめた。夜のうちに尾根へ駆けつけてきた、あの男だった。


「悪く思うなよ。俺たちは、軍の指揮下で、どこへでも行けと言われりゃ行く。死ねと言われりゃ死ぬ。……使い潰されるリスクを取らないお前らに、功績をくれてやるわけにはいかねえよ」


突き放すような言い方だった。だが、その声には、どこか後ろめたさのようなものも混じっていた。


ダードは、腕を組んだまま、ふっと息を吐いた。


「わーってるよ」


それだけだった。


エレナは、ダードの横顔を見た。怒っているようには見えなかった。悔しがっているようにも見えなかった。ただ、いつものように、少しだけ眠そうな顔をしていた。


「ダードさん、いいの?」


天幕を出た後、エレナが小声で尋ねると、ダードは夜空を見上げたまま答えた。


「いいも悪いもねえ。そういう仕組みだ。……それに」


ダードは、エレナたち三人の顔を、一人ずつ見た。


「全員、連れて帰る。それが、俺の一番欲しかった功績だ。そいつは、誰にも横取りされてねえよ」


少し離れたところで、古参の冒険者が、杯を片手に、仲間たちと笑い合っていた。


「まあ、ギルドの記録に残るなら、それでいい。……俺の最後の一山だ。いい土産ができた。これで、胸張って引退できる」


その顔は、本当に、晴れやかだった。


————————


王都への帰路、一行は、公国の村をいくつも通り過ぎた。


行きに見た、人手のない麦畑が広がる村々よりも、さらに北の、戦場に近かった土地だ。取り戻したはずの畑は、踏み荒らされ、掘り返され、焼け焦げていた。あちこちに、まだ片付けきれない戦の跡が、雪の下から顔を覗かせている。


村の外れで、年老いた男が一人、雪の積もった畑の前に立ち尽くしていた。


「……来年は、無理だろうな」


通りがかったエレナたちに気づくと、老人は、誰にともなく呟いた。


「死体を埋めて、焼いて、土を入れ替えて。種を蒔けるようになるまで、何年かかるか分からん」


エレナは、何も言えなかった。せっかく取り戻した土地なのに。そう言いかけて、言葉を飲み込んだ。


だが、老人は、ゆっくりと顔を上げた。


「それでも、土地があるだけましだ。去年の冬は、この畑ごと、魔族のものだったんだからな」


皺だらけの手が、雪の下の土を、そっと撫でた。


「土地さえありゃ、何とか生きていける。厳しいが……生きていくしか、ねえからな」


老人は、それだけ言うと、雪の中を、村の方へと歩いていった。


その背中を、三人は、しばらく黙って見送っていた。


「……前を向いてるんだね」


エレナが、小さく言った。


「全部は取り戻せなかったのに。それでも」


「はい」


ユリウスが、静かに答えた。


「私たちが守ったのは、ああいう人が、前を向ける場所だったのかもしれません」


ローワンは、何も言わなかった。ただ、遠ざかっていく老人の背中を、いつまでも見つめていた。


————————


王都に戻ったのは、十一月も半ばを過ぎた頃だった。


ギルドの扉を開けた瞬間、カウンターの向こうから、ミラが飛び出してきた。


「三人とも! よかった、無事で……!」


受付嬢らしい公平さをかなぐり捨てて、ミラは三人をまとめて抱きしめた。ユリウスが、ひどく慌てた顔をしていた。


支部長室では、壮年の男が、いつもの書類の山の向こうで、心底ほっとしたような顔をしていた。


「よく帰ってきた。……座れ」


机の上に、革袋が三つ並べられる。


「報酬だ。本作戦の基本が、一人金貨十枚。それに、東の尾根での助攻の発見と撃破、敵将の討ち取りの働きで、上乗せを満額つけた。倍だ。一人、金貨二十枚」


「二十枚……」


ローワンが、思わず呟いた。持ち上げた革袋の重さに、手がわずかに沈む。


「それと、噂話を二つ、教えてやる」


支部長は、少しだけ口の端を上げた。


「一つ目。今度の冬のギルドの定期考査で、ダードのところが、A級に上がるのはまず間違いねえって話だ。A級は推薦じゃ上がれねえ。考査で決まる。だが、あれだけの大功をあげた隊の、実質的な中心パーティーだったんだ。考査の連中も、無視できねえだろうよ」


「ダードさんが、A級……!」


エレナの顔が、ぱっと輝いた。生涯最高位、と、あの夜の焚き火の前で口にしたダードの横顔が、頭に浮かんだ。


「二つ目。お前らだ」


支部長は、三人を順番に見た。


「上の方じゃ、もうB級でいいんじゃねえかって声が出てる。だがな、C級に上がってから一年も経たずにB級ってのは、特例を含めても前例がねえ。いくら何でも早すぎるって声も、同じくらいある。……まあ、どっちに転ぶかは、来年の働き次第だな」


「B級……」


ユリウスが、小さく息を呑んだ。


「それとな」


支部長は、少しだけ真面目な顔になった。


「軍の戦功報告に、お前らの名前は載らねえ。それは、聞いてるな」


「はい」


「……悪かったな。ギルドとして、もっと押し込めりゃよかったんだが」


「ううん」


エレナは、首を横に振った。


「名誉が欲しくて冒険者やってるわけじゃないって、春にも言ったよ。……それより」


エレナは、目の前の革袋に目を落とした。それから、指を折って、何かを数え始めた。


金貨二十枚。大金貨に直せば、たった一枚。


父と母が遺した借用書の額は、大金貨にして、五百枚くらい。


「…………」


エレナの指が、止まった。


「エレナ?」


ローワンが覗き込むと、エレナは、ゆっくりと顔を上げた。


「えーっ! 私たちあんなに活躍したのに、これだけ!?」


支部長室に、エレナの悲鳴が響き渡った。


「これじゃ全然、借金減らないよ!」


支部長が、書類の山の向こうで、盛大に吹き出した。ローワンは額に手を当て、ユリウスは、何とも言えない顔で天井を仰いでいた。


————————


その夜、宿の食堂には、湯気の立つ大鍋が、どんと置かれていた。


「はい、お待ちかね。根菜ごろごろのシチューだよ」


ロゼッタが、大きな木の椀に、なみなみとシチューを注いでいく。厨房の奥からは、アルドが、焼きたての丸いパンを籠いっぱいに抱えて出てきた。


「わぁ……!」


エレナが、椀を両手で包み込んだ。温かかった。北の尾根で、凍えた指先で想像していたのと、同じ温かさだった。


「いただきます!」


三人の声が、揃った。


一口すすって、エレナは、目を閉じた。


「……おいしい」


「そりゃ、あんたたちのために、昨日から煮込んでたんだから」


ロゼッタは、腰に手を当てて笑った。その目元が、少しだけ赤かった。


アルドが、三人の前に、黙ってパンを置いていく。ローワンの前に置く時、その大きな手が、一瞬だけ、ローワンの頭の上で止まった。


「……よく帰った」


それだけ言うと、アルドは、また厨房へと戻っていった。ローワンは、椀に顔を埋めるようにして、黙々とシチューを口に運んでいた。


「ユリウスは、学園、どうなるんだい」


ロゼッタが尋ねると、ユリウスは匙を置いた。


「来週から、通えることになりました。従軍の届けを出しておいたおかげで、一月半ほどの遅れは、補講で取り戻せるそうです」


「そりゃよかった」


「ユーリ、学園行っても、ちゃんと依頼には来てよね」


「もちろんです。パーティーを抜けるつもりは、ありませんから」


ユリウスは、いつもの澄ました顔で答えた。それから、少しだけ、口元を緩めた。


「エレナの借金が、ちゃんと減っていくのを、見届けないといけませんからね」


「それ、まだ言う?」


エレナが頬を膨らませると、ローワンが、堪えきれずに笑い出した。ロゼッタも、厨房の入口で、声を立てて笑っている。


エレナは、椀の中のシチューを見下ろした。


金貨二十枚。大金貨五百枚には、遠く及ばない。この先、何年かかるかも分からない。


それでも、と思う。


ローワンがいる。ユリウスがいる。ロゼッタとアルドがいる。北の尾根で、ダードも、マルタも、ヴィートも、レンゾも、ガレットも、あの古参のおじさんも、みんな生きて帰ってきた。


(父さん、お母さん)


胸の中で、そっと語りかける。


(借金、全然減らなかったよ。……でも、みんな、ちゃんと帰ってきた)


エレナは、顔を上げた。


「まぁ、ちゃんと生きて帰って来れたから、いっか!」


明るい声が、食堂に響いた。


「また明日から、稼ぐぞー!」


窓の外では、王都にも、今年最初の雪が、静かに舞い始めていた。


最後までお読みいただきありがとうございました!


次回のエピローグをもって、この物語は完結となります。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

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