Ep.4-7 影の魔術師
五月に入ると、王都の外れにある軍の演習場には、週に二度、見慣れない顔ぶれが集まるようになった。
傭兵団の旗を掲げた一団、ギルドの紋章をつけた冒険者たち、荷を積んだ軍の馬車。遊撃隊の合同訓練は、去年の集結地点ほどの賑わいではないにせよ、それなりに物々しい雰囲気だった。
「よぉ、月見草」
二度目の訓練の朝、演習場の入口で、聞き覚えのある声に呼び止められた。
振り返ると、くすんだ赤の短髪が目に入った。冬に見かけた時よりも、さらに一回り肩幅が広くなった気がする。背中には大盾、腰には短めの剣と小ぶりのメイス。
「ガレット!」
エレナが駆け寄ると、ガレットは少しばつが悪そうに頭を掻いた。
「久しぶりだな。……ずっと、ちゃんと顔出さなくて悪かった」
「ううん。元気そうでよかった」
「ガレットも、遊撃隊に?」
ローワンが尋ねると、ガレットは胸を張った。
「おう。ソロでもD級の端くれだし、去年の作戦にも出てたからな。声かけてもらったんだよ。……あいつの分まで、きっちり借りを返してやらねえと」
あいつ、が誰のことを指すのか、聞き返す必要はなかった。三人は、黙ってその言葉を受け止めた。
「それよりさ」
湿っぽくなりかけた空気を振り払うように、ガレットがエレナの方へ身を乗り出した。
「お前、魔術師の知り合いっていないか?」
「魔術師? ユーリならここにいるけど」
「そいつは月見草のだろ。そうじゃなくて、俺と組んでくれそうな奴だよ」
「パーティー組むの?」
「いや……」
ガレットは、珍しく視線を泳がせた。
「コンビでやろうと思ってさ。……お前のとーちゃんみたいに」
一瞬、エレナがきょとんとした顔をした。ガレットは耳まで赤くなりながら、早口でまくし立てる。
「だってよ、前に出て敵を受け止める奴と、後ろからでけえ一発を叩き込む魔術師。そういう組み方なら、二人でも十分やれるだろ。ほら、英雄ベルナルドと、絶世の美女の魔法使いって話、あるじゃねえか。……ついでに、相手が絶世の美女だと嬉しいんだけどな」
「バーカ」
エレナは、けらけらと笑い飛ばした。
「それには、大金貨三百枚の借金を背負う覚悟がいるんだから」
「……は? 三百? なんだそれ」
「こっちの話」
意味が分からないという顔のガレットを残して、エレナはひらひらと手を振った。その隣で、ユリウスとローワンが、何とも言えない顔で目を見合わせていた。伝説の裏側にある借用書の話を知っているのは、この場では二人だけだった。
————————
その日の訓練は、遊撃隊の編成発表から始まった。
去年と同じく、冒険者は十名ほどで一隊を組む。月見草の灯火の三人は、翡翠の剣と同じ隊に振り分けられた。隊長はダードだ。
「今年も、お前らの面倒は俺が見る。去年の約束の続きだ」
ダードはそれだけ言うと、名簿に目を落とした。
「それと、ガレット。お前もうちの隊だ」
「おう! ……あ、いや、はい!」
ガレットが慌てて背筋を伸ばす。ダードは苦笑して、名簿を指で弾いた。
「ソロの奴を隊に入れる以上、遊ばせとく気はねえ。お前には、隊の魔法使いと組んでもらう。そいつの前に立って、敵を一歩も通すな。魔法使いってのは、詠唱の間はどうしても無防備になるからな」
「魔法使いと……組む……」
ガレットの目が、みるみる輝き出した。
「それって、つまり、コンビってことだよな!?」
「まあ、この遠征の間はそうなるな」
「マジかよ……! 来た、来たぜ……! 英雄と魔法使いの再来ってやつが……!」
拳を握りしめて天を仰ぐガレットの脳裏には、どうやら既に、まだ見ぬ美しい魔法使いの姿が浮かんでいるらしかった。銀の髪をなびかせ、静かに杖を構える、謎めいた美女。
その幻想が、背後から聞こえた乾いた咳払いで、粉々に砕け散った。
「……俺だが」
ガレットが、ぎぎ、と音がしそうなほどゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは、ひょろりと背の高い、ローブ姿の男だった。灰色がかった癖っ毛。小さな丸眼鏡の奥から、理知的だが、明らかに不機嫌そうな目がこちらを見下ろしている。
「……レンゾ、さん」
「何を期待していたかは知らんが、この遠征の間、お前が守るのは俺だ」
「…………」
ガレットの口が、ぱくぱくと動いた。言葉は出てこなかった。
「ぶはっ」
堪えきれずに吹き出したのは、マルタだった。腹を抱え、遠慮のない大声で笑い転げている。
「あっはっは! 残念だったねえ、坊や! 絶世の美女じゃなくて、物干し竿の片割れでさ!」
「マルタ」
「いいじゃないか、ほんとのことだろ」
ヴィートが、無言でフードを目深に被り直した。物干し竿のもう片割れとしては、何か思うところがあったのかもしれない。
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「一つ、言っておく」
訓練場の一角、標的用の丸太が立ち並ぶ前で、レンゾはガレットに向き直った。眼鏡の奥の目が、冷ややかに細められている。
「さっきの、英雄と魔法使いの再来、とかいう話だ」
「……聞こえてたのかよ」
「あれだけ大声で叫べばな」
レンゾは、眼鏡を指で押し上げた。
「思い上がりも甚だしい。ベルナルド殿は、一騎で戦場を駆け抜けて敵将を討ったような人だ。その隣にいた魔術師も、並の魔術師では到底届かない場所にいたと聞く。それを、D級の盾持ちとB級の魔法使いが、二人並んだくらいで再来だと? 口にするだけで、あの二人に対して無礼だと思え」
「……っ」
ガレットは、言い返そうとして、口を噤んだ。悔しそうに唇を噛むその顔を見て、レンゾは小さく鼻を鳴らした。
「分かったら、くだらん夢を見るのはやめて、目の前の仕事を――」
言いかけたところで、レンゾの言葉が、ふと途切れた。
(……孤高の英雄に従う、影の魔術師)
遠い昔に聞いた、噂話の一節が、唐突に頭の中に蘇った。
まだ魔術師の見習いだった頃。酒場で誰かが語っていた、英雄ベルナルドの噂。その傍らには、常に影のように付き従う、名も知れぬ凄腕の魔術師がいるのだと。
(俺も、なれるのではないかと……)
十五か、十六か。安酒に酔った勢いで、同じ見習い仲間たちの前で、自分は何と言っただろうか。
『俺はいつか、英雄の隣に立つ影の魔術師になる』
『影の魔術師に、俺はなる』
『ふっ……影は、光があってこそ映えるのさ……』
――言った。確かに言った。それも、ローブの裾を翻して、決め顔で。
「…………っ!」
レンゾは、唐突にガレットに背を向けた。
「レンゾさん?」
「何でもない。少し、待っていろ」
そう言い残すと、レンゾは足早に丸太の陰へと回り込み、その場にしゃがみ込んで、両手で顔を覆った。
(言った……言ってしまっていた……っ! よりにもよって、影は光があってこそ、などと……! 誰が光だ、誰が……!)
ローブ越しにも分かるほど、細長い背中がぷるぷると震えている。
少し離れた場所でその様子を目撃してしまったエレナが、隣のユリウスの袖を引いた。
「ねえユーリ、レンゾさん、どうしたの? お腹痛いのかな」
「……そっとしておきましょう。誰にでも、思い出したくない過去というものはあります」
なぜか、妙に実感のこもった声だった。
————————
しばらくして、何事もなかったような顔で戻ってきたレンゾの耳は、まだかすかに赤かった。
「……訓練を始める」
「お、おう」
訓練の内容は単純だった。魔法使いが標的の丸太を撃ち抜くまでの間、組んだ前衛が、襲いかかってくる敵役を食い止める。敵役を務めるのは、ダードとマルタだ。
「手加減はしねえぞ、ガレット」
ダードが木剣を肩に担ぎ、マルタがメイスの代わりの太い棒を、にやにやしながら振り回している。
「上等だ」
ガレットが大盾を構え、レンゾの前に立った。その背中を、レンゾは無言で見つめていた。
(……でかくなったな)
去年の冬、フィンを失って泣き崩れていた少年の背中を、レンゾは覚えている。あの時よりも、明らかに広い。リリーに扱かれ、ソロで半年を食いつないできた背中だった。
「始め!」
合図と同時に、ダードとマルタが地を蹴った。
「〈打ち砕け、迸る礫よ――〉」
レンゾが詠唱を始める。前半だけを口にし、後半は頭の中で唱える、彼が死に物狂いで手に入れた短縮詠唱。それでも、ユリウスの一言に比べれば、まだ倍以上の時間がかかる。
その間に、ダードの木剣が大盾を叩いた。重い衝撃に、ガレットの足が半歩下がる。
「――っらあ!」
だが、それ以上は下がらなかった。盾ごと体をぶつけてダードを押し返し、横合いから回り込もうとするマルタの棒を、盾の縁で弾く。二人を相手に、一歩も譲らない。
「おっ、やるじゃないか!」
マルタが、楽しげに声を上げた。
ガレットの背中越しに、レンゾの視界が開ける。標的までの射線を、ガレットの体が一瞬も塞いでいないことに、レンゾは気づいた。盾で受けながら、後ろの魔法使いが撃てる位置を、ちゃんと空けている。
(……タンクとしての動き方を、体で知っている)
詠唱の後半が、頭の中で結ばれる。
次の瞬間、レンゾの杖の先から放たれた礫が、唸りを上げて標的の丸太へと突き刺さった。乾いた破砕音とともに、丸太の上半分が、木っ端微塵に吹き飛ぶ。
「――そこまで!」
ダードの声が響いた。
演習場のあちこちで訓練をしていた冒険者や傭兵たちが、何事かと振り返る。木屑が、春の風に乗ってぱらぱらと舞い落ちていった。
「……すげえ」
盾を下ろしたガレットが、呆然と、吹き飛んだ丸太を見つめていた。
「おっさん、すげえじゃねえか……! なんだ今の!」
「おっさんではない」
レンゾは、眉一つ動かさずに言った。それから、少しの間を置いて、ぼそりと付け加える。
「……悪くない盾だった」
ガレットの顔が、ぱっと明るくなった。
「だろ!? リリーさんに死ぬほど扱かれたからな!」
「だが、二度目の受けで左足が流れた。あれでは三人目が来たら抜かれる。それと、盾を引くのが半拍早い。俺の詠唱が終わるのは、お前が思っているより後だ。それから――」
「多い多い多い! 褒めるかけなすか、どっちかにしろよ!」
「両方だ」
ぎゃあぎゃあと言い合いを始めた二人を、ダードが腕を組んで眺めている。その口元が、かすかに緩んでいた。
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訓練が終わる頃には、日はだいぶ西に傾いていた。
「なんか、いいコンビになりそうだね」
帰り支度をしながら、エレナが楽しそうに言った。視線の先では、ガレットがまだレンゾに何かを食い下がっていて、レンゾが面倒くさそうに、それでも律儀に答えている。
「レンゾさん、去年よりさらに詠唱が速くなっていました」
ユリウスが、静かに言った。
「ガレットが時間を稼いで、レンゾさんが大きな一撃を通す。あの二人の組み方は、理にかなっています。……少なくとも、絶世の美女と組むよりは、ずっと」
「ユーリ、それ本人に言っちゃ駄目だよ」
ローワンが、苦笑交じりに釘を刺した。それから、ふと首を傾げる。
「でも、遠征が終わったら、あの二人ってどうなるのかな。ガレット、相方探してたんでしょ」
「レンゾさんが、翡翠の剣を離れることはないでしょうね」
ユリウスは、あっさりと言い切った。
「魔法使いは、一人では冒険者として弱い存在です。詠唱の間は無防備で、射程も短い。上の階級を目指すなら、強いパーティーに身を置くことが絶対の条件になります。翡翠の剣は、王都でも指折りの中堅上位。その上には、ほんの数組のA級と、ロレンツォさんのような規格外しかいません。……そこを抜けて、D級のソロと組む理由は、レンゾさんには一つもありませんから」
「なんか、身も蓋もないね……」
「私が最初にエレナに声をかけたのも、同じ理由ですから」
さらりと付け加えられた一言に、エレナが「あー、そうだったそうだった」と笑った。出会ったばかりの頃、損得勘定を隠しもしなかったユリウスのことを、三人とも覚えている。
「だから、あれは遠征の間だけのコンビです。ガレットにとっては、願ってもない勉強の機会でしょうが」
演習場の出口に向かう途中、ガレットが小走りに追いついてきた。
「なあ、エレナ」
「ん?」
「さっきの、三百枚って話。あれ、結局何だったんだ?」
エレナは、少しだけ考えるような顔をした。それから、悪戯っぽく笑う。
「英雄の隣に立つにはね、それくらいの覚悟がいるってこと。ガレットとレンゾさんなら、もうちょっと安く済むんじゃない?」
「……全然分かんねえ」
首を捻るガレットの背中を、後ろから追いついてきたレンゾの杖が、軽く小突いた。
「行くぞ。今日の反省点を、まだ半分しか言っていない」
「まだあんのかよ!?」
文句を言いながらも、ガレットはレンゾの後をついていった。ひょろ長い背中と、がっしりした背中が、夕陽の中を並んで遠ざかっていく。
その背中を見送りながら、エレナは、ドニーとの約束を思い出していた。
(ドニー。ガレット、ちゃんと元気だよ。……遠征の間だけだけど、ちょっと変わった相方も、できたみたい)
春の夕風が、演習場の砂埃を、北の方へと運んでいった。
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