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Ep.4-3 見えているもの

「ユリウス君、一人でお客さんが来てるよ。応接室で待ってるって」


ギルドに顔を出すなり、ミラにそう告げられた。エレナとローワンは、別件の買い出しで席を外している。


「私に、ですか?」


心当たりがないまま、ユリウスは応接室の扉を開けた。


中にいたのは、白髪交じりの髪を後ろで結んだ、見覚えのある痩身の男だった。


「――先生?」


思わず漏れた声に、その男――オーレリオ・ヴァレンスは、鋭い眼光をふっと緩めた。


「やはり。閃光の魔術師とは……やはり君だったのですね」


「お久しぶりです、オーレリオ先生。まさか私をお訪ねになるとは」


尊敬する研究者が、わざわざ自分を訪ねてきた。それだけでも信じがたいというのに、よりによってあの二つ名まで先生の口から飛び出し、ユリウスは戸惑いと興奮の狭間で、うまく言葉が続かなかった。


————————


「単刀直入に、用件を話しましょう」


向かい合って座ると、オーレリオはさっそく切り出した。


「私は今、詠唱に関する仮説の立証を進めています。詠唱を必要とせず魔術を行使できる者――実在するならば、その者から直接話を聞くのが一番早い」


「それで、ギルドに?」


「ええ。協力を求めたところ、ちょうど王都に戻っている冒険者がいると紹介されましてね。ロレンツォ殿という方です」


その名前に、ユリウスは思わず身を固くした。C級昇格試験のあの一戦が、まだ記憶に新しい。


「彼にも取材させてもらいました。実際に詠唱破棄を行使できる、貴重な魔法使いだ。……ですが、当のロレンツォ殿が、こう仰いましてね」


オーレリオは、その時のことを思い出すように、口の端をわずかに上げた。


「『俺より良い研究対象がいる』と。名を尋ねたら――どこかで聞いた名前だと思ってね。まさかその若さで、二つ名持ちの大魔法使いだったとは。いつぞやは失礼したね」


「と、とんでもないことです!」


ユリウスは慌てて首を振った。


「私は、まともな師も持たず、いまだ正規の教育も受けていない身……とてもそのような、立派なものではありません……!」


————————


「では、一つ伺いましょう」


オーレリオは、探るような目でユリウスを見据えた。


「魔術を発動させる時、あなたの意識の中には、何が見えていますか?」


「見えている、というのは……」


「詠唱を唱える時、あるいは唱えずに発動させる時、頭の中に何かしらのイメージが浮かんでいるはずです。それを、そのまま聞かせてください」


ユリウスは、しばし言葉を探した。これまで誰にも、正確に説明したことのない感覚だった。


「……道、でしょうか。頭の中に、うっすらとした筋道のようなものが見えます。魔力が、そこを通っていく感じがして……それを、なぞるように意識を動かすと、発動します」


「詠唱破棄の時も、同じですか」


「はい。詠唱がある時は、その道筋を思い描き辿る手助けとして使っていて……ない時は、直接、その道筋そのものを思い浮かべています」


語り終えると、オーレリオはしばらく沈黙していた。やがて、絞り出すように呟く。


「……目で、ではなく。意識の内に、ですか」


問いかけというより、独り言に近い声だった。長年思い描いてきた何かを、頭の中で組み替えているようにも見えた。


「……やはり、『見えている』のですね」


「え?」


「過去の大魔法使いの記録には、そのような素質を持つ者がいたという記述があります。ですが、現役の魔法使いでとなると……おそらく、王国では君が唯一でしょう」


「そ、そんな、まさか……私が唯一……?」


激しい動揺に、ユリウスの声が上擦った。信じられない、と言いたげな顔だった。


————————


「君は、自身を正規の教育を受けていない者と謙遜していますが」


オーレリオは、静かに、しかし力強く続けた。


「君にとっては複雑なことかもしれません。ですが、私にとっては、それは思いがけない僥倖です」


「僥倖……ですか」


「君ほどの才能が、現代に蔓延った『詠唱信仰』ともいえる、間違った魔法理解に毒されずにいられたのですから」


その言葉に、ユリウスは目を見開いた。実家の没落という、自分にとって長らく苦い記憶でしかなかった出来事に、そのような意味づけがなされたことは、一度もなかった。


「……もし正規の学園で学んでいたら、私は、この感覚に辿り着けなかったかもしれない、ということですか」


「可能性は、十分にあります。詠唱こそが唯一絶対の正解だと、骨の髄まで教え込まれていたら――君はきっと、この道筋を疑うことすら、しなかったでしょうね」


————————


しばし、二人の間に沈黙が落ちた。ユリウスは、迷うように視線を泳がせていたが、やがて意を決したように口を開いた。


「先生。……もう一つ、お伝えしておきたいことがあります」


「なんでしょう」


「私の仲間に、私よりもずっとはっきりと、魔力の道筋が見えているであろう者がいます。本人に詳しく確かめたわけではないので、確証はありませんが……その様子から見て、まず間違いないかと」


「ほう?」


オーレリオの目に、探るような光が宿った。


「その者の魔力量を測定する機会が、先日ありました。ですが、結果は……測定不能、でした」


その一言に、オーレリオの顔色が、明らかに変わった。


「測定不能……? そんな事が、有り得るのか……いや」


独り言のように、オーレリオは低く呟き続けた。


「有り得るか。常人を遥かに超える魔力回復速度を持つとしたら……」


椅子から身を乗り出し、その目には、隠しきれない興奮の色が宿っていた。


「ユリウス君の件と合わせて考えれば……魔力量の上限が、そのまま魔法の構造の可視性と繋がっている可能性が……!」


「先生?」


「これは、とんでもない発見になるかもしれません……! 『見える』才能を持つ者は、他にもまだ、大勢いるということになる……!」


興奮のあまり、いつもの落ち着いた口調が崩れていた。ユリウスは、その勢いに気圧されながらも、自分が今、何か途方もないものの扉を開けてしまったことを、遅ればせながら悟り始めていた。


「――失礼、取り乱しました」


一つ咳払いをして、オーレリオは表情を引き締め直した。だが、その目にはまだ興奮の余韻が残っていた。


「この件、私以外の誰かに話したことは?」


「いえ……先生が初めてです」


「それは重畳。……いや、研究者としては情けない話ですが、他の誰かに先を越されるのは、正直、堪えますからね」


冗談めかした言い方だったが、その口調には、隠しきれない真剣さが滲んでいた。


「あの、先生……その、彼女に会っていただくことは……」


言いかけて、ユリウスは口を噤んだ。エレナの秘密を、自分の一存でどこまで明かしていいものか、判断がつかなかった。


だが、オーレリオはすでに、次の言葉を待つように、まっすぐこちらを見つめていた。


「……いえ、失礼しました。今のは忘れてください」


「ユリウス君」


先ほどまでの興奮が、すっと引いた声だった。


「私は、無理に聞き出そうとは思いません。今日伺った話だけでも、十分すぎる収穫です。ただ――もし、あなたのお仲間ご自身が望むのであれば、いつでもお話を伺いたい。それだけは、お伝えしておきます」


「……彼女が、望めば」


「ええ。強いる気はありませんよ」


その一言に、ユリウスの肩から、いくらか力が抜けた。決めるのは自分ではなく、エレナ自身であるべきだ――そう思うと、迷いがふっと軽くなった。


「では、一度、彼女に話してみます」


言い終わらないうちに、応接室の扉が控えめに叩かれた。


「――失礼します。あ、いたいた」


顔を覗かせたのは、エレナだった。後ろから、荷物を抱えたローワンも続く。


「ミラさんに聞いたら、ユーリにお客さん来てるって言うから」


「ちょうどいいところに」


ユリウスが立ち上がると、エレナはオーレリオの姿に気づいて、小さく首を傾げた。


「ええと、どこかで……」


「王立学園の公開日に講義をされていた、オーレリオ・ヴァレンス先生です」


「あ、あの本の! ユーリが読んでるやつ!」


目を輝かせるエレナに、オーレリオはわずかに口の端を上げた。


「はじめまして、お嬢さん。オーレリオ・ヴァレンスと申します」


「エレナです。……で、先生がユリウスに何の用事だったんですか?」


「実は――」


「エレナ」


ユリウスが、静かに割って入った。エレナが振り返ると、彼は一瞬だけ視線を落とし、それからまっすぐに彼女を見た。


「先ほど、先生に、あなたの魔力についての話をしてしまいました。測定不能だったこと、それと、私よりもずっとはっきり魔力の道筋が見えているだろうということです」


一拍、間があった。ローワンが、荷物を抱えたまま身を固くする。


「……勝手に、すみません。ですが、この先は、エレナ自身の意思を聞かずに進めたくありませんでした」


エレナはしばらくオーレリオの顔を見つめていたが、やがてふっと肩の力を抜いた。


「別に、怒ってないよ。ユーリが悪いことする人じゃないの、知ってるし」


「エレナ……」


「それより」


エレナは、興味深そうにオーレリオへ向き直った。


「先生は、私の魔力のこと知って、何がしたいの?」


飾らない問いだった。オーレリオは一瞬虚を突かれた顔をしたが、すぐに居住まいを正した。


「率直に申し上げます。詠唱を必要としない魔術と、魔力の道筋を意識の内に見て取れるという素質――私は長年、この二つを追ってきました。あなたの中に、その両方が、これまで見てきたどの事例よりも色濃く現れている可能性がある。それを、確かめさせていただきたいのです」


「ふうん」


エレナは腕を組み、考え込むように視線を宙に漂わせた。


「難しいことはよく分かんないけど……別に隠すことでもないし。ユリウスが信頼してる先生なら、いいよ」


「エレナ、無理はしなくても」


「してないって」


軽く笑って遮ると、エレナは向かいの椅子に腰を下ろした。ローワンも、心配そうな顔をしながらその隣に座る。


「それに、ちょっと気になるんだよね。私が見えたやつ、ユーリと何が違うのかなって」


その屈託のない物言いに、オーレリオは抑えきれない笑みを浮かべた。


「ありがとうございます。では、いくつか伺っても?」


「うん、いいよ」


姿勢を正したオーレリオが、まずユリウスに投げたのと同じ問いを口にした。


「魔術を発動させる時、あなたの意識の中には、何が見えていますか」


「んー……迷路、かな。線がいっぱい絡み合って、体の中を巡ってる感じ。使う時は、それをこう、頭の中でなぞる感じで辿ってく」


「その迷路の輪郭は、はっきりと見えるのですか」


「うん、はっきり見えるよ。細かい枝分かれとか、どこがどう繋がってるかまで、ちゃんと」


オーレリオの視線が、ふとユリウスへと移った。


「ユリウス君。あなたの見え方と、同じですか」


「……近いとは思いますが」


ユリウスは、一瞬言葉を選ぶように間を置いた。


「私の場合は、輪郭がぼやけていて……ちょうど、ピントの合っていない景色を見ているような感覚です。太い流れは追えても、細かいところまでは、正直はっきりとは分かりません」


「ふうん。じゃあ、私の方がくっきり見えてるってことか」


他人事のような呟きだった。オーレリオの手が、紙の上で忙しく動き続けている。


「……素晴らしい」


「先生?」


「失礼。……同じ構造を、輪郭までくっきりと見て取れるという事例は、記録上、一件もありません。これは、これまでの理論の前提そのものを、覆しかねない話です」


興奮気味に言葉を継ぐオーレリオを見て、エレナはローワンと顔を見合わせ、少し困ったように笑った。


「そんな大げさなことかなあ……私にとっては、ただ見えてるだけなんだけど」


「その『ただ』が、どれほど――」


言いかけて、オーレリオは一度言葉を止めた。逸る気持ちを抑えるように、一つ息を吐く。


「――失礼しました。今日のところは、ここまでにしておきましょう」


「え、いいの? まだ聞きたいことあるんじゃない?」


「あります。山ほど。ですが、私の好奇心のために、あなた方の時間を無闇に奪うわけにはいきません」


紙を丁寧にまとめながら、オーレリオは立ち上がった。


「改めてお願いがあります。また折を見て、話を伺わせていただけないでしょうか。もちろん、あなた方のご都合を優先して」


「うん、いいよ。私も、自分のことなのにちゃんと分かってなかったし」


エレナが屈託なく頷くと、オーレリオの表情が、わずかに緩んだ。


「ありがとうございます。……この歳になって、まだこれほどの発見に立ち会えるとは、思っていませんでした」


しみじみとした呟きに、ユリウスがふと尋ねた。


「先生、この件は、学会などで発表されるのですか」


「それは、あなた方の意向次第です。公にすれば、注目も集まるでしょう。望まないなら、私個人の研究として留め置くこともできます」


「うーん、目立つのはちょっと……」


エレナが眉を寄せると、ローワンも頷いた。


「僕も、大袈裟になるのは賛成できないかな」


「承知しました。当面は、私個人の研究として、慎重に扱いましょう」


オーレリオは鞄を手に取り、深く頭を下げた。


「今日は、貴重なお時間をありがとうございました。――ユリウス君も、エレナさんも。またお会いできる日を、楽しみにしています」


「こちらこそ、ありがとうございました」


ユリウスが頭を下げると、エレナも慌てたようにそれに倣った。


オーレリオが応接室を出ていくと、部屋には三人だけが残された。エレナは、椅子の背もたれに体を預け、大きく息を吐いた。


「はー……すごい人だったね」


「勝手に話してしまって、すみませんでした」


「もういいって。……でも」


エレナは、少し考えるような顔をした。


「私に見えてるのが、そんなに珍しいものだったなんて、ちょっとびっくりした。単にそういうものだと思ってたから。火種の魔法くらいしか使わないしさ」


いつもの軽さとは違う、微かな戸惑いが滲んでいた。ローワンが、少し揶揄うように言った。


「エレナが特別なのは、今に始まったことじゃないよ」


「えー、なんかそれ、納得いかないなぁ」


エレナは苦笑しながらも、その表情には、どこか安堵したような色があった。


応接室の窓の外、夕暮れの光が、王都の街並みを静かに染め始めていた。

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