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Ep.3-10 見送りの日

王都に戻った翌日、月見草の灯火と紅蓮の牙、翡翠の剣は、揃って支部長室へと呼び出された。


士官は、書類に目を通したまま、しばらく顔も上げなかった。ようやく口を開いたその声は、これまでと変わらず、淡々としたものだった。


「今回の作戦、想定された損害より明らかに軽微だ。……お前たちは、よくやった」


その言い方には、明らかに含みがあった。慰めでも、労いでもない。まるで、反発するなら反発してみろ、とでも言うような、試すような響きがあった。


ダードの拳が、机の上で固く握られる。だが、その口からは、言葉が出てこなかった。傭兵の指揮下に混ぜるな、若い連中の面倒は自分が見る――そう要求し、士官はそれを守った。約束は果たされている。文句を言う筋合いは、どこにもない。それが分かっているからこそ、腹の底に溜まった苛立ちの行き場がなかった。ダードは、ただ黙って、士官を睨みつけることしかできなかった。


「――軽微?」


低く、静かな声で問い返したのは、ガレットだった。目に涙はない。ただ、まっすぐに、士官の顔を見据えている。


「フィンは、死にました。それでも、軽微だと?」


淡々とした、けれど芯の通った声だった。士官は、その視線を正面から受け止めたまま、静かに頷いた。


「ああ。彼の死も含めた上で、それでも軽微だ。……数字の上では、な」


短く、しかし訂正する気配のない答えだった。誤魔化しも、慰めもない。数字は数字として、揺るがない。それが、この男の立場であり、この男なりの誠実さでもあるのだろう。それでも、その誠実さが、今この場にどれほど不釣り合いか、士官自身もよく分かっているようだった。


隣で、ドニーが、声を殺して泣いていた。肩を震わせ、拳で何度も目元を拭う。誰も、その背中に手を置けなかった。


エレナは、その光景を、どこか遠くから眺めているような気分で見ていた。士官の言葉の意味は分かる。頭では、理解できる。それでも、実感として、何一つ飲み込めなかった。


(この人は、何を言っているんだろう)


責める気力すら湧かなかった。ただ、目の前で交わされる言葉の全てが、今の自分たちとは違う場所から発せられているように感じられた。


ローワンは、何も言えないまま、俯いていた。ユリウスも、じっと床の一点を見つめたまま、動かなかった。誰も、それ以上、言葉を続けなかった。


————————


葬儀は、それから三日後に行われた。


小さな教会だった。差し込む光の弱さが、季節の移ろいを静かに伝えている。祭壇の前に安置された棺には、彼が肌身離さずかけていた太い黒縁の眼鏡がひとつ、そっと添えられていた。フィンが、生前どれほどそれを大事にしていたか、この場にいる誰もが知っていた。


参列したのは、月見草の灯火、紅蓮の牙、翡翠の剣、それに、遠方から駆けつけたフィンの両親だった。誰も、多くを語らなかった。ただ、蝋燭の燃える音と、時折漏れる小さな咳払いだけが、静まり返った空間に響いていた。


「セラフィーノ……セラフィーノ……!」


母親が、棺に縋りついたまま、その名を何度も呼んだ。父親は、隣で拳を握りしめ、嗚咽を堪えるように歯を食いしばっていたが、それも長くは続かなかった。やがて膝から崩れ落ち、二人して、声を殺すこともできないまま泣き崩れた。


聞き慣れない響きに、エレナとローワンが、思わず顔を見合わせた。


「……セラフィーノ?」


「フィンって、愛称だったんだ……」


小声で交わされたその一言に、ユリウスも、静かに衝撃を受けていた。共に戦い、共に笑い、時には競い合うようにして過ごしてきた仲間の、本当の名前すら知らなかった。


(私は、彼のことを知っているつもりでいました。……でも、本当に、そうだったのでしょうか)


考えてみれば、フィンが自分自身のことを語ることは、ほとんどなかった。戦術や、指揮のことは饒舌に語っても、故郷のことも、家族のことも、ほぼ何も知らない。冒険者という生き方の儚さが、今更ながら、身に染みて分かる気がした。共に命を懸けながら、それでも知らないことは、あまりにも多かった。


なおも泣き崩れる両親の姿から、ユリウスは目を離せずにいた。自分たちの依頼のために、命を落とした人間がいる。その人間にも、こうして涙する家族がいる。当たり前のことのはずなのに、目の前で突きつけられると、その重みは、想像していたものとはまるで違った。


(私は、なぜ……)


自問が、静かに、しかし止まらずに湧き上がってくる。


(なぜ、これほどのリスクを負ってまで、冒険者を続けようとしているのでしょうか)


実家の再興のため。学費を稼ぐため。理由は、いくらでも挙げられた。だが、そのどれもが、今、目の前の光景と釣り合うほどの重さを持っているとは、到底思えなかった。


金のためだけなら、もっと安全な道もあったはずだ。それでも自分は、危険を承知で、ここまで来た。なぜだろう。


考えを巡らせるうちに、ふと、答えらしきものが、静かに形を成していく。


損得勘定から始めたはずの関係だった。エレナに近づいたのも、最初は利害の計算からだった。だが、いつの間にか、その関係は、姿を変えていた。


(ああ……)


小さく、息を吐く。


(とっくに私は、仲間と命を預けあう冒険者に、なっていたのですね)


損得を超えたところに、既に自分は立っていた。それに気づかないまま、ここまで来てしまっていた。フィンの死を悼むこの場所で、ようやくその事実に、正面から向き合わされた気がした。


隣に立っていたエレナが、そっとユリウスの顔を覗き込む。何も言わず、ただ、隣にいるというその事実だけを、示すように。ユリウスは、ただ、棺の方を見つめ続けていた。


————————


それから数日、王都には、どこか沈んだ空気が漂い続けた。


宿の食堂でも、ギルドの受付でも、笑い声は控えめだった。誰もが、何かを気遣うように、慎重に言葉を選んでいる。月見草の灯火の三人も、依頼を最低限にこなす以外、あまり多くを語らずに過ごした。


そんなある日、ローワンは、戦闘で傷んだ剣の手入れを頼むため、猫と剣と盾の工房を訪れた。エレナとユリウスも、それぞれの得物の点検のために付き添っている。


「おう、悪いな。今日は立て込んでてよ」


親方が、奥から声をかけてくる。カウンターの向こうには、既に何本もの武器や防具が並べられ、修理の順番を待っていた。


「ずいぶん混んでますね」


「そりゃそうだ。今回の作戦帰りの連中が、こぞって持ち込んでるからな」


言われて周囲を見渡すと、見覚えのある背中があった。翡翠の剣の得物一式を抱えたダードが、丁度カウンターでのやり取りを終えたところだった。


「よぉ」


ダードが、片手を上げてこちらに気づく。声は、いつも通りの調子だった。


「お前らも武器の手入れか。……うちのも、思ったよりガタが来ててな」


「ダードさんも、無事で良かったです」


どこか噛み合わないローワンの言葉に、ダードは小さく肩をすくめただけだった。それ以上、何を言うでもない。しばらく、気まずいような、どこか落ち着かない沈黙が流れた。


「――なあ、お前ら」


不意に、ダードが口を開いた。


「今日、休みか? ちょっと昼飯付き合えよ」


あまりに気軽な誘いだった。断る理由もなく、三人は頷いた。


————————


近くの食堂で、簡素な昼食を囲みながら、しばらくは他愛のない話が続いた。武器の調子、最近の依頼の様子。誰も、あの日のことには触れなかった。


だが、食事も終わりに差し掛かった頃、ダードが、不意にローワンの方を見た。


「……お前、まだ引きずってるだろ」


図星を突かれ、ローワンは、答えに詰まった。


「他の二人も、別に平気なわけじゃねえと思うぞ。ただ、お前は分かりやすく顔に出るタイプだ」


不器用な物言いだった。それでも、その言葉には、確かな気遣いが滲んでいた。


「なあ、ローワン」


ダードの声が、少しだけ、柔らかくなる。


「お前はもう、その辺の並の冒険者よりよほど強くなってんだ。索敵も、剣も、判断力も。……あの時だって、お前が駆けつけてなけりゃ、フィンはもっと早くに死んでた。お前は、お前の出来ることを、ちゃんとやった。あそこで押しとどめなけりゃ、陣を中から食い破られた可能性もあった」


「でも、結局……」


「結局、救えなかった。それは事実だ。誰にも変えられねえ」


ダードは、一度、言葉を切った。


「だがな、お前に足りねえのは、腕でも判断力でもねえ。ほんの少しの、自信だけだ」


それだけ言うと、ダードは、ローワンの肩を、一度だけ、軽く叩いた。


「今回のことで、お前は、自分の腕を疑う必要はねえ。……ただ、もう少しだけ、自分を信じてやれ」


ローワンは、何も言えなかった。それでも、その言葉は、確かに胸の奥に届いていた。エレナとユリウスも、黙って、その様子を見守っていた。


食堂を出る頃には、日が傾き始めていた。別れ際、ダードは、いつもの調子で片手を上げた。


「また、依頼で会うだろ。……その時は、ちゃんと笑って会おうぜ」


それだけ言うと、ダードは、雑踏の中へと歩き去っていった。その背中を見送りながら、ローワンは、小さく、確かに頷いた。


————————


紅蓮の牙の二人の姿を、その後しばらく、ギルドで見かけることはなかった。

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