Ep.3-7 招集
収穫祭の喧騒も終わり、街が落ち着いてきたその日の昼下がり、ギルドの奥の会議室に呼び出されたのは、翡翠の剣の面々だった。
ギルドの王都支部の支部長である壮年の男の隣には、見慣れない国軍の軍装をまとった、これまた壮年の士官と思しき人物が立っていた。会議机の上には行軍図らしい簡易的な地図が開かれている。地図には行軍日程の日付や物資の蓄積や搬入予定などのメモが所狭しと書かれていた。
「まず状況を説明する」
士官が口を開いた。淡々とした、しかし有無を言わせぬ口調だった。名を名乗る気もないらしい。
「北方国境沿い、我が国が支援するグランマルク公国の防衛線は、去年の位置から大きくグランマルク側に後退させられている。理由は、公国側の兵力不足に加え、魔族側の動きが例年になく組織立っていることだ。単なる散発的な侵攻ではない、明確な意図を持った作戦行動と見ている」
士官は行軍図の一角を指し示した。
「特にこの一帯、複数の砦が孤立しかけている。これを放置すると、雪による冬季停戦前に拠点を奪われ、春にはさらに後退した戦線となり、いよいよ王国に手が届きかねない位置まで食い込まれることとなる」
そこに広げられていたのは正確な地図ではないので、どこまでそれが正しいかは判断が難しかったが、翡翠の剣のダードたちにもこのままではまずそうだというのは十分伝わってきた。
「逆に言えば、これらの砦を救援し冬まで持ち堪えれば、冬季停戦により敵は撤退するはずだ」
ここまで聞いて、ダードはどう断ろうかと考え始めていた。
「魔族側が組織だって侵攻してきている以上、あちらもここが戦線の分かれ目だと理解しているだろう。であれば、本格的に雪に閉ざされる前に、砦を奪うべく戦力を投入してくるはずだ」
「それ、去年もやったんじゃねえのか? 俺たちは去年も同じような話を聞かされて、断ったはずだがな」
士官を前に反抗するようなダードの口ぶりに、支部長がわずかに慌てるような表情をした。
「その通りだ。去年も冬季の停戦前の砦の救援作戦があった。が、失敗し、砦を取られ、押し込まれた。今年は春から反転攻勢をかけ、ようやくこの位置まで戻したところだ」
そう言いながら、士官は地図上に置かれた防衛線を示すらしい駒を一度下げ、また押し上げるようにして砦の前に置いた。
「だからこそ、今年は去年と同じ轍を踏まないよう、万全を期したい。昨年は、相手が正面軍の他に別動隊の助攻があり、それに側面と背面を取られて崩され、敗退した。今年の冬季決戦では、我が方にも相手の助攻を妨げる遊軍を設け、これを抑える。それが出来るのは、実績ある傭兵団や、小規模なまま自立して作戦行動が可能な、君たちのような経験豊かな冒険者だと考えている」
士官の鋭い眼光を向けられ、ダードは少し気圧されたように支部長の方を見た。
「それでまた俺たちのところに来たってか? 支部長、俺たちはずっと前線に近い仕事は断るって言ってるよな。その方針は変えてねえぞ」
「お前たちの言い分は分かる。しかし、ここで北部が踏みとどまれなければ、王国にも被害が出かねん状況だ。ここのA級、B級の多くが既に参加している」
「それは分かってるが……」
「それに、今回はC級、D級からも有望な者には声を掛けている……月見草の灯火もだ」
「……それは……それを交渉材料に出すのは卑怯だぜ、支部長」
「なんとでも言ってくれ。正直に言えばな、ギルドとしても冒険者たちを危険に晒したくはない。だがな、俺たちは守られて当たり前の立場なのか? かつてこの国が平和だったのは、ベルナルド殿の献身があったからだ。その志は、俺たち冒険者に受け継がれているんじゃなかったのか」
「……くそっ、月見草のやつらが行くのに、俺たちが行かないわけにはいかねえ……」
「分かってくれるか」
安堵の表情の支部長のセリフに被せるように、ダードが即座に釘をさした。
「だがな! こっちも注文がある! まず俺たち冒険者を、傭兵団の指揮下に混ぜ込むのはやめてくれ。使い潰されるつもりはねえ」
何か言おうとした支部長を手で制し、士官が続けた。
「いいだろう。そのように計らう」
「もう一つだ。若い奴らの面倒は、俺に見させてくれ。月見草たちも、うちのパーティーも、全員無事に帰す。……それが条件だ」
「もとより、損害は最小限にとどめるつもりだ。それに、経験の浅いものをまとめてもらえるのなら、願ってもないことだ」
「約束を違えるようなら、今後軍の仕事は受けねえ。いいな」
「承知した。指名依頼とし、条件にそのように付け加えよう」
支部長のほうをチラリとみるとあからさまにほっとした顔をしており、ダードは少し腹が立った。
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会議室を出るなり、ヴィートがダードに問いかけた。
「……今回は、危ないんじゃないのか」
短い問いかけに、いつもの慎重さが滲んでいた。無理をするくらいなら降りる――そういう男だということを、ダードもよく知っている。
「危ねえよ。だからこそ、俺が目を光らせる」
「……分かった」
それだけ言うと、ヴィートは矢筒の具合を確かめるように、静かに視線を落とした。完全に納得した顔ではなかったが、会議室で聞いた状況と、ダードの配慮を天秤にかけた上で、渋々ながらも矛を収めたようだった。
「ま、なるようになるさ」
マルタはいつも通りといった様子であり、レンゾはあまり関心がなさそうにしていた。
翡翠の剣一行で少し遅い昼飯にでもとギルドを出ようとしたその時、レンゾがふと振り返ると、ミラが月見草の灯火の三人を奥の部屋に案内していくのが見えた。
「……あれ、月見草か……?」
レンゾがそう呟くと、ダードが釣られて振り返り、みるみる表情を曇らせた。
「くそっ、やられた! あの狸親父め……! 月見草に声を掛けたって……、まだ依頼はこれからだったのか……!」
申し訳なさそうに縮こまる支部長の姿を思い浮かべ、騙された怒りに顔を赤くしたが、すぐに自分の早合点が自分を追い詰めたのだと気づき、怒りは霧散した。代わりに自らの甘さを悔いた。
ダードの様子を見て不安そうな顔のヴィートと対照的に、マルタだけがどこか楽しげにしていた。
「だから言っただろう? なるようになるさ。気にすんなって」
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出撃までの数日、王都近郊の街道は、これまで見たことのないほどの人と物資で溢れていた。
集結地点となった宿場町には、様々な傭兵団の旗、ギルドの紋章を掲げた冒険者の一団、荷馬車の列が延々と続いている。その規模の大きさに、エレナたちは言葉を失った。
「こんなに集まるんだ……」
「北方全体の作戦の、一部でしかないそうですよ」
ユリウスの言葉に、エレナは改めて事の大きさを実感した様子だった。
人混みの中、見覚えのある顔を見つけて、ガレットが片手を上げた。
「よぉ、月見草もやっぱり来てたか」
「ガレットたちも一緒なんだね! 心強いよ」
「まあな。……正直、俺もちょっと緊張してるけどよ」
普段の威勢の良さに、微かな硬さが滲んでいた。その隣で、ドニーが落ち着かない様子で槍の柄を何度も握り直している。
「今回ばかりは、悪ふざけしてる余裕なさそうっすね……」
「ドニーが神妙にしてるところ、初めて見た気がするよ」
エレナの軽口に、ドニーは力なく笑った。フィンだけは、いつも通りの静かな表情で、周囲の喧騒から一歩引いた位置に立っていた。
野営の焚き火を囲む輪の中、若い傭兵の一人が、気楽な調子で口を開いた。
「なあ、相手は魔族だろ? 魔物と変りゃしねえんだから、戦争っつうか、討伐みたいなもんじゃねえの」
その言葉に、傍らで携行食を口に運んでいたユリウスが、静かに顔を上げた。
「魔族は亜人ですよ。これは戦争です」
淡々とした、しかし訂正の余地を残さない口調だった。若い傭兵は、意表を突かれたように瞬きをしたが、すぐにユリウスを睨みつけた。
「なんだぁオメエ、生意気なガキだな?」
立ち上がり、ユリウスに掴みかからんばかりの勢いで詰め寄ったが、すぐに横から制止された。
「その坊主の言う通りだ」
割って入ったのは、傍らで酒を舐めていた古参らしい傭兵だった。日に焼けた顔に、幾つもの古傷が刻まれている。
「お前ら、油断すると死ぬぞ? 魔物と同じ感覚で挑む奴から先に逝く。北方じゃ、もう何人もそうやって死んでる」
低く重い声に、焚き火を囲む空気が、一段冷え込んだ。若い傭兵は決まり悪そうに視線を逸らし、それ以上何も言わなかった。
少し離れた場所で、その様子を眺めていたフィンが、静かに呟いた。
「……相手が知性を持つ以上、魔物と同じに考えてはいけない。どちらがより有利な状況を作れるか、準備と知恵の戦いになる」
弓の手入れをする手つきに、迷いはなかった。半年前とは比べ物にならないほど、落ち着いた佇まいだった。
その一連のやり取りを黙って聞いていたエレナは、内心、少し複雑な気持ちを抱えていた。魔族が亜人だという話は、彼女自身に流れるエルフの血にも繋がっている。誰も悪気があって言っているわけではないと分かっていても、亜人という括りの重さを、こんな場所でふと意識させられるとは思わなかった。
(まあ、今考えることじゃないか)
小さく頭を振って、エレナはその思考を脇へ押しやった。今は、明日の作戦のことだけを考えるべきだった。
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出撃前夜。
宿場町のはずれ、静かな場所を見つけたエレナ、ローワン、ユリウスの三人は、しばらく無言のまま、焚き火を見つめていた。
昼間の喧騒が嘘のように、この一角だけは静かだった。遠くから、酒盛りをする傭兵たちの笑い声が、風に乗って途切れ途切れに聞こえてくる。誰もが、それぞれのやり方で、明日への不安を紛らわせているのだろう。
「冒険者は傭兵とは別でまとまって、遊軍にするんだって。配置も最前線から遠いところみたい。ダードさんがちゃんと交渉してくれて良かったね」
エレナがぽつりと呟いた。
「あの人らしいですね。……焦りを抱えながらも、無茶はしない。だからこそ、周りから信頼されるのでしょう」
ユリウスの言葉に、ローワンも同意を示すように、小さく息をついた。
「……なんか、これまでの依頼とは、全然違う感じがするね」
エレナが、いつになく静かな声で言った。
「そうですね。規模も、相手も、これまでとは桁が違います」
「僕らだけじゃなく、みんなが同じように緊張してる。……それが、逆に少し心強い気もするかな」
ローワンの言葉に、エレナは「そうだね」と静かに返した。
「明日から、本当の意味で北方の戦いに足を踏み入れることになる。……何が起きても、三人で必ず帰りましょう」
ユリウスの言葉に、エレナは真っ直ぐな目で応えた。
「うん。絶対に、みんなで帰るよ」
焚き火の炎が、三人の顔をゆらゆらと照らしていた。北の空には、いつもより低く垂れ込めた雲が、重たく広がっている。
エレナは、両親の墓に語りかける時のような、静かな気持ちで空を見上げた。
(父さん、お母さん。私、明日から本物の戦場に行くよ。……ちゃんと、生きて帰ってくるから)
胸の中で、そっとそう誓う。隣に座るローワンとユリウスの温もりが、いつも以上に頼もしく感じられた。
まだ誰も、その先に何が待っているかを知らないまま、夜は静かに更けていった。
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明日は二話同時に公開予定です。
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