閑話 恥ずかしいしな
ロゼッタには、昔から譲れない理想があった。
ハキハキ喋る、背の高い、できれば顔もいい男。それが、ロゼッタの思い描く「いい男」の絶対条件だった。旅の吟遊詩人が気障な台詞を残していった夜など、宿の裏で一人、頬を赤らめて悶えたことも一度や二度ではない。
しかし孤児院上がりで、食べていくためにすぐ住み込みでこの宿で働きだしたロゼッタは、自分には恋は縁遠いものだと思っていた。王都の食堂を兼ねた宿屋という仕事に休みはなかったし、それに文句は一切なかった。幼くして捨てられた自分は、いろんな人の親切に生かされここまでやってきたのだ。この宿だって、ほとんど使い物にならないじゃじゃ馬娘だった自分を、主人がゼロから面倒を見てくれたのだ。看板娘などと言われるようになってからも、たまに揶揄うように誘われるデートのお誘いも一度だって受けたことはなかった。そのうち少なくない数が揶揄いではなく本気だったことを、ロゼッタは知らないままだった。
その年、ロゼッタは十八になったばかりだった。
「ロゼッタ、明日から一人増えるよ。若い男の経験者が来てくれてね。パンも焼けるそうだ」
宿の主人からそう聞かされた夜、ロゼッタは布団の中で一人、密かに胸を弾ませていた。若い男。経験者。パンも焼ける。……ということは、それなりに年頃で、それなりに気の利いた男に違いない。願わくば、あの吟遊詩人くらい爽やかで、背が高くて――そんな都合のいい妄想を、ロゼッタは寝つくまで飽きずに転がし続けた。
そうして迎えた翌朝、裏口に現れた男を見て、ロゼッタはひとまず胸を撫で下ろした。
背丈は、まぁまぁ高い方だった。顔立ちも、不細工というわけではない。ただ、理想として思い描いていた爽やかさとは、少しばかり毛色が違う。
(まあ、働き手としちゃ、これくらい地味な方が案外ちょうどいいのかも)
そんな風に、少しばかり失礼な感想を抱きつつ、ロゼッタは早々に自分を納得させることにした。
「今日から世話になります。……アルドです」
「よろしくね。とりあえずは力仕事と、パン焼きの手伝いをしてもらおうかな」
「はい」
二十三の男にしては、落ち着いた佇まいだった。短く答えたアルドが実際に働き始めると、ロゼッタの見通しは、また少し違う方向に転がっていった。
とにかく、朴訥すぎるのだ。愛想の欠片もなく、客に話しかけられても、まともに返事一つ返せない。
「こりゃ、客前には出せないねぇ……」
ロゼッタは早々にそう判断を下し、アルドの持ち場を厨房と修繕仕事に絞ることにした。だが、そちらの方はというと、拍子抜けするほど手堅かった。
パン焼きは、既に経験者だけあって危なげがない。それどころか、教えてもいない細かな火加減の見極めまで、いつの間にか自分のものにしている。料理も、意外に器用にこなした。あと少し仕込めば、店に出せる腕になりそうだった。
そして何より、薪割りだろうと水汲みだろうと、修繕仕事だろうと、アルドは一度たりとも嫌な顔をせず、黙々とこなし続けた。
(……働き者は、嫌いじゃないんだけどねぇ)
厨房でパン生地をこねながら、ロゼッタは内心、そう呟かずにはいられなかった。
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その無愛想な男は、思いのほか目端が利いた。
朝の仕込みで、ロゼッタが重い粉袋を運ぼうとすると、いつの間にか横からするりと持っていかれている。忙しさで昼を食べ損ねた日には、何も言わずに硬いパンの耳を差し出してきたりもした。
「これ、まかない用のあまりだ」
「……ありがと。でも、あんたも忙しいだろうに」
「腹が減ってちゃ、力仕事なんてできないだろう」
素っ気ない口調の割に、その心遣いは的確だった。
(意外と、気が利くんだねぇ、この人)
ロゼッタはそれくらいの感想しか持たなかった。
そうして何でもない日々を重ねるうちに、一年が過ぎ、また一年が過ぎた。気づけば、アルドが宿に来てから、三度目の冬を迎えようとしていた。
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その年の冬、酒に酔った客が絡んできたことがあった。冒険者らしいその男は、酒に酔って下卑たセリフでロゼッタに絡んでは、適当にあしらわれていた。しかし三杯目を飲み干したところで、ロゼッタが「もうよしな」と止めたのだ。
「おい姉ちゃん、もう一杯くらいサービスしろよ。金なら出すって言ってんだろ」
「悪いけど、そこまで酔っ払った人にはこれ以上出せないよ」
きっぱりと断るロゼッタに、客は苛立たしげに腕を掴もうとした。その手が届く前に、横からすっと割り込んだ影があった。
「食堂の営業時間はもう終わりだ。帰ってくれ」
低く、それでいて有無を言わせぬ声だった。厨房の奥から出てきたアルドの体格を前に、客は毒気を抜かれたように大人しく席を立った。
あまりの迫力に、ロゼッタもまた、しばし声もなくその場に固まっていた。
「……すまん、脅かすつもりはなかった」
我に返ったロゼッタに、アルドが気まずそうに切り出す。
「別に、脅かされたなんて思ってないよ。……ありがとね」
素直に礼を言うロゼッタに、アルドはふいと視線を逸らしただけだった。何も気の利いた台詞を言うでもない。ただ黙って背中に庇ってくれた、その事実だけが残った。
灯りを落とした後の静かな食堂で、ロゼッタはふと、自分の胸が妙にどきどきと騒がしいことに気がついた。
(あれ……あたいどうしちゃったんだろう……)
思いも寄らない自分の反応に、ロゼッタ自身が一番戸惑っていた。自分を庇ってくれた無骨で不器用なだけのその男の背中が、なぜだか目に焼き付いて離れなかった。
(いやいや、まさかね……。でも、なんでこんなに、どきどきしてるんだろ)
その夜、ロゼッタは布団の中で何度も寝返りを打ちながら、まんじりともせず朝を迎えた。
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それから、さらに二年の月日が流れた。
ロゼッタが二十三、アルドが二十八になった年のことだった。亭主夫婦は、既にかなりの高齢だった。跡取りの息子はおらず、一人娘は遠くへ嫁いでいる。宿を畳むか、誰かに譲るか――その話し合いが、ここ最近、ずっと燻っていた。
ある日の夕方、店じまいの後、亭主夫婦が揃ってロゼッタとアルドを呼び止めた。
「お前さん方に、話がある」
改まった調子に、二人は思わず居住まいを正した。
「わしらも、そろそろ潮時かと思ってな。今年いっぱいでこの宿も畳もうかと思っとる」
やはりか、とロゼッタは手を固く握った。ここ一、二年でこの宿の主人はめっきり老け込んでしまい、奥さんも病気がちだった。こうなるのは時間の問題だったのだ。王都でも悪くない立地にあるこの宿なら買い手はつくだろうが、その時にロゼッタとアルドまで一緒に引き取ってくれる保証はない。
「そう、ですか……。あたいは十分お世話になりました。きっとアルドも……。だから、どうなっても文句はありません。本当に、沢山お世話になりました」
そう言って頭を下げようとしたところ、思わぬ言葉が返ってきた。
「……お前さん方が夫婦なら、そのまま宿も食堂も、丸ごと譲りたかったんだが」
その言葉に、ロゼッタは目を丸くした。
「え……ちょ、ちょっと待っておくれよ、それは……」
慌ててアルドの方を向くと、アルドはしっかりと宿の主人に向いて答えた。
「そうさせてください。願ってもない話だ」
食い気味に、アルドが即答した。
「――は?」
「宿を継ぐのは、いい話だ。ロゼッタと夫婦になるのも、否やはない」
淡々と、しかし迷いのかけらもない声だった。あまりの直球さに、その場の全員が、一瞬言葉を失った。
「ちょ……あ、アンタ、そんな急に……」
「ロゼは嫌か?」
「い、嫌ってわけじゃ……でもそんな、急に……だって……アンタ、そんな話一度だって、あたいにしたことなかったじゃないか……」
顔を真っ赤にして食ってかかるロゼッタに、アルドは少しばつが悪そうな顔をした。
「それは、まあ……恥ずかしいしな……」
しどろもどろな若い二人を前に、亭主夫婦が顔を見合わせ、堪えきれないというように笑い出した。
「いやぁ、これは決まりだね」
「まったくだ。……末永く、頼んだよ」
すっかり外堀を埋められた形のロゼッタは、真っ赤な顔のまま、それでも小さく頷くしかなかった。
「……もう。あんたって人は、本当に、格好つかないんだから」
「悪い。柄じゃない」
短く返すアルドの耳が、よく見ると、ほんのわずかに赤くなっていた。それに気づいたロゼッタは、思わず噴き出した。
長年抱いてきた理想は、結局のところ、一度も叶わなかった。ハキハキとも喋らず、気の利いた台詞の一つも言えない、手は器用なのに口が不器用なだけの男。それでも――いや、だからこそなのかもしれない。飾り気のない言葉で、飾り気のない優しさを差し出し続けてくれる、この人となら。
(ま……悪くない。うん、悪くないよ)
そう思える確かな手応えが、その夜、ロゼッタの胸に静かに根を下ろした。




