Ep.3-6 収穫祭の贈り物
「もうすぐ収穫祭だねぇ」
夕食の片付けをしながら、ロゼッタがふと呟いた。王都では毎年、麦の収穫が一段落するこの時期に、街を挙げての収穫祭が開かれる。屋台が立ち並び、広場では夜通し明かりが灯される、一年で一番賑やかな祭りだった。ユリウスは先に部屋へ戻っており、食堂に残っているのは、エレナとローワン、それにロゼッタだけだった。
「去年は、まだ駆け出しでバタバタしてたから、ろくに楽しめなかったよねぇ」
ロゼッタの言葉に、エレナが答える。
「あー、そういえばそうだったね」
そこで、エレナは何かに気づいたように顔を上げた。
「あ……そういえば、収穫祭って、確か……」
言いかけて言葉に詰まるエレナに代わり、ローワンが小声で続けた。
「ユリウスの誕生日と近いんだよね」
去年の冬、自分の誕生日会の席で、ユリウスがぽつりと明かした九月の誕生日。あの時は既に日を過ぎた後の、驚きと共に迎えられた種明かしだった。今年は、収穫祭のちょうど数日前――九月のうちに、その日がやってくる。
「今年は、ちゃんと祝ってあげたいね」
エレナの言葉に、ロゼッタが悪戯っぽく笑った。
「あたいも協力するよ。……ただし、当日は素知らぬ顔をしとくれ。あの子、変に気を回されると、かえって固くなっちまうからね」
「分かってる! 当日はさりげなーく、祭りの下見にでも誘う感じで」
意気込むエレナに、ローワンが横から突っ込みを入れる。
「エレナ、それ全然さりげなくないけど……」
「うるさいなー。気持ちは伝わればいいの!」
唇を尖らせるエレナに、ロゼッタとローワンは顔を見合わせて笑った。そこへ、厨房から顔を出したアルドが、黙って三人の会話を聞いていたが、やがてぽつりと一言だけ挟んだ。
「いい心がけだ」
それだけ言うと、また奥に引っ込んでいく。相変わらずの口数の少なさに、三人は思わず笑い合った。
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ユリウスの誕生日の当日。
朝から、いつも通りの依頼をこなし、夕方に宿へ戻ってくる。特別なことは何もない、いつも通りの一日――そのはずだった。
「おかえり。今日は休みにしてさ、収穫祭の下見にでも行ってみない?」
食堂に降りてきたユリウスに、エレナがさも思いつきのように誘いをかける。
「下見、ですか。……まあ、悪くないですね。もう屋台も建ちはじめてましたし」
三人で連れ立って向かった広場は、祭りを間近に控え、屋台の準備で活気づいていた。串焼きの匂い、色とりどりの布飾り、子供たちの笑い声。避難民キャンプで見た張り詰めた空気とはまるで違う、街の日常の賑わいがそこにあった。
「わ、もうこんなに屋台出てるんだ!」
エレナが目を輝かせながら駆け寄っていく先には、的当ての屋台があった。
「お嬢ちゃん、腕に覚えあるかい? 三回のうち二回当てたら、景品あげるよ」
「望むところだよ!」
小さな的に向けて放たれた三本のダーツは、危なげなく全て命中した。屋台の主人が目を丸くする。
「こりゃたまげた。……嬢ちゃん、只者じゃないね」
「えへへ、これでも冒険者だからね!」
得意げに景品を受け取るエレナの隣で、ローワンとユリウスは顔を見合わせて笑った。
「ローワンもやってみたら? 最近、スリングの腕も上がってきたことだし」
「え、僕は別に……」
渋るローワンを、エレナが強引に的の前へと押し出す。ローワンは仕方なく、三枚の銅貨と引き換えに三本のダーツを受け取った。
「スリングとダーツじゃ全然別物なんだけどな……」
そう言いながらも、ローワンは慎重に狙いを定め、投げた。三本のうち二本が、危なげなく的の外周に突き刺さる。
「お、悪くないね兄さん!」
主人の言葉に、ローワンは照れくさそうに頭をかいた。
「距離感掴むのは、割と慣れてきたのかも」
「地味に着実に上手くなってますね」
ユリウスの評に、ローワンは苦笑いを浮かべつつも、まんざらでもなさそうだった。
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屋台を冷やかしながら歩くうち、三人は焼き栗の匂いに誘われて足を止めた。
「一つずついかがです? 今年の初物ですよ」
威勢のいい呼び込みに、エレナが真っ先に財布を取り出す。
「三つちょうだい!」
熱々の栗を頬張りながら、エレナは満足げに目を細めた。
「んー、美味しい! 秋だなぁって感じ……んー、あっつい……」
「猫舌のくせに、そんな一気に食べて」
ローワンの指摘に、エレナは口の中身を持て余しながら、涙目で頷いた。その様子に、ユリウスが小さく吹き出す。
「相変わらずですね、エレナは」
「なんか、馬鹿にされた気がする!」
「気のせいです」
いつもの調子で軽口を交わしながら、三人はゆっくりと日暮れの広場を歩いた。
日が傾き始めた頃、三人は広場の隅にある小さな食堂へと足を向けた。
「広場の中の方は騒がしいですし、今日は、ここでゆっくりしましょうか」
ユリウスの提案に頷きながら、エレナとローワンは、こっそり視線を交わした。
運ばれてきたのは、秋野菜たっぷりの煮込み料理と、焼きたてのパンだった。三人はしばらく、他愛のない話をしながら食事を進めた。今日の的当ての戦果、来週の依頼の予定、フィンが最近ますます頼れる存在になっていること。話題は尽きなかった。
食後、温かい果実酒――子供にも飲める、度数の低いものだが――で一息ついたところで、エレナが懐から小さな包みを取り出した。
「はい、これ」
「……何ですか、これは」
「今日、ユリウスの誕生日でしょ?」
その一言に、ユリウスは目を見開いた。
「よく、覚えていましたね……。去年は、私の方から言い出さなければ、誰も気づかなかったのに」
「去年のことがあったから、今年はちゃんと覚えてたんだよ。だから、忘れてなかったよって伝えたくて」
エレナが差し出した包みを、ユリウスはおそるおそる開いた。中には、上質な革表紙の手帳と、細身の万年筆のような書き心地の良い筆記具が入っていた。
「これから先、大事な記録をたくさん残すことになると思うから。……オーレリオ先生みたいな、立派な魔術師になるための第一歩、ってことで」
「僕からは、これ」
ローワンが差し出したのは、丁寧に編まれた革の鞄だった。
「本とか持ち歩く時に、使ってよ。……その、いずれ学園に通うようになったら、必要になると思って」
二つの贈り物を前に、ユリウスはしばらく言葉を失っていた。
「……ありがとうございます」
絞り出すようなその一言には、いつもの丁寧な口調に収まりきらない、確かな震えがあった。
「去年、私が思わず自分の誕生日を明かした時、誰かに祝ってもらうという発想自体がなかったと言いましたね。……あれから、ずっと気になっていました」
「うん、覚えてる」
「実家が傾いてから、誕生日を祝うという習慣そのものが、我が家からは失われていました。両親を責めるつもりはありません。それどころではなかったのです。ですから、こうして誰かに覚えていてもらえるということが、私にとって、どれほど――」
そこで言葉を止め、ユリウスは静かに目元を拭った。
「あれ……すみません……」
「泣いてもいいんだよ、今日くらい」
エレナが屈託なく笑いかけると、ユリウスは小さく笑い返した。
「そうですね。……ありがとう、エレナ、ローワン」
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食事を終えて店を出ると、広場にはすでに祭りの明かりが灯り始めていた。まだ本祭は数日先だというのに、露店の明かりだけで、十分に華やいで見える。
「来年は、絶対もっと大きな声で『誕生日おめでとう』って言うからね」
「それは、今年も十分聞こえていましたよ」
「もっと! もっと大きな声で!」
からりと笑うエレナに、ローワンとユリウスも自然と笑い声を重ねた。
灯りの下を歩きながら、ユリウスがふと空を見上げた。
「……私たち月見草の灯火は、この一年で大きく成長できました。この調子で行けば、来年の収穫祭は、もっと賑やかに祝えそうですね」
「うん。絶対、そうしよう」
「ロゼさんたちにも、後で報告しなきゃ。喜んでくれる贈り物、ちゃんと選べたよって」
エレナの言葉に、ユリウスは小さく頷いた。
「ロゼッタさんとアルドさんにも、感謝しないといけませんね。……思えば、宿の皆さんにも、随分お世話になっています」
「私たちだけじゃないってことだよ。ユーリのこと、ちゃんと見てる人、ちゃんといるから」
エレナの言葉に、ユリウスは何かを噛みしめるように、しばらく黙り込んだ。それから、いつもより柔らかい声で答えた。
「はい。……よく分かりました」
夜風は、まだ夏の名残を微かに残しながらも、どこか秋めいた冷たさを帯び始めていた。季節はゆっくりと、次の段階へと移ろおうとしている。だが今はまだ、三人の間に流れる時間は、ただ穏やかで、温かかった。
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宿に帰り着くと、ロゼッタが待ちきれない様子で三人を出迎えた。
「どうだった? ちゃんと祝えたかい?」
「うん! バッチリだったよ」
エレナが親指を立ててみせると、ロゼッタは満足げに笑った。
「そうかい、そうかい。……ユリウス、おめでとうね。今年はちゃんと言えて良かったよ」
「ありがとうございます、ロゼッタさん」
ユリウスが丁寧に頭を下げると、ロゼッタは照れくさそうに手を振った。
「水臭いこと言いなさんな。あんたも、うちの子みたいなもんなんだから」
その一言に、ユリウスは一瞬、言葉に詰まったようだった。厨房の奥から顔を出したアルドが、ぶっきらぼうに一言だけ付け加える。
「今度は、飯の量増やしてやる」
「……それは、また別の意味で嬉しいです」
苦笑する少食のユリウスに、その場にいた全員が笑い声を上げた。宿の食堂は、いつもよりほんの少しだけ、温かい空気に包まれていた。
部屋に戻る階段を上りながら、エレナはふと振り返り、まだ食堂に残っているユリウスの背中を見つめた。今日一日で見せた、いくつもの表情。それを見られただけでも、この贈り物選びに費やした時間には意味があったのだと、エレナは静かに思った。
「来年も、再来年も。……ずっと、こうやって祝えたらいいな」
小さく呟いたその言葉は、誰に届くでもなく、階段の踊り場の暗がりに溶けて消えた。




