Ep.3-2 追いつきたい背中
「今回はまた、随分と大きい依頼が回ってきたな」
ギルドの掲示板の前で、ダードが依頼票を眺めながら顎に手を当てた。
〈北方国境近郊、大規模魔物集団の間引き・討伐支援〉。D級にも門戸が開かれたとはいえ、単独で受けられる規模ではない。翡翠の剣と月見草の灯火、合わせて七人での合同受注だった。
「間引きと言っても、相手はゴブリンやオークの群れとは桁違いの数のようですね」
依頼票を覗き込んだレンゾが、眼鏡を押し上げながら補足する。
「北方で押し出された魔物が、後方に流れ込んできてるんだろうな。厄介なことだ」
ダードが短く漏らした推測に、エレナたちは顔を見合わせた。
「以前は、こういう規模の依頼はC級以上限定だったんじゃないですか?」
ユリウスの問いに、ダードは苦い顔で頷いた。
「ああ。だが、中堅より上は軒並み北方に張り付いてる。回せる人手がねえんだよ」
「翡翠の剣も、随分と忙しそうですね」
「俺たちは北方の前線寄りの依頼は断ってるんだ。その分後方の仕事は沢山こなさなきゃいけねえからな。ここ数ヶ月、まともに休んだ覚えがねえ」
そう言いながらも、ダードの表情に不満の色はなかった。むしろ、どこか張り合いを感じているようにも見える。
「まあ、何かあったら俺たちを頼れ。……とは言っても、最近はどっちが頼ってる側なんだか、怪しくなってきたけどな」
その一言に、エレナは誇らしげに胸を張った。半年前まで感じていた新人らしい高揚感とは、少し違う――経験に裏打ちされた緊張が、七人の間に静かに流れていた。
————————
現場は、国境から少し離れた森の外れだった。
木々の合間から、うっすらと獣臭が漂ってくる。統率を欠いた獣型の魔物の群れが、縄張りを追われるようにして南下してきているらしかった。数は多いが、統率された脅威ではない――そう聞いていたはずだった。
「――来るぞ、正面!」
ダードの声と同時に、木立の向こうから濁った唸り声が響いた。姿を現したのは、痩せこけた狼型の魔物の群れ。だが、その数は事前情報よりもはるかに多かった。
「思ったより数が多いですね……!」
ローワンが即座に索敵の目を走らせ、側面と背後にも気配があることを叫んで伝える。
「マルタ、ヴィート、右! ローワン、そのまま索敵を続けろ!」
ダードの指示に、七人の連携が滑らかに噛み合っていく。エレナの矢が正面の一体を射抜き、間髪入れずにマルタのメイスが横合いから振り抜かれる。
「〈打ち砕け、迸る礫よ――〉」
途中で切り上げられた詠唱と共に、礫の弾丸が放たれる。以前より一段短くなった詠唱の形だった。だが――
「――貫け」
ユリウスの短い一言による氷槍と、レンゾの礫が、ほぼ同時に同じ標的へ着弾した。半年前、緊急の救援依頼でオークの群れと渡り合った時であれば、ユリウスの詠唱破棄に大きく遅れを取っていたはずの発動速度だった。それが今は、決まり文句にあたる後半部分を口にせず飲み込むようにして、発動までの間そのものが目に見えて短くなっている。
「ユリウス、左を頼む! 俺は右をやる!」
「承知しました」
被りを無駄にせず、即座に的を振り分けるレンゾの声に、迷いはなかった。
(レンゾさん、やっぱり早くなってる……! こないだの護衛依頼の時よりも、もっと!)
エレナが心の中で驚きの声を上げる横で、戦況はなおも動き続けていた。
「二列目、来るぞ」
ヴィートの短い警告と共に、第二波の狼が姿を現す。数はさらに多く、しかも一部が横合いから回り込もうとしていた。
「エレナ、右手前! 回り込んでる二体を先に!」
ローワンの指示は迷いがなかった。エレナはその声に即座に反応し、弓を構えたまま身をひるがえす。矢を放つと同時に腰の得物に手をかけ、着地の勢いのまま近づいてきた一体を斬り伏せる。弓と近接戦を、呼吸のように切り替える動きだった。
「危なげないな、相変わらず」
その様子を横目に見ていたダードが、感心したように呟く。
七人の連携に乱れはなかった。ダードとマルタが前衛で押し留め、レンゾとユリウスの魔法が交差し、エレナの矢と剣が隙間を的確に縫う。ローワンは全体を見渡しながら、時に自ら得物を振るい、時に短く指示を飛ばした。かつて臆病さゆえに一歩を踏み出せなかった少年の面影は、もうそこにはなかった。
「思ったより早く片付きそうです」
ユリウスがそう呟いた矢先、木の陰から一際大きな個体が飛び出し、索敵に意識を割いていたローワンの死角へと躍りかかった。
「ローワン、危ない!」
エレナの叫びよりも早く、割り込んだのはダードの盾だった。牙が金属に食い込む鈍い音が響き、間一髪、切っ先はローワンの肩をかすめるだけに留まる。
「油断すんな。……お前が倒れたら、こいつらの目が誰にも届かなくなる」
低く告げるダードの声に、ローワンは息を呑んだ。
「す、すみません……!」
「謝る暇があったらすぐ索敵に戻れ。俺が毎回間に合うとは限らん。位置取りに気をつけろ」
短いやり取りの後、ローワンは即座に持ち場へ戻った。動揺は一瞬だけ残ったが、その後の索敵に乱れはなかった。半年前であれば、この一幕だけで戦意を大きく削がれていたかもしれない。だが今の彼は、恐怖を飲み込んだ上で、なお前を見据えることができた。
二度目の波を凌ぎきると、群れの勢いは目に見えて衰えていった。数だけは多いが、統率を欠いた獣の群れは、連携の取れた七人の敵ではなかった。
戦闘が終わる頃には、太陽はすでに西に傾き始めていた。
————————
戦闘の後には、いつもの後始末が待っていた。討伐した魔物を放置すれば、上位の魔物を呼び寄せたり、疫病の原因になったりする。数の多さに、七人総出での埋設作業は思いのほか時間を取られた。
「毎回思うけど、こっちの方が戦闘よりきついよな」
鍬を握ったマルタが、額の汗を拭いながら笑った。エレナたちも黙々と手を動かす。半年前ならとても余力の残っていなかった作業も、今ではすっかり慣れたものだった。
すべての処理を終え、一息ついたところで、レンゾがふらりとユリウスに歩み寄り、ひょろ長い背を少しかがめて顔を覗き込んできた。眼鏡の奥の目には、どこか気まずさと、それでも隠しきれない昂揚とが入り混じっていた。
「なあ、ユリウス」
「なんですか?」
「さっきの、俺の礫とお前の氷槍、綺麗に被っただろ。……気づいてるか、俺の詠唱、前より速くなってる」
「ええ、気づいていました」
あっさりと肯定するユリウスに、レンゾは一瞬言葉に詰まったようだった。
「……そうか。まあ、隠すつもりもなかったけどな」
レンゾは眼鏡を押し上げ、少し早口になりながら続けた。
「あの緊急依頼で初めて一緒にやった時、お前の詠唱破棄を見て、正直、悔しかったんだ。同じ魔法使いなのに、こんなに差があるのかって。……それで、その日から毎日、詠唱の一部を削れないか、試してみたんだよ」
「危険が伴ったのでは?」
ユリウスの問いに、レンゾは苦笑いを浮かべた。
「ああ、何度も魔力切れでぶっ倒れかけた。師匠にはこっぴどく叱られたし、マルタにもヴィートにも呆れられたよ。……それでも、少しずつだけどな。詠唱の後半、決まり文句の部分だけを、頭の中で唱える形に置き換えられるようになった。まだ完全な詠唱破棄には程遠いが……お前の域には、まだ全然、及ばないけどな」
そこで、レンゾは急に言葉を切り、動揺したように早口になった。
「い、いや、別にお前に対抗心を燃やしてるとか、そういうんじゃないぞ! ただ、魔術師として、もっと上に行きたいってだけで……!」
「分かっていますよ」
くすりと笑うユリウスに、レンゾは毒気を抜かれたように肩を落とした。
「……お前、そういうところ、本当に大人だよな」
「ただの実務的な受け止め方です。私も、詠唱破棄に至った経緯を誰かに誇れるほど、立派なものではありませんから」
そう言って、ユリウスは少しだけ目を伏せた。実家没落による非正規の魔法教育。恵まれた才能というより、追い詰められた末の産物だという自覚が、彼の中には常にある。
「それに、レンゾさんは詠唱が当たり前の状態に長く慣れていました。それを自ら再構築を試みて、一部とはいえ詠唱の省略まで辿り着いたことの方が、よほど称賛に値します。私の場合は、実戦で自身の戦術が固まる前に取り組むことが出来ただけですから」
「それを『だけ』で片付けるあたり、やっぱりお前は化け物じみてるよ……」
レンゾは呆れたように笑いながら、それでも満足げな表情を隠さなかった。
少し離れた場所で、その様子を眺めていたダードが、ぼそりと呟いた。
「ったく……ユリウスの奴に触発されて、レンゾまで急成長かよ。俺たちの立場がなくなるな」
「あら、他人事みたいに言って。ダードだって、負けじと最近訓練量増やしてるくせに」
からかうようなマルタの声に、ダードは決まり悪そうに頬を掻いた。
「うるせえ。……俺にも色々事情があるんだよ」
「はいはい、いつもの焦りね」
軽く受け流すマルタに、ダードはそれ以上何も言い返さなかった。B級で足踏みしたまま、生涯最高位がここで終わってしまうかもしれないという焦り――それを口にしたことは、まだ一度もない。
すぐそばで黙々と矢筒を整理していたヴィートが、ぽつりと一言だけ挟んだ。
「……無理は、するなよ」
短い忠告に、ダードは苦笑した。
「分かってるさ。お前に言われるまでもねえよ」
その一言に滲む焦りの色を、エレナたちはまだ深くは知らなかった。
————————
王都までの道は、翡翠の剣とも途中まで同じだった。
「そういえば、レンゾさんの詠唱、私も気になってたんだよね」
エレナが横に並んだレンゾに、無邪気に話しかける。
「私も詠唱破棄ってやつ、できるようになったりしないかな?」
「エレナは魔法で戦うわけじゃねえだろ。それに、もう似たようなことをやってるだろ。矢を放つ体勢から近接に切り替える、あの判断と身のこなしの速さ。あれは、魔法で言えば詠唱破棄みたいなもんだと思うぞ」
「そうなの?」
「型を覚えて、そこから外れることを恐れなくなった証拠だよ。……まあ、俺には無縁の話だけどな」
自嘲気味に笑うレンゾに、エレナはきょとんとした顔をしていたが、やがてにっこりと笑った。
「よく分かんないけど、褒められてるのは分かった! ありがと!」
その屈託のない反応に、レンゾは毒気を抜かれたように肩の力を抜いた。
分かれ道で翡翠の剣と別れ、王都までの道を三人だけで歩き出す。夕焼けに染まる街道を歩きながら、エレナがぽつりと呟いた。
「なんか、みんなどんどん強くなってるね」
「私たちも、負けてはいられませんね」
「うん! ……あ、でも、ユーリってレンゾさんに褒められて、まんざらでもなさそうだったね」
「そんなことはありません」
「絶対、ちょっと嬉しそうだったよ」
「気のせいです」
いつになく早口な否定に、エレナとローワンは顔を見合わせて笑った。
夕暮れの空の下、七人でこなした戦いの余韻を残しながら、三人はいつもの宿への道を歩いていった。北の空にかかる雲だけが、その茜色を分けてもらえないまま、灰色に沈んでいた。
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