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Ep.3-1 一足遅れの十六歳

二月の朝は、まだ息が白く凍る寒さだった。


「エレナー、もう起きなさい! みんな揃ってるよ!」


ロゼッタの声に叩き起こされ、エレナが寝ぼけ眼のまま食堂に降りていくと、テーブルの上には湯気を立てる大皿と、不揃いに包まれた包みが二つ、並べて置かれていた。


「……あれ? 今日って、何かあったっけ?」


「あんたねぇ……」


ロゼッタが呆れたように腰に手を当てる横で、ローワンとユリウスが顔を見合わせて笑いを堪えていた。


「エレナ、自分の誕生日くらい覚えておいてよ」


「あ―――っ!」


素っ頓狂な声を上げて、エレナは自分の頭を抱えた。


「そ、そうだ、今日私の誕生日だ! ごめんロゼさん、すっかり忘れてた!」


「まったく、母親の命日は欠かさず墓参りするくせに、自分の誕生日は毎年忘れてるんだから、世話ないよ」


呆れながらも、ロゼッタの声には隠しきれない優しさが滲んでいた。ベルナルドが存命だった頃から、この日だけは欠かさず祝ってきたのだろう。


「はい、これ僕から」


差し出されたのは、丁寧に編まれた革紐だった。矢筒の肩掛けを、もう少し体に馴染むよう調整できるようにと考えたのだと、ローワンは少し照れくさそうに説明した。


「わ、ありがとローワン! これ、すごくいい……!」


「私からはこちらです」


ユリウスが差し出したのは、薄い革表紙の手帳だった。


「依頼の記録や、覚えておきたい戦術のメモをつけるのに使ってください。エレナは、頭では覚えているのに言葉にして残す習慣がありませんから」


「うっ……それ、地味に刺さるんだけど」


「地味で結構です。地味なことの積み重ねが、後々効いてきますから」


いつもの澄まし顔でそう言ってのけるユリウスに、エレナは唇を尖らせつつも、手帳を大事そうに胸に抱えた。


「――ところで」


不意に、ユリウスがどこか含みのある笑みを浮かべた。


「これで、ようやく三人揃って十六歳ですね」


「あ」


言われて初めて気づいたというように、エレナが目を丸くする。


「そっか……ローワンが十二月、ユーリが九月で、私が今日……。私、一番最後だったんだ」


「まあ、順当な話ですよ。エレナは二月生まれなんですから」


「なんかちょっと悔しいかも……。いつも一番前で戦ってるのは私なのに、大人になるのだけ一番最後だなんて」


ぶつぶつと呟くエレナに、ローワンが小さく笑った。


「別に、競争するようなことじゃないと思うけど」


「うう、ローワンは自分のほうが先に生まれてるから……」


厨房から顔を出したアルドが、ぶっきらぼうに一言だけ残していった。


「早く生まれたって偉いわけじゃない」


「……だってさ?」


それだけ言うと、アルドはまた奥に引っ込んだ。相変わらずの口数の少なさに、三人は思わず顔を見合わせて笑った。


「――さ、冷めないうちに食べちまいな。今日はあんたの好物、たっぷり作ったんだから」


湯気の立つ料理を前に、エレナは頬を緩ませた。


「ありがと、ロゼさん。……えへへ、なんか、いい一年になりそうな気がする」


食後、三人は連れ立って街の外れの墓地へと向かった。ベルナルドとヴィオラが並んで眠る墓に、エレナは持ってきた花を供える。父の命日ではないが、この日は自分から誘って足を運ぶのが、いつからかの習慣になっていた。


「父さん、お母さん。今日で十六歳になりました。……去年はローワンと来たけど、今年はユーリも一緒だよ」


墓石に向かって、いつもより幾分か砕けた調子で報告する。傍らで見守るローワンとユリウスも、何を言うでもなくただ静かに付き合っていた。


「毎年思うけど、お墓参りは律儀だよね、エレナは」


「だって、二人がいなかったら私、今ここにいないわけだし……今年からは、父さんにも会いに来ないとだしね」


事もなげにそう言ってのけるエレナに、ローワンは何か言いかけたが、うまく言葉にならず、曖昧に笑うことしかできなかった。血の繋がった両親を、当たり前のように傍らに置いている自分と、物語の中でしか母親を知らず、唯一の肉親だった父親も亡くしてここで語りかけるエレナとでは、同じ「墓参り」でも重みが違う。それでも彼女は、悲愴な顔ひとつ見せず、いつも通りの明るさでそこに立っていた。


(エレナは強いな、本当に)


ローワンは胸の内でそう呟くに留め、口には出さなかった。


墓地を出る頃には、冷たい風が頬を刺すように吹きつけていた。それでも、三人の足取りに寒さを厭う様子はなかった。


墓地の脇に植えられた木の枝先には、まだ固く閉じたままの蕾が、寒風に耐えて並んでいた。


————————


季節は緩やかに巡っていった。


雪解けと共に、ミレニア王国の北方国境は再び緊張の色を濃くしていった。冬の間はいくらか鳴りを潜めていた侵攻の気配が、春の訪れと共に息を吹き返す。北方関連の依頼は途切れることなく、むしろ数を増していった。


その裏で、月見草の灯火の三人にも、確かな変化が積み重なっていた。


ローワンは、この半年でひときわ体つきが変わった。父アルドに似て、線の細かった体が、いつの間にかがっしりとした厚みを持つようになっている。いつの間にか、三人の中で頭ひとつ抜けて背が高くなっていた。前衛として立ち回る際にも、以前のような危うさはもうなかった。


ユリウスは、背丈こそさほど伸びなかったが、顔つきに幼さが薄れ、落ち着いた雰囲気を纏うようになっていた。詠唱破棄で放つ攻撃魔法の精度も、着実に増している。


そしてエレナだけは、相変わらず同年代の女性に比べていくらか幼い顔立ちのままだった。前衛として鍛え上げた体つきこそ逞しくなっていたが、顔だけがどこか置き去りにされている。


「ねえ、ローワン。私だけ全然変わってなくない?」


宿の洗面所の鏡を覗き込みながら、エレナが真剣な顔で振り返る。


「え……いや、変わってると思うけど……」


「どのあたりが?」


疑いの目をむけるエレナに、ローワンが少したじろぎつつ答えた。


「えーと……目つきとか……?」


「そういうのじゃなくて! ユーリだって最近、大人っぽくなったってよく指名くれる依頼主の人に言われてたのに、私は未だに『可愛いお嬢さん』って言われるんだよ!?」


「ハーフエルフだから、成長が人間よりゆっくりなのかもね」


「えーっ、そんなことあるかなぁ……? なんかそれはそれで複雑……」


「別に、悪いことじゃないと思うけど。エレナはエレナだし」


さらりと返されたその一言に、エレナは一瞬きょとんとした後、頬をほんのり赤らめた。


「……まあ、そうだけど……」


エレナはそれ以上何も言えず、誤魔化すようにぷいと顔を背けた。本人はさほど深刻に気にしていたわけでもなかったが、時折こうして鏡を覗いては首を傾げるのが、いつしか日課になっていた。


北方関連の依頼が中堅・上級パーティーの手を奪い続けるせいで、月見草の灯火のようなD級パーティーにも、以前は縁のなかった規模の依頼が回ってくるようになっていた。翡翠の剣や紅蓮の牙と肩を並べて合同作戦をこなすことも、もはや珍しくない。


「よぉ、また会ったな」


顔を合わせるたび、ダードは決まってそう声をかけてきた。その口調に、もう驚きの色はない。半年前まで新人だった三人と共に戦うことは、彼にとってすっかり当たり前になっていた。


紅蓮の牙とも、以前より格段に気安い間柄になっていた。


「よぉ、月見草。今日も稼がせてもらうぜ」


依頼の集合場所で片手を上げるガレットに、体つきの変化はもう見紛いようがなかった。以前より一回り大きくなった肩に、リリーの鍛錬の跡が刻まれている。


「ガレット、また大きくなった?」


「おう、分かるか? メイスも大剣も軽く振れるようになったんだぜ」


得意げに胸を張るガレットの隣で、槍を担いだドニーが軽い調子で口を挟む。


「そのぶん飯代がえげつねえんすよ、コイツ。稼いだそばから胃袋に消えていくんだから、笑えねえ」


「うるせえ、育ち盛りなんだよ」


軽口を叩き合う二人の後ろで、フィンが弓を背負い直しながら、静かに指示を飛ばした。


「配置は前と同じでいい。ガレットが前、ドニーが中衛、俺は後ろから見る。今回は合同だから、ドニーは前に出過ぎず俺とユリウスの護衛を兼ねてくれ。その分、ローワンは前に出ていい。エレナとガレットへの指示は、ある程度ローワンに任せる」


以前の彼なら、こういう場面でもどこかユリウスを意識した張り合うような物言いを挟んでいたはずだった。今はもう、必要な指示だけを、必要なだけ口にする。その変化に、ユリウスは小さく目を細めた。


「フィン、随分と板についてきましたね」


「……別に。誰かさんに追いつこうと、必死なだけだ」


素っ気ない返事の奥に、以前ほど尖った対抗心はもうない。代わりにあるのは、自分の役割を見定めた者だけが持つ、静かな落ち着きだった。


————————


夏の気配が近づいたある日、ギルドの受付でエレナたちを迎えたミラが、掲示板を一瞥して小さく肩をすくめた。


「北方関連、また増えてるわね。……もう、見慣れた光景になっちゃったけど」


「半年前にこんなに一気に依頼が来てたら、絶対慌ててたのにね」


「まあ、それだけ日常になっちゃったってことよ」


ミラは苦笑しながら、依頼票の束を軽く整えた。


「上の人たちが何を協議してるのかは、相変わらず私たちには教えてもらえないけどね。ただ……前より、役人の出入りが多くなってる気はするわ」


その言葉に、ユリウスは思案するように黙り込んだ。


「情勢が、また一段階進んでいるということでしょうね」


「かもね。まあ、今のところはあなたたちには関係ない話よ。せいぜい、依頼をこなして稼ぐことだけ考えてなさい」


からかうように笑うミラに、エレナが元気よく頷いた。


「うん、任せて! 今日も張り切って稼ぐぞー!」


ギルドを出ると、外はすっかり初夏の陽気だった。半年前、雪の中を歩いた同じ道を、三人は変わらぬ足取りで歩いていく。


ただ、その空の下に広がる北の方角だけが、以前よりも少しだけ、重たい色を帯びているような気がした。

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