Ep.2-14 北風
ギルドの掲示板に、見慣れない依頼票が並び始めたのは、年の瀬も押し迫った頃だった。
「〈北方国境沿い、物資輸送護衛・D級可〉……あれ、こういうのって前はC級以上限定じゃなかったっけ」
エレナが首を傾げると、隣で依頼票を見ていたミラが苦笑した。
「そうなのよねえ。最近、北方関連の依頼が急に増えてて。人手が足りなくて、D級にも門戸を開かざるを得なくなったみたい」
「そんなに大変なことになってるんですか?」
ローワンが尋ねると、ミラは声を落とした。
「詳しいことは私も聞かされてないけど……ここ最近、北方から戻ってくる中堅・上級パーティーが、以前よりずっと少ないのよね。みんな向こうに長く留め置かれてるみたい」
少し声を潜め、ミラは続けた。
「私たちには教えてもらえないけど、ギルドの上の人たちは、国と色々協議してるみたいよ。何度か、見慣れない役人が支部長のところに出入りしてるのも見たし」
「噂の類は、何か出回っていないんですか?」
ユリウスが尋ねると、ミラは苦笑した。
「そりゃもう、色々とね。魔族の大軍がもうすぐ国境を割るとか、いや実はもう食い止めて反撃に転じてるとか……冒険者同士の噂話は尾ひれがつきすぎてて、どれが本当なのか、正直私にも分からないわ」
その言葉に、ユリウスの表情がわずかに険しくなった。
「……人が足りないから、枠を広げて数を確保する。それ自体は、理屈としては分かります。ですが」
「ですが?」
「この1年で、北方事情が少しずつ不穏な雰囲気になっていますよね。外征部隊の一部帰還、北方面の物流の滞り……隣国からの人口の流入も続いていると聞きます。あの頃から続く流れが、ここに来てさらに一段階、深刻さを増しているように思えます」
淡々とした口調の奥に、いつもとは違う重さがあった。エレナとローワンは顔を見合わせたが、それ以上突っ込んで尋ねることはしなかった。ユリウスの勘は、確証がない限り深追いしない類のものだと、二人ともよく知っている。
「まあ、私たちにできるのは、目の前の依頼をこなすことだけですね」
「そうだね。……とりあえず、この護衛依頼、受けてみる?」
「ひとまずは賛成です。D級で受注可能な護衛依頼としては、比較的割の良い依頼であることは間違いありません」
――――――――
その依頼で顔を合わせたのは、翡翠の剣だった。
「よぉ、また会ったな」
ダードが片手を上げて出迎える。マルタとヴィート、レンゾの姿もあった。
「北方関連の依頼、翡翠の剣も受けてたんですね」
「ああ。……まあ、こういう時こそ、経験のある奴が数をこなさねえとな」
言葉少なに答えるダードの表情には、いつもより張り詰めたものがあった。
護衛対象は、北の国境沿いの砦へ向かう物資の隊列だった。
馬車の脇を歩きながら、ローワンがふと疑問を口にした。
「こういう軍関係の護衛任務って、軍の兵士がやるわけではないんですか?」
「うん? 護衛ってのは、何から荷物を守るんだ?」
ダードが問い返す。
「魔物、ですか?」
「そうだな。軍の兵士ってのは基本的に対人戦の訓練をしてる。魔物を相手にするなら、慣れてる冒険者の方が向いてるってわけだ」
理屈の通った説明に、ローワンは納得しかけたが、ダードはそこで声を落とした。
「……というのが、表向きの答えだな」
「表向き、ですか?」
「実際には、護衛に回す余裕すら惜しいくらい、人が足りてねえんだろうさ。軍の作戦がどんなもんかは知らねえが……おそらく、当初の想定より戦線が広がっちまってる。そうでもなきゃ、わざわざ高い金払って長期間冒険者を使ったりしねえ」
もっともらしい推測に、三人は言葉を失った。ダードは前を見据えたまま、それ以上多くを語らなかった。
(それはつまり、これまで護衛業務にあたっていたような前線経験の少ない兵士まで前線に駆り出されているということで、状況は思ったよりもひっ迫しているのかもしれませんね……)
ローワンとダードの会話を聞いていたユリウスは、この先の予想を巡らせていた。
ここまでの道中、大きな戦闘こそなかったものの、警戒すべき痕跡がいくつも見つかっていた。獣ではない何かが通った跡、燃やされた形跡のある小規模な野営地。誰も口には出さなかったが、七人の間に流れる空気は、これまでの依頼とは明らかに違っていた。
「――何か来る」
ヴィートが低く呟いた声に、全員が即座に反応する。
木立の奥から現れたのは、痩せこけた狼型の魔物の群れだった。数は多くないが、統率された動きで隊列を狙っている。
「エレナ、右! ローワン、後方の警戒を!」
ダードの指示に、エレナの矢が即座に応じる。ユリウスとレンゾの魔法が交差し、ダードとマルタが前衛で押し留める。連携は、以前よりもさらに滑らかだった。
弓を構えたエレナを追い越すようにレンゾの魔法が生成した礫が飛び、同じ敵個体に命中した。
「すまん、被った!」
「大丈夫!」
(レンゾさん、前一緒にやったときより遥かに発動が早くなってる!)
戦闘そのものは、さほど長くは続かなかった。だが、終わった後の空気には、以前のような達成感だけでなく、どこか張り詰めたものが残っていた。
「……北方、思ったより荒れてそうですね」
護送を終え、帰路につきながらローワンがぽつりと呟いた。
「ああ。……まあ、俺たちみたいなのがしょっちゅう駆り出されるくらいには、な」
ダードは短く答えただけだった。それ以上の詳しい話は、誰の口からも出てこなかった。
――――――――
依頼を終え、ギルドへの報告を済ませたところで、ミラが労うように声をかけてきた。
「お疲れ様。この短期間で、もう何件目?」
「数えてないけど、結構受けたよね」
「月見草の灯火の評判、随分と広まってきてるわよ。翡翠の剣と肩を並べて見劣りしないなんて、って他の職員たちも話してたわ」
「光栄です」
「D級とは思えない安定感だって評判よ。この調子なら、次の昇格もそう遠くないんじゃない?」
からかうような笑みに、エレナは照れくさそうに笑った。
――――――――
その夜、宿への帰り道。
冷たい風の中、白いものがちらほらと舞い始めていた。
「……なんか、あっという間の一年だったね」
エレナがふと空を見上げて呟いた。
「冒険者になったばっかりの頃なんて、ゴブリン一体倒すだけで大騒ぎしてたのに」
「懐かしいですね。紅蓮の牙と最初にやり合った時なんて、お互いにあんなに肩肘張ってたのに」
「今となっては、笑い話だよね」
「……ですが、油断はできません。北方の情勢は、私たちが思っているよりも複雑かもしれません」
ユリウスの言葉に、二人は頷いた。何が起きているのか、まだ誰にもはっきりとは分からない。それでも、確かなことが一つだけあった。
「まあ、何があっても、三人でなら大丈夫だよ」
エレナが屈託なく笑う。その隣で、ローワンとユリウスも自然と頷いた。
降り積もり始めた雪が、街の明かりを柔らかく照らしている。三人はその中を、変わらぬ足取りで歩いていった。
――――――――
ミレニア王国の北に、グランマルク公国という国がある。
かつて、この地はミレニア王国の一部だった。北方から押し寄せた魔族の侵攻を退け、国を救った一人の辺境伯。その功績によって、彼の治める北の辺境地は、公国としての独立を許された。
分家にしては、領土が広すぎる。独立から数十年、公国は北へ北へと版図を広げ続けた。魔族の勢力圏へ切り込むように進められた北征は、若い国に力と誇りをもたらした。
だが、栄光は長くは続かなかった。
拡大の勢いは、いつしか陰りを見せ始めた。統治の綻び。代替わりのたびに薄れていく建国の気概。かつての勢いを失った公国の姿を、魔族が見逃すはずもなかった。ここ数年、散発的な小競り合いは、組織立った南征へと姿を変えている。戦線は、着実に南へと下がり続けていた。
グランマルクは、ミレニアにとってただの隣国ではない。かつて自らの一部だった土地であり、今も血の繋がる分家の国だ。度々王家の子女が嫁ぎ、防衛の緩衝地帯としての役目も担ってきた。何より、グランマルクが崩れれば、次に魔族の牙が向く先は、ミレニア自身に他ならない。
見捨てるという選択肢は、初めからなかった。
公国からは、非公式に併合を望む打診すら届いていた。現国王は苦渋の決断として、北へ大規模な援軍を送ることを決めた。だが、長く戦のなかったミレニアの国軍は、国の規模に見合わぬほど小さい。徴兵も思うようには進まない。人員の不足は、傭兵団と冒険者ギルドへの依頼という形で埋め合わされることになった。
冒険者ギルドは、当初、前線での戦闘行為には関わらない方針だった。だが、現地に派遣されたA級冒険者の一部が、独自の判断で戦線に加わった。結果は――正規の兵士や傭兵を上回るものだった。
王国は、その成果に対して、契約を上回る報酬を即座に支払った。ギルドは、なし崩し的に対人戦闘の一部を容認せざるを得なくなっていく。
この事実を知るのは、まだギルドのごく一部の人間と、非公式に『S級』と呼ばれる、A級の中でも一線を画す一握りの冒険者だけだった。
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