Ep.2-13 遺産の大きさ
D級に上がってからというもの、依頼の質そのものが変わった。難易度が上がった分、報酬も以前とは桁が違う。討伐証明を提げてギルドに戻るたび、革袋の重みが以前よりずしりと増えている実感があった。
「そろそろ、装備を見直したほうがいいかもしれませんね」
ある依頼の帰り道、ユリウスがそう切り出した。
「今の依頼の危険度を考えると、以前の水準の防具では心許ないです。せっかく余裕もできましたし、この機会に一通り点検してもらいましょう」
「賛成! 冒険者はじめてから一度も見てもらってない弓も気になってたし」
「僕も、そろそろ剣を見てもらったほうがいいかも」
三人は連れ立って、裏路地の工房へと向かった。
――――――――
「おう、また三人揃って。今日は何の用だ?」
いつものように快く出迎えた親方に、エレナが事情を説明する。防具の点検、ローワンの剣の調整、そしてついでに、とエレナが差し出したのは、黒塗りの魔弓だった。
「そういえば、この弓、ちゃんと見てもらったことなかったなって。お母さんの形見だから、大事にしたくて」
「ほう、ヴィオラさんの……」
親方は弓を受け取ると、いつもの調子で光にかざした。だが、その表情が、次第に真剣なものへと変わっていく。
「……おい、嬢ちゃん」
「なに?」
「こいつは、どこの誰が作ったもんだ?」
「え、知らないけど……お母さんが使ってたやつだから、なんかそういう、エルフの技術?とかじゃないの」
親方はしばらく無言で弓を検分していたが、やがて小さく唸った。
「……こいつは普通の弓じゃない。いいか、弓ってのは弦を張りっぱなしにするもんじゃねえんだ。本体が歪んじまうし、弦もすぐ劣化しちまう。だから弦は普段は外しておいて、使う前に張るんだ。それに、月に1度は弦を交換する」
エレナはそれをきょとんとした顔で聴いていた。
「ここを見てみろ。本体と弦が一体化してそもそも外れねえ。この弦も素材が全く分からん。こいつはおそらく、使う奴の魔力を吸って自己修復する魔弓だろう。他にも何か効果があるんだろうが、俺が分かるのはここまでだ」
「そんなにすごいものなんですか?」
ローワンが覗き込むと、親方は複雑な顔で頷いた。
「すごいなんてもんじゃない。下手したらこの世に一本しかないかもしれん。……嬢ちゃん、こいつを普段使いしてるのか」
「うん、いつも」
事もなげに答えるエレナに、親方は何とも言えない顔をして、それ以上は深く追及せずに弓を返した。
「こいつは手入れは不要だ。そもそも、俺なんかがどうこう出来る代物じゃない」
その様子を、少し離れた場所からユリウスが黙って見ていた。
――――――――
工房を出て、宿への帰り道。
「エレナ」
ユリウスが、いつもと違う静かな声で呼び止めた。
「あの弓の件と合わせて、少し気になっていることがあります」
「なに?」
「……先日の誕生日、私にいただいた本のことです」
エレナの足が、わずかに止まった。
「あの専門書は、私の記憶が確かなら、大銀貨数枚では到底足りない値がついていたはずです。今日の弓の件と合わせて考えると……エレナ、あなたの経済状況について、私はこれまで正確に把握できていなかったのではないか、と思うようになりました」
まっすぐに向けられた視線に、エレナは観念したように小さく息を吐いた。
「……ばれた、か」
「やっぱり、何かあったの?」
ローワンも心配そうに顔を覗き込む。
エレナはしばらく黙っていたが、やがて覚悟を決めたように口を開いた。
「実は私、お金には全然困ってないんだ。父さんの遺した分と、お母さんの遺した分、合わせるとかなりの額になるらしくて。……お母さんの口座の額は見ないようにしてるから、はっきりした金額は、私もよく知らないんだけど……父さんの遺産より桁違いに多いらしくて……」
「……名誉騎士爵を叙爵された英雄の遺産よりも桁違いに多い、ですか……」
「父さんから、お金の怖さは聞かされてたし、言わないほうがいいかなって……」
エレナは苦笑した。
「だから、あんまり知られたくなかったんだ。みんなとの関係性が変わっちゃいそうな気がして」
その一言に、宿への道の途中、三人の足が自然と止まった。
「変わらないよ」
即座に答えたのは、ローワンだった。
「エレナがお金持ちだろうと、そうじゃなかろうと、僕にとってエレナはエレナだよ。それは変わらない」
「ローワン……」
真っ直ぐな言葉に、エレナが目を瞬かせる。
その隣で、ユリウスがまっすぐにエレナの目を見た。
「私たちが、信用できませんか?」
「……え?」
「大丈夫です。私たちは、命を預け合う仲間ですよ。私は、何があってもエレナとローワンを信用します。あなたが何を隠していたとしても、です」
商人らしからぬ、無担保の言葉だった。損得も、確証も、何も求めない言い切り。
「……ユーリ」
エレナの声が、わずかに震えた。
「損得勘定、しないの? ユーリらしくないよ」
「損得の話ではありません。……いえ、強いて言うなら」
ユリウスは、いつもの調子を取り戻すように、小さく咳払いをした。
「信頼できる仲間と共に在ることの価値は、どんな数字よりも高くつく、という話です」
「それ、結局損得勘定じゃん」
「当然です。大商人を目指す、商家の息子ですから」
エレナがくすりと笑うと、つられてローワンとユリウスも笑った。張り詰めていた空気が、少しずつ緩んでいく。
「ありがとう、二人とも」
エレナは、そう言って小さく頭を下げた。
「ずっと、隠しててごめんね。別に、二人を信用してなかったわけじゃないんだけど……なんて言うか、この話をすると、パーティーの空気が変わっちゃう気がして、怖かったんだ」
「そのお気持ちは分かります。……ですが、もう大丈夫ですよ」
「うん。これからは、隠し事なしね」
ローワンの言葉に、エレナは大きく頷いた。
――――――――
宿への道すがら、少し軽くなった足取りで、三人は他愛のない話を続けていた。
「そういえば、お母さんの遺産って言ったけど、私、父さんとお母さんの借金は今も相続してるんだよね。資産があるなら、それで完済しちゃえばいいのに、って思われるかもだけど」
「やはり、そうしないんですね」
「これは父さんとお母さんが愛し合っていた証だから。自分の手で完済することに、意味があるんだ」
以前にも聞いた台詞を、エレナは変わらぬ調子で繰り返した。ローワンは、ふとその横顔を見つめながら、何気なく口を開いた。
「そういえば、エレナって、自分のお父さんのことは『とうさん』って呼ぶのに、お母さんのことは『おかあさん』だよね?」
「……あれ? ほんとうだ」
言われて初めて気づいたように、エレナは目を丸くした。
「なんでだろ?」
しばらく首を傾げていたエレナだったが、やがて何かに思い当たったように小さく笑った。
「あ、そっか。父さんが私にお母さんのこと話すときの呼び方が『おかあさん』だったから、かな。父さんは自分のこと『父さん』って言ってたし」
「なるほど、無意識にお父さんの呼び方をそのまま真似ていた、ということですね」
「そういうことになるのかな。今の今まで、全然気づかなかった」
「エレナらしいね、それ」
からかうようなローワンの一言に、エレナは唇を尖らせた。
「なんかそれ、馬鹿にしてる気がする!」
「僕はただ、気になったことを口にしただけだよ」
軽口を叩き合う二人を眺めながら、ユリウスは静かに息を吐いた。
隠し事のなくなった三人の間に、以前よりも確かな何かが満ちている。それが何なのか、言葉にするまでもなく、三人とも分かっているようだった。
冬の澄んだ空の下、三人は変わらぬ足取りで、宿への道を歩いていった。
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