Ep.2-8 それぞれの成長
数ヶ月が過ぎた。
北の情勢は、相変わらず不穏な噂を伴いながらも、王都の暮らしに大きな波乱をもたらすことはなかった。だが、ギルドの内側では、静かな変化が進んでいた。
北方に近い国境沿いへ、腕利きの中堅・上級パーティーが次々と徴用されていく。国が軍を増強する一方で、間引きや小規模討伐といった地道な依頼は、行き場を失いつつあった。その皺寄せは、王都に残るパーティーたちに回ってくる。とりわけ、実績を着実に積み上げていた月見草の灯火のもとには、以前とは比べ物にならない量とペースでギルドからの「お願い」という名の依頼が舞い込むようになっていた。
「今月、もう討伐依頼、何件目だっけ」
宿への帰り道、エレナが指折り数えながら首を傾げた。
「これで七件目ですね。先月は五件でしたから、ペースは上がっています」
「よくそんな数字、すぐ出てくるね」
「記録していますので」
涼しい顔で即答するユリウスに、ローワンが苦笑した。
――――――――
その成長は、それぞれ違う形で、確かな輪郭を伴って現れ始めていた。
森の奥、逃げ惑う商隊を襲っていた牙猪の群れを相手にした日のことだった。統率個体と思しき一際大きな個体が、悲鳴じみた咆哮とともに突進してくる。以前のエレナなら、迷わず距離を取り、弓を構えていたはずだった。だがその日、彼女の身体は考えるより先に動いていた。
弓に矢をつがえる暇すら惜しみ、腰のショートソードを抜き放つと、まっすぐに突進の軌道へと踏み込む。牙猪の巨体が目前に迫った刹那、エレナはわずかに身を沈めて突進をかわしざま、勢いを乗せた斬撃を首筋へと叩き込んだ。巨体がその場にどうと崩れ落ちる。
「うわっ、ギリギリ……!」
離れた場所から見ていたローワンが思わず声を上げたが、当のエレナ自身は息一つ乱していなかった。荒く息を吐く周囲の牙猪たちを見渡し、次の的を探すように視線を巡らせている。
「……前だったら、絶対弓使ってたよね、今の」
戦闘が終わり、残る雑魚を片付け終えたところで、ローワンが呆れ半分、感心半分の声で指摘した。
「うん。でも弓ってある程度大きさがあって硬い敵だと、勢いは殺せないんだよね。相手のほうが足が速くて距離を取り切れないなら、はじめから弓じゃなくて剣を抜いたほうが安全なんだ」
「なるほど……僕にはまだちょっと無理そうだな」
「そうかな? ローワンもちゃんと剣振れてるし、出来そうだけど……」
エレナからの意外に高い評価に、ローワンが嬉しそうに口元を緩めた。
「逆に遠距離の攻撃方法を練習するといいかもね。スリングとかかな?」
「たしかに、後衛側につくほうが多いもんね……スリング、練習してみようかな」
「使ってないのあるから、帰ったらあげるね」
周囲を警戒しつつあつまったユリウスが、付け加えた。
「ローワンは無理をしなくていいと思います。エレナも、いずれ想定外の一撃で足元をすくわれないよう、気をつけてくださいね」
「はーい」
軽く受け流す返事は、しかし以前より確かに、迷いのない足取りに支えられていた。
――――――――
別の依頼では、荒れ果てた廃坑の奥に潜む魔物の巣を探る任務があった。地図もろくに残っていない坑道は、行けども行けども似たような分岐が続き、並のパーティーなら方向感覚を失いかねない難所だった。
だが、ローワンの足取りに迷いはなかった。
「この先、おそらく三十歩ほどで開けるね。空気の流れからして、奥に大きな空間があるはず」
「よくそんなの分かるね」
「壁の湿り気と、風の抜け方を見てれば、大体……あ、ここ、床が少し崩れかけてる。踏み抜かないように、右端を通って」
事もなげに告げるローワンの指摘通り、進んだ先の床は、確かに薄く罅割れていた。危うく踏み抜きかけたエレナが、慌てて足を引く。
「うわ、危な……ありがとローワン」
「気づけてよかった」
坑道の奥、開けた空間に踏み込んだところで、複数の魔物の唸り声が反響した。ローワンは瞬時に足を止め、片手を上げて二人を制した。
「……数が想定より多い。少なくとも八体はいる。左手の窪みに三体、正面の暗がりに残り、かな」
「え、この暗さでそこまで分かるの?」
「静かに……気配と、微妙な音の反響で」
言うが早いか、ローワンは即座に判断を下した。
「先に左の三体を各個撃破しよう。正面はまだこっちに気づいてない。エレナ、ユーリ、いける?」
これまでの彼なら、判断はエレナやユリウスに委ねるのが常だった。だがこの日、指示を出したのはローワン自身だった。二人は一瞬顔を見合わせたが、すぐに頷いた。
「了解!」
「異存ありません」
ローワンの読み通り、奇襲は完璧に決まった。戦闘を終え、坑道を後にする道すがら、ユリウスが感心したように呟いた。
「ローワン、いつも通り索敵も的確でしたが、今日はそれ以上に指揮が冴えてましたね」
「い、いや、そんな大層なものじゃ……」
謙遜する声は、しかし以前ほど頼りなくは響かなかった。
「普段私が指示を出すことが多いですが、先ほどのような見通しの利かない場所では、指揮はローワンにお願いしたほうが良さそうですね」
――――――――
そしてユリウスもまた、着実に変わりつつあった。以前は閃光や霧といった補助魔法が中心だった彼の手札に、今では直接的な攻撃魔法が加わっている。
きっかけは、ある依頼での不覚だった。霧の魔法で視界を奪ったはずの敵の一体が、予想を超えて素早く距離を詰めてきたことがあった。とっさに繰り出した閃光は間に合わず、エレナが庇いに入って事なきを得たものの、ユリウスはその夜、宿の裏庭で一人、遅くまで杖を振り続けていた。
「私は、このパーティーの編成の都合上、魔法使いとしては極端に前衛に近い位置で闘っています。いざという時に自分を守るために、直接闘う術を増やさなければなりません」
翌朝、寝不足の目元を隠しもせず、彼はそう説明した。それから数週間、依頼の合間を縫って、詠唱破棄による攻撃魔法の実戦投入を、地道に重ねていった。
「――貫け」
短い一言とともに放たれた氷の槍が、逃げる魔物の脚を正確に射抜く。詠唱を極限まで切り詰めたその一撃は、既に見様見真似の域を超えていた。
「ユーリ、また新しいのできるようになったの?」
「新しいというか、ただの応用ですね。規模と距離を制限し、位置指定の精度を上げ、発動にかかる時間を限界まで短くした、というだけです」
さらりと答えるユリウスだったが、その眼差しには、以前にはなかった実戦者としての落ち着きが宿っていた。かつては机上の計算で組み立てていた戦術に、今では実際に振るった魔力の手応えが伴っている。
「どんどん成長してるね。この間はローワンに並んで闘ってたし」
「ええ。下手に後ろで孤立するより、一緒に前に出たほうが安全な場合も多いと気づきました。そのためには、私も直接的な攻撃や防御が出来る必要があります。しかし私はエレナやローワンのように剣で戦うのは向いていませんから、魔法でどうにかしなければなりません」
それを出来るのがどれほど凄いことなのか、この時は本人すら正確には分かっていなかった。
――――――――
ある日、ギルドの掲示板の前で、エレナが難しい顔をしていた。
「〈オークの群れ、討伐依頼・D級相当〉……これ、ちょっと荷が重いかな」
「ひとつ上の級なので、私たちが単独で受けるには、ギルドの審査が要りますね。オークは個体の力も知能も、ゴブリンとは一線を画します。群れとなれば尚更です」
ユリウスが依頼票を覗き込みながら考え込んでいたところで、聞き覚えのある声が割り込んだ。
「よぉ、月見草。奇遇だな」
振り返ると、ガレットが依頼票を片手に立っていた。後ろにはドニーとフィンの姿もある。
「あ、紅蓮の牙! もしかして、それも同じ依頼?」
「ああ。ちょうど今、俺たちも同じの見てたとこだ」
以前より一回り逞しくなった体つきで、ガレットが不敵に笑う。腰には以前の大剣ではなく、扱いやすさを優先したのか、やや短めの得物と小ぶりのメイスが下がっていた。
「単独でもそろそろいけるとは思ってたが……お前らと合同なら、話は早い」
「フィン、それでいいの?」
エレナが尋ねると、フィンは眼鏡を押し上げながら、まっすぐに頷いた。
「合理的な判断だ。二パーティー合同なら、被害を最小限に抑えて確実に討伐できる。……お前らの実力は、既に知っている」
以前のような対抗心の色は薄く、代わりにあるのは、実力を認め合った者同士の落ち着いた信頼だった。
「よし、じゃあ決まりだね!」
――――――――
翌日、二つのパーティーは連れ立って森へと向かった。
オークの群れは、想定通り手強かった。個体の膂力は牙猪の比ではなく、統率された動きで連携を取ってくる。だが、六人がかりの布陣は、以前とは比べ物にならないほど噛み合っていた。
「フィン、右手から二体、こちらに引きつけます!」
「了解、こちらは正面を抑える。ドニー、右翼をカバーしろ!」
「合点承知!」
ユリウスの声に即座に反応するフィンの指示は、以前の意地の張り合いなど嘘のように的確だった。二人の連携は、まるで長年同じパーティーで戦ってきたかのように滑らかだった。
「ガレット、前出るよ!」
「おう、任せろ!」
エレナとガレットが同時に前へ出る。以前は力任せだった彼の剣筋は、無駄がなく研ぎ澄まされていた。数体のオークを相手に一歩も引かず斬り結ぶ姿は、もはやかつての粗野な前衛ではない。
「――ッ、ドニー! 右の死角に一体!」
ローワンの声に、ドニーの槍が瞬時に反応する。
「サンキュー、ローワン!」
戦況は、六人の連携によって着実に押し進められていった。最後の一体を、エレナの剣とガレットの一撃が同時に貫いたところで、森に静寂が戻った。
「……終わった、か?」
肩で息をしながら、ガレットが剣を下げる。
「ああ。全員、怪我もないようだな」
フィンが淡々と辺りを見渡し、それから小さく息を吐いた。
「ユリウス、悔しいが、お前らと組むと本当にやりやすいな」
「それは褒めていると受け取っても?」
「事実を言っているだけだ」
軽口を叩き合う二人に、エレナとローワンは顔を見合わせて笑った。
「紅蓮の牙も、随分強くなったね」
「お前らほどじゃねえけどな。……まあ、追いつくつもりで頑張ってるさ」
ガレットが不敵に笑うと、ドニーが横から口を挟んだ。
「にしても、最近やたら討伐依頼多くねーか? 俺らにもガンガン回ってくるようになった気がするけど」
「北方に人手を取られている影響でしょうね。空いた穴を、我々のような中堅以下のパーティーが埋めている、という構図だと思われます」
ユリウスが淡々と分析すると、フィンも同意した。
「そういうことだろうな。……この調子だと、双方ともに近いうちに昇格の目も出てくるだろうな」
「昇格……ほんとに?」
エレナが目を輝かせると、フィンは眼鏡を押し上げ、いつもの理屈っぽい調子で続けた。
「言っておくが、勝手に上がるものじゃないぞ。E級からD級への昇格には条件がある」
指を折りながら、フィンは淡々と説明していく。
「最低半年の活動期間、採取・討伐それぞれ十件以上の達成、そしてC級以上の推薦者が二名以上。……お前らなら、活動期間も件数も、とっくにクリアしているはずだ」
「あとは推薦だけ、ってこと?」
「ああ。……E級はよほど目立たない限り、ギルド側から能動的に功績を追いかけたりはしない。雑用専門で細々とやっている連中まで、いちいち面倒は見きれないからな」
「じゃあ、このままだと放っておかれるってこと?」
「放っておかれる、というのとは少し違う。推薦さえ集めれば、審査自体はすぐに通るだろう。……研修の時のメンターに頼んでみたらどうだ?」
「あ……ダードさんか!」
エレナがぽんと手を打つと、フィンはわずかに口の端を上げた。
「あの人なら、B級だ。頼めば、恐らく力になってくれるだろう」
「そっか……よし、今度会いに行ってみる!」
久しぶりに聞く名前に、エレナの顔がぱっと明るくなった。ローワンとユリウスも、顔を見合わせて頷き合う。
ガレットとドニーも、負けてられないという顔をしていた。
「俺らもメンター頼りの線でいってみるか?」
「でもリリーさん怖えんだよな……」
それを聞いたローワンは、あの人リリーっていう名前なのか、ちょっと似合わないかも、などと失礼なことを考えていた。
夕暮れの森を、二つのパーティーは連れ立って引き返していった。討伐の証明を提げた足取りは、誰のものも、以前より確かに軽やかだった。
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