Ep.2-2 伝説の娘
一応先に解説しておくと、ベルナルドが40歳くらいの頃にヴィオラの見た目は15,6歳程度にしか見えなかったため、フードで隠したエルフの耳に気づかなければ、ヴィオラをベルナルドの娘だと思う人がそれなりにいました。
「討伐系はまだ厳しいですし、今日もローワンに無理のない依頼を探しましょうか」
ギルドの掲示板の前で、ユリウスが依頼票を一枚ずつ確認していく。エレナも隣で腕を組み、難しい顔で掲示板を睨んでいた。朝一番のギルドは、依頼を吟味する冒険者たちでそこそこの賑わいを見せている。
「うーん、この前の薬草採取みたいな依頼、そんなに何個もないんだよねー」
「まあ、焦らなくても大丈夫ですよ。……あ、これなんかどうでしょう。〈古紙の整理・搬送〉、ギルド内部の事務仕事のようですね」
「地味ー」
「地味で結構です。安全第一ですから」
そんな話をしていると、少し離れた場所から声をかけられた。
「なぁ、お前ってベルナルドさんの娘なんだろ?」
振り返ると、年上と見られる男が、興味津々といった様子でこちらを見ていた。後ろには、同じパーティーらしき仲間が数人、様子を窺うように控えている。
「そうだよ!」
「あの噂って本当なのか? 娘も凄腕の魔法使いだってやつ……」
「え、なにそれ……? 私が父さんの娘なのは事実だけど、私魔法なんて使えないよ……?」
心当たりのない話に、エレナは首を傾げるばかりだった。男は拍子抜けしたように、後ろの仲間へと振り返る。
「ほらー! やっぱ違うじゃん! 伝説は結局噂でしかないってことだよ」
「伝説?? 私、伝説になってるの? あはは、まだ正式に冒険者になってから討伐クエスト一回出ただけだよ」
「わりぃ、こいつがなんかそういう話をベテラン連中から聞いたっていうからさ。気にしないでくれ」
「ううん、面白い話ありがと」
からりと笑って手を振ると、男たちは頭を掻きながら去っていった。エレナはその背中をしばらく見送ってから、隣のユリウスに笑いかけた。
「私、魔法なんて使えないのにね」
「魔法は、誰でも使えますよ。大きな魔法はともかく、火種の魔法など基本的な魔法は、正しく詠唱を覚えれば誰でも使えます」
「え、そうなの?」
「そうですよ。もちろん、戦闘で使えるほどとなると才能が要りますけどね」
いつもより少しだけ得意げな顔で、ユリウスが続けた。
「教えてよ、火種要らなくなるの便利じゃん!」
「それ、僕も使えるようになるの?」
「ローワンも、です。どうせ討伐クエストを控えている状況ですし、練習してみますか?」
「面白そう! やろう!」
――――――――
その日の午後、宿の裏庭に三人は集まっていた。洗濯物の乾いた匂いが漂う中、井戸端の少し開けた場所に、三人で輪になるように腰を下ろす。
「まずは基本の詠唱からです。……〈小さき火、来たれ、その粒、ここ〉」
ユリウスが唱えると、指先に小さな火の玉が灯った。特に気負った様子もない、慣れた所作だった。火は五秒ほど宙に浮かび、やがて役目を終えたようにふっと消えた。
「おー、これが火種の魔法……。なんか変な文章だね」
「詠唱とはそういうものです。ですから、複雑な魔法となると、記憶力も必要となります」
「じゃ、次は僕の番だね」
ローワンが緊張した面持ちで、教わったばかりの詠唱を口にする。だが、何度繰り返しても、指先には何も現れなかった。発音を確かめ、姿勢を正し、もう一度。それでも指先は、いつもと変わらない、何も宿らない指先のままだった。
「……あれ、おかしいな」
「うーん、詠唱の言葉自体は合っているんですが……」
首を捻ったユリウスが、少し考えてから続けた。
「普段話す感じとの発音の違いを意識してみてください。独特の文章になっているのには意味があるんです。私が発音しているのを、そのまま〈音を真似する〉ように口に出してみてください」
言われた通り、ローワンは今度は言葉の意味を追うのをやめ、ユリウスの発音の抑揚や間まで、そっくりそのままなぞるように詠唱を繰り返した。
「〈小さき火、来たれ、その粒、ここ〉」
指先に、ほんの一瞬、赤い光が灯りかけた。だが、それもすぐに、燻るように消えてしまう。
「あ、今、ちょっと……!」
「発動しかけましたね。その感覚を覚えておいてください」
期待を込めて、ローワンは何度も同じ詠唱を繰り返した。だが、それ以上の反応は、指先に現れなかった。何度目かの空振りの後、自分の手のひらをじっと見つめる。
「僕、才能ないのかな」
「そんなことはありませんよ。さきほど、確かに反応はありました。魔力をちゃんと持っている証拠です。詠唱を練習すれば、必ずできるようになります」
ユリウスはそう断言し、ローワンを慰めた。迷いのない、確信に満ちた声だった。
「よーし、次私!」
エレナが張り切って前に出る。教わったばかりの詠唱を、あっさりとした調子で唱えた。
「〈小さき火、来たれ、その粒、ここ〉」
指先に、ぽっと小さな火が灯る。
「あ、ついた!」
「……初めてで、一発で成功、ですか」
ユリウスが目を丸くする。エレナは消えようとしている小さな火をしげしげと眺めながら、ふと呟いた。
「なるほどねー。この、頭の中で思い浮かんでくる道みたいなやつに、魔力が通るんだね」
何気ない一言だったが、ユリウスは息を呑んだ。
「……今、なんと?」
「え? だから、こう、さっきの詠唱を口で言うと、頭の中に思い浮かぶ何か道みたいのがあるでしょ? そこに魔力を通す感じっていうか」
「えー、僕そんなの思い浮かばなかった……。だから火が点かなかったのかなー?」
「……」
ユリウスはわずかな間考え込んで黙っていた。自身が数年かけて書物と自己鍛錬を頼りにようやく掴めるようになったイメージを、目の前の少女はたった一度の成功で、誰からも教わることなく当たり前のように言い当てている。誇らしいような、それでいて何か落ち着かないような感覚が、胸の奥でくすぶった。だが、それを言葉にする術を、今の彼はまだ持っていなかった。
「私の魔法、なんか変だった?」
「……いえ、大したことでは。むしろはじめからしっかり発動するのは素晴らしいです。もしかすると、エルフの血のおかげかもしれませんね。エルフは魔法が得意だと聞きますから」
「そうなの?」
「ええ、どこかでそう聞いたことがあります」
歯切れの悪い返事だったが、エレナは特に気にする様子もなく、火の玉を得意げに見せびらかしていた。
「じゃあ次、ほかのやろうよ!」
「そうですね……では、灯し続ける詠唱を試してみましょう。これは、先ほどのように自動的に消えるものではなく、明示的に消す詠唱を唱えるか、魔力が切れるまで灯し続けるものです」
「それ、何の役に立つの?」
「たとえば、簡易的な照明魔法の代わりにもなりますし、生木のようなすぐ火がつきづらいものに強制的に火をつけるというような用途もあります。そして一番の用途は、魔力量の測定ですね」
「どういうこと?」
「この魔法をどれだけ連続で使い続けられるかで、その人の魔力量がおおよそ推定できるんです。たとえば私なら、最後に測った時は一刻ほど保ちましたが、これは常人の三倍ほどにあたります」
自分の魔力量を言う時の誇らしげなユリウスの顔に、ローワンは思わず少し笑ってしまった。
「と、ともかく、詠唱は先ほどのものの変形で覚えられるのですぐだと思います」
再び教えてもらった詠唱を発音してみるものの、ローワンは変わらず魔法を発動させることが出来なかった。何度目かの後、諦めたように苦笑いを浮かべ、二人の様子を見守る側に回った。
――――――――
エレナとユリウスの二人が、それぞれ小さな火を灯し、静かにそれを見つめ続けた。
最初のうちは、他愛のない世間話をしながらの余裕あるものだった。だが、時間が経つにつれ、口数は少しずつ減っていく。井戸端に落ちる影が、じりじりと長さを変えていくのが分かるほどの時間だった。ローワンは途中から二人の顔を交互に見比べるだけになり、やがてそれも忘れて、ただ黙って成り行きを見守っていた。
いくつもの実例を見せていたため既に魔力がだいぶ減っていたユリウスは、半刻経ったころには多少のふらつきを感じた。額に浮いた汗を拭う余裕もなく、指先の炎を見つめる目つきが、次第に真剣なものへと変わっていく。
「……っと。……ここまで、のようですね」
消火の詠唱を行い、その場に座り込む。息を整えながら、隣のエレナへと目をやった。
彼女の指先の火は、変わらず穏やかに灯り続けていた。
半刻が過ぎても、エレナの顔に疲れた様子は微塵もない。普通の人であればもう魔力が切れて倒れてもおかしくない頃だが、エレナはそれどころか、退屈そうに欠伸まで漏らしている。頬杖をつき、指先の火をぼんやりと眺める横顔には、何かに耐えているような緊張感は欠片もなかった。
(……まさか)
ユリウスの背筋に、冷たいものが走った。自分が万全な状態でも一刻で限界だったのに対し、彼女はその半分の時間を、涼しい顔で追加で灯し続けている。しかも、まだ余裕がありそうな様子だった。
「エレナ、あなたの魔力量は――」
「うーん、もう飽きた!」
言いかけたユリウスの言葉を遮るように、エレナの指先の火が、ふっと消えた。
「魔法って地味だね。私はやっぱり、身体使うほうが好きかも」
心底つまらなそうに伸びをするエレナに、ユリウスは何か言いかけたが、結局そのまま口をつぐんだ。本人がこうも興味なさそうにしている以上、これ以上踏み込むのも野暮だろう。喉元まで出かかった問いを、静かに飲み込む。
「……そうですか。まあ、無理に続ける必要もありませんね」
「うん! それより、明日の依頼どうしよっか」
あっけらかんと話題を変えるエレナの横で、ローワンが所在なさげに肩を落としていた。
「僕だけ、結局最後まで使えなかったな……」
「大丈夫です、ローワン。詠唱さえ練習すれば、必ずできるようになりますから」
繰り返されるユリウスの慰めに、ローワンは力なく笑うしかなかった。
夕暮れの裏庭に、三人分の長い影が伸びていた。
エレナが消火の詠唱を当たり前のように破棄して行使していたことを、誰も気づかなかった。
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