Ep.2-1 半信半疑
怪我から三日が経ち、ローワンの傷は、日に日に落ち着きを見せていた。
「思ったより、治りが早いね」
食堂に降りてきたローワンが、包帯の上から自分の左肩をそっと押さえる。傷薬をたっぷりと塗り込んだそこは、まだ強く動かせば引き攣るような痛みが残るものの、初日の激痛が嘘のように和らいでいた。慣れない生薬の匂いにも、この三日ですっかり馴染んでしまった。
「アルドさんが連れてきてくれた薬師の腕がいいのかもしれません。私が知る生薬による治療より、明らかに治りが早いように見えます」
ユリウスが感心したように頷く。
「とはいえ、討伐系のクエストはもうしばらく無理でしょうね」
「うん……傷口は塞がったけど、まだ腕上げると痛みと違和感あるし……」
情けなさそうに肩をすくめるローワンの前に、エレナがずいと椀を差し出した。
「ほら、朝ごはん。ロゼさんに頼んで肉多めにしといたから」
「え、どうしたのエレナが持ってくるなんて……」
「いいからたくさん食べて。怪我人は栄養つけないと」
「エレナも同じ量食べてるよね?」
「気のせいだよ」
しれっと言い放つエレナに、ローワンは思わず笑ってしまった。この三日、エレナはことあるごとにこうして世話を焼きたがる。過保護と言えば過保護だが、それが彼女なりの罪滅ぼしなのだろうと、ローワンにはなんとなく分かっていた。
食事を終えたエレナが、思い出したように言った。
「じゃあ、次はあんまり体使わない依頼にしよっか。ちょうどいいのあるよ」
エレナの発案で、次の仕事は常設依頼の薬草採取に決まった。
――――――――
翌朝、身支度を整えた三人は、出発前にまずギルドへと立ち寄った。常設依頼とはいえ、受注の記録は先に通しておく必要がある。
「あ、エレナちゃんたち、おはよう」
カウンターの受付嬢が、いつもの人懐こい笑顔で迎えてくれる。
「おはよー! これ、常設のやつ受けたいんだけど」
依頼票を差し出すエレナに、受付嬢は帳面を確認しながら頷いた。
「〈指定薬草採取〉ね、はいはい。……あ、これ最近ちょっと需要増えてるみたいだから、多めに採ってきてもらえると助かるかも」
「そうなんですか?」
ユリウスが、いつもよりわずかに声を張って尋ねる。
「うん。これ、傷薬の生薬に使う材料なんだけどね、薬師組合からの発注が増えてるんだって」
「……なるほど、勉強になります」
殊勝に頷くユリウスの様子に、エレナが横目でにやりとした。
「ユーリ、心なしか声、いつもより高くない?」
「そ、そんなことはないと思いますが」
わずかに視線を泳がせるユリウスに、受付嬢は特に気にした様子もなく、にこやかに続けた。
「頑張ってね、三人とも。……あ、ローワン君、怪我はもう大丈夫?」
「あ、はい、おかげさまで」
「よかった。無理しないでね」
気さくに手を振る受付嬢に会釈を返し、三人はギルドを後にした。
「……ユーリって、お姉ちゃんいる?」
「いませんが」
答えを聞いた瞬間、エレナの口元がわずかに緩んだ。その変化を、ユリウスは見逃さなかった。
「……何が言いたいんですか」
わずかに目を細めてエレナを見据える。
「べつにー……ちょっと気になっただけ!」
「行きますよ、日が暮れる前に採取を終わらせないと」
話を切り上げ、足早に歩き出すユリウスの背中を、エレナとローワンは顔を見合わせて含み笑いのまま追いかけた。
――――――――
ギルドを出た三人が向かったのは、王都近郊の草原だった。
依頼票で指定されていた採取場所は、街道から少し外れた、日当たりのいい草原の一帯だった。山裾の森が近く、ごくたまに魔物が出ることもあり人があまり立ち入らず踏み荒らされていないため、薬草採取にはうってつけの場所だった。
「今日は、私とエレナが探してローワンに確認してもらい、私とエレナで採取するという役割分担で行きましょう」
「え、僕は確認だけでいいの?」
「当然です。肩を庇いながら長時間採取作業をするのは、まだ早いですから」
ユリウスがきっぱりと言う。エレナも大きく頷いた。
「そそ。私たちが採り方覚えるいい機会だと思えばいいよ。ローワンは判定係、よろしくね!」
有無を言わせぬ二人の様子に、ローワンは苦笑しながらも頷いた。
草むらにしゃがみ込んだエレナとユリウスが、それぞれ似たような葉の草を見つけては、抜かずにその場でローワンを呼ぶ。呼ばれたローワンが横からしゃがみ込んで確認し、合っていれば採り方を教え、間違っていれば首を振る――そんなやり取りを繰り返しながら、作業は進んでいった。
初めのうちは、二人が見つけてくる株も的確で、ローワンが「うん、それで合ってるよ。根元を柔らかく持って、潰さないように真っ直ぐ引き抜いて」と教えるだけの、拍子抜けするほど順調なペースだった。
「思ったより簡単だね、これ」
調子づいたエレナが、次々と草むらを指差しては声をかけてくる。だが、五株目を過ぎたあたりで、ローワンの反応が変わった。
「あ、それは違うよ。それ、多分ナス科の別の草。よく似てるんだけどね」
しゃがみ込んで覗き込んだローワンは、詳しく見るまでもなく、一目で即断した。
「見分け方があるんですか?」
ユリウスが興味深そうに尋ねる。ユリウスの目にも、それは依頼票の薬草と大差なく見えていた。ローワンは、地面に生えたままの草の茎に指先で触れてみせた。
「この薬草、依頼票にはシソ科の草って書いてあったでしょ? シソ科の茎って、断面が四角くて、指で触ると角ばってるのが分かるんだ。でも、これは丸い。葉のつき方も、こっちは互い違いについてるけど、シソ科のはだいたい対になって生えるから。見た目は似てるけど、たぶん別の草だと思う」
淡々とした解説に、ユリウスは目を丸くした。
「……そんな植物の細かい違いまで、よく知ってますね?」
「小さい頃から、宿の裏庭で香草育てるの手伝ってたからさ。植物の見分け方は父さんに教わったんだ」
「なるほど、しかし、そもそもアルドさんが宿屋のご主人としては物知りすぎる気がしますね……」
「そうかな?」
ローワンは特に気に留めた様子もなく、首を傾げるだけだった。ユリウスは一瞬、その反応に小さく引っかかるものを感じたが、それ以上は追及しなかった。
「……まぁ、興味深い方ですね、アルドさんは」
ユリウスの言葉をよそに、ローワンは黙々と採取作業を続けていた。父の物知りぶりに、疑問を差し挟んだことは、これまで一度もない。物心ついた時から、そういう父だったからだ。
「よし、じゃあ次!」
意気込んだエレナが、しばらくして草むらの一角を指差した。
「見て見て、これ、今度こそ完璧でしょ!」
覗き込んだローワンは、思わず苦笑した。指差された先には、青々とした葉に紫の小花をつけた、明らかに毛色の違う草が生えていた。
「……これ、ただの野花だよ。薬草とは全然別物」
「ええっ! 葉っぱの感じ、似てると思ったのに!」
「うーん、正直あんまり似てないような……」
ユリウスが首を傾げる。
「これが似てるって言われるとちょっと……」
ローワンが苦笑気味に呟いた。
そんなやり取りに、ユリウスがくすりと笑いを漏らす。
「エレナは戦闘の勘は鋭いのに、こういう細かい違いには無頓着なんですね」
「失礼な! 得意不得意があるだけだもん!」
軽口を叩き合いながらも、作業は着実に進んでいった。ローワンが正しい株を教え、二人が手際よく採取していく。慣れない作業に多少苦戦しながらも、籠の中身は少しずつ増えていった。
――――――――
籠が半分ほど埋まった頃、ふとローワンの視線が、地面の一点に留まった。
「……ちょっと待って」
しゃがみ込み、湿った土の上に残る、獣とも違う細長い足跡を指でなぞる。
「これ、魔物の足跡だと思う。土がまだ乾いてないから、そんなに時間は経ってない」
「え、近くにいるってこと?」
エレナが息を潜めて周囲を見回す。ローワンは足跡の続く方向へ視線を巡らせ、慎重に周囲の茂みを見渡した。風が止み、草の擦れる音すら聞こえなくなった草原に、三人の呼吸だけが妙に大きく響く。エレナとユリウスは、ローワンの索敵の邪魔にならないよう、音を立てないようにゆっくりと身構える。
しばらくの沈黙の後、彼の視線が、少し離れた茂みの一角で止まった。
「……気のせいかもしれないけど。あの茂み、なんか、こっちを見てる気配がする」
その言葉に、エレナとユリウスは顔を見合わせ、すぐにローワンのそばへと寄った。派手な動きはせず、あくまで自然な足取りを装いながら、しかし三人分の間合いを詰める。
その瞬間だった。
茂みが大きく揺れ、鋭い牙を剥いた大型の猫型魔物――牙猫が、エレナ目掛けて飛びかかってきた。
「――ッ!」
だが、エレナに動揺はなかった。採取のために手にしていたスコップに両手を添えて盾のように構え、爪の一撃をがきん、と受け止める。体勢を崩すことなく、そのまま腰のナイフを抜き放った。
「もらった!」
低い体勢から一閃、喉元を正確に切り裂く。牙猫は短い呻き声を上げ、そのまま地面に崩れ落ちた。
危機を脱した三人はそのまま構えは解かず、ローワンが続けての襲撃がないか念入りに周囲を見渡したが、怪しいところは見つからなかった。
静寂が戻った草原に、エレナがふぅと吐いたため息だけが二人の耳に届く。
「……危なかった。でも、ローワンが先に教えてくれたから、ちゃんと構えられた」
ナイフの血を布で拭いながら、エレナがローワンに笑いかけた。
「うん……間に合って、よかった」
ほっと胸を撫で下ろすローワンに、ユリウスも静かに頷いた。
「確信が持てなくても、まず伝える。……先日の取り決めが、早速役に立ちましたね」
「うん。ローワンが『気のせいかも』って言ってくれた瞬間、ちゃんと身構えられたもん。前の私だったら、絶対『大丈夫でしょ』で流してたと思う」
エレナが素直にそう言うと、ローワンは少し照れくさそうに頬を掻いた。
「……僕も、前だったら、気のせいかもって思っちゃったら、多分伝えなかったと思う」
三人はそれぞれに、小さな達成感を噛み締めながら、採取を再開した。
――――――――
夕方、薬草を無事に納品し終えると、ギルドのホールで聞き覚えのある声が耳に届いた。
「おい見ろよ、亜人の草パーティーが草とって来たぜ?」
初回の新人研修の時に見かけた新人パーティーの一人が、隠す気もなく嘲笑を浮かべている。エレナの表情から、一瞬だけ笑みが消える。
「……あぁ?」
低い声で割って入ったのは、追加の新人研修の申し込みに来ていた紅蓮の牙のガレットだった。後ろにはドニーとフィンの姿もある。
「てめえ、今の聞こえたぞ。こいつらは実力あるパーティーだ。お前らも冒険者なら、文句は実力を見せてから言え」
「実力あるって、根拠でもあんのかよ。俺らはまだ見たことねえけど」
新人の一人が、なおも突っかかるように言い返す。それに答えたのは、意外にもフィンだった。
「見たことないなら黙ってろ。俺たちは、見た」
眼鏡の奥の目が、珍しく真剣な色を帯びていた。
「研修でコボルトの群れを一掃した時だ。あいつの矢は一射も外れず、俺たちが束になっても敵わない速さで敵を屠っていった。索敵の判断も的確だったし、足止めの魔法に至ってはいつ詠唱したのかも分からなかったよ。……あの光景を目の当たりにした後じゃ、口先だけの中傷なんぞ、鼻で笑う気にもならねえ」
普段の皮肉屋らしい口調とは違う、淡々とした物言いだった。ガレットも、それに続くように腕を組む。
「フィンの言う通りだ。俺たちだって、あん時ボロ負けした側だからな。……悔しいが、認めるしかねえんだよ」
「そ、そうだそうだ! 俺たちのライバルにケチをつけるんなら、俺たちも敵だぜ!」
ドニーが便乗するように声を張り上げる。気圧された新人パーティーは、それ以上何も言い返せず、舌打ちをしてそそくさとその場を後にした。
「あはは、ありがと、紅蓮の牙!」
からりと笑って手を振るエレナに、ガレットは照れ臭そうに鼻を鳴らした。
「別に、お前のために言ったんじゃねえよ。……ただ、実力もねえのに調子こいてる奴を見ると、腹が立つってだけだ」
「充分だよ、ありがとう」
そう言って、エレナは変わらぬ調子で笑い続けていた。
宿への帰り道、ユリウスがぽつりと呟いた。
「差別心で相手を侮るようでは、魔物の見積りも正確にできないはずです。冒険者をやっていれば、いつか自身の身をもって愚かさを知るでしょう」
ユリウスの本音ではあったが、エレナにはそれが亜人差別を向けられたことへの慰めのように聞こえた。
「まあ、いつものことだよ。慣れてるって」
からりと返すエレナの声は、いつも通り明るかった。だが、少しだけ口数が減った彼女の横顔に、ローワンだけがそっと気づいていた。何かを言いかけて、けれど今はまだ、その言葉を飲み込んだ。
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