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第27話 顕現と業縁②



 コマの全身は、未だ痛々しいほどに切り刻まれていた。


 巨大な狼の姿はすでに失われ、元の人の姿へと戻ったまま、力なく地に倒れている。


 満身創痍という言葉では、到底足りない。


 フライヤはその身体に、静かに治癒魔法をかけ続けていた。


 魔法は、まるで患部を撫でるように、なぞるように。

 杖の先端から放たれる光は、必要最小限で、極めて精密だった。


 集中力は、一瞬たりとも揺らがない。


 フライヤの視線は、肉と血の境界を、正確に捉え続けている。


 その口元に咥えられたタバコは、すでにフィルターの根元まで燃え尽きていた。


 火はとっくに消えている。


 それでも彼女は、気づいていないのか、気にしていないのか。

 ただそこにあるものとして、処置を続けていた。


「───よし………腹部にかけての内臓は修復完了と…………次は───」


 淡々とした声。

 だが、その表情は、彼女の普段の軽薄さとはかけ離れていた。


 一つひとつ。確実に、緻密に。


 負傷箇所を確認し、修復し、次へ移る。


 その一連の動きは、医療行為というより、修繕を目指す制作工程に近い。


 それに彼女本来の美貌と端麗さに、研ぎ澄まされた集中が重なり、

 その姿は、優美な芸術家のようですらあった。


「あ、姐さん………」


 かすれた声が、処置の流れをわずかに揺らす。


 痛みと苦しみで意識を断ち切れずにいたコマが、

 朦朧《もうろう》としたまま、力なく腕を上げる。


 震える指先が、フライヤの腕を掴んだ。


「れは……俺はいいから、大将の加勢に………」

「アホ言いなさんな」


 集中力ゆえ、フライヤの額には汗が浮かんでいる。

 それでも彼女は、処置の手を止めない。

 だが即座に返された声は、思いのほか穏やかだった。


 普段の喧騒では考えられないほどの配慮をもって、

 彼女はコマに、柔らかな笑みを向けた。


「それに…………」


 ───その心配が、無用であると告げるために。

 フライヤは、患者を安心させるための、わずかな余裕をそこに添え、ゆっくりと顔を上げる。


「既に《《手遅れ》》よ」


 その視線の先───。

 はるか遠方で、異様なまでの粉塵が天へと巻き上がっていた。


 大地が削られ、空気が引き裂かれている。

 粉塵の内側では、まるでプラズマが発生しているかのように景色が歪み、

 雷光が断続的に走っていた。


 轟音が、遅れて届く。


 ───もはや、割って入れる段階ではない。


 その中心。

 渦中にある二つの影が、


 粉塵を幕にするかのように、巨大な輪郭となって浮かび上がっていた。




          * * *



 ───はるか天空。


 はるか大地より、かけ離れた場所。

 そこに浮かぶのは、巨大な“大地”。


 世界最大の召喚獣育成機関───。

 “空の牧場”スカイ・ファーム。


 数多の区画に分かたれた生態系。

 人の手によって管理されながらも、自然と協調と進化が、同時に息づく場所。


 その中央にそびえるのが、スカイ・ファーム中央棟である。


 さらにその内部。

 育成班、班長室にてグレン・フォードが、

 いつものように生物資料を片付けていた。


 書類を揃え、ファイルを戻し、机の上を“明日の自分が困らない程度”に整えていく。


 その動きは、終業時刻が近づくにつれ、露骨なほどに機敏になっていた。


 残業を極端に嫌う男である。

 仕事はきっちり終わらせるが、それ以上を職場に捧げる気はない。


 時計にちらりと視線を投げ、グレンは鞄を手に取る。


 ───と、その時だった。


 室内に、不意に電子音が鳴り響く。


 それは通常の内線ではない。

 緊急連絡でも、業務回線でもない。


 “特別性”のホットライン。


 その回線は、一つの場所にしか繋がっていない。

 そして、それを呼び出せる者も、たった一人しかいなかった。


 グレンは、深く息を吐く。


「………遠慮のない弟子ですね」


 嫌そうに呟きながらも、その声に本気の苛立ちはない。

 彼は受話器を手に取り、わざとらしく肩をすくめてから、耳に当てた。


「どうしました……?今日の修業はもう───」


『グレン班長!!!』


 言葉を言い切る前に、受話器の向こうから声が叩きつけられる。


 声の主はミコトだった。


 張り詰めた声。

 息が上ずり、切迫した焦燥が、そのまま音になっている。


 受話器越しであっても、その血相がただ事ではないことは、容易に伝わってきた。


 グレンは、即座に皮肉を引っ込めた。

 軽口を叩く余地はないと判断するには、十分すぎる温度だった。


「落ち着きなさい、どうしたんですか?」


 声を低く、ゆっくりと。

 相手の呼吸に、こちらのリズムを重ねる。


『ニアが………ニアが、急に暴れだして』


 その一言で、グレンは目を細め、眉間に皺を寄せた。


「レガシー・ギフトが?」


 問いかける。

 だが、その言葉は届いているのかどうか。

 ミコトは、返事を待たずに言葉を畳みかけてきた。


『それと、アンジュちゃんに全く繋がらなくなったんです!』


 一見すれば、“親”と連絡が取れず、“子”が荒れている───。

 どこにでもありそうな、家庭内の揉め事の報告だ。


 だが、グレンは笑わなかった。

 眉間の皺は、さらに深く刻まれる。


 胸の奥で、嫌な予感が、はっきりと形を持ち始めていた。


 そして───。

 グレンの脳裏によぎった、その言葉と同じ言葉を、

 ミコトが、震える声で口にする。


『“あの時”と同じです!』


 その瞬間、グレンの受話器を握る手に、力が籠もる。


 彼はただ、黙ってミコトの話に耳を傾ける。

 一言も挟まず、一音も聞き漏らさぬように。


『あの時、アンジュちゃんが危なくなってた時、同時にニアが暴れたんです』


 ───スカイ・ファーム、訓練区。

 アンジュとサカキが模擬戦を行っていた、あの日。


 追い詰められたアンジュ。

 そして、それに呼応するかのように荒れ狂ったニア。


 偶然では済まされなかった挙動。

 そして、結果として引き起こされた、あの“事件”。


 すべては、順風満帆に“一度起きている”。


『アンジュちゃんとニアに………魔力的な契約があるなら』


 ミコトの言葉が、次第に掠れていく。


『ニアのこの反応は、アンジュちゃんの身に……何かがあったとしか────』


 それが事実である可能性を、口に出すたびに、彼女の胸の奥が締め付けられていく。


 憶測───だが、根拠のない妄想ではない。

 だからこそ、ミコトの声は、はっきりと震えていた。


『信じてもらえないかもしれませんが』


 絞り出すように、ミコトは訴える。


「レガシー・ギフトの様子を見せてください」


 グレンの反応は、即座だった。


『───え?あっ、は、はい!!』


 相手が弱気になればなるほど、

 それに反比例するかのように、

 彼の態度は、より一層、毅然と切り替わる。


 グレンは堅実に、簡潔な指示を出し、

 ミコトは自室のカメラを起動させ、

 その映像を通話回線へと繋げた。


 映し出された、ニアの姿。

 グレンは、瞬時に視線を集中させる。


 ニアは、ガクガクガクと、

 小刻みに身体を揺らしていた。


 その小さな尾で、タンタンタンと無意識にテーブルを叩いている。


 一見すれば、

 苛立ちやストレスの発露にも見える。


 だが───。


(“転位行動”………恐怖や葛藤によるものか)


 グレンは、即座に判断する。


 本来向けるべき対象へ向けられない感情が、

 無意味な動きとして噴き出している。


 グレンの脳内で、思考が高速で回転する。


 言葉はない。

 ただ、観察と分析だけが続く。


 カメラの向こうで、

 ミコトは泣き出しそうな表情のまま、

 藁を掴む思いで、その沈黙を待っている。


 やがて───。

 グレンは思考を止め、短く息を吐いた。


「サカキ殿らとは、こちらから連絡をとる術《すべ》がありません」


 淡々とした事実の提示。


「貴方の《《通信機》》で呼び出せないなら、こちらからの連絡は不可能です」


『そんな………』


 ミコトの声が、沈む。

 希望が削がれていく音だった。


 ───その時。


 グレンの机の上で、別の無線が、鋭く鳴り響いた。


 緊急用───しかも、優先度の高い“班長同志を繋ぐ”回線。

 グレンは即座に受話器を取る。


『グレン、アンジュちゃんの件で話がある、すぐに所長室に来てくれ』


 声の主は、リゼだった。

 要件だけを告げ、通信は切れる。


 極めて端的。

 それは、リゼが“本当に急いでいる”時の話し方だった。


 ニアの異変と、アンジュの異変。

 双方が、同時に報告された現状に偶然性は感じられなかった。

 グレンは受話器を置き、迷いなく立ち上がる。


「貴方はアンジュさんを呼び続けなさい」


 グレンの視線はすでに、次の行動を見据えている。


「レガシー・ギフトに変化があれば直ぐに報告を」


『わ、わかりました』


 通話が切れ、ミコトは静かにニアを抱き抱えた。


 ニアの小さな身体は、まだ、かすかに震えている。


「アンジュちゃん………お願い………無事でいて」


 祈るように、それでも確かな意志を込めて、

 ミコトは指輪に向かって呼びかけ続ける。


 そう、ミコトだけが。

 この世界で。

 ただ一人。


 アンジュを“不死”として扱っていなかった。



          * * *



 場所は、スカイ・ファームの所長室。


 重厚な扉の内側には、

 所長、育成班班長グレン、訓練班班長のバジル、化学班班長のリゼ───。

 四人の姿が揃っていた。


 室内の照明は落とされ、

 一同の中心では、リゼが壁面に映像資料を投影している。


「アンジュちゃんに渡した、指輪ですが───」


 淡々とした口調。

 だが、その内容は、決して淡白ではない。


「彼女たち(ふたり)には内密で、アンジュちゃんの簡易的なバイタルを計っていました」


 一瞬、空気が張り詰める。


「アンジュちゃんとニア………いえ、レガシー・ギフトとの魔力的関連性がある以上、あの子の僅かな変化があの龍の心身に影響を及ぼすかもしれませんので」


 その説明に、グレンは無言で所長へ視線を向けた。

 所長はというと、「へぇ〜」などと、感心した様子で目を輝かせていた。

 その様子でグレンの視線は、鋭くリゼへと戻った。


「育成班《わたし》への報告もなしに───ですか?」

「まぁ独自研究ってやつさ」


 リゼは肩をすくめ、逃げるように、だが悪びれもせず言い流す。


「報告に足り得る成果が出たら、サプライズするつもりだったんだよ」


 だが、グレンの眼力は緩まない。


「………悪かったよ、メンゴ」


 科学者特有の軽い謝罪。

 感情よりも、事実を優先する態度だった。


「でも本題はそこじゃないんだ」


 そう言って、リゼは画面を切り替える。

 グレンは小さく息を吐き、腕を組んだ。


「これまでも、一時的な“即死レベル”の数値変動は、何度かありました」


「そしてこれが………先刻の計測した数値です」


 スクリーンに並ぶ、アンジュの過去の記録。

 次の瞬間───表示された数値に、一同は、言葉を失った。


「こ、これは───」


 異常を通り越したグラフに、グレンの声が、思わず漏れる。


「わずか十分足らずで───」


 リゼは、メガネを押し上げる。


「アンジュちゃんが、百数回、死亡しています」


 体温。

 血圧。

 脈拍。

 呼吸。


 それらを示す指標は、

 まるで狂気そのもののように、

 上下を行き来していた。


 目前の光景に、安定という概念が、存在しない。


「事故や捕食では、この数値はあり得ません」


 リゼの声は、冷静さを保っている。


「起因は明確に“知性を持った生物”です」


 その一言で、室内の空気が、重く沈む。


「彼女が不死と知り………」


 リゼの言葉が、一瞬、詰まる。


「知った上で、一方的に…………」


 合理と論理の塊であるはずのリゼでさえ、

 その結論には、声が震えた。


 数値だけで、

 ここまでの残虐性が出せるものなのか。

 誰も、すぐには言葉を発せなかった。


「モンスター・パニック・サービスがついている中で、それでも彼女の身に何かがあったとすれば───」


「ダムセクトか?」


 一同の思考を代弁するように、バジルが低く呟く。


「少なくとも“F”以上の個体と接触した可能性がある」


 リゼの声は、依然として冷静だった。


「“D”はありえねぇ」


 返す刀でバジルが、歯を噛み締めたまま続ける。


「───俺が、殺ったからな」


 短い断言。

 その裏にある確信が、場の空気をさらに重くする。


「サカキが出遅れる程の、まさか………」


 拳に力が籠もる。

 サングラスの奥で、怒りと焦燥が渦を巻いていた。


「………コーネリアス」


 その名が出た瞬間、

 室内の緊張が一気に走った。


 誰もが知っている。

 誰もが、口に出すことを避けてきた名。


 沈黙を切り裂いたのは、所長だった。


「連絡はつかないにしろ、彼らは今どこにいる?」


 初めて口を開いた所長の声色と表情は、

 いつになく、真剣だった。


「スカイ・ファームからの依頼の傾向から見て、おそらくゴウライ大陸かと………」


 答えながら、 所長の思惑に、気づいたグレンは、はっとする。


「ゴウライか………ちょうどいい」


 所長が、低く呟く。


 その一言に、グレンが思わず詰め寄る。


「所長………まさか?」


 所長は、間を置かず、断じた。

 それは、相談でも、確認でも、提案でもない。


 決定だった。


 事態は“個人の悲劇”として扱う段階を過ぎている。

 これは、災厄への対処だ。


 誰一人として、その判断を否定する者はいなかった。


「────“勇者”に出征要請を出す」



          * * *



 スカイ・ファーム観察区。


 スカイ・ファームの離れ小島の中の小さな小屋。

 その一室で、ミコトは膝を抱えて座っていた。


「ニア………大丈夫?」


 問いかけは、すでに何度目か分からない。


 だが、ニアは答えない。

 小さな身体を丸め、ガクガクと、 

 ただ小刻みに震えているだけだった。


 声を発する力すら、残っていない。


 ミコトは、そっとその身体を抱き寄せる。

 壊れものを扱うように、

 慎重に、慎重に、腕に力を込めた。


 目の前には、ニア。

 遥か彼方には、アンジュ。


 二人を案じ続けた心は、

 静かに、しかし確実に、摩耗していた。


(せめて───“あの時”にみたいに、アンジュちゃんの様子が視えたら)


 思い出されるのは、

 スカイ・ファーム訓練区での、あの模擬戦。


 別の地区にいたにもかかわらず、

 突如として、ミコトの視界に映り込んだアンジュの姿。


 理由は、今も分からない。

 分かるはずもない。


 だが───。

 ミコトと同じ不穏が、我が核の奥をざわつかせている。


「アンジュちゃん………」


 その名を呼ぶ声は、祈りにも似ていた。


 ミコトは、まだ部屋で膝を抱えているだけだった。

 震えるニアを抱き、ただ耐えている。

 腕の中のニアもまた───。


「ミイ………」


 ニアもまた、腕の中で震えているだけ。


 ───“だけ”で済むのなら。

 とっくに、この事態は終息している。

 どう考えてもこの状況を打開できるのは、この二人だけだというのに。


 おそらく───。

 アンジュの身には、ただならぬ危機が迫っている。


 不死であるなら、 命そのものが尽きることは、ない。

 

 だが《《ダムセクトの手に落ちる》》という事態は、

 あまりにも話が別だ。


 分が、悪い。


 ならば───。


 再び手を貸すことにしよう。


「あ………ッ?」


 ミコトの瞳が、揺れる。


 紫に染まっていた色が、

 深い癒やしの翡翠へと、静かに塗り替えられていく。


 次の瞬間。


 まるで糸に吊り上げられたかのように、

 ミコトの身体が、すう、と立ち上がる。


 重力に逆らうでもなく、

 抗うでもなく。


 ただ、導かれるように。


「あう…………あえ?あああぁ───」


 間の抜けた、情けない声。

 前回と同じだ。

 だが今は、その滑稽さに笑っている余裕はない。


 ミコトの両手に、転送魔術が発動する。


 構えた掌へと、魔力が収束していく。

 制御は甘いが。

 やはり、純粋な出力だけは一級品だ。


「これ……は?」


 彼女の中で、混乱と記憶が交錯する。

 身体は覚えているが、理解が追いついてない様子だ。


 転送とは。

 分解、圧縮。再構成。


 要はニアを分解し、アンジュの元で再構成すればよい。

 理屈としては、単純。

 それだけのことだ、実に容易い。


「あの時と……同じ……?じ、じゃあ───」


 ミコトの視界に映し出されたのは───。


 ニアの構造。

 魔力波長。

 再構築座標。


 必要な全てが、彼女の瞳に映り込んでいる。

 次は、標的。


「ニ、ニア………」


 転送魔術を纏った手が、

 震えることなく、向けられる。


 すべてを察したのは、

 むしろミコトのほうだった。

 顔色が、みるみる青ざめていく。


「─────ミ?」


 ニアはミコトを疑わない。


 逃げる素振りもない。

 警戒もない。

 ただ、見上げている。


 狙いやすい、あまりにも。

 それほどまでに、信頼とは無防備だ。

 美しくも、脆弱───。


「そ、そんな…………ダメ……」


 だが、止めるわけにはいかない。


 転送魔術が、完成する。

 光が、膨れ上がる。


「やめて………」


 感情が、追いつく。

 理解が、遅れて襲いかかる。


「やめてええええええええええ!!!」


 光が、放たれた。


 ニアを包み込み、

 輪郭を崩し、

 存在を分解する。


 次の瞬間。

 そこにあった小さな身体は───。

 跡形もなく、消えていた。


 その場に残響はなく、静寂だけが残った。

 魔力の残滓だけが、空気に揺らぐ。


 拘束を解かれたミコトは、その場へと崩れ落ちた。


「───そ、そんな」


 顔面は蒼白。

 震える瞳から、涙が一粒、落ちる。


 これは、介入ではない。

 干渉でもない。


 ただ───。


 “見守る者”が、少しだけ、前に出るだけの話だ。


 しくじるなよ───フェニックス。


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