第19話 不死身の少女と愚直な緋鬼
───かつて。
世界を震撼させた“鬼の一派”がいた。
彼らは人の姿を保ちながらも、どこか人の枠を逸脱していたという。
彼らは無礼にも、己らを“天弓神の代弁者”と名乗り、神の怒りを人の世へ告げる存在として、世界の果てまで縦横無尽に駆け抜けた。
人々は彼らを恐れ、憎み───やがて、ある国の勇者がその矛先を鬼へと向けた。
鬼たちは神をも恐れぬ咆哮で抗い、勇者たちは民の命を背負って刃を掲げた。
その戦いは世界の形すら変えた。
その光景は戦争ではなく、“滅び”そのものだった。
二転三転する激戦の果てに、勝敗は決した。
鬼の一派は勇者たちの光に呑まれ、生き残った者は散り散りに姿を消した。
───つまり、だれも証明できなかった。
彼らが本当に“滅んだ”のかどうかを。
数百年の時を経た今。
彼は、どこで、何を想い、どう生きているのか。
誰も知らない。
だが確かに───。
鬼の手に染まった血は、未だ世界のどこかで悲鳴をあげていた。
* * *
雲が重く垂れこめていた。
日はとうに登り切っているが、空は鈍く曇り、まるで世界そのものが息を潜めているようだった。
「───サカキ、ちょっと聞いてるの?サカキ!」
その静けさの中で、軽やかでよく通る声が響いた。
声の主はフライヤ・アークライト。
彼女の杖がをトントンと小気味よくサカキの肩を叩いている。
正面に座るサカキは、何度呼ばれても返事をしない。
その視線は、ぼんやりと宙を見つめていた。
どこか遠い記憶を見つめるように。
「サカキ!!」
「………ああ、すまない」
ようやく返った返事は、まるで夢の途中から引き戻されたような声だった。
フライヤはため息をつきながらも、ふと表情を引き締める。
「そろそろ、無視できないわ」
いつもの茶化すような笑みは消え、真剣な眼差しで一枚の紙を机の上に差し出した。
「ふむ………」
厚手の紙に押された封蝋は、モンスター・パニック・サービスへの依頼書だった。
* * *
《アナテマ・タリズマ討伐依頼》
依頼番号:No.006
依頼区分:討伐
対象生物:アナテマ・タリズマ
確認区域:ゴウライ大陸・南部/封域林帯
危険度:★★★☆☆
依頼内容:近頃、封域林帯にて異形の樹獣が確認されております。直接的な被害は報告されておりませんが、夜間に“不気味な瘴気”や“光る目玉”を見たという住民の証言が相次いでおり、町の治安維持および住民の精神安定のため、早急な駆除を要請します。見た目が非常に気味が悪く、子どもたちの通学にも支障が出ています。
報酬:金貨8枚
発行:ゴウライ大陸・南部/交易町治安組合
* * *
「────植獣?」
依頼書を覗き込んでいたアンジュが、首をかしげる。
聞き慣れない単語に、眉をひそめた。
「“植物由来”の生物のことよ」
フライヤが指先で資料を叩きながら答える。
「へぇ〜、草や木が動く感じ?」
「そんな可愛いもんじゃないわ。ウネウネでグネグネよ」
「そ、そうなんだ………」
全身を使って表現するフライヤにアンジュは乾いた笑いを漏らす。
モンスター・パニック・サービスへの依頼には、スカイ・ファームからの正式要請のほか、一般市民や自治体から直接寄せられるものも多くある。
そして今回の依頼は、後者からのものだった。
「でも“この国”の依頼書って凄いね!内容はさておき、量が………」
「ゴウライ大陸は広いからね、解決すればすぐさま次の依頼が生まれるわ、稼ぐにはうってつけの国なのよ」
彼女の指が指し示した世界地図には、ひときわ大きな大陸が描かれていた。
《ゴウライ大陸》───。
この世界で最も広く、最も乱雑な土地。
王国の統治も、遠くまで行き届かず、勇者一団が各地で奮闘しているが、広大すぎる土地ゆえに、いくつもの地域が“放任”状態にある。
それ故に、モンスターによる被害の数も非常に高く、頭を悩ませる村や町も少なくなかった。
そして、アンジュとモンスターパニック・サービスが最初に出会ったのも、まさにこの大陸の一角だった。
「でもアナテマ・タリズマの件は、早く来いって催促がすごいのよ」
フライヤが依頼書を掲げた。
魔力紙の表面には、淡く浮かぶ《至急》の文字。
理由欄には、《気味が悪い》
「気味が悪いって………それ、討伐理由になる?」
アンジュが眉をひそめ、紙を覗き込む。
小さく漏れたその声には、ほんの僅かな憂いが混じっていた。
「気が乗らないのであれば、今回は待機でも構わないぞ?」
隣で腕を組むサカキが、静かに待機を促してくる。
「い、いや行く! 連れてってくれ──サカキ《《さん》》!」
「………そうか、わかった」
違和感まみれの敬いと真っ直ぐな瞳でそう言われ、サカキはほんの一瞬だけ口元を緩めた。
* * *
ゴウライ大陸・南部───交易町。
石造りの街並みは美しく整い、討伐依頼を出すほどの切迫感など微塵も感じられなかった。
昼下がりの大通りには子どもたちの笑い声が響き、市場では果実と香草の匂いが風に混じっていた。
「………なんか、平和そうだね」
アンジュがぽつりと呟く。
「そうなのよ」
フライヤが杖を軽く押さえながら答える。
「………なんか、見られてるね」
アンジュが小声で呟く。
「そうなのよ」
フライヤが口の端を歪めた。
彼らがただそこに立つだけで、通行人たちは小さく身をすくめ、道を空けた。
誰も何も言わない───だか、視線が刺さる。
石畳を踏みしめるたびに、背後で小さな囁きが生まれる。
「あれが“駆除屋”か」
「見た?あの角………本物よ」
「目を合わせるなよ?」
笑い声が響く通りの中で、三人の周囲だけが不自然に静かだった。
まるで彼らの存在そのものが“不吉”であるかのように。
だが、サカキもフライヤもコマも、誰一人何も言わず、ただ真っ直ぐに歩く。たとえその背中に、見えない蔑みの視線が幾重にも突き刺さろうとも。
やがて、三人と一人の到着は、瞬く間に町中へ広まり、その波紋は静かな不安とともに広がっていった。
* * *
「随分と遅かったな」
「申し訳ありません」
案内された来賓室で、町長は開口一番そう言った。
サカキは黙って頭を下げ、深く腰を折る。
「とにかく、すぐにやってくれ」
町長の焦燥の混じった声が、部屋の中に響く。
「心得ております、ですがその前に───」
サカキがゆっくりと顔を上げる。
「アナテマ・タリズマは、前回の調査で生態傾向が完了しており、共存の余地があります。その検討は───」
(………共存?)
アンジュの心が一瞬ざわめいた。
「あ〜、そういうのはいいから。早く倒しちゃってくれ」
町長の部下が面倒くさそうに言い放つ。
「ですが───」
「いいからさっさとやってくれよ! 高ぇ金払ってんだからよ!」
苛立ったような男の声に、部屋の空気が冷たく揺れた。
(───この程度で?)
その横で、フライヤが小さく息を漏らす。
傍のコマは舌打ちの代わりに、わざとらしく欠伸をした。
「お前らは“駆除屋”だろ?頼まれたんなら駆除するのが仕事だろーが!」
「気味悪くて、夜も眠れねぇんだ」
「化け物退治は化け物にしかできねぇんだから、うまくやれよな!」
次々と浴びせられる言葉。
敬意を微塵も感じせさせない軽口に、アンジュは唇を噛み、拳を握り、胸の奥が、じりじりと熱を帯びていく。サカキの眉間にも、わずかなシワが刻まれた。
「………わかりました」
低く響く声。
その瞬間、部屋の温度がわずかに下がった。
鬼の声は穏やかで、それでいて圧倒的だった。
サカキは立ち上がり、静かに言葉を続けた。
「この依頼───我ら“モンスター・パニック・サービス”が正式に引き受けます」
* * *
依頼を引き受けたその足で、一行は町外れへと向かった。その間も軽蔑の視線は浴びる一方で、空気は湿り気を帯び、どこか重苦しい。
「フライヤ、君は───」
「わかってるわ、待機でしょ?」
「えっ?フライヤさん、一緒に行かないの?」
サカキの指示に即答するフライヤに、アンジュが目を丸くする。
「いやぁん、アンジュちゃん!私と片時も離れたくないのね?なら一緒に!この町で!尊くなりましょう!」
「と、尊く!?───とりあえず結構です!!」
フライヤの突拍子もない“求愛”を、アンジュは全力で拒否する。
「目標が生息している地域では、フライヤは魔法が使えない」
「え?そうなの?」
「そういう《《場所》》なんだ」
サカキの説明に、フライヤの杖の先がバチッと火花を散らす。
「こっから直接、“殺って”あげても良いんだけどね~?口の利き方をわからせる為にも………」
フライヤは、町民たちへの苛立ちを隠しきれていなかった。雷光の音に、アンジュが怯えて肩をすくめる。
「フフ、次の機会にな?」
珍しくサカキがその冗談に乗る。
フライヤは拍子抜けしたように肩をすくめる。
「もし途中で村の意向が変わり、共存の意思が出たならば………何がなんでも報告をしてくれ」
「そうね………了解」
フライヤの回答は張りのある声ではなく、どこか冷めたような響きだった。
「コマも、手配通りに頼む」
「…………ん」
短く返し、コマは森のほうへ歩き出す。
「───コマ」
サカキが静かに呼び止める。
「そろそろ月が満ちる……早まるなよ?」
「毎度毎度………わかってるよ」
コマは背を向けたまま片手をひらりと振る。
「ではアンジュ、いくぞ」
「う、うん!」
三者三様、各々の個性は違えど、いつも交わす軽口も、今回は鳴りを潜めている。
張りつめた空気の中で、アンジュは無意識に拳を握った。
* * *
目標へと続く道は、薄暗かった。
封域の湿った空気が、肌にまとわりつく。
足元ではぬかるんだ土が小さく鳴き、二人の靴音だけが森に溶けていく。
アンジュは少し前を歩くサカキの背を見つめながら、先ほどまでの町での出来事を思い返していた。
町で浴びせられた視線、言葉、そして黙って受け流すしかなかった自分。
胸の奥がざらつく。
けれど、何を言えばいいのか分からない。
結局、彼女は黙ったまま、小走りでその背を追い続けた。
「そういえば………」
沈黙を切り裂くように、サカキの低い声が響く。
「まだ君に、謝っていなかったことがあった」
「───んんん?」
何のことやらと、アンジュが顔を上げる。
「君を連れて行くかどうかの試験の時だ」
短く、淡々と告げるサカキ。
アンジュの脳裏に、あの日の記憶がよみがえる。
スカイ・ファームの訓練場、眩しい光と轟音。
サカキの一撃が地を割り、土煙の中でアンジュは吹き飛ばされ───。
次の瞬間、ニアの叫びが空を裂いた。
“彼女を守るため”の咆哮は、訓練場ごとすべてを飲み込み、破壊した。
「すまなかったな」
サカキの声が現実へと引き戻す。
思い出してみれば、確かにあの時のサカキの攻撃は笑えない破壊力だった。
「あれでも加減はしたつもりだったんだが………今思えば、やりすぎだった」
「やりすぎってどこが?」
だが当事者のアンジュは、きょとんと目を丸くし、ケロリとしている。
その無防備さに、サカキは思わず息を漏らす。
怒ることも呆れることもできず、ただ小さく笑って。
「………君のそういうところは、模範的とは言えないぞ?」
言葉の端に、ほんのわずかな優しさが滲む。
そんなサカキの言葉にアンジュはふと口角を上げる。
「………じゃあさ!」
彼女はいつもの調子で笑いながら、サカキの前に回り込む。
「私があの時より、もっと酷い目にあったら───」
瞳をまっすぐに向けて。
「助けてね!」
「ニシシシシ」と笑うその表情に、サカキは一瞬言葉を失う。そして、静かに目を細めて。
「ああ、そうだな」
その返事は、短くて、温かかった。
二人の間に流れる風が、ほんの少しだけ柔らかくなった気がした。
* * *
森の奥は、風すら息を潜めていた。
腐葉土の匂いと、粘つく湿気。
足を踏み入れるたびに、地面がぬめりをあげる。
やがて、木々の間の開けた場所に“それ”はいた。
幾重にも絡み合う幹と蔓。
太さは樹齢百年を超える大樹のようだが、その中心には───無数の“目玉”が潜んでいた。
ギョロリ………ギョロリ………ギョロリと、幹の裂け目や節の隙間から、肉のような眼球がゆっくりと動き、こちらを見ている。呼吸のように膨らんでは萎み、時折、蔓がうねっては空気を切り裂いた。
* * *
《アナテマ・タリズマ》【植獣種】軟体型
体長:十二メートル/直径:三十六メートル
生息地:ゴウライ大陸
制御難度:不可
召喚獣適性:不可
◆樹木状の外殻と蔓状の筋組織を持つ、極めて稀少な植獣。
◆外見は不気味で、幹や蔓の隙間から無数の眼の様な器官を覗かせるが、これは光や魔力の流れを感知する感応器であり、眼球機能はない。
◆生態としては、地中に流れる“魔力瘴”を吸収・分解し、その副産物として放出される紫色の瘴気により、周囲の魔力を完全に無効化する。このため魔術師や魔獣を寄せ付けず、封域帯の“天然の魔除け”として知られている。
* * *
「なぁ………サカキさん」
アンジュが喉を詰まらせながら呟く。
確かに、アナテマ・タリズマは不気味だった。
その姿は恐怖を煽る。けれど───どこか、違った。
“敵意”がない───。
息をひそめているだけのようにも見える。
「ああ、そうだ」
サカキはアンジュの意見を汲み取る様に、低く返す。
「ヤツはここに“いるだけ”だ」
その言葉が、アンジュの胸の奥にすとんと落ちた。
見た目こそ異様だが、動く気配も、威圧もない。
この生物は、“無害”だ───。
そんな確信が、恐怖の代わりに静かに芽生える。
「どこか安全な場所に移すっていうのは?例えばスカイ・ファームとか!」
いたたまれなくなったアンジュが、声を上げる。
「例のなんちゃら帯っての使ってさ!」
「駄目なんだ」
サカキは首を振る。
「アナテマ・タリズマはこの地域の特殊な性質を養分としている、それを分解し、幹から吐き出された瘴気は全ての魔法を無力化してしまう」
その言葉を合図にするように、アナテマ・タリズマの幹が“うねり”あげた。
「ボファァッ」と、乾いた音とともに、裂け目から白い煙が噴き出す。瘴気は地を這い、空気にとけながら辺りを包み込んでいった。
煙は鉄錆のような匂いを孕み、皮膚の上を這う感覚が残る。
「………なんか、ガスばっかり」
アンジュは思わず鼻を押さえる。
頭をよぎったのは、あのグツラドニウトの異臭。
鼻の奥が焼けるような錯覚に、思わず「うぇ」と、えずいた。
「なら、フライヤさんの魔法障壁………あっ」
アンジュはハッと口をつぐむ。
この場所では魔法が効かない、だからフライヤは待機なのだと、ようやく理解する。
「そうだ。この地域ではな」
サカキは湿った空気を払いながら言葉を続ける。
「我々は以前も、この植獣の危険性をあらゆる角度から検証した。だが結論は変わらない。ヤツはただ“存在している”だけなんだ。それだけではない───ってアンジュ?」
サカキの声が、ふと止まった。
説明の途中で、彼は違和感に気づく。
アンジュの視線が、アナテマ・タリズマに釘づけになっていた。
その瞳には、恐怖でも警戒でもない、“好奇心”と“高揚”が宿っていた。
「ってことは………私の《《体質》》も打ち消されるんじゃ………」
ぽつりと、アンジュが呟いた。
そして、次の瞬間―――口角がゆっくりと上がる。
「もしかして………死ねる?」
それは、宝物を発見した冒険者のような笑みだった。
緊張と興奮、そしてどこか嬉しそうな色を帯びた笑顔。その危うい輝きに、サカキは本能的に一歩前へ出る。
「余計な思考を持つな」
低い声が森に響いた。その声音には、叱責よりも焦りがあった。
「それに君の回復には、魔法や魔力は伴っていない、もはや君は“そういう生物”とも言える」
「そ、そっか………」
アンジュは視線を落とした。
ホッとしたような、残念なような、複雑な息が漏れる。
安堵した素振りをアンジュに見せることなく、サカキはアナテマ・タリズマへ視線を向け、ゆっくりと歩み寄る。
「確かにアナテマ・タリズマは反射的に人を襲うことがあるが」
蔓の影がサカキの肩をかすめたが、攻撃の気配はない。
「あくまで反応するのは、相対する者の殺意や恐怖のみだ」
アンジュが息をのむ。
確かに、サカキは完全に無防備だった。
それでも、植獣は何もしてこない。
「したがって、敵意さえ向けなければ害はない」
「じゃあ問題ないんじゃ!」
「あぁ………そうだな」
サカキはわずかに笑い、手を伸ばした。
ざらついた幹に指が触れる。
ぬめりの中に、確かな“生命のぬくもり”があった。
「むしろ、この瘴気は強い魔力を持つ魔獣や魔法使いを避ける、文字通り“魔除け”として、永きに渡り、この土地を守ってきたんだ」
その声には、わずかな痛みが混じっていた。
やりきれない想いを押し殺しながら、サカキは幹を撫でる。
アンジュもゆっくりと近づき、サカキと同様に幹に触れる───触れられる、襲ってこない。
「やるじゃないか」
「う、うん!」
照れたように笑うアンジュ。
サカキもその笑みに、わずかに口角をゆるめた。
「なら、こいつの討伐の目的って?」
「どこの世界にも“存在するだけ”で忌み嫌われる種というのはいる」
アンジュの脳裏に、依頼書の文言が浮かぶ。
“気味が悪い”
「な、なにそれ」
不快感で殺される理不尽さに、アンジュの顔が引きつる。サカキもまた、その目を伏せた。
まるで“自分もそうだった”かのように、哀しみを滲ませて。
「サカキさん………」
アンジュは言葉を飲み込み、次の瞬間、勢いよく詰め寄った。
「なぁ、なんとかならないの?そ、そうだ!なんならワタシがこいつの栄養源になってもいい!ニアの時みたいにさ!」
サカキの眉がぴくりと動く。
「………そのまま、この土地に君も根を張るのか?」
「そ、それは………」
アンジュの口がしぼむ。
少しの沈黙のあと、サカキはぽつりと呟いた。
「すまないな…………」
その瞬間───サカキの瞳から、情の光がすっと消えた。
代わりに宿ったのは、濁りのない“殺気”。
それは怒りでも憎しみでもなく、ただ“終わらせる者”の決意だった。
サカキが一歩、踏み込む。
まるでその気配に呼応するように、アナテマ・タリズマが蠢いた。
幹の節から蔓がうねり、咆哮にも似た音が森を震わせる。大地が鳴り、無数の“目玉”が一斉に見開かれた。
「せめて───苦しまずに逝け」
低く、祈るような声だった。
「ちょっと待って!!」
アンジュの叫びが空を裂く。
だが、サカキは止まらない。
サカキの拳が閃光のように走り、風圧が森を吹き飛ばす。
鈍い衝突音ののち、アナテマ・タリズマの巨体が震え、次の瞬間───幹の奥から光が弾けた。
花びらのように散る蔓と木片。
その全てが霧散し、紫の瘴気となって空へと溶けていった。
残ったのは、ひどく静かな森の匂いだけだった。
* * *
少し離れた場所に、サカキは静かに跪いた。
拳で抉られた地面の中心に、小さな塚を築く。
それは討伐の証でもあり、わずかな“祈り”の形でもあった。
粗末な慰霊碑の前に、アンジュは何も言えず立ち尽くす。
「………行こう」
サカキの短い声が背にかかる。
森を抜ける帰り道、アンジュはずっと口を開かなかった。
顔は俯いたまま、足取りだけがやけに速い。
その背中からは、怒りと悲しみが混ざったような熱が伝わってくる。
「……………見損なったか?」
沈黙の中、サカキがぽつりと呟く。
「べっつにぃ!!」
アンジュは顔も見ずに吐き捨てた。
声が少し震えていた。
「我らの仕事には………こういうこともある」
サカキの声は淡々としていたが、その響きには疲れが滲んでいた。
「知ってるよ。でも………でもさ!」
アンジュが振り向く。
瞳の奥に涙のような光が宿る。
「アレは………アイツは!ただ普通に………ちゃんと、生きてただげじゃないか!!」
「だからこそだ」
サカキはゆっくりと歩を止める。
「“存在”が許されない命を見た時、我々はその分だけ、手を汚す」
アンジュはその言葉に、言い返せずに拳を握り、再び前を向く。
すると───サカキの指先が、そっと肩をチョンチョンと軽くつついた。
「………なに?」
アンジュが苛立ち混じりに振り返り───驚愕した。
サカキの手の中には、小さな結晶のようなものがあった。
透き通った緑の球体───アナテマ・タリズマの《核》だった。
「これって………!」
「我が本当に討伐してるかどうかをな、町の人々から、つけられていたんだ」
「えっそうなの?」
「今頃、コマが活劇を披露している頃だろう」
* * *
森の騒動から少し離れた場所。
魔力の届くギリギリの境界で、フライヤの操る傀儡が暴れていた。
それはサカキを模した土製の人形。
いや、あまりにも出来が良すぎる“サカキ人形”だった。そしてその対面に立つのは、“植獣装い”のコマ。
コマは目を爛々と輝かせ、牙を見せて笑う。
「かかってこいやァ、クソ雑魚が!ズタズタに切り刻んでやるあああ!!」
その声に呼応するように、サカキ人形がギギギ……と軋みを上げて動いた。
一方のコマは、妙に生々しい動きで、蔓のような腕を振り上げ、植獣として振る舞う。
「フハハハハハハ!!!」
サカキ人形から、不気味な笑い声が響いた。
それは完全に“フライヤの声”だった。
「って姐さん!?ちょ、打ち合わせと違う!!」
フライヤが操る“暴走サカキ人形”は、完全にスイッチが入っていた、全身に雷光をまとい、コマの頭上に拳を振り下ろす。
「うおおぉぉぉ!?待て待て待てぇえ!!」
コマは地を蹴って必死に回避するが、次の瞬間、背後から槌のような衝撃が走った。
「ぐへぇああああ!!」
見事に脊髄を打ち抜かれ、植獣───もといコマが地面に沈む。
サカキ人形はゆっくりと腕を組み、見下ろすように立っていた。
「人に仇なす存在は、私が許さん!!」
その様子を遠巻きに見ていた町民たちは、
ぽかんと口を開けたまま、誰も声を出せなかった。
「「「モンパニ……半端ねぇ〜……」」」
誰からともなく、感嘆とも畏怖ともつかぬ声がもれた。町の空気は、一瞬で掌返しの敬意に包まれていた。
フライヤは、人形の操作魔法を解きながら、にっこりと笑う。
「ふふっ、これで報酬倍にならないかしらね?」
コマのかすれ声は、地面に埋まったまま、風に溶けていった。
* * *
「我ら、不器用だが、これぐらいの演出はできる」
サカキが淡々と呟く。
(……本当は、君が寝ている間にフライヤとコマに百回は反復させられたんだがな)
内心で苦笑するサカキ。
三人は町に入る前の夜、町民の偏見を見越して“作戦”と“演出”を仕込んでいた。
まさかここまで完璧に成功するとは、サカキ自身も思っていなかった。
「町の人々には内密にな?バレたら後がうるさそうだ」
サカキが口元に指を当てて「シー」と笑う。
いたずらを仕掛けた子どものようなその笑みに、アンジュの頬がくしゃりと緩んだ。
「グレン君から、事前に自生可能な土地を選出してもらっている、ほかの依頼に乗じて植え替えよう」
そう言ってサカキは懐から小さな包みを取り出し、淡く光るアナテマ・タリズマの“核”を収めた。
「それまでは、君が預かっててくれ」
差し出された手の中の光を、アンジュは両手で大切に受け取る。
「───サカキさん」
アンジュがふと顔を上げ、真っ直ぐに見つめた。
「フライヤさんやコマがあんたについていくの、なんだかかわかる気がする」
その言葉に、サカキは一瞬だけ目を丸くした。
すぐにふっと口元を緩め、いつもの穏やかな笑みを返す。
「敬称する柄ではないだろう?好きに呼べばいい」
その言葉に、アンジュは少し考え、ニヤリと笑った。
「じゃあ───オヤジ!」
「オ、オヤジ!?」
サカキの表情が凍りつく。
「オヤジ!ワタシあんたの事、嫌いじゃないや!」
元気いっぱいに笑うアンジュ。
「アンジュ!?私はパパ活をするつもりはないぞ!?」
「すっげぇ気持ち悪い」
即答だった。
吹き出すように笑いながら、アンジュは核を抱えて歩き出す。
その背中を見送りながら、サカキも静かに息をついた。
森を抜けた風が二人の間を通り抜け、
遠くで笑い声が、いつまでも響いていた。
* * *
かつて、世界を震撼させた“鬼の一派”がいた。
彼らは世界から恐れられ、討たれ、歴史の影に葬られた。
その後世界の片隅で、“緋鬼”の名を背負う漢は。
少なくとも、自らの信念のおもむくまま、愚直に生きていた。
───たとえ、その手が血に染まっていようとも。




