第14話 親密の産声と示す意思②
スカイファーム訓練区───。
ここは牧場に暮らす“戦える”生物たちを訓練・調教する施設。すなわち“訓練班”の独壇場である。
幾度もの破壊と修繕を繰り返してきた訓練場の残痕は、生々しさを表しながらも独自の矜持を感じさせる場所だ。
「ウッシ!」
その訓練区の中心に、ひときわ大きな男が立っていた。巨大な整備具をズシィンと地に叩きつけ、満足げに辺りを見回す。
スカイ・ファーム訓練班、班長バジル。
“鬼”の種族である。
「やっぱりスカイ・ファームはこうでないとな!」
褐色の肌、威圧感のあるドレッドヘア、漆黒のサングラス、独自の民族衣装を履くその外見は、猛々さを全身に身を纏っている───が。
「他の地区はどーなっているかな?」
その心根は、誰よりも情に厚い漢である。修繕を終えた広場に頷き、「フフン♪」と鼻歌交じりに歩き出し、未だ復興に至らない各地区への助力に赴きたいのか、ウズウズした様子だ。
そんな少し浮かれ気味の彼の元に、一人の職員が駆け寄ってきた。
「バジル班長!!」
「ん?」
「サカキさんから伝達です!」
その手には、簡素に折り畳まれた一通の手紙。よほど急いで駆けつけてきたのか、職員は息を切らしながら、その手紙を差し出す。
「おう、悪ぃな!」
バジルは手紙を受け取ると、その場で紙を開く。
「……………はぁっ!?」
伝言の内容は、簡素な頼み事だった。だがその一文に目をやった瞬間、バジルの顔が強張り、賑やかに整いつつあったスカイ・ファームの空に、驚きと戸惑いが入り混じった声が響いた。
《一戦やるから訓練場を貸してくれ───サカキ》
* * *
場所は変わって、スカイ・ファーム中央棟、最上階の所長室。
机の上にちょこんと腰かけるのは、スカイ・ファーム所長。目の前に立つのは、報告のために戻ってきたグレンと、説明役として同行させられたミコト。
そして机の上に乗せられた、産まれたばかりの龍の子だった。
酪農区から戻ってきた彼らは、卵が孵化してしまった経緯の説明を終えようとしてたところだったが、室内にはどこか重苦しい空気が流れていた。
「以上の経緯により───この龍は孵化してしまいました。生物的活動を始めた種を冷凍保存するのは、スカイ・ファームの道徳に反するかと」
グレンは穏やかな口調で端的に語る。
だが、その話しぶりは、まるで“他の選択肢などない”と言わんばかりに退路を防ぐような言い回しだった。
「───ふぅむ」
小さく唸り、所長はじっと目を細める。
所長は机の上にちょこんと座り、龍の子をじっと見つめていた。
「ミィ?」
龍の子も、覗き込んでくる所長の顔を、不思議そうに首を傾げながら見つめ返す。
いつになく真剣な眼差し。どこか物言いたげなその顔に、室内の空気が少しずつ張り詰めていく。その様子に流石のグレンも冷や汗をぬぐい、息をひとつ呑んだ。
「…………」
ただ時間だけが静かに流れる───。
「グレン君!そしてミコト君!」
「「はい」」
突然、所長の大きな声が室内に響いた、二人は思わず反射的に声を揃える。
「この龍の子───すっごく可愛くない?」
ずずいっと身を乗り出し、鼻息荒く、興奮をあらわにする所長。「たまんねぇぜ……」と呟きながら嬉々として目を細める様子に、グレンは深くため息をついた。
「………所長、想定内にも程があります」
呆れ交じりの一言に、所長はニヤリと目元を緩める。
「だってもう話はついてるんでしょ?育成班班長さん?」
「嫌味まじりですね」
いつも通りにペースを乱されながらも、グレンは冷静さを取り戻すように、かけた眼鏡を正した。
「仰る通り───新種を扱うのは今回が初ではありません。既に管理、飼育方などの大まかな方針は構築済みです」
淡々と、やや早口で今後の方針を伝えるグレン。その言葉からは、いつになく事を性急に進めようとする素振りを感じた。
「ミコト君」
「はっはい!」
突然名を呼ばれ、ミコトはピシッと背筋を伸ばす。
「冷凍保存なんて、早計に事を済ませるような事を言って悪かったね」
ニコリと柔らかく微笑む所長。その表情に、ミコトの緊張が少しほぐれる。
「心配しなくても、この龍を悪いようにするつもりはないから安心しなさい」
その言葉に、ミコトは胸をなで下ろす。だが隣に立つグレンの表情は、依然として険しいままだった。
「───だけど未知の生き物を預かるからには、今後の方針を誤る訳にはいかない」
「それが我々、責任者の務めだ」
「これから私たちはその為の“話し合い”をする」
所長のいつもの飄々とした口ぶりは、徐々に真剣な声音へと変わっていく。その変化に、ミコトの背筋が再び伸びる。
「それまで───この龍は、一時的に隔離せざるを得ない」
「───ッ!!」
突きつけられた結論に、ミコトの目が大きく見開かれ、その腕に抱いた龍の子を、咄嗟にギュッと強く抱きしめた。
「………ミィ?」
龍の子は、会話の内容が理解できずにミコトの顔をじっと見返す。
ミコトは助けを求めるように、グレンへ視線を向けたが、グレンの表情は氷のように冷たく、微動だにしない。
「牧場にいるのは、この龍だけではありません。他種への影響を考慮すれば当然の選択ですね」
低く静かなグレンの言葉に、所長は頷く。
彼は迷いなく、所長の判断を受け入れた。
それが“責任者”としての判断の切り口だと代弁するかのように───。
「隔離………そんな」
ミコトの胸がざわつく。
“隔離”という言葉の強さが、ズシリと心の奥に沈む。
スカイ・ファームの中央棟地下に存在する「隔離施設」彼女も日々の雑用で、その名は知っていたが、立ち入りは禁止されており、実態までは一切知らされていなかった。
だが───脳裏に蘇る数日前の事件。
隔離施設から飛び出した林鯱の暴走。
未だ多くの凶暴な生物たちが、閉じ込められているであろう空間と、この龍の子が同じ場所に入れられるのか。想像しただけで、恐怖と不安がこみ上げる。
「さっきも言ったけど、悪いようにする気はないんだ」
その言葉に、悪意は感じなかった。
ミコトも所長を疑っているわけではない。むしろ強く信じている。
「わかってくれるね?」
───だが。
それでも、先ほど龍の子に告げた“約束”が、彼女の胸に強く残っていた。
“ 私がついてるから”と、そう言ったのだ。
「────あっ、あのッ!」
震える声を押し殺し、強く強く、胸の奥から叫ぶ。
「この龍を隔離するのであれば!!」
ミコトは、決意を込めて一歩踏み出す。
「私も同じように隔離してください!!」
「何でよ!?」
突拍子もない申し出に、所長が素っ頓狂な声をあげた。
「今回の件は私が引き起こした事です!その方針が決まるまでは、私はこの龍から目を離しません!!」
母が子を庇うように、ミコトは小さな龍をぎゅっと抱きかかえた。その目は真っ直ぐで、その叫びは真剣そのものだった。
「び、微妙に何を言ってるのかわからないよ?」
所長はおろおろと、慌ててミコトを宥めにかかる。
「ミ、ミコト君?何か勘違いを───」
「良いんじゃないですか?」
グレンが腕を組んで割り込む。その落ち着ききった一言に、所長の動きが止まった。
「本人に反省の自覚があるなら結構。少しは牧場の職員らしくなったじゃありませんか………」
しれっとした顔つきのまま、サラリと許可を出すグレン。その姿をじぃ〜っと見つめていた所長が呟く。
「君………ミコト君たちが卵を勝手に返した事、まだ根に持ってるでしょ………?」
その言葉を無視するように、グレンは静かに目線を上げた。
「リゼ───聞いてましたね?」
『もちろんさ!!!』
「はぁああ!?」
グレンの呼びかけに、その場にいないはずの人物が、会話に割って入ってきた。
呆気に取られる所長。リゼの声は、どこからともなく鳴り響いていた。
『新種が来てるってのに大人しくしてられるかってのよ!!』
よく見ると、所長室の至るところに、盗聴器とスピーカーが設置されていた。
まったく悪びれた様子もなく───。
(班長の人選………間違えたかな)
所長室。一応の自身の聖域が、無許可に侵食さていく有様。部屋の壁に掲げられた今月の目標、《威厳とは何か》という文字が、悲しく輝いていた。
「では、お願いします」
『りょーかい!』
直後、背後の全種族対応扉が、バンッ!と音を立てて開かれた。
「えっ!?」
「ミィ?」
現れたのは、伸縮自在の機械仕掛けの“腕”。
それが、まるで蛇のように室内に飛び込んできて、ミコトの腰をガシッと掴みあげた。
『それでは一名様と一匹様!慎重に………丁寧に、そして迅速に!!』
扉の外には、腕が装着された無人の小型トロッコが乗り込んでくる。腕は荷台の中にミコトと龍の子をポイッと投げ込んだ。
「キャア!!」
「ミ”ィ!!」
『隔離フロアへご案〜内〜〜♡』
白々しい口上とともに、高速回転する車輪。ミコトと龍の子は、呆然としたまま荷台に揺られて、滑るように所長室を後にしていった。
去り際まで嵐のようなリゼの遠隔による連行。
彼女に攫われたミコトたちを見送りながら、所長は小さくため息を吐いた。
「………では所長」
待ち構えていたかのようにグレンが話を切り替える。
「そろそろ本題へ」
* * *
────ミコトと龍の子が連れてこられたのは、スカイ・ファーム隔離施設………ではなく来賓室。
自然み溢れる空の牧場の一角に存在する、よそ行きの空間。
磨かれた床に、装飾されたテーブル。
壁には、まだ巨大だった頃の所長と、あどけない少女が並ぶ写真が飾られていた。
「あの、リゼさん………ここって───」
『必要な物は揃っているからね!!』
明らかに、隔離施設ではない場所に連れて来られ、唖然としていたミコトが問いかけるよりも先に、トロッコに埋め込まれたスピーカーから声が響いた。
困惑するミコトの気持ちなど意に介さず、無人のトロッコが音を立てて近づいてくる。
『ちょっと失礼………』
「ミッ!?」
機械のアームが伸び、先端から小さな針が突き出だし、チクリと龍の子の体に刺さると、青い光が一瞬だけ瞬いた。
『それじゃあ私は仕事に戻るから!何かあったら呼んでちょうだい!!』
リゼの声が調子良く締めくくられ、トロッコはビシィッと手を掲げて敬礼する。そのままクルリと方向転換して、すさまじい勢いで床を滑る。
『ごゆるりとおぉ〜〜〜!!』
ギュイイイイン!と耳をつんざく音を残し、突風のように去っていった。
残された二人、ぽかんと周囲を見ると目の前のテーブルには、まるで貴族の晩餐のような豪華すぎる料理の数々が用意されていた。
「なんだかもてなされてるみたい………」
「………ミィ」
抱きかかえた龍の子が、不安げな顔でミコトに身を寄せる。
「どうしたの?」
「ミィ………ミィ」
怯えるように、小さな声で繰り返す。ミコトはその鳴き声に、ふと我に返った。
「アンジュちゃんが心配?………そうだよね」
「ミィ………」
優しく頭を撫でる。その手に、龍の子のわずかな震えが伝わってきた。
撫でながらミコトは視線を窓の外へと移す。
「アンジュちゃん………大丈夫かな」
* * *
───風が吹いた。
それはまるで、通行人のようにアンジュの髪を撫で、何も言わずに通り過ぎていった。
訓練区の中心の広場。そこに彼女はポツンと立ち尽くしている。まるで現実についていけず、半ば諦めたような半笑いを浮かべたまま。
その目の前に佇むのは、巨大な鬼───サカキ。
「ルールは簡単、この“印”に一発、“当てて”みせろ」
サカキは自身の額に指を指す。
巨大な頭身の彼の額には無造作に丸く塗られた“印”。
「手段は問わん、当てることができれば君の勝ちだ」
「私からは攻撃はしない、だが多少の“妨害”はさせてもらう」
「制限時間はなし、何か質問は?」
重ねられる説明。
サカキは、機械のように淡々と語る。
それは優しさでも脅しでもない。無機質な“通告”のようだった。
「もしクリアできなかったらどーなるのカナ〜?」
アンジュは後頭部をガシガシ掻きながら、ふざけた調子で笑ってみせる。だがサカキの表情は、微動だにしなかった。
「君とはここで別れる、牧場に残るか、安全の確認の後、地上に降りるか、好きにするといい」
あっけらかんと言い放つサカキにアンジュは目を見開き、瞳を点にして固まり、口からは「ヒョッ!?」と変な声が出た。
「なんだよそりゃあ!?無責任だ!!」
酪農区で聞いた“置き去り”の言葉が、現実のものとして突きつけられる。
「嫌なら合格するんだな」
容赦のない言葉の一刀。試練とは名ばかりの、拒絶を前提としたのようにも聞こえた。
「私は一切、手加減はしないぞ?」
「さっきと言ってること違ェ!!」
その言葉に、アンジュは思わず叫んだ。
その叫びは虚しく上り、イデア・コアまで届きかけ───そして消えた。
すると静かだった訓練区に、ざわめきが広がり始めた。
「おい!!訓練区でサカキさんが一戦するらしいぞ!?」
「まじかよ!?相手は誰だ!?」
「例の、《《連れてきたガキ》》だってよ!!」
「こうしちゃいらんねえ!!」
どうやら、摸擬戦の申請を聞きつけた職員たちが、野次馬のように集まってきたらしい。
各地区からは、飛空艇が何機も訓練区に降下し、瞬く間に周囲が観衆で埋まっていく。歓声、怒号、好奇心と冷やかしが入り混じった熱気が、観察席をぐつぐつと煮えたぎらせていた。
そんな喧騒の中───。
「ったく………せっかく修復したってのに」
サカキとアンジュ、たった二人だけの空間を見守っていたバジルが、不機嫌そうにドレットヘアを掻きむしる。彼の眉間には、珍しく深いシワが刻まれていた。
「“奴が”現れた後だってのを分かってんのか?」
リゼやグレンから報告を受けた“事件の真実”。皆が知らぬとはいえ、その直後とは思えぬ職員たちの空気を読まぬ騒ぎに、呆れが滲む。
そんなバジルの背後から、気の抜けたような声が飛んできた。
「オーオー………暇人共が、ぞろぞろと」
「なんだ?もう終わったのか?」
「るせーよ」
振り返った先には、リゼの元で検査を終えたコマの姿があった。ポケットに手を突っ込みながら、じと目で訓練場を睨んでいる。
「やっぱり《《こうなった》》か」
「なんでもあのガキのテストなんだとよ」
「大将の奴、木っ端微塵にでもするのか?」
「物騒なこと言ってんじゃ────」
サカキとアンジュの対峙を見たコマは肩を竦め、舌打ち混じりに言葉を漏らす。
その一言に、バジルが思わず口を挟んだが、そこで止まる。
「では、始める」
突如響いた声に、観衆のどよめきが一瞬にして鳴り止んだ。
「───えっ?」
開始の号令を出すサカキに、アンジュは裏返った声で反応する。
サカキは、小さく「フンッ」と鼻を鳴らすと、構えもなくその掌を、真っ直ぐに前へと押し出す。
ズドン!と鈍い音が、彼女の華奢な体から響く。
あまりの速度に一才反応することもできず、その掌底をまともに受けたアンジュは、衝撃を置き去りにし吹き飛ぶ。
ガイン!ガイン!ガイン!
そのまま一直線に彼女の体は、地面を水切り石のように跳ねていく。
そして───。
ガッシャァン!!!
訓練場の壁に叩きつけられた。分厚い構造が裂け、凄まじい音とともに破片が崩れ落ちる。その瓦礫の雪崩に、アンジュの姿は呑み込まれていった。
「……………」
「な?」
バジルが息を飲み、口を噤んだ。
すぐ隣で、特に驚いた様子もなくコマが呟く。
「でも、まぁ確かに加減はしてるわな………」
コマのその表情は、まるで“そうなるとわかっていた”かのようだった。
(───さて)
サカキは手首をぶらぶらと振りながら、アンジュが吹き飛んだ先を見つめている。
その掌に残る手ごたえからして、彼女の身体は確実に“千切れている”はずだ。
アンジュが叩きつけられた訓練区の壁は、本来ならば大型の猛獣ですら跳ね返す高さと、厚さと、硬度を誇っている。
それが、巨大な亀裂を生み、壁の一部が山の斜面のように崩れ落ちていた。
「おい!!モロに喰らったぞアイツ!?」
「生きてんのか!?」
瓦礫と共に姿を消したアンジュの安否は、誰の目にも絶望的に思えた。職員たちの脳裏に、そんな常識が駆け巡る。
訓練区のあちこちから、驚愕と動揺の声が飛ぶ。
いきなり始まった模擬戦、その初撃から炸裂した一撃は、誰もの予想を超えた。
「おい!見てみろ!」
誰かが、崩れた壁の瓦礫の山を指差した。
その先にある粉塵の中から、ゆっくりとアンジュが現れる。
泥と埃にまみれ、髪はボサボサ、頬にはうっすらと砂の跡。
だがその全身は───完全に無傷だった。
どこからも血は流れてはおらず。肌には裂傷の痕も、骨折の兆しすらない。
「スゲェ!!あいつ生きてるぞ!?」
「サカキさんの攻撃に耐えやがった!!」
信じがたい光景に、職員たちは歓声を上げ始める。
だがその中心にいるアンジュは、浮かない顔をしていた。
まるで財布を落とした時のような、理不尽な盗難に遭ったかのような、なんとも言えない表情を浮かべながら、トボトボと現れた。
───唐突に、風が唸る。
その巨体に似合わぬ俊敏さで、サカキがアンジュに向かって突進した。
ものの一瞬で距離を詰めると、その片足でアンジュを真下から押し潰した。
ズドォォン!!という轟音と共に、凄まじい衝撃が訓練区を揺らし、空に浮かぶ施設が大きく傾いた。
「「「うわあああああああああ!!!!」」」
天秤の様に傾く地面に振り回され、職員たちが次々にゴロゴロと転がっていく。
訓練区に響く阿鼻叫喚の中、コマとバジルだけは、驚異的な体幹で、打ち込まれた杭のように、直立のまま、立ち尽くしていた。
「サカキの奴、本気で殺る気か?」
「これぐらいなんでもねぇよ」
コマは静かに言葉を続けた。
「アンジュは牧場に来るまでに“5回死んでいる”」
訓練区に響いた振動が、ようやく静寂へと変わり始めた頃。サカキは、砕けた地面に背を向けたまま、静かに佇んでいた。
大地には深く穿たれたクレーター。
ほんの数分前まで綺麗に整備されていたのが疑わしいほどの惨状。
────だが。
窪んだ地盤と巻き上がった粉塵の隙間から、“真芯”で踏み潰されたはずのアンジュがピョコリと飛び出した。
相も変わらず、血も出ず、骨も折れず。
「うえええ立った!?」
「マジかよアイツ!!」
寝起きのようなボサついた髪と、焦点の合わない目をしてはいるが、アンジュは何事もなかったように───いや、“あまりにも無事すぎる”のその姿に、周囲からは歓声ではなく、どよめきに似た引いた声が漏れた。
その喧騒に反応し、背を向けていたサカキが振り返り、目を細める。
(………“受ける”のに異様に慣れているな。こちらの攻撃を避けようともしない)
アンジュを見つめるサカキの中で、確信の警鐘が鳴りかけた。
(やはりこの子は────)
「オイ!大将!!」
遠くからコマの声が降ってくる。
その一喝で、サカキの思考が霧散する。
「殺り方を考えろ!訓練区が落ちたらどうすんだ!!」
「───あのガキの心配をしてやれよ」
コマの言葉の裏にある、“手加減の申請”。
その癖の強さに、バジルが呆れながら呟いた。
「だが………あのガキ。只者じゃねぇな」
バジルの視線の先には、再び立ち上がるアンジュの姿。
倒れて、土まみれになって、それでも───。
表情も姿勢も、ダメージも、開始前から何も変わっていないという異様さ。
「何やら、君の悪い覇気を感じるぜ」
バジルの勘が、肌にゾワリと這う。
彼女から感じるのは怒りもなければ怯えもない。
そこにあるのは、理由のない静けさ。
まるで………“死”を通り過ぎた者だけが纏う、終わりなき空虚のようだった。
その少女が今、胸の内で繰り返しているのは───。
(どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう)
シンプルな、大混乱だった。
(印に一撃ってなんだよ!?あんなバケモンのオデコに届くわけないじゃん!!)
サカキの一撃で、アンジュの体は致死量のダメージを受けた。だが彼女の力は、それを即座に癒す。
────とはいえ。
いくら回復できても、攻撃手段がなければ意味がない。
「てぃっ!!」
アンジュは足元の瓦礫を拾い、勢いのままサカキに向かって投げた。
だがその瓦礫は、目にも留まらぬ速さで砕かれ、彼の顔に届く前に、視界から消え、風に混じった。
(やっぱダメか……)
アンジュは腰のポシェットをチラリと見る。
中には、非常食用のナッツ、落書きに近い火の鳥のメモ書き、使い方がわからない方位磁石、そしてお気に入りの果物ナイフが一本。
散歩に行くにはうってつけだ。
(ダメだ!ダメだ!弱気になってどーする!)
アンジュは頭をブンブンと振り、ぐっと気合を入れ直す。
(やってやるしか────)
そう腹を括ってサカキを睨んだその瞬間───。
サカキも、万倍の殺気で睨み返してきた。
(ないと………思うんだけ………ど………ね)
威圧感に言葉が消え、代わりにピヨピヨと涙がこぼれる。
(限りなくおっかねぇ〜)
「どうした?来ないのならこっちから行くぞ?」
サカキが一歩踏み出すだけで、地面が軽く震える。
それを見たアンジュは思わず叫ぶ。
「何で!?何でルールが短時間でめっちゃ変わるのおおおおお!!」
その叫びが、再び虚しく、響き上がり───。
そしてイデア・コアに届いた───。




