第12話 出会った二人と騒ぐ上役②
スカイ・ファームの一角。
完全に遮光された暗室。
静寂を切り裂くように、モニターだけがぼんやりと光を放ち、リゼの頬を青白く照らしていた。
「うん、目立った外傷はなしと!」
軽快にそう言いながら、リゼは映し出された情報に目を走らせていた。
傍らの容器では、謎の液体に浸された眼帯がぷかぷかと浮かびながら、静かに揺れている。
この眼帯はコマが常に左目に装着している“特殊装備”、液の中で小さく泡を立てながら、精密な分析が行われている。
「………………」
部屋の奥では、当の本人であるコマがソファに深く腰掛け、不機嫌さを隠そうともせず腕と足を組んでいた。
眼帯が外された彼の左目からは、機器の光とはまた別の、鋭利な“銀色の光”を放っている。
「何か異常はなかったかい?」
リゼが問いかけると、コマはあからさまに不満げな声で返す。
「それを付けていることが俺にとって“異常”なんだが?」
「はっはっはっは!」
ぶっきらぼうな返答に、リゼはおかしそうに笑い声を上げた。
「相変わらず皮肉屋だねぇ〜」
眼帯の検査が一段落すると、リゼは顔の半分を覆っていた大ぶりのメガネを外す。
疲れた目元を、軽く指でこすりながら欠伸とも溜息ともつかない息を漏らた───その時。
ピピピピピピピピピピッ!
甲高い電子音が、室内に鋭く響いた。
「ん〜〜?」
リゼは、目元を軽く揉みながら、音の鳴る方へと視線を送る。単なる誤作動か、それともちょっとした確認が必要なだけかもしれない。
だが軽い反応を見せた彼女の眉間が、じわりと寄っていく。
───彼女の“作品”がそんな軽率な挙動を見せるはずがなかった。
* * *
場所はスカイ・ファーム中央棟の広場───。
破損した設備の修復に汗を流す者、通常業務を再開し始めた者。
各班の職員たちが入り乱れ、少しずつだが牧場の日常が戻り始めていた。
そんな喧騒の中、人並みを割って歩いてくるのは、どこか物々しい三人の姿。
サカキ、グレン、そしてフライヤ──。
牧場に提出する筈の「龍の卵」を預けていたアンジュ。そして彼女の案内人として付けたミコトの二人を探していた。
「─────いない」
だが、肝心の二人の姿は、そこにはなかった。
広場の隅から隅まで視線を走らせたサカキが、戸惑いの声を漏らす。
「まさか!拐われたのか!?」
「そんな!こんな短時間で!?」
「───観光だろ」
サカキはともかく、グレンまでこの短時間で結論を飛ばしたことに、フライヤはぽつりと呆れたように口を開いた。
「アホかこいつら」と言いながら、タバコを咥えた彼女は、肩をすくめながら煙をゴパア、と吐き出した。
「はしゃいでたもんな〜アンジュちゃん」
その煙は、夕方の斜光に溶け、広場の空気に淡く散っていった。
「探してあげようか?」
「い、いえ、それには及びません。少々お待ちを………」
フライヤが杖を取り出してグレンに進言する。
ようやく冷静さを取り戻したグレンが、ばつが悪そうに胸元のポケットをごそごそと探る。
取り出したのは、大小様々な形状のホイッスルが連なる束。
その中からひとつを選ぶと、軽く息を吸い──。
ピィイイイイイイ!
高く、そして澄んだ音が、広場の空に響き渡った。
すぐさま、中央棟を覆う巨大な大樹───。
その高所にある樹幹部の茂みがざわりと揺れる。
葉をかき分けるようにして、何体ものワーピクシーたちがピョコン!と顔を出した。
『呼ンダカーーグレン!?』
声はやたらと元気で大きく、そして遠く離れた高所から、グレンの姿を見つけた彼女らが口々に叫ぶ。
「貴方達に人探しを頼みたいのですが!」
グレンはきちんと口を手で囲い、しっかりとした発声で応える。
その真面目な姿勢に反応するように───。
『『『ハァアアン!?』』』
ワーピクシーたちは一斉に声を上げ、露骨なまでの不満顔でこちらを見下ろしてきた。
『ピク達ハ怪我シテンダゾ!?』
『コノ前マデ消エテタンタゾ!?』
『少シハ休マセロ!』
立て続けに叫ばれる抗議の嵐。
至極ごもっともだが、耳に響く高音ボイスに、グレンはこめかみに手を当てて軽くため息をつく。
「そうですか………」
グレンは静かに呟きながらそっと目を閉じ、いつもの癖でメガネの位置を指先で正す。
「実は探しているのはミコト───」
『『『行ッテキマーーース!』』』
ワーピクシーたちは一斉に、茂みの中から風を切るような「ドビュン!」という音を響かせながら、勢いよく飛び出していった。
もはや条件反射のような出動劇。
その余波で舞い上がった風が、フライヤの長い髪をふわりと揺らす。
「相変わらず好かれているわね〜ミコト」
風に遊ばれた髪を手櫛で整えながら、フライヤが穏やかに笑う。だがその表情はすぐに、いたずら好きな悪い笑顔へと変わっていった。
「あの祖父とはえらい違いじゃない、ねぇサカキ?」
その言葉に、サカキはピクリと肩を揺らし、うっすらと冷や汗をにじませる。
「やめときなさい」
低く小さな声でたしなめるが、フライヤはどこ吹く風だ。
「ミコトが付いているので、中央棟から離れているとは考えにくい。すぐに見つかるでしょう………」
グレンはいつもの落ち着いた口調でそう言い、静かに周囲を見回した。
* * *
場所は変わり、ここはスカイ・ファームの南西に位置する『酪農区』
ここでは、牧場内で働く職員や生き物たちの命を支える“命の供給源”───つまり、食用となる人工肉や農作物が管理されている。
酪農区の片隅、小高い丘の上に、ぽつんと建つ一軒の小屋があった。
この場所は、通称『孵化場』
スカイ・ファーム各地で安全の確保、または研究を目的に保護された卵たちを人工的に孵化させるための施設だ。
その近くに、小型の飛空艇が静かに着陸している。
小屋の中に入ると、ふわりと湿った空気と、ほんのりとした暖かさが肌を包む。
部屋のあちこちには大小さまざまな卵が並んでおり、その形も色も実に差異に富んだ豊かさだった。
金属光沢のものから、苔むしたもの、縞模様のものに、呼吸しているかのように脈打つものまで───。
それはもう、生物学者でなくても胸が高鳴る光景だった。
「ここだよアンジュちゃん」
「ほおおおおお〜〜〜〜!」
ミコトに案内されて小屋へと入ったアンジュは、あまりの光景に目を輝かせた。
壁に沿って並ぶ卵たちを見てはしゃぎ回り、「スゲー!スゲー!スゲー!」と声を上げる。
その様子は、まるで行楽に来た少女そのものだった。
ミコトは、そんなアンジュの背をちらりと見る。
(本当に大丈夫かなぁ?)
勝手に卵を孵してもいいのか、そもそも所長や班長たちに許可を取っていない。
(やっぱりまずかったんじゃ………)
ミコトの心中にじわじわと不安が広がっていく。
だがアンジュの背中はまるで迷いがない。
ミコトは一度深呼吸した後、そっと歩き出した。
「あの温室機が空いているからあそこを使いましょう」
「おおおおおぉ〜」
ミコトに誘導され、アンジュが向かったのは、孵化場の奥に設置されたガラスケース型の機械。
卵を一定の温度・湿度に保ち、孵化のタイミングを自動で調整するための専用装置だ。
アンジュには細かいことはよくわからなかったが、それでも雰囲気と空間の神秘さに、興奮は冷めることがなかった。
「アンジュちゃんそこに卵を置いてくれる?」
ミコトに促され、アンジュはガラスケースの蓋をゆっくりと開ける。
そして卵を、装置の中央に設けられたくぼみに、そっと置いた。
その間に、ミコトは操作台へと回り込み、スイッチを順に確認していく。
パネルの表示がひとつずつ点灯していき、装置の内部が静かに動作音を上げ始める。
「スカイ・ファームは施設がまだ完全には安定していないから───」
ミコトは独り言のように呟きながら、細かく設定値を操作していく。
「少し弱めに調整して───」
ガラスケース内に、ふわりと音もなく温風が吹き込まれた。
その中央、卵の上には、花弁のような形状をした装置がゆっくりと展開し、卵に照準を向けながら、その中心へと光を集中させた。
「“回廊帯”照射」
ミコトの掛け声と同時に、放射装置から柔らかな金色の光が放たれた。
光はゆらめく水面のようにやわらかく、卵を包み込むように降り注いでいく。
アンジュは目を丸くしてその光景を見つめていた。
無意識に息が止まる。まるで───何か神秘的な現象が、今この瞬間に始まったような、そんな感覚だった。
「こ、これって何をしているの?」
アンジュがぽつりと尋ねると、ミコトは操作台から一歩下がり、彼女の横へと並んだ。
「回廊帯のエネルギーを卵に当てているの」
「かいろーたい?」
聞き慣れない言葉に、アンジュは首を傾げながら聞き返す。
「ええと、この牧場全体を包んでいる原動力というか───」
ミコトは言葉を探しながら、ぼんやりとケースの中を見つめた。
放たれる光が彼女を照らし、その頬もどこか神秘的に見えていた。
「牧場に来るときに、大きな水晶みたいなものを見たでしょう?」
「あのデッケー木の中に埋もれてた、なんか………デッカい玉のこと?」
ミコトの言葉に、アンジュは到着時の記憶を辿る。
飛空艇の窓から見えた、大樹の幹の中腹───。
まるで心臓のように埋め込まれた、巨大な球体。
光を透かすその姿は、まさに“水晶”と呼ぶにふさわしい神秘的な存在だった。
「あれは“イデア・コア”と言ってね。スカイ・ファームにはなくてはならない存在なんだよ」
ミコトの声が、どこか誇らしげに響いた。
「イデア・コアから放たれてる特殊なエネルギーを“回廊帯”といって。スカイ・ファーム全体を包むように覆っているの」
そう言いながら、ミコトはアンジュの肩越しに視線を上げる。
まるで、この部屋の天井を越えた先、空を覆う何かを見ているようだった。
「回廊帯ってね、すごく汎用性が高いの。島を空に浮かべたり、季節を変えたり、猛獣を落ち着かせたり───精霊とか妖精が実体を保つための魔力も与えてるのよ」
次々に語られるその用途は、どれも夢のようで、アンジュは思わず目を瞬かせる。
けれどミコトの顔は真剣で、決して夢物語ではないことを示していた。
「回廊帯から変換されたエネルギーは、牧場の生き物の飼育環境とか、設備を整えるのにも使われてて………牧場の運営に、欠かせない存在なんだよ」
そう締めくくるミコトの目に宿っていたのは、畏敬の念ではなく、この場所に携わる者としての“誇り”だった。
「牧場全体の設備はね、歴代の化学班の人たちが積み重ねてきたものなんだけど───でも今の化学班長………リゼさんが、そこから爆発的に進化させたのよ」
そう言いながら、ミコトはふと過去の記憶を思い出す。
初めてリゼと顔を合わせた日のことだ。
“どうも、人生二週目です!”
その時は何を言ってるのか本気でわからなかったが、今なら少しだけ納得できる。
ミコトは思わず小さく吹き出し、目元を緩めた。
「この温室機もその一つで───」
視線を戻すと、ケースの中で静かに輝く卵があった。
「回廊帯から変換されたエネルギーを卵に当てる事で、“胚”の成長を促すことができるの」
ミコトはその上を照らす光を見つめながら、説明を続ける。
「ストレスを与えることなく孵化させることができるわ」
そう言って、ミコトは優しく微笑みながらアンジュの方を見た。その表情には、牧場への誇りと、確かな知識への自信がにじんでいた。
「ふぅ〜ん」
だが当のアンジュは、まるで上の空。
卵をじいっと見つめたまま、鼻歌まじりに返事をしていた。
その様子にミコトは小さく肩をすくめる。
それでも咎めるでもなく、どこか慣れた調子でミコトも視線を卵へと戻した。
二人の間に、ふっと柔らかな静寂が流れる。
「ね、ねぇ………アンジュちゃんはどうしてこの卵を孵したいの?」
「───ん?」
不意に漏れたミコトの声に、アンジュが首をひねって振り返る。
唐突な問いに、自分でも驚いたのか、ミコトは慌てて手を振った。
「ご、ごめんね!深い意味はないんだけど!何ていうか………怖くないのかなって」
その声には、わずかに残る不安がにじんでいた。
いくら環境が整っていても、そこにいるのは“未知”とされる存在。
未だ謎の多い卵を前にして、彼女の心から疑念が消えることはなかったのだ。
「ん〜〜〜………」
アンジュは、再び卵に目を向ける。
しばらくの間、ただ黙って見つめた後。やがて、ぽつりと呟いた。
「なんて言うのか────コイツを初めて見たとき、スゲー苦しそうに見えたんだ」
そう言って、アンジュは遺跡での出来事を思い返す。
サカキたちが対峙していたあの時───。
「ものすごく腹が減っているのに、それにずっと耐えているような………」
たった一匹でサカキらに立ち向かっていた龍。
龍がとった行動には怒りも暴力も感じとれた。
だが───それ以上に、あの龍の瞳には、飢えと痛みが滲んでいた。
「コイツが、あの苦しみの果てに“こうなっている”んだとしたら───早く解放してやりたいんだ」
アンジュはそう言って、切なげな笑顔をミコトに向けた。
その言葉は決して感傷でも、同情でもなかった。
ただ目の前の、命の痛みを感じ取った人間としての、率直な願いだった。
ミコトは、思わずその笑顔に魅入ってしまう。それはとても同じ年頃の少女が向けるものとは思えない、どこか遠くを見ているような笑顔だった。
「それで、思わず割って入っちゃったんだけどさ」
軽く頭をポリポリとかきながら恥ずかしそうに続けるアンジュに、ミコトは思わず目を見開いた。
「あ、あの三人に楯突くなんて………すごいね」
“モンスター・パニック・サービス”という、世界的にも有名な最強チームに、正面から立ち向かったというのに、彼女はまるで昼休みの雑談でもしているかのように、飄々としていた。
「まったくもう………」と呆れた気持ちを抱きつつも、ミコトは思わず小さく笑ってしまった。
「────クスッ」
「え、何?」
「優しいんだねアンジュちゃん」
唐突に笑いながらそう言い出したミコトに、アンジュは「はぁ〜?」と首をかしげる。
「表面的な優しさは誰にだってできるけど───」
「誰かを助けるために身を挺して立ち向かうことは───とっても勇気がいる」
そう続けたミコトは、目を閉じて、どこか清らかな微笑みを浮かべた。
「誰にでもできることじゃあないわ」
まっすぐに、素直に、正直に。アンジュの行動を心から讃えた。
「………………」
アンジュは、じぃーっとミコトを見つめた。
その無言の視線に気づいたミコトが、ハッと我に返る。
「───はっ!?あ、あれ………?」
自分が何を言ったのか思い返し、恥ずかしさが一気に込み上げる。
真っ赤になった顔を隠すように、ミコトは俯いてスカートの端をきゅっと握りしめた。
「な、な〜んて言ってみたり………」
「───プッ」
もじもじと呟くミコトの様子に、今度はアンジュが吹き出す。
照れくさそうに笑って、頬をポリポリと掻きだした。
「………ありがと」
その言葉には、照れと嬉しさが半分ずつに混じっていた。
そして何より───誰かに“肯定された”という価値に、静かに安堵したのだった。
そしてその背後、孵化場の扉の隙間から───。
『『『…………………ッッッ!!!』』』
ワーピクシー達が二人の様子を睨んでいた。
* * *
『おーーい!フォード!』
アンジュとミコトの捜索を待ち、わずかに肩を落としていたグレン達の背後から、大声が響いた。
グレンが振り返ると、青空を切り裂くように一機のドローンが、猛スピードでこちらへ向かっている。
「あれは………リゼのドローン?」
グレンが目を細めたその瞬間、ドローンは「キキィッ!」という鋭いブレーキ音を響かせ、宙に浮いたまま急停止した。
『ここにいたか!』
機械的なスピーカーから響くリゼの声。
しかしその声音からは、いつもの皮肉っぽさも軽口も感じ取れない。緊迫した様子だった。
「リゼ?どうしたんですか?」
『回廊帯の様子がおかしいんだ!』
スピーカー越しでも、その異様な空気はひしひしと伝わってくる。
グレンが訝しげに声をかけると、リゼの声が跳ねるように返ってきた。
その言葉に合わせる様に、ドローンが展開したホログラムには、スカイ・ファーム全体を俯瞰した回廊帯の流動図が映し出される。
中央棟を中心に、大小さまざまな浮島が点在するその地図の中で、一か所だけが明滅し、暗室でリゼは、その点滅箇所を睨みつけている。
その背後では、処理液でベチャベチャに濡れた眼帯を二本指でつまみ、無言で突っ立つコマ。その背中はもう何も言う気力すらないという無言の絶望で満ちていた。
『回廊帯の流れが酪農区の孵化場に集中しすぎている!流れているというより、まるで“吸収”だ!』
ホログラムに映る回廊帯の流動が酪農区の一点に集中していた。
その一点、孵化場だけが異常なまでに赤く染まり、強い流れを示唆していた。
(───孵化場?)
その言葉に、サカキの眉がピクリと動く。
「まさか………事態はまだ収集していないと?」
『可能性は捨てきれない!すぐに向かってくれ!』
リゼの声が短く鋭く響いた、その直後───。
『オオオーーーイ!グレン!』
『ミコト見ツケタ!グレン!』
『ピク達《《アノ女》》嫌い!グレン!』
今度は別の方向から、賑やかな叫び声が聞こえてきた。
グレンが振り返ると、ワーピクシーたちが猛スピードで飛んでくるのが見えた。
羽ばたく音がブワッと広がり、興奮して口々にわめき立てていた。
「どうしたのですか?探してもらって申し訳ないですが、今は緊急───」
『孵化場デ!ミコトガ!』
『ツンツン女ト!』
『卵ヲ囲ンデ!イチャイチャシテタ!』
グレンの言葉を遮るように、ワーピクシーたちが叫び出す。
わちゃわちゃと、代わる代わるまくしたて、何が何やら整理がつかない。だが、その中に聞き捨てならない単語があった。
「───ッ孵化場で!?」
グレンの表情が一変する。
同時に、リゼの報告、二人の不在、そして今の情報が繋がり───。
「まさか………あの子達」
フライヤが冷や汗を垂らしながら呟く。
咥えていたタバコが、ポロリと落ちた。
「グレン君、その酪農区の場所は?」
サカキが即座に問いかける。
「中央棟から南西の方向に!しかし向かうには飛空艇が必要です!すぐに手配を───ッ?」
グレンが即答し、行動に移ろうとした──その時だった。
「必要ない」
その言葉が落ちるや、空気が一段重く沈んだ。
直後、グレンの体がふわりと宙に浮く。
驚く間もなく、フライヤの体も持ち上がる。
「ちょっと………サカキ?」
嫌な予感が背筋を走り、フライヤがサカキを見上げた。
「二人ともしっかり捕まっていろ」
サカキは二人を抱き抱えながら深くしゃがみ込み、両足で地を踏みしめる。
「まさか──────」
その瞬間、足元の地面がメリメリと音を立て、ひび割れていく。
まるで、地面そのものが彼の圧力に耐えきれず、悲鳴を上げているようだった。
─────そして。
ドウッ!!
爆音とともに、地面を蹴り飛ばす。
次の瞬間、三人の身体が、弾丸のように一直線に宙を舞った。
あまりの跳躍力に、足元の地面は抉れ、土塊が風圧で宙に舞い上がる。
風鳴りと共に、周囲の木々が一斉に傾き、葉がちぎれて渦を巻いた。
それは、もはや“跳んだ”というより“発射”に近い。
音速にも迫る速さで、三人の軌道は、空に白い弧を描き───。
「いやああああああああああああああああ!」
見上げた者たちの視界から、あっという間に消えていった。
フライヤの悲鳴が哀れな軌跡を残しながら、空の彼方に消えていく。
『頼んだぞー!』
『『『シバイタレー!』』』
ドローンからは小さなホログラムで作られた旗がパタパタと振られ。
ワーピクシー達も野次似た声援を送っていた。
* * *
ズウン──と、孵化場全体がわずかに揺れた。
「─────ん?」
ふと、アンジュが眉をひそめて周囲を見渡す。
地響きとまではいかないが、確かに足元が震えたような感覚があった。
「今なんか、ちょっと揺れなかった?」
「そうかな?」
隣にいたミコトに尋ねるが、彼女は気づかなかった様子で首をかしげる。
───その時だった。
二人の背後に置かれた卵が、突如として眩い閃光を放ち始めた。
「「───ッ何!?」」
反射的に振り返る二人。
ビカビカビカビカビカビカビカビカ──!!
卵は太陽のような光を発しながら激しく点滅し───。
ブルブルブルブルブルブルブルブル──!!
土台をも巻き込む勢いで小刻みに激しく震え始めた───。
「めっちゃ光って!!!」
「とっても揺れてる!!!」
アンジュとミコトが慌てて叫び合う。
(ま、まかさもう孵化が?)
ミコトの脳裏に警鐘が鳴る。
回廊帯を照射したとはいえ、まだ孵化には数日あると踏んでいた。
(いくらなんでも早すぎる………)
想定外すぎる卵の胎動にミコトは驚愕した。
「な、なぁミコト………!」
すると唐突にアンジュがミコトの袖をぎゅっと掴む。
「どうしよう!どうしよう!どうしよう!」
完全に取り乱したアンジュは、そのままミコトの両肩をがっしりと掴む。
「コイツ大丈夫かなぁ!?死んぢゃうのかなぁ〜!?」
大粒の涙と嗚咽を交えながら、まるで親のような取り乱し方で泣き喚いた。
「グスゥ!エグッ!ヒック!死んぢゃっだらどぉじよおうおぉ!」
「アンジュちゃん落ち着いて」
その迫力に、逆にミコトの方が冷静になってしまう。
ミコトはそっと言いながら、アンジュの手を優しく外そうとしたが───卵の光と振動は、ますます激しくなっていく。
「照射の出力を抑えるわ」
ミコトは落ち着いた声で呟き、再び操作パネル駆け寄り、指を伸ばす。
卵に直接照射されている回廊帯の出力を、少しでも抑えるつもりだった。
だが───。
「えっ?」
何度やっても回廊帯の出力を調整できない。
ミコトは繰り返し再操作を試みるが、画面には【Error】の文字が表示され、制御できずにいた。
「出力が………限界まで上昇している?」
ミコトの目が驚きに見開かれる。
制御パネルには、適量を大きく逸脱した数値が踊っていた。
「それどころか………他の卵にも当てていた回廊帯まで吸収している?」
異常な現象が加速する。
孵化場の天井に備え付けられた照明が点滅を始め、施設全体が不安定に揺れだす。
───その時だった。
卵が、ピタリと動きを止めた。
静寂が訪れた一瞬。
温室機のガラス面にピシッと鋭い音が響く。
卵を収納したケースのガラスに、大きなヒビが入っていた。
「───っ!?ミコト!危ない!!!」
「えっ?」
ミコトが振り返る間もなく、アンジュが彼女の腕を引き、抱きかかえるように庇い、背を向けたその直後───。
ガシャアアアアアアン!!
凄まじい音と共に、ガラスが砕け、無数の破片が空間を切り裂いた。
「キャアアア!」
ミコトの悲鳴が上がる。そして───。
ドス!ドス!ドス!ドス!ドス!
「───うぐっ!」
アンジュの背に、鋭利なガラス片が無数に容赦なく突き刺さっていった。
鈍い音を立てながら次々にガラス片がアンジュの背後を突き刺していく。
肩甲骨の間をえぐるように深く刺さった一枚。
首筋の皮膚を切り裂いた細い破片。
脚には太いガラス片が斜めに突き立ち、血が筋のように滴っている。
それでもアンジュは叫ぶことなく、ただ小さく、噛み殺すような声を漏らしている。
「アンジュちゃん!!!」
アンジュの腕に守られながらミコトが大声で叫ぶ。
「だ、大丈夫か?ミコト」
それでもなお、アンジュはミコトの無事を確認し、微笑みかけ、崩れそうな声で、「ふーー」っと息をつく。
「私じゃなくてアンジュちゃんが!!!」
ミコトは反射的にアンジュの背へと手を伸ばした。だが、触れる寸前でその手が止まり。
「そんな────」
ミコトはその惨状に絶句した。
突き刺さったガラス片は、もはや骨にまで届いているのではないかと思えるほど深い。
それでもアンジュの表情は、痛みを訴えるどころか、ただ淡々としていた。
シュー……。
微かな蒸気のような音が立ち上る。
その音を皮切りに、ミコトの目の前で───アンジュの皮膚が、裂け目からじわじわと再生し始めた。
(────ッ傷が、?)
破片に貫かれた肉が盛り上がり、血が止まり、皮膚が閉じていく。
突き刺さっていたガラスも、重力に負けてポロリと音を立てて落ちる。
「アンジュちゃん………その傷───」
「卵は!?」
驚愕するミコトをよそに、アンジュはくるりと振り返り、割れた温室の中を確認する。その背にはまだ幾本か、抜けきっていないガラス片がぶら下がっていた。
「………無事みたいだな」
卵は傷一つなく、静かにその場にあった。
周囲を見渡すが他の卵にも影響はない。
アンジュはそれを見て、ホッと胸を撫で下ろす。
「………………」
その姿を見て、ミコトは言葉を失う。
先ほどまで身体に突き刺さっていた生傷の数々。
それらが、何の跡も残さず消えていた。
常人であれば命に関わるはずの怪我が。
それでもアンジュは、自分の体の裂傷など気にも留めていない様子だった。
尋ねるべきか、問い詰めるべきか。
ミコトの心に、葛藤の影が激しく駆け巡る。
───ピシリ。
その音にミコトの思考が、途切れた。
「………卵が」
二人の視線の先で、卵の殻に、一本の亀裂が走る。
それは瞬く間に枝分かれし、乾いた音を立てながら全体に広がっていく。
やがて破片と化した殻がポロリと外れ、足元に転がった。
卵の中は暗く、何も見えない。
だが、そこにふっと灯った光が、二人の顔を照らし、闇の奥からギロリと光る目が、じっと二人を覗き込む。
肌を刺すような気配に、アンジュとミコトは同時に息を呑み、思わず後ずさった。
────そして。
卵の頂が、内側から押し上げられる。
割れ目が開き、殻が外へ弾け飛ぶ。
やがて卵のてっぺんが勢いよく持ち上がる。
そこの中から飛び出したのは───。
「────ミィ!」
変な生き物だった───。




