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第11話 出会った二人と騒ぐ上役①



 監獄───。

 ここは、そう呼ぶにふさわしい場所だった。



 洞窟とも、あるいは遺跡ともつかぬその空間は、幾筋ものトンネルが蜘蛛の巣のように枝分かれしていた。


 壁は黒ずみ、湿った空気が肌に張りつく。天井から吊るされた粗末な照明が、頼りなく明滅しながら、ゆらゆらと陰影を作り出していた。


 そんな異様な空間を、まるで観光に来たかのように軽快な鼻歌を奏でながら歩く男がひとり───。


「フ〜ン………フフフンフンフンフ〜ン♪」


 男は酒瓶を片手に、ふらつく足取りで通路を歩いていた。時折転びそうになって壁に手をつきながら、楽しげに足を運んでいた。


「ウ〜〜ぃ」


 通路を抜けた先で、急に視界が開けた。


 天井は高く、広い空洞のような空間が広がっており、檻のような鉄格子が無数に並んでいた。その隅には小さな椅子がポツンと置かれており、男はノロノロとそこへ辿り着くと、ドシンと雑に腰を落とし、グイッと酒瓶を仰いだ。


「ンあ〜?もうこれだけしか残ってんねぇのか………」


 ぶつぶつと文句を垂れながら、瓶の底を覗き込む気だるげなその目が、空虚を映す。


 すると───。


「ギッ………ギャギャギャ……ジジジジジ……」


 檻の中から、擦り潰された金属片の様な呻き声が響き渡る。

 その中では、見る者の正気を疑うような異形の怪物たちがうごめいていた。


 だが男は、怪物達など意に介することもなく、愚痴をこぼし続けている。


「ツマミもねぇし酒もねぇ、オンナもいんねぇし、実にモチベーションの上がらない職場だぜ………。《《お前らの世界》》の方がよっぽどマシかもな」


 気を抜いたら、ここでは“正常”の方が壊れる。

 ぼやくようにそう呟いた時───周囲の檻の中から、さらなる騒めきが起きた。


「ジジジ………ジャッジャッジャッ!」


「あぁン?なんだぁ………お前ら?やけに盛り上がってるじゃねぇか」


 地下牢に響くのは、呻きではない。恐れでも苦痛でもない。それは“歓喜”に近いざわめきだった。その瞬間───。


 ズゥン……ッ!


 空気ごと震わすような地響きが、足元から腹の底まで響いた。


「おわっと!?」


 体勢を崩した男は酒瓶を落とす。足元から伝わる低く重い地響きが、男の酔いを一瞬にして吹き飛ばした。


「なぁんだぁ………?」


 ぐらつく足を踏ん張りながら、男は外へと足を進めた。外へ出た男の足元に広がるのは、大地ではなく、空だった。


 空の真ん中に、不自然な切り取られたたような正方形の大地が浮かんでいる。

 男がいたのは、その空に浮かぶ漆黒の監獄だった。


 双眼鏡を覗いた男の視線の先に映ったのは、遠くで黒煙を上げるスカイ・ファーム中央塔。


 燃え上がる塔の外壁をなぞり、周囲には小さく見える人影と、暴れ狂う魔獣の影。

 

「おい………おいおいおいおい」


 さっきまでの酔いは、もうどこにもなかった。

 男の顔からだらしない笑みが消え、目元にはわずかに血走った殺気が滲む。


「───ったく、アイツらは何やってんだ」


「ギャギャギャ!!ギャゲゲゲゲゲ!!!」


 怪物達は歓喜に身を任せ、次々に鉄格子に飛び掛かる。

 彼らを閉じ込めている鉄格子の金具は、音を鳴らしながら軋み、歪み、今にもこじ開けらる勢いだった。


 男は小さく舌打ちしながら、肩を回し、髪をぐしゃりとかきあげた。再び監獄の建物内に足を踏み入れると、視線は自然と、鉄格子の奥にうごめく異形の怪物たちへと向かう。


「お前ら………酔い覚ましの時間だ」


 “四人目”。彼の名は「ナグニ」


 静かに笑ったその表情は、先ほどまでの陽気な酔っ払いのものではなかった。




          * * *



 ───数日後。


 雲の海をかき分けるように、一隻の大型貨物飛空艇がゆっくりと進んでいた。


 飛空艇が前に進むにつれ、空気が微かに澄んでいくのが感じ取れた。


 青空はより青く、雲の白はより透き通る。まるでそこだけが、空の中でも特別な“空域”であるかのようだった。


 ゴウン、ゴウン……。


 年季の入った船体が、定期的に唸るような音を立てて揺れながら進む。


 飛空艇の内部はというと、物置のように無造作に荷物が積まれ、埃っぽい空間が広がっていた。


 とても客を乗せる設計ではない───。

 だが、その雑然とした中に、場違いなほど目立つ存在が数名。


 『モンスター・パニック・サービス』の面々。


 そして彼らに同行する少女、アンジュ・トライバルが乗っていた。


「───うーん」


 アンジュは床に直に腰を下ろし、ぼんやりと胸元の紋章に指を添えていた。

 彼女が龍に生命力を与えたあの時、眩く光に包まれ、刻まれたものだ。


「………やっぱり紋章《それ》、消えそうにない?」


 隣に座るフライヤが問いかけると、アンジュは紋章から指を離して「ふーっ」と一息吐き、肩をすくめる。


「まっ!体はなんともないし!大丈夫です!たぶん!」


 アンジュは無邪気な笑顔でそう言ってうーんと背伸びをする。彼女は瞑るように目をつむり、大きく伸びをした。

 気の抜けたあくびと共に、彼女の瞳はゆっくりと窓の外に向けられた───次の瞬間。


 窓を大きな影が埋め尽くし、さらりとした木漏れ日のような緑の波紋が機内に差し込んだ。


 アンジュが慌てて窓辺に駆け寄ると、そこに映ったのは、とてつもなく巨大な、大樹の幹だった。その光景を見たアンジュは、息を呑んだ。


「す、すっごーーーーー!」


 空に浮かぶ巨大な島、そしてその中央にそびえ立つとてつもなく大きな大樹。


 それは、まるで空を貫くように存在していた。木の幹は山よりも太く、枝は雲を突き抜けてなお広がっている。


「なんだアレは!?でっかい木!?塔か!?いや、木だ!?」


 アンジュが興奮気味に身を乗り出して叫ぶ。心の底から湧き上がる感動を、抑えるつもりもない。


「おい………騒ぐな」


 斜め向かいに座っていたコマが、眉間にしわを寄せて呟いた。だがその静止も、アンジュのテンションには到底届かない。


「操縦士さ〜ん?せっかくだから園の周りをぐるーっと遊覧してくれないかしら?」


 フライヤがわざとらしく手を振りながら、操縦席の方に声をかける。

 鬱陶しそうに横目で見ていたコマが、一層うんざりした顔になる。


 飛空艇はゆっくりと旋回し始め、緑の巨樹を眺める特等席を演出した。いつもに増して、奇跡のような風景にアンジュの胸が高鳴る。


 アンジュの無邪気な興奮に、ついフライヤもニコニコと頷きながら相槌を打つ。


 旅の疲れも、不安も、今この瞬間だけは霧散していた。


 しかしその一方で、貨物室の奥、床に胡座ではなく“体育座り”で身を縮めた巨体がひとつ。


「……………………」


 黙り込んでいたのはサカキだった。


 その鬼の男は、スカイ・ファームの空を飛ぶ貨物船の中で、やや窮屈そうに丸くなっていた。彼ほどの体躯では、貨物飛空艇の広さもあまり意味をなさないのかもしれない。表情は険しく、何か思案しているようにも見える。


「サカキ………どうしたの?」


 その様子に気づいたフライヤが、ゆっくりと近づくと───。


「───ゥいっきし!」


 くしゃみをした。

 その破壊的なくしゃみは、ただの一発で飛空艇のバランスを大きく乱し、船内は大きく傾いた。


「うわあああ〜!?」

「ちょっとサカキ!!」

「ぐああああ!眼帯に!眼帯に鬼のヨダレがあああああ!!」


 貨物室に警報のような叫び声が響き渡る。


「メーデー!メーデー!スカイ・ファーム応答せよぉ!」


 静かだった旅の空気が、一瞬でいつもの日常へと引き戻されていった。



          * * *



 飛空艇が地面を擦るようにして、なんとか着陸する。


 乗っていた面々は次々と甲板を飛び出してくるが、真っ先に地を蹴ったのは、もちろんアンジュだった。


「はぁーーーーーっ!」


 飛び降りる勢いで船を出た彼女は、眩しそうに空を仰ぎ、そしてゆっくりとあたりを見渡す。


 後からゆっくりと降りてきたサカキは、その光景を見て立ち止まる。彼の視界に広がるのは、そこかしこに刻まれた破壊の痕跡だった。


「まるで被災地だな、嵐にでも遭ったのか?」


 中央棟の壁には大きな亀裂。舗装された地面は砕け、ところどころ焦げたような黒い痕が残っている。折れた手すり、半壊した通路、仮設されたテント。


 スカイ・ファームは、かつての整然とした様相を残してなかった。


(…………有事か)


 その重々しいサカキの沈黙を打ち破ったのは、職員たちのどよめきだった。


「おっ、おい!?」

「サカキさん達だ!」

「モンスター・パニック・サービスが戻ってきたぞ!」

「さすが“三国覇者《みこくはしゃ》”………相変わらずの迫力だ」

「目ぇ怖えぇーー」


 たちまち広場の空気が一変する。

 あちらこちらから職員たちが集まり、まるで勇者でも現れたかのような騒ぎに包まれていく。


「それと───」


 視線が次に向いたのは、目にも止まらぬ速さで飛び降りてきた細身の影。


「最速の斥候!最強の懐刀!コマさん!」

「カ、カッケーー」

「あれ?顔を擦ってる?」

「地面に顔を擦り付けてる!?」


 飛空艇から飛び降りるやいなや、土にめり込む勢いで伏せるコマ。

 先程のサカキのくしゃみで汚された顔面を地面に擦り付け落としていた。


 続いて、華やかに降り立ったのは、モンスター・パニック・サービスの紅一点。

 フライヤ・アークライトの姿。


「フライヤさん………別名“最下層魔法使い”」


「今言ったヤツ、顔覚えたわよ?」


「ひぃッすみません!!」


「ああぁ、相変わらずの美しさ………」

「なんとか、お近づきになりたい………」

「やめとけ、命と金がいくつあっても足りん」


 熱狂と恐怖と畏敬の入り混じった声が飛び交い、スカイ・ファームの職員たちは全力で彼らを迎えていた。


 そんな騒ぎの中で───。

 一人だけ、少し離れた場所から静かにその光景を見つめている少女がいた。


(サカキさん達、帰ってきたんだ………)


 その少女の名はミコト・クラマ。

 スカイ・ファーム雑用係、そして転送士見習いでもある。


 彼女も他の職員たち同様、サカキ達の存在に畏敬の念を抱くも、だがその視線の先───サカキたちの後方の一人の少女に目をやる。


(誰か、連れてる?)


 サカキやフライヤ、コマよりも遥かに小柄で、動きが子供のように軽い。それでもなぜか、目が離せなかった。


「ご無沙汰ですね、サカキ殿」

「グレン君───それにバジル」


 荒れ果てた中央棟の広場に立ち尽くしていたサカキ達の前に現れたのは、育成班班長のグレン・フォードと、訓練班班長のバジルだった。


 ふたりは落ち着いた足取りで歩み寄り、騒がしい人だかりの前に自然と立ちはだかるようにしてサカキたちと相対した。


「また“随分な時”に帰ってきたな」

「………どうやら、そうらしいな」


 サカキとバジル、緋と黑、ふたりの鬼が向かい合う。


 対峙というわけではないが、その場にいる誰もが一歩退きたくなるほどの圧が、空気の中にじわりと広がっていた。


「今回の調査で色々あってな、調べて欲しいことがあるんだが、どうやらそれどころではないらしい」

「構いませんよ、依頼を出したのは牧場側《こちら》なのですから」


 静かで柔らかく、それでいてどこか責任の重さを滲ませてる会話。

 グレンはサカキの肩の荷を受け入れるように、まっすぐ彼の眼を見据えた。

 するとグレンの目に、背後で突っ伏しているコマの姿が目に映る。


「………おや?」


 コマはいまだに地面に顔を擦り付けていた。泥と草を使って、懸命にサカキのくしゃみの《《残骸》》を拭き取っている。


 するとグレンの口元に、わずかな笑みが浮かぶ。


「………おたくの《《ペット》》は、相変わらず土が似合う。躾もされず、放し飼いのままでは何も学ばないでしょうに」


 唐突に、毒を吐くグレン。その一言に、サカキとバジルは同時に頭を抱えた。

 しかし、それより早く動いたのは当のコマだった。


「てんめぇ、もっかい言っ────」


 コマが勢いよく顔を上げ、グレンに飛び跳ねるように立ち上がろうとした次の瞬間───彼の背後に鈍い衝撃が走った。


「ぐっはぁああああああああ!?」

「コーマく〜ん♡」


 背後から伸びてきた巨大なアームが、コマの背中をガッチリと掴み上げた。機械仕掛けのツメが彼の胴体を鷲掴みにし、宙吊りにする。


「おっ久〜〜〜!」


 宙を舞うコマの背後に現れたのは、車椅子型の乗り物。


 フレームにはレバー、スイッチ、圧力メーター、無意味に回転するギア。

 後部では煙突のような排気口がシュウシュウと音を立て、何本ものアームが勝手に動いている。


 その騒々しい自走式の多機能車椅子に腰を据え、化学班班長のリゼ・ピクトグラムが満面の笑みを浮かべ鎮座していた。


「来ているんなら真っ先に私の所へ来いよ〜」

「ぐはぁぁっ!」


「てゆうか牧場《ウチ》で飼われろよ〜」

「げふぅぅっ!!」


 ゴシャッ!ドシャッ!バギィィン!と音を立てながら、コマは左右に叩きつけられ、その体はガラガラと地面を滑っていく。


「眼帯の調子どう?もっとマメに来いよな〜」


 コマは再び宙吊りにされるが、もはや抵抗する力も失われ、プラーンと両手をぶら下げ、白目を剥いていた。


「………流石に不憫ね」

「………確かに」


 フライヤとアンジュが、哀れむような視線を送る。その様子に、グレンがふと目を細めた。


「サカキ殿、そちらの子は?」


「───“空の火事”を解決した、立役者だ」


「この子が?」

「マジかよ!?」


 サカキの返答にグレンの眉が跳ね上がり、バジルもギョッとした顔でアンジュを見る。


「やるじゃん………と言いたいけど、流石に驚くな」


 リゼも機械椅子の上で腕を組み、真顔でうなった。


 モンスター・パニック・サービスが請け負う依頼は、常に命懸けの修羅場だ。

 その一件を解決したという事実が、どれほどの衝撃か、職員たちも次第にざわつきはじめる。


「《《そのあたり》》も踏まえて、所長へ謁見したいのだが」

「モチロン!所長はすでにお待ちだよ!」


 サカキの問いに、リゼは即答した。


(サカキさん達の調査を解決するなんて………凄い!!)


 そのやり取りを、やや離れた場所から見つめていたミコト。


 自分と同じくらいの歳で、どこか頼りなく見えるその少女が、サカキたちの依頼を解決するだけの力を持っている。

 その事実に、驚きと小さな衝撃が、じわじわと胸の奥に広がっていく。


「私はコマ君の検査がしたい、借りてってもいいかい?」

「もちろんだ」


 リゼがさらりと言い、サカキはためらうことなく了承する。


「……………」


 己の意思の介在がないまま、全てを諦めたコマは、宙吊りのままでグレンを睨みつける。


「テメェ………覚えとけよ?」

「もう忘れました」


 グレンは目をそらしたまま、コマの啖呵を淡々と切り捨てた。


「所長室へはフォードも同行してくれ」

「私も?」


 リゼの指示にグレンが首を傾げる。


「ナグニと繋がっている」

「…………そうですか」


 その言葉だけで、すべてを察したグレンは、静かに頷いた。


「ではアンジュ、我々は少し外す。君はここで待っていろ」

「………えっ?」


 突然の言葉に、アンジュがきょとんと首をかしげた。


「それならウチのミコトを付けましょう」

「………えっ?」


 同じタイミングで、今度はミコトが小さな声を漏らす。


「ミコト?聞いてましたね?あとは頼みますよ」

「はっはい!」


 ほぼ反射的に返事をしたミコトの横を、大人たちは静かに通り過ぎていく。

 フライヤは二人に軽く手を振りながら、にっこりと笑って去っていった。


 残されたアンジュとミコト。


 二人の視線が交わり静かな空気が流れる。数秒の沈黙のあと、気まずさのあまり、ミコトが何かを言いかけたが───。


「しょーがないな〜」


 アンジュがくるりと踵を返し、後ろ手に手を組みながら、ふらりと歩き出す。


「あっあの!どちらへ!?」

「さんぽ!」


 ミコトの呼びかけにアンジュはあっさり言い切る。


「散歩って、ちょ、ちょっと待ってくださーい!」


 そのまま歩き去るアンジュを、ミコトは慌てて追いかけていった。

 その様子を、見送った最後のひとり───。


「…………仕事に戻るか」


 完全に置き去りにされたバジルが、ポツリとつぶやき、肩をすくめて歩き出した。



          * * *



 所長室に足を踏み入れたサカキとフライヤ、そしてグレン。

 扉を閉めたその瞬間、サカキが声をあげた。


「───っ所長!?」


 目の前に立っていたのは、かつての威厳ある巨躯ではなく───。

 鉢植えサイズに縮こまった、小さな木の老人だった。


「なんと………そのお姿は、まさか“種子”を!?」

「うん!」


 問いかけに対し、所長は実にあっけらかんと返事をした、その姿にフライヤは目を細め、意地の悪い笑顔でにじり寄った。


「アラアラ、随分と小さくなったじゃない?可〜愛いわね〜」


 彼女はニヤニヤとそう言いながら、ふらりとタバコの火を近づける。


「やめなさい!!!萎れる!乾く!枯れる!」


 所長は必死に叫びながら、机の上をコロコロと転がりながら後退した。


「やはりこの“状況”と関係が?」

「まぁね!」


 サカキの問いに、所長はピーンと芽を弾かせながら笑った。


「そこに関しては美しい師弟愛で事なきを得たよ」

「───ゴホン」


 胸を張って誇らしげに語る所長にグレンは頬を赤らめながら咳払いを一つする。


「所長、本題に入りましょう」

「ウム!実は───」


 所長が真面目な顔になった……と思いきや。


「最近、みんな忙しくて、あんまり構ってくれないんだよね」


 またすぐに話が逸れた。


「………焼きますよ?」


 グレンが冷たく言い放つ。彼が機能している限り、会議はなんとか成立していた。




          * * *




「スッゲーーーーーーーーー!!!」


 轟くような大声が、スカイ・ファームの空に突き抜けた。


 中央塔の縁に立ったアンジュが、風に吹かれながら両手を広げる。彼女の視線の先には、巨大な空中牧場全体が広がっていた。


 空に浮かぶ島々、牧草地が広がる草原、深緑の密林、雪と氷に覆われた島、そしてその中央でどっしりと構える主塔の大樹。


「限りなく広い!」


 眼下から水平線の向こうまで、あらゆる“命の色”が広がっていた。


「なんだアリャ!?海が浮いてる!」


 アンジュの指が、空中に浮かぶ巨大な水球を指す。

 半透明の球体の中で、波がうねり、魚の群れが泳いでいる。


「これ全部“スカイ・ファーム”なの!?」

「はい」


 その返事とともに、ミコトは携帯している端末から空中に地図を投影する。


 幾つもの浮島が円を描くように配置されたそのスケールは、やはり一言では語り尽くせない。


「スカイ・ファームは大きく分けて9つの地区で構成されていて『中央棟』という主島を中心に『平原区《へいげんく》』『樹海区《じゅかいく》』『海洋区《かいようく》』『寒冷区《かんれいく》』『酪農区《らくのうく》』の離島で多種多様の生き物を飼育や観察、研究ができるよう、設備された牧場なんです」


 地図を指しながら、ミコトは丁寧に説明を重ねていく。


「他にも『訓練区』での生き物の訓練や『遊園区《ゆうえんく》』では一般のお客さまへの公開も行われています。それから……私たちが暮らしている『住居区《じゅうきょく》』に、あとは………多目的の小島など………」


 一つ一つ指を差しながら説明するミコトの横顔は、まるで観光案内人だった。やがて、少しだけ恥ずかしそうに、でも確かな自信を込めて言葉を結ぶ。


「この世界───最も生物を愛している場所なんです」


「へぇーーーーーーー!!」


(………かわいい)


 アンジュの瞳が、パァッと輝いた。その眩しさに、ミコトの胸が不意にキュッとなる。


「そしてこの牧場と切っても切り離せないのが、“召喚士”の存在です」


「召喚士?」


 聞き慣れない用語に、アンジュが首を傾げる。

 その仕草に応えるように、ミコトの声も少しだけ弾んだ。ミコトは少し前を歩きながら、背後のアンジュに説明を続ける。


「召喚士とは、世界中に点在する冒険者や、各国に属する勇者部隊で活躍する、特殊な役職の名前です」


 説明を始めたミコトの声は、さっきよりもほんの少しだけ熱を帯びていた。


「召喚士は“特殊な魔法”を使って、あらゆる生き物を『召喚獣』として呼び出す『出口』を作り出す事ができるんです」


「出口?」


「はい、生き物を送り出すための、いわば“通り道”です。その出口から呼び出した召喚獣の力を借りて、様々な困難を解決へ導くのが召喚士の持ち味なんです」


 ミコトの視線が、どこか遠くを見つめた。その表情には、どこか誇らしげな色も混じっていた。そこへアンジュは、ふと眉をひそめて問い返した。


「でも、その出口?それを作ったって、召喚獣はそこまでどうやって行くの?」


 アンジュが素朴な疑問をぶつけると───。


「そぉーーーーーーーなんです!!」


(………本題か)


 その言葉を待っていたように、ミコトが声を跳ね上げて振り返り、その瞳がパァッと輝いた。


 察したアンジュは、ちょっと苦笑いしながらもその熱意に押され、思わず黙って頷いた。


「出口があるなら入口がある!」


 ミコトは一拍置いて、まるで舞台の上で台詞を叫ぶ役者のように、指を高々と掲げて言い切った。長くなると思ったアンジュは近くのベンチに座り、傾聴に徹する。


「世界中の召喚士さん達を裏で支えているのが───」


 ミコトのその語り口調は、まるで《《どこかの育成班班長》》のようだった。


「“転送士”です!」


 ずいっと顔を近づけてくるミコトに、アンジュは思わずのけぞる。その勢いに圧倒されるも、ミコトの熱意は揺らがなかった。


「転……なんだって?聞いた事あるような………」


「転送士です!このスカイ・ファームの中でも特殊な役職で───」


 言葉に力がこもる。ミコトの声は風に乗ってよく通った。


「出口の向こうで待つ召喚士さんの元へ生き物を送り出す人たちなんです!」


「ふーん」


 片手で頬を着きながら、ミコトの熱気をさらりと受け流すように、アンジュは鼻を鳴らす。


「アンタその転送士に憧れてるんだ?」

「ええっ!?な、なんでわかるんですか!?」


(何でって………)


 ミコトがぎょっと目を見開く。アンジュは肩をすくめ、いたずらに笑いながら話題を逸らす。


「転送士って、牧場《ここ》には沢山いるのか?」


 アンジュの問いに、ミコトは表情を切り替えて再び語り始めた。


「はい!スカイ・ファームの職員が各役職をこなしがら兼任されています」

「ふーん」


「育成班や訓練班など、牧場でお仕事をしている方々が、それぞれの仕事をこなしつつ───」

「ふーん」


「召喚のお呼びがかかると、その状況の解決に最も適した生き物を転送するわけです」

「ふーん」


「ちゃんと聞いてますか!?」


 聞き流されていることに、ようやく気づいたミコトが詰め寄ると、アンジュは気まずそうに視線を逸らした。


「ち、ちなみにアンタは何班なんだ?」

「えっ!?」


 その問いに、ミコトは露骨に言葉を詰まらせた。


「わ、私は………その…ざ、雑用で………」

「なんだただの下っ端か」

「………ひどいです」


 ミコトが肩を落とすと、アンジュはふふっと笑った。どこか人懐っこくも、どこか大人びているその笑顔に、ミコトの胸の奥にじんわりと温かさを残した。


「いや悪かったよ、ゴメン!もっと転送士の話を聞かせてよ!」

「いいんですか!?」

「う、うん………」


 ミコトは、さっきまでのしょんぼり顔から一転して、ぱあっと表情を輝かせた。

 急に身を乗り出してくるミコトに、アンジュは少し引き気味に頷いた。


 ───そこからのミコトは、もはや止まらなかった。


 転送士の役割、過去の歴史、有名な事件や使われた召喚獣の記録。

 早口になりながらも、どこか誇らしげに語るミコトの姿は、夢にまっすぐな子どもそのものだった。


 アンジュは最初こそ適当に相槌を打っていたが、次第にその熱量に引き込まれ、思わずとも自然に旅の話や、サカキ達との出会い、そして遺跡での龍との邂逅を口にしていた。


 年の近い二人の少女が、並んで腰かけ、風の中で語り合う。その時間は、不思議とやさしく、穏やかに流れていき、二人の距離が近づくのに大した弊害はなかった。



          * * *



 静まり返った所長室に、無言の緊張が漂っていた。


 机の上に広げられた写真に、サカキとフライヤが身を乗り出して覗き込んでいる。


 それは、一見するとただの“蟻”の写真。だが、ふたりの表情は曇っていた。


「これは───」

「蟻ね───」


 サカキとフライヤがぽつりと呟く。


 あっけらかんとした言い回し、写っているのは、何の変哲もない一匹の蟻。そのはずだった。だが、その小さな存在で一同に緊張の兆しが宿る。


「《《本人》》が現れたのですか?」

「いや、そこまでは分からない」


 沈黙を破って問いかけるサカキに、所長は静かに首を振る。

 目の前の一枚が持つ意味の重さに、場の空気が徐々に張り詰めていく。


「この写真について知っているのは、ここにいるメンバーとリゼ君とバジル君、それに───」


『ウィ〜〜〜っす』


 所長の言葉を遮るように、机の上の無線機から、間の抜けた電子音声が割り込んできた。肩透かしのようなその声に、フライヤがぎょっと眉を上げる。


「なるほど、貴方と繋がった理由が分かりましたよ───ナグニ」


 グレンは無線機に目をやる。


『んん〜?その声はフォードか?』


 そこから聞こえてきたのは、彼にとって聞き慣れた、だが一筋縄ではいかない男の声。


『相変わらずクソ真面目に仕事してんのか?班長さんよぉ〜?』

「世間話はいずれまた、見解を聞かせてください」

 グレンの静かな一言に、ナグニはすぐに返す。


『見解も何もその一枚が全てを語っている──』


『リゼの奴もよく撮ったもんだぜ』


『………おおかたお前らの想像通り──』


 無線越しのナグニの声が、やや低くなる。


『今回の一件は“彼女”の仕業だ』


 その言葉に、空気がひときわ重く沈む。

 “彼女”───誰もがその正体に思い至りながらも、名前を口に出すことはなかった。


「なぜこうも突然………」


 フライヤの問いが漏れる。


『─────突然?』


『唐突な罹災《りさい》に対して、愚か者は決まってそう言う』


『彼女は周到に、そして計画的に準備をしていたんだよ。じっくりとな』


(………いちいち)


 嫌味が詰まったような口ぶりに、フライヤがイラつきを隠しきれない。


「───狙いは?」

『イデア・コアの無力化、そして牧場の崩壊だ』


 グレンの問いに、ナグニが迷いなく即答する。


「むむぅ………」


 眉間にシワを寄せて呻く所長。樹液がひとすじ、こめかみを流れていた。


「貴方が現場にいればもっと早く───」

『馬鹿か?』


 グレンの言葉に、ナグニの声が鋭く跳ね返る。


『有事だろうがなんだろうが、テメエらの不甲斐なさを俺に押し付けんな』


 ナグニは自身の持ち場で酒瓶をあおり、一気に飲み干す。


「そういう時こそ───俺が“ここ”から離れてどうする?」


 先日まで咆哮を上げていた怪物たちは、ナグニの手によって、すでに制圧されていた。気を失い床に転がる異形の怪物たち。その山の上で、ナグニが一人、無線機を片手に語る。


 その姿は、文字通り鉄壁の番人。持ち場を離れぬことに、迷いはなかった。


「………そうですね」


 グレンが少し笑みをこぼした。

 それは、自らの愚問を認めるような柔らかな表情だった。


「ちょっと!」


 ついに我慢の限界に達したフライヤが、勢いよく前に出る。


「さっきからアンタ言い方にトゲがありすぎ!」

『“最下層”は黙ってろ』


 無線機から放たれた一言に、フライヤのこめかみに浮かんだ血管が、大きく脈打ち、そして爆ぜた。


「随分と調子いいじゃない?この楽観主義者《オプティミスト》が………言っとくけど私の雷《まほう》は、アンタの所まで届くわよ?」


『やれるもんならやってみろ』


 無線機に詰め寄る挑発に対して即座の返答。


 フライヤの杖の先端に、ピリリとした雷光が灯り始める。目を魔物のように光らせ、口角は耳にまで達しようとしていた彼女のその笑みは、もはや魔女そのものだった。


「やってやろうじゃない!」

「やめなさいって」


 その背後から、サカキがそっと近づき、彼女の襟首を“ひょい”と掴む。


 杖を振り回しながら「ギャー!ギャー!ギャー!」と、空中をじたばたともがきながら、叫び声を上げるフライヤ。無線機の向こうでは、ナグニがくくっと笑った気配すら感じさせた。


「今後の対応はどうしようか?ナグニ君?」

『そぉ〜さねぇ〜様子見かな?』


 所長が問いかけると、即座に気の抜けた声が返ってくる。


「「…………………は?」」


 同時に声を上げるサカキとグレン。

 あまりに軽い返答に、場の緊張感が抜ける。


『痕跡が残ってるワケでもねぇし、標的《ウイルス》も村長とフォードんとこのガキが跡形もなく消し去った───』

「所長ね?」

『したがって現状、打つ手はねぇが………フォード』

「なんですか?」

『村長の種子を転送したってガキには気をつけておけ』

「所長ね」


 所長のさりげない訂正は無視し、ナグニは間を置いてから、低く小さくつぶやいた。


『目を付けられてると思った方がいい』


「そのつもりです」


 ナグニなりの気配り、それに短くも決意の込もったグレンの返答。ナグニは少し沈黙を置き、今度は己が愚問をし、納得に至ってあることは、通信越しでも伝わってきた。


『ほいじゃあオレはそろそろ寝るぞ?“夜勤明け”なんでな───』


 大きなあくび混じりの声と共に、通信はぷつりと途切れる。

 その場には再び静寂が戻った。


「そうか───」


 所長がぽつりと呟く。その顔には、普段の飄々とした面影はなかった。


「彼女はまだ、許していないのか───」


 静かに目を伏せ、過去を思うように沈む所長の眼差し。何も語らずとも、その憂いは場の全員に伝わった。


「それはそうと!」


 突然、所長がぱっと顔を上げ、背筋を正して声を張る。


「君たちの調査結果を聞かせてくれるかい?」

「切り替え早いわね」


 くるりと振り返る所長に、フライヤが呆れ顔でため息をついた。

 彼女は片目を閉じ、瞳の奥を杖先で軽くトントンと叩いた。


 すると、片目の瞳孔から小さな魔法陣が展開され、ふわりと空中へ浮かび上がる。魔法陣から放たれた光は、映写機のように壁面に向かって淡く発光する。


 室内の灯りはわずかに落ち、そして部屋の壁に鮮明な映像が投射された。


 その瞬間、室内は静寂に包まれた。


 映っていたのは───。


 咆哮を上げる巨大な龍の姿。

 空の火事───遺跡での事件の記録だった。


 燃え上がる空、吹き飛ぶ瓦礫、暴れる巨体。

 圧倒的な破壊と力の奔流を前に、誰もが言葉を失う。


 映像に釘付けになった所長が、呟くように漏らした。


「これは───」

「なるほど、やはり空の火事は、生物が原因でしたか」


 グレンもまた、眼鏡越しに真剣な表情を浮かべたまま、映像の隅々まで視線を這わせていた。


「本気でなかったとはいえ、私やコマ君の攻撃にも耐えるほどの強さよ」


 映像が終わり、壁に映し出された光がふっと消える。フライヤは片目をぱちぱちと瞬かせながら、「最近解像度悪いわね〜」と呟きながらゴンゴンと自分の頭を叩いた。


「戦闘になったのかい?」

「人里に被害が出る前に、収束させることはできました」

「───そうか、残念だ」


 所長のその言葉は、敵性存在として討伐せざるを得なかった、という前提からくる悔やみ。だが───。


「いえ………実は」


 言い淀むように前置きしたあと、サカキはアンジュと龍との邂逅、そしてその後に起きた《《異変》》について語り始めた。


「卵化に───再生?」


 静まり返る所長室。報告を聞く一同の耳が、自然と研ぎ澄まされていく。


「身の危険を感じたのかは分かりかねますが───強い光に包まれた後、あの龍は姿を変えました」


「うーむ、グレン君どう思う?」


 所長が机からわずかに身を乗り出し、隣に立つグレンに視線を送る。グレンは顎に手を添え、しばし考え込むように目を細めた。


「環境変化に応じて、自身を繭状《まゆじょう》にし、休眠をとる行為は両性種《りょうせいしゅ》や水性種《すいせいしゅ》でも確認されています───」


 落ち着いた口調で語り始めたが、その表情には不可解さが滲んでいた。


「ですが、それらはあくまでも、原型を維持したまま行われる。個体の体積はおろか、体格まで変化させたとなると、もはや転身………あるいは───」


 グレンは慎重に言葉を選びながら、その推察を語る。


「魔力による“急速退化”───」


 それは仮説に近い断言だったが、長年の経験に裏打ちされた重みがあった。


「いずれも自然生物学では説明のつけようがありません」


 そしてその結論は、あの龍が既知の分類には収まらない存在であることを示していた。


「それに、その龍に生命力を吸収させたという、《《あの子》》」


 グレンが目を伏せながら、もうひとつの異変に触れる。


「フライヤ」

「ええ───」


 サカキの呼びかけに応じ、フライヤは無言で煙草をくわえた。魔法で電熱を通した杖で火を灯すと、紫煙をくゆらせながら淡々と話し出す。


「前例として、致命傷からの再生は珍しくないわ」


 それは魔法使いとしての冷静な見解だった。


「でも…………再生速度が“早すぎる”」


 フライヤの脳裏によぎるのは、あの遺跡でアンジュが見せた“常な回復力。

 それは、ただの治癒とは思えない芸当だった。


「それを可能にする程の回復魔法も、それを行える魔力も、あのコから感じ取ることはできなかったわね」


 フライヤの視線は煙の向こう、何もない空間を睨むように彷徨っていた。


 所長室を満たす空気が、次第に煮詰まっていく。

 謎は深まり、明確な答えはどこにもない。

 やがて静かにサカキが口を開いた。


「所長、おそらくあの子は───」

「みなまで言うな、理解したよ」


 所長は静かに、しかし遮るように言葉を差し込んだ。その声音には、推察の内容が既に見えている者の余裕と、あえて口にしない気遣いであった。


「それで牧場《ここ》でその子の検査をおこなうとして、その後はどうするんだい?」


 話題をやや現実的な方向へ引き戻しつつ、所長が再び問いを投げる。


「ええ、そのあたりに関しては少し考えが───」


 サカキは顎に手を当て、何かしらの案を胸の中で温めているようだった。


「ちなみその卵は?」


 所長の言葉に、待ってましたとばかりに乗り出したフライヤ。


「ええ、いくらで買い取────」

「是非スカイ・ファームで安全に保護をお願います!」


 金の匂いには誰よりも敏感な彼女の言葉を、サカキが慌てて手を広げて割り込み、取引を制止する。


「もちろんだよ!」


 所長が笑顔で快諾し───。


「ならば、我々育成班でお預かりしましょう」


 グレンが隣で、いつもの落ち着いた口調で応じる。

 スカイ・ファームの信頼と体制の厚さが、その一言に凝縮されていた。


「さっそくその卵を見せてくれるかい?」

「勿論です」


 サカキは即答し、背負っていた荷物の留め具に手を伸ばす。フライヤも「そういえばどこしまったっけ」と呟きながら、自身の鞄を引っ掻き回す。


「……………」

「……………」


 探せど探せど、肝心の卵は出てこない。

 二人の間に、いやな汗が流れる。


「「──────あっ」」


 ───そういえば。

 引き離しすぎないようにと、“あの子”に卵を預けたことを。すっかり忘れていた。


 サカキとフライヤはそれを思い出し、同時に間の抜けた声を上げた。



          * * *



「これが………その卵ですか」


 慎重に手を伸ばし、恐る恐る触れながら、ミコトが尋ねる。


「そっ!」


 アンジュは、手に抱えていたその卵を包んでいた布をほどき、ミコトに差し出していた。


「卵というよりも石みたいですね」


 白っぽくて、ゴツゴツした表面。冷たくて硬くて、見た目はどう見ても石だった。


「フライヤさんが言うには、まだ生きているらしいんだけど」


 アンジュは遠慮なく卵を指でコツコツ小突く。

 見ているこっちが不安になるほど、遠慮がない。


「それに───」


 興味を持ってじっと観察していたミコトの視線が、ある一点で止まった。


「この真ん中にある小さな………模様というか」


 卵の表面、中央部に刻まれている奇妙な“模様”。

 それは自然にできた傷ではなく、意図的に刻まれた何かだった。


「どこかの紋章でしょうか?何か人工的な意図を感じます」


 ミコトの指先が、そっと紋様をなぞる。


(…………紋章かぁ)


 その言葉に、アンジュの視線が自分の胸元へと落ちた。そこに刻まれている、もう一つの紋章。


 卵に刻まれているものと形状は違うが、無関係とは思えなかった。


「んぅ〜〜〜〜〜」


 アンジュは目を細めて腕を組み、唸るような声を漏らす。傍から見ればただぼーっとしているようにも見えるが、たぶん何かを真面目に考えている。


「なぁ?ここって牧場なんだろ?だったら卵を早く孵すトコとかないの?」


 唐突に話題を切り替え、アンジュが問いかけた。


「───えっ?孵すんですか?」


 ミコトの声がひっくり返る。卵をポロッと落としそうになって、あわてて持ち直した。


「その為に持ってきたんじゃないの?」


 まるで当然のことのように言い放つアンジュ。


「で、でも勝手に───」


 あわあわと周囲を見回すミコト。誰もいないのに、まるで監視されている罪悪感に駆られているかのようだった。


「所長………せめてグレン班長に相談を───」


 アンジュに話してるのか、独り言を言ってるのかもわからない様子でミコトは狼狽えている。


「いーって、いーって!だってワタシに預けたってことはワタシの好きにしていいってコトだろ?」


「そうは思えませんが………」


 都合の良い解釈で、卵を指先でクルクルと回しながら、ケラケラと笑うアンジュをミコトがジッと目で返す。


「ますはしっかりと調査をしてから────」


 アンジュの考えを改めてさせるために、ミコトはひきつった笑顔で懸命に説得を試みる。


「そんなかったりい事、いちいち考えてるからいつまでも雑用なんだよ」

「ひどい!」


 彼女にとって、最も刺さる一言に、ミコトは肩をすくめて思わず涙目になる。


「いーからいーから!」


 アンジュは笑いながらミコトの背中をポンポンと叩き、そして────。


「ちょ、ちょっと!?」


「ニシシシ」と笑いながらアンジュはミコトの背中を押し出す、そのままズンズンとミコトの足が勝手に前へと進んでしまう。


「そういやアンタの名前、なんて言うんだっけ?」

「───私ですか?」


 背中を押されながら、きょとんとするミコトが答えた。


「ミコト………ミコト・クラマです」


「ワタシはアンジュだ!!よーし行くぞミコト!」


「本当に大丈夫なんですかね?アンジュさん………」


 ミコトは不安げに呟く。


「へーきだって!てゆうか敬語やめろよ!キモいから!」

「キ、キモ………じゃ、じゃあアンジュちゃんで」


 直球的なアンジュの物言いに振り回されながらも、自分の言葉遣いを切り替えた瞬間、ミコトの頬にほんのり赤みが差す。ミコトはアンジュのペースに飲まれたまま、二人は中央棟を後にする。


 とりあえず、今はちょっとだけ、楽しそうだった。



          * * *



「卵は回収次第、すぐに冷凍保存しよう!」


 ずいっと前に乗り出しながら、所長が強い調子で言い放つ。


「もし、グレン君の仮説通り、魔法による急速退化をしたのであれば、その逆も然り!さらに、サカキ君達が力まねば、傷一つ付かない程の強さと生命力を吸収する危険性───」


 言葉を聞くたびに、サカキとグレンの表情が引き締まっていく。


「ヘタに孵してしまったら───」


 言葉の重みに緊張が走る。

 そして所長の声が落ち着きを帯びた瞬間。


「何が起こるかわからない」


 部屋に静けさが満ちた。


 そしてそのとき───。


 アンジュとミコトに抱えられた“卵”が。

 再び、ほんのかすかに、鼓動のように、震えた。





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