第3話 班長の心構えと牧場の泣声①
『こちら平原区!応答願います!』
スカイ・ファーム全域に無線による報告が入り乱れる。
────平原区────
『繰り返す!こちら平原区!小型陸生種が暴走!施設内を走り回って──まずい、逃げ──ッ!』
『草食獣を肉食獣に遭遇させるな!鎮静剤で眠らせろ!それよりも翼竜種だ、絶対に平原区から!いや、駄目だ、翼竜種が上空に!誰か!誰か応援を──!!』
『あれはウチの子じゃないってば!あの子たち何でこっちに来てるの!?』
────樹海区────
『まずい、大型獣同士が……境界線を越えて争い始めた!』
『そこらかしこで殺し合うぞ──もう無理だ、止められない、誰か早く!』
『マーキングが機能してない!位置が掴め──ッ』
『おい!応答しろ!──クソっ回線が…!』
『バジル班長!!今どこに………早く……早く指示を!』
────海洋区────
『いけない、海洋区の深海曹から巨大精霊種が浮上しはじめました!』
『稼働可能な潜水艇を全て出せ!なんとか深層に帰すんだ!精霊種に帯びた魔力が中深層より浅瀬の生物に汚染されると一気に全滅するぞ!』
『勢いが強すぎる、精霊種の魔力を抑えられない』
『だめ……このままじゃ浅瀬の魚たちが……全部やられちゃう』
────寒冷区────
『寒冷区の気温維持ユニットが停止!氷層にヒビが入ってる!』
『なんとしても抑えろ!封印種が目覚めるぞ!』
『吹雪で視界ゼロ!捜索が進まない!誰か、誰か応答して!』
『なんであそこは吹雪が止んで、ここは吹雪いてるの……あーっ、氷が!氷が割れてる!誰か、誰か見て!あそこッ!』
『封印、保ててないかも……いや、確認できない!どうしよう!』
『多少強引に捕獲してもかまわ……うわ!氷塊がッ!!』
……off-line……
もはや言葉にするまでもない。
スカイ・ファーム全域が、混乱の底に沈んでいた──。
イデア・コアから放出される“回廊帯”。
それは太陽が常に光を放つように、魔力エネルギーを絶え間なく放出し、空に浮かぶスカイ・ファーム全体を包み込んでいる。
それは空気のように意識されずとも常にそこに在り続けている。
コアから放たれる魔力エネルギーは、スカイ・ファーム全域の環境、機能、そして生物たちの安寧までもを司る“環境の血流”である。
それが突如として起きた大きな「地震」を皮切りに、コアからの放出が停止した。
まるで、何かがその根元を断ち切ったかのように。
そして───。
島全体で管理されていた生物達の平静は失われ、何かに操られたかのように、次々と暴走し始めた。
それだけではなく、生物達が住みやすい様に整えられた環境も乱れ、気候は狂い、暴風が吹くはずの区では陽光が差し、凍てつくはずの空気は春風に変わった。
あらゆる“秩序”が崩れていた。
幸い、化学班が備えていた緊急用の予備電力は稼働していた。通信と移動手段は、かろうじて確保されている……だが、それでも───。
「畜生!次から次へと、どうなってんだ!」
「対応が追いつかねぇぞ!」
「生物達の暴走もそうだが、各地区の設備が不調を起こしただけでこれだけ手が回らなくなるなんて……」
「回廊帯、様々だな」
「化学班は何をやってるんだ?さっきからなんの報告も聞いて無いぞ?」
「リゼさんに限ってそれは…………」
各地区から届く生き物たちの咆哮が中央棟まで響き渡る、かつてない非常事態にどの職員も不安を露わにしていた。
「このままでは」と、各々が思い浮かべる最悪の未来に、意識を奪われかけたその時────。
「うろたえてはいけません」
途方に暮れていた職員達の背後から静かに、だが凛とした“喝”が背後から飛び込んできた。
「「「グレン班長!」」」
途方に暮れていた職員たちが振り返る。
そこにはスカイ・ファーム育成班班長、グレン・フォードの姿があった。
ざわつく空気の中、グレンは彼らの注目を受け止めるように一歩進み出る。
彼は周囲の視線を確認し、一切の迷いも見せることなく、はっきりとした口調で語り始めた。
「科学班は事態の原因究明に努めています」
「「「………………ッ」」」
「大型生物の暴走にはバジルを筆頭に既に訓練班が沈静化に向かっています。我々育成班および一般職員の任務は、避難誘導と負傷者の救助です」
「「「………………」」」
「一般職員は、滞在中の観光客から最優先で大型飛空艇へ誘導、速やかにスカイ・ファームから退避させてください」
「「「………………」」」
「育成班は小型の飛空艇で各地区の負傷者の救助へ、断っておきますが、燃料を惜しむ必要はありません。普段から辛抱しているのは把握してます、今宵は思い切りアクセルを開けて構いません」
「「「………………♪」」」
「それと、イデア・コアの魔力供給ができなくなった今───精霊種など生命維持がデリケートな種の“実体化”が困難となる見込みがあります。魔法や魔術が使える者は、それら全ての種を、この中央棟へ集め、魔力供給をお願いします」
「「「………………ッ!」」」
「私はこのまま中央棟より全体の指揮と連携を担います。ただし、無線がいつまでも機能するとは限りません………なので各々で即応できる状況であればその時は────」
「「「………………?」」」
「我々、班長勢の指示は待たなくて結構!全責任は私がとります!」
グレンは、一息で言い切った。
職員たち一人一人の目を、まっすぐに見据えながら腹の底から声を張る。
彼の冷静なる大喝と覇気に圧倒された職員たちは静まり返る。
「最後に所長から───」
グレンは少し間をおき、静かに口を開いた。
「『園内の全ての命は我々の家族。一人、一体、一匹とて決して見捨てず、全員生還せよ』」
その言葉を噛みしめるように語り、グレンは強い視線で所員たちを見渡す。
誰も返事はしない。ただ、緊張と覚悟が張り詰めるように、空気を満たしていった。
「これを最優先事項とします」
「「「…………………………」」」
グレンはその場の空気ごと締め上げるように言葉を放つ。沈黙の中、職員たちは息を呑み、その声を噛み締めるように聴いていた。
そしてグレンは一歩、静かに踏み出す。
「───異論は?」
その一言は、質問ではなく、確認でもない。
“煽り”である。
先ほどまでの不安や緊張が嘘だったかのように、ざわめきは静まり、静かに、ゆっくりと所員たちの拳が一人、また一人と強く握りしめられていく。
そして次の瞬間───。
「「「あるわけねぇ!!よっしゃあああああああ!!!」」」
職員たちの反応を見届けたグレンは、誰にも気づかれぬよう、ごくわずかに口元を緩めた。
「勢いを取り戻したのであれば十分、理解したのなら動く!」
一同の鼓舞の叫喚に劣らない声量でグレンが一喝した。
「「「うおおおおおぁあああ!!!」」」
滾り切った職員たちが次々と駆け出していく。
グレンはその背を見送りながら一呼吸し、現場を指揮するべく次の段取りを頭の中で組み立て始めた。
すると───。
「グレン班長!」
熱気の余韻がまだ空気に残る中で突如、背後から声が掛かる。
「ミコト?」
振り返った先には、中央棟に駆けつけたミコトの姿があった。
両手で膝をつき、血相を変え、荒い息を整えながら、彼女はグレンに問いかける。
「あ、あの……さっきの地震は一体?」
「貴方は何も心配しなくていいんです」
「で、でも………みんなが………ピクシー達が消えちゃって………!」
目前で“友人たち”が消えてしまった光景を思い出し、溢れそうになる涙を必死で堪えながらミコトは訴える。その報告に、グレンの眉間に一瞬だけシワが寄った。
(既に実体化が困難になった種が現れたか───急がなければ)
「報告感謝します」
それだけ言い残して、グレンは再び背を向けた。
各職員に指示を飛ばしながら、ミコトへの謝辞も淡々と口にする。
「ご覧の通り、今はイデア・コアの異常により、スカイ・ファームは混乱状態です。貴方も、来客者達と一緒に速やかに避難してください」
その淡白な支持に、ミコトは自分の服の裾をギュッと握りしめた。
「でっでも!私も……私も何かお手伝いを───」
「不要です、貴方は専門の役職を与えられた職員ではない」
「そ、それは分かってますが、でも───!」
「気持ちはありがたく頂戴します、だが今は緊急事態です」
グレンは振り返ることなく、ミコトの訴えを切り捨てた。
だがこの非常事態に、ただ黙って避難することなど、ミコトにはできる筈もなかった。
これは、修行の“直訴”とは違う。
目の前の命を見捨てたくない───。
その思いが、ミコトの脚を一歩前へ踏み出させる。
「でも!やっぱり私も────」
「くどい」
ようやく振り返ったグレンの目は、冷淡さと苛立ちを纏っていた。
その目をまともに見てしまったミコトは、ビクッと肩を震わせ、全身を萎縮させる。
「仮に現場に行ったとして、貴方に何ができるのですか?暴走の鎮静化もできない、負傷した者達の治療もできない、それを行う魔法も使えない───そんな貴方が現場に行って指示を仰いだところで足手まといです。多くの仕事を任されて、少しは成長したとでも感じているのであれば、ただの思い上がりです。誰にでもできるから“雑用”なんですよ」
冷淡無情なグレンの言葉にミコトは悔しさに噛み殺され、怯えに飲まれ、目を合わせることもできず、俯き、溢れかける涙を必死に堪える事しかできなかった。
「雑用に任せられる役割は────」
『緊急連絡!!!』
グレンの耳に装着された無線に、激しいノイズが走る。それに続いて怒鳴るような叫び声が、彼の言葉を遮った。
『平原地区より翼竜種が一体逃走!中央棟に向かって移動中!周辺の職員は警戒を───』
「おい!あれ!」
無線が報告を終えるより早く、中央棟の上空に翼竜種は現れた。
職員達に巨影がかかる、大きな羽音を響かせ、落下するかのように一直線に、標的に向かって急降下してくる。
───その標的は、ミコトだった。
「ひっ───」
凶暴化した翼竜種に睨まれたミコトは悲鳴を上げた。
「「「ミコトオォーーー!」」」
職員たちが叫ぶも、恐怖に全身を支配された彼女の体は、まるで地面に縫い止められたかのように動けなかった。
すると───。
背後から伸びた腕が、ミコトの襟元をがっしりと掴み、彼女の体ごと一気に引き寄せる。
その腕の主はグレンだった。
ミコトをそのまま抱きかかえると、高く跳躍して翼竜種の突撃を紙一重でかわし、十分に距離をとった位置に着地する。
「グ、グレン班長ォ〜………」
恐怖と安堵が一気に押し寄せ、こらえていた涙が決壊したミコトは、グレンの作業着をギュッと掴んだ。
「静かに」
「───ッムグ!?」
グレンは彼女の口元に手を当て、低く告げる。
視線をミコトに向けることなく、彼は警戒を怠らぬまま、翼竜種をじっと見据えていた。
翼竜種は、突撃の勢いのまま地面に激突し、頭部を地面にめり込ませている。
その隙を突こうと、育成班の作業員たちが、捕獲に向けて駆け寄ろうとするも、グレンは素早く手を伸ばし、無言のまま制止の合図を送る。
翼竜種は地面を引き裂くように暴れながら、頭部を無理やり引き抜いた。
血走った目で唸り声を上げ、周囲を威嚇するその姿に、職員たちは一瞬怯むが、グレンだけは表情を崩さずにいた。
翼竜種はグレンの視線に気づいたかのように睨み返し、グレンはその名を、静かに呼んだ。
「───ゴスペルティリオ」
* * *
【スカイ・ファーム個体記録】
《ゴスペルティリオ》
【翼竜種】蝙蝠型
体長:五メートル/翼長:十五メートル
体重:八トン
生息地:スカイ・ファーム『平原区』
制御難度:クラスC
召喚獣適性:戦闘支援
◆スカイ・ファーム『平原区』で飼育されている雑食性の翼竜。普段は温厚で自身から多種を攻撃することは殆どないが、自衛の際には、口内から放たれる超高音と、強烈な「共振現象」による振動を重ねた鳴き声を発する。これにより、対象に激しい目眩や頭痛、内部破壊を同時に引き起こす。
◆スカイ・ファームの規定では「特例召喚獣」として認定され、高レベルの召喚士のみに転送を許可された上位個体である。
* * *
「極度の興奮状態にある、回廊帯を失った影響だけじゃない、まさか───?」
グレンの目が微かに見開かれた。
「妊娠している………のか」
状況とは裏腹に、彼の頬にわずかな笑みが浮かぶ。
昼間の定例報告では繁殖期の兆候を確認していたが、想定よりも早く、既に子を宿していた。その事実が、育成班としての彼の胸を祝福で満たした。
だがすぐに表情を引き締め、グレンはミコトを背後に庇いながら、再び警戒の色を強める。
「妊娠している雌のゴスペルティリオは、腹の子を守るため、極度の興奮状態に入り凶暴化し───視界に入る生物を同族問わず襲う」
ゴスペルティリオが自分たちに襲いかかってくるのは時間の問題だと、グレンは直感していた。その目に宿る狂気を前に、彼は片手を前に突き出した。
(致し方なし………か)
グレンの手から魔法の光が灯る───。
ゴスペルティリオは唸り声を上げ、グレン達に飛びかかろうとしたその時、突如として頭上の空が閃き、何かが落下してきた。
「Jamboli!」
雷鳴のごとき衝撃がゴスペルティリオの後頭部に強烈な一撃を放つ。あまりの衝撃にゴスペルティリオは瞳を見開いたまま裏返り、そのまま地面に突っ伏して、気絶した。
あまりの急変にグレンも息を呑み、一歩後ずさる。
視線を追った先に立っていたのは、見覚えのある、豪快すぎる男だった。
「バジル!?」
落下してきたのは物ではなく、褐色の全身筋肉の“鬼”───バジルだった。
ゴスペルティリオの頭上で鼻歌を響かせながら仁王立ちするその姿は、暴走竜を沈めたとは思えないほど飄々としていた。
「オーイ!無事か?」
「何をしてるんですか!彼は子を宿してるんですよ!?」
「無線から聞こえてたよ、ちゃんと」
詫びる様子もなく、バジルはヒョイとゴスペルティリオから飛び降りた。
「眠らせるツボを押して静かにしてもらっただけだ。まぁツボは深い所にあるから“少しばかり”刺激が強くなったが、母子共に問題はねぇよ」
あまりにも手荒い施術にグレンは半信半疑にはなるが、同じ班長として彼の行動を信じ、警戒を解いて立ち上がった。
「そうですか………助かりました」
「………おい」
グレンの感謝を他所にバジルは彼に詰め寄った。
「それよかテメー今、魔術を使おうとしたな?」
「…………未遂です」
「誤魔化してんじゃねえよ」
こめかみに青筋を立て、明らかに怒りを向けているバジルにグレンはしれっと顔を背けた。
「───ったく」
言及は無駄だと判断したのか、バジルはミコトの頭をポンと軽く撫で「大丈夫か?」と声をかけ、現状の把握へと意識を切り替える。
「しかし思ったより………状況は深刻だな」
『お〜い!』
どこからともなく声が聞こえてくるが、グレンもバジルも気づかない。
「ナグニとの連絡は?」
「いえ………未だに」
「ったくあのヤローは………大丈夫なんだろうな」
『な〜あ?』
声の主は呼び続けるが、やはり気づいてもらえない。
『ちょっと〜?』
それでも返事はない。
グレンもバジルも真剣な表情のまま、会話に集中していた。
「《《あの地区》》に関しては、彼を信じるしかありま────」
『聞こえてますかぁあああああああ?』
「「ぐあああああああああ!?」」
クワァアアアン!と激しいハウリング音が響き渡りながら、声の主の「最大音量」がグレンとバジルの耳を貫通した。
グレンとバジルはその音量と衝撃で、気絶しているゴスペルティリオと同じ顔になり、全身を引きつらせながら、各自特異なポーズになる。
キーンキーンと収まらない耳鳴りと眩暈でふらついている二人の目に現れたのは、ボール型の機体にプロペラとレンズを搭載した、浮遊式のドローンだった。
二人はふらつく体を支えながら、ドローンを睨みつける。
その機体のスピーカーから「ケラケラケラ」と悪意に満ちたような笑い声が流れてくる。二人とも、その声に聞き覚えがあった。
『リゼちゃんによる新着情報の時間だよ〜♡』




