九話 嫉妬、ライバル
近付き、二人が読んでいた教材を覗き込む。内容は……なるほど、魔法薬学科基礎の前半部分。入学してすぐの頃にやった範囲だ。
「そういえばミリエラ嬢は転入して来たんだったね。いつだっけ?」
「に、二ヶ月前です」
「そう。ならこの辺は習ってないか。伯爵家では教えてもらわなかったのかい?」
入学前に予習もしてこなかったのかと暗に尋ねる。
前世で彼女の勉強に付き合い、遅くまで図書室に籠った記憶がある。ここでも勉学は得意ではなさそうだ。
「す、すみません……」
「ミリエラさん、まだ私達も学園に入ったばかりですから。共に頑張りましょう?」
「は、はいっ! マリアンナ様、優しいー……ううう」
泣くふりをするミリエラに苛立つ。
マリアンナが優しいのは当たり前だ。本当に少し涙が滲み出て来たのか、目元を拭ったミリエラと目が合った。
「ひえっ」
小さく悲鳴をあげた彼女は、慌てたように僕から目を逸らす。
「ところで、二人はどうしてここに。言ってしまうのもだけど……ほら、ミリエラ嬢は僕の兄とよく一緒にいただろう? アイツはどこにいるんだ」
「ギルバート様は、えっとー……振り切って来ました。せっかくマリアンナ様と図書室デートですよ! やっとマリアンナ様と二人っきりになれるのに、邪魔されたくないです!」
お前が図書室デートをするべきなのはギルバートだ。
目元が力んでいく。
「は? 邪魔なのは君なんだけど。国の王子に対して邪魔とか良い度胸してるね。僕だってね、マリアンナ嬢とだね」
「デ、デート……? ぼ、僕も……?」
戸惑うマリアンナの声を聞きながら、ミリエラと顔を突き合わせる。
ギルバートが邪魔? お前の隣には常にギルバートがいたじゃないか。助けて欲しそうに、いつも懇願するような目を向けて。どの口が言っているのだ。
「あの、セオドール殿下」
「ん、ごほん。ごめん、マリアンナ嬢。じゃあ二人とも、兄上には黙ってここで勉強してるんだ? そう言うことで良いんだよね」
「そうですわよ、セオドール殿下。私がミリエラさんと一緒にいて何か問題がありまして?」
こてんと首を傾げたマリアンナに鼓動が大きく跳ねる。純真無垢な反応がたまらない。
「そういえばセオドール様、図書室に何しにきたんですか? 用事とかあったんじゃないんですか」
「……用か。ああ、あったな確か。ミリエラ嬢」
二人を交互に見つめながら、ここに来た目的を話す。あの噂話が本当かどうか確かめよう。マリアンナの前なら、ミリエラも嘘はつけまい。
「ミリエラ嬢。君が、マリアンナ嬢が男子生徒と二人きりでいるところを見かけたって言ってる話が耳に入ったんだけど」
「ええ! 私がですか?」
ギョッとした顔をする。
「ああ。僕も、別の生徒が話しているのを聞いただけだから。マリアンナ嬢には婚約者がいる。そんな彼女が他の男と二人でいたなんて噂話が広まったらどう思われるだろうね」
「し、知らないです。だって、私マリアンナ様とは授業の時くらいしか……デートも今日が初めてで」
デートっていうな。
「そんなお話が……私が二人きりで……どの時かしら」
「二人とも心当たりはない、それでいいね」
同時にこくりと頷かれる。
端からマリアンナのことは疑っていない。ミリエラもこの様子なら本当なのだろう。
「じゃあ、悪い噂を流してるやつを突き止めないと。マリアンナ嬢、不安にさせてしまってすまないね」
「いいえ、殿下。知れてよかったです。一体、誰のことかしら……」
「マリアンナ様の変な噂を流すなんて……! マリアンナ様、私がそんな悪い奴はやっつけちゃいますからね!」
「それは僕の役目なんだけど」
彼女を助けるヒーロー役を奪われそうだ。
◇◇◇
寮の門限である二十時が近付いた頃のこと。
僕は寮のロビーの窓側に置かれたソファーに深く腰掛け、図書室に行ったついでに借りてきた本に目を通していた。
本の内容も半分に差し掛かったタイミングめ、不意に気配を感じ取る。
「セオ」
「……なに、兄上」
ギルバートだ。面倒くさそうな声音で呼んだ彼に、読んでいた本を閉じ要件を尋ねる。
「マリアンナがお前を呼んでいる。寮の入口にいるから、早く行け」
「マリアンナ嬢が?」
彼女が男子寮の前まで訪ねてくるなんて。しかも兄ではなく僕にだ。
こんなことは初めてで、思わず心が弾む。
「俺は伝えたからな」
ギルバートはぶっきらぼうに言うと、寝室がある方へと消えていった。
マリアンナが来ているなんて。
浮き足立つ思いで僕は寮の外に飛び出した。
「マリアンナ嬢!」
彼女は寮の扉から少し離れた花壇の近くにいた。名前を呼べば、はっと顔を上げ僕の名前を呼んでくれた。
「セオドール殿下! 申し訳ございません、こんな遅くに呼び出してしまって」
「いいや、構わないよ。君からの招集なら、いつでも駆け付けよう」
眉尻を下げた彼女にただ微笑む。あ、目を逸らした。
マリアンナは上着のポケットを漁り始める。取り出したのは水色の紙袋に入った、薄手の何か。
「お待たせしてしまい申し訳ございません。先日は……いえ、いつもありがとうございます、セオドール殿下」
「これは」
ずっと差し出された紙袋を受け取り、軽く指で挟んでみた。この厚み、ハンカチだ。
「同じものをお返ししようとしましたが、血がついてしまい……。代わりに、新しい物を用意させていただきました。気に入ってくださると、良いのですが」
「も、もしかして、僕のために選んでくれたのかい?」
ぶわりと高まる感情に、つい両手で紙袋の端を握る。
これは、マリアンナが僕に選んでくれたハンカチだ!
「同じ物をお返しできなくて申し訳ございません。あの、ギルバート殿下は」
「兄上ならもう部屋に戻ったんじゃないかな。寝室がある方に向かってたから。マリアンナ嬢、大事にするよ一生……僕の宝物だ」
「ま、まあ。そんな大層な物ではございませんのよ……?」
「どんな高価な物でも、君からの贈り物に勝るものなんてない」
「殿下……」
かつてギルバートが彼女に言っていた言葉をそっくりそのまま伝える。マリアンナの目には、ショックを受けたような虚ろな色が滲んだ。
兄を思い出したかい?
寂しくない筈がない。
だって、君はギルバートを愛していた。
僕も『俺』だったからわかる。
だから彼女の脳にこびりつく様に、そっとほほ笑んで言う。もう敬称なんて必要ない。
「ありがとう、マリアンナ」
今はまだ兄を重ねてていい。
だけど、
将来、君の隣に立つのは僕だ――。




