八話 不穏な噂
◇◇◇
ミリエラの奇行から数日。
あれ以来、ミリエラと直接話す機会は訪れなかった。
時々廊下で兄の側にいる彼女を見かけるくらいで、僕から声をかけることはない。すれ違う度、彼女の丸い目が僕を追いかけていたのには気付いていたが、答えてやる筋合いはないと無視していた。
一日の授業終わりのこと。
この日最後の科目であった歴史科の授業の後、教師に教材運びを手伝ってもらえないか頼まれた。授業後の教室で、一人ぼんやりと席に座っていたところ、目をつけられたのだろう。フレデリクだが、行く所があると言い先に移動していた。
断る理由もないので、一応は学生らしく内申点でも稼いでおこうかと二つ返事で頷いた。
運び終え、講義棟から寮がある学生棟に戻る。道中薄手の白シャツの体操着姿の生徒達とすれ違った。課外活動に勤しむ真面目な学生たち。
そういえばマリアンナも何か所属していたはずだ。今度体験入部でもしに行ってみよう。
楽しみができた僕は、小さく鼻歌を歌いながら寮を目指す。
太陽は沈みかけ、夕日の鮮やかな朱色が校舎の白い壁を照らしている。
学生棟側に向かうため、中庭を歩く。
茶色いレンガを敷き詰めた壁が男子寮。
中に入ろうと扉の取手に手をかけた。だが不意に耳に入った言葉に、ピタリと固まる。
視界の端には建物の壁沿いで、たむろしている男子生徒が二人。
『フェルディマンド嬢が婚約者ではない男と二人きりで過ごしている』
……何の話をしている?
そんなわけがあるものか。
マリアンナに他の男の影がないことは僕が知っている。
噂の出どころはどこだ?
少しの間だけ聞き耳を立ててみれば、オストナー伯爵令嬢がと聞き捨てならない名前が聞こえて来た。
オストナー家と言えばフレデリクだが、令嬢ということはミリエラか。
またアイツだ、いつも彼女がらみで問題が起こる。
苛立ちも隠さずに男子寮のロビーに入れば、各生徒の寝室に繋がる廊下の奥からフレデリクが現れた。
「お。セオドール、奇遇だな」
「やあフレデリク、どこかに行くのかい?」
そうだ、ミリエラのことならこいつがよく知っている。
「そういえば、尋ねたいんだけど」
君の妹は最近何してる?
低くなる声。いけない、少しすごんでしまった。
「ミリエラか? 勉学に励んでるはずだと思うが……すまん、妹が何かお前にしたか」
「いや、さっき変な話を聞いてさ。マリアンナ嬢に悪い虫がついてるみたいでね。どうやら噂話の出どころがミリエラ嬢らしい」
「虫……お前じゃなくてか」
失礼だな。否定はできないけど。
「自分で言うのもなんだけど、僕の顔はあれだよ。ほら、ほぼギルバートと同じだ。着てる服も同じだし、見分けなんてつかないんじゃないかな。いつも間違えない、君じゃあるまいし」
「それもそうだったな。正直に言うと、会ったばかりの頃はどちらか見分けがつかなかった」
「そうなんだ?」
「ああ。王子と聞いてどんな奴かと思ってたんだが……フッ」
フレデリクの眉尻が下がる。哀れむような視線。いったい僕をどんなふうに認識しているんだい。
「今の間、何?」
「いや。ギルバート殿下とそっくりそのまま同じだと思ってたんだが、そうでもないと思っただけだ。馬鹿にして笑ったわけじゃない」
密かに彼の中で兄と比べられていたらしい。名前以外は殆ど同一人物と言っていい程だ。前世のことを知った時、フレデリクはどう思うだろう。
「ミリエラの件だが、俺はそんな噂話を聞いたことはない。アイツが広めるとも思わないが……一応、本人に確認してみる」
「いや、いいよ。僕が直接聞く」
「そうか? てっきり関わるのを避けてると思ってたんだが」
「避けてるよ」
マリアンナが好きだとのたまったミリエラの姿を思い出す。
仮にも好きだと宣言したのだ、あの女がマリアンナの評判を落とすような噂を流すか?
もし噂を流した張本人なら、矛盾する行動にさらに苛立ちが募る。
本当に面倒だ。
前世通りギルバートを懐柔し、ただマリアンナを孤立させてくれれば楽だというのに。
「この時間、ミリエラ嬢は図書室かな」
「俺は知らんが、そうなのか?」
「まあ、たぶんね……」
いやでもミリエラの行動は理解している。
記憶の中の彼女と性格の違いはあるが、これまで学園で見てきた様子からしてある程度行動パターンは一致している。
「ちょっと噂の出どころ、確かめに行ってくる」
本当にあの女が流したのなら、灸を吸えないと。
ため息を吐きながら、人が出入りしてくる寮の扉を睨むように見据えた。
◇◇◇
図書室の重い扉を開く。
入って手前の本棚を通り過ぎた時、探し人はすぐに見つかった。
いたのは部屋の中央部。本棚が森の中の木々のようにそびえ立つ中、ミリエラはいた。
この学園の図書室は王国内でも誇れる広さと蔵書の数だった。
壁沿いに背の高い本棚が置かれ、その壁の前にも三列ほど同じ色の棚が並べられている。図書室には二階部分があり、中央は吹き抜け構造。部屋の奥には上に登るための階段が設置されていた。
部屋の中央には、読書用のデスクが。二人掛けから六人掛けできるような大きな木製のデスクと椅子がある。
中央の右端、二人掛けのデスクにミリエラはいた。
集中しているのか、真剣な表情で一冊の分厚い本を読んでいる。
正面から僕が近づいて来ているのに、気がつく様子もない。本棚の波から抜け、「おい」と話しかけようとした時、可憐な足音が聞こえてきた。
「お待たせいたしましたわ、ミリエラさん」
「あ! マリアンナ様、ぜんっぜん待ってないです!」
ハッと目を見張る。
机を挟み向かいの本棚の間から、マリアンナが優しい笑みを浮かべながら現れたのだ。
なぜマリアンナがミリエラと!? 慌てて近くの棚の影に身を潜めた。
「ありがとうございます、マリアンナ様ぁ……ここ、難しくてぇ……」
「まさかミリエラさんが、魔法薬学科が苦手だったなんて、思っていませんでしたわ。いつも先生方に褒められていましたから」
「たまたまわかる範囲だったんです」
そっと覗き見れば、えへへとにやけた顔をするミリエラが視界に入る。マリアンナが彼女の隣に腰掛け、一冊の本を読み合い始めていた。
マリアンナの隣に座るなんて。
爪が食い込むほど拳を握り込んだ。
「あの、マリアンナ様……時々、また見てもらってもいいですか?」
ダメに決まっているだろ。
「ええ、勿論ですわよミリエラさん」
マリアンナァ!
「嬉しい! 私、マリアンナ様と仲良くなりたかったんです! 今まで誤解させてしまってごめんなさい……」
「良いのよ。私も、きつい言葉をかけてしまっていたわね」
いつのまに仲直りして、しかも友人のような関係を築き上げてるんだ!?
心に焦りが生まれる。
ミリエラとマリアンナの仲が良くなるとどうなる?
ミリエラに振り向いてもらえないギルバートの『魅了の呪い』が解けるのでは?
呪いが解けたら……ギルバートがマリアンナを突き放さなくなる。婚約が破棄されない。そうなれば、マリアンナと添い遂げるという僕の計画は失敗だ!
「……させるか。やあやあ、マリアンナ嬢にミリエラ嬢。二人で勉強かな?」
「あら、セオドール殿下!」
「あー! セオドール様!」
邪魔させてもらうぞ。
マリアンナを幸せにするのは僕だ。




