十話 噂話、出所は
◇◇◇
翌朝。
すうっと胸いっぱい、若葉のようなフレッシュな香りを取り込んだ。
僕の手元には、昨晩マリアンナから貰った白いハンカチが。
大地に伸びる木々の若々しさと力強さを感じる香り。公爵令嬢として気高くあろうとするマリアンナの姿を思い起こさせてくれる香りが、鼻から身体中に染み渡っていく。
僕はうっとりと目を細め堪能した。
「……すぅ、はあ」
「セオドール、生きてるか?」
「……生きてるよ、フレデリク」
フレデリクのじとっとした目を横目に、ハンカチを胸ポケットに仕舞い込んだ。
僕らは今、一限目の教室に移動する途中だった。木々の伸びた枝葉を窓の外に眺められる二階の廊下を歩く。
「そのハンカチはどうした?」
「ふふふ、これはだね……聞きたい? フレデリク」
「いや、いい。聞きたかったわけじゃない」
「聞いてよ」
スタスタと僕を置いていこうとする彼を追いかける。待っててば。
「これはね、マリアンナから貰ったんだ。何その目、疑ってる? 正真正銘、僕の物だよ。彼女が僕のために選んでくれた、僕のハンカチ」
「はいはい、それは良かったな」
フレデリクはどうでも良さそうに頷くだけ。
教室の前に着くと、フレデリクが扉を開けた。クラスメイト達の賑やかな雑談の声を聞きながら、前方の端の席に移動する。
通りすがりに、嫌な話が耳に入った。
「聞いたか? フェルディマンド公爵令嬢が街で男と会ってたらしいぞ」
またあの話だ。
ぴたりと足を止めて振り返る。
話をしているのは、今度は男子生徒三人組。一つの机を囲むように、左からモンロー伯爵家、リゼル伯爵家、バルトロメオ子爵家の次男と三男達がいた。
王侯貴族が揃うこの学園で、マリアンナの体を落とすような噂話をするだなんて。
ツカツカと彼らの元に歩み寄り、手を後ろに組みながら尋ねる。
「へえ……その話、詳しく聞かせてもらっても?」
「! セ、セオドール殿下」
「お、おい……」
慌てて顔を突き合わせる三人。聞かれてまずい話なら、マリアンナの婚約者の兄弟がいるこの教室で話さなければいいのでは。そこまでは頭が回らないらしい。
フレデリクも僕を追いかけ、側に並び立つ。
「フ、フレデリクッ、お前も聞いたことあるだろ、フェルディマンド嬢の……、だってお前の妹が見たって言って」
「ミリエラが? なんの話か知らないんだが。セオドール、お前は知ってるのか?」
「いいや? だから詳しく聞かせてもらえないかなって。マリアンナが……なんだって?」
逃がさない。僕は机の上に手を付き、噂話を始めたハリー・モンローに顔を近づけた。
さあ、どこで知ったか聞かせてもらおうか。
「それで、誰が誰と会ってるって?」
彼女の周りにある不穏因子は、僕が潰さないと。
三人の表情が青ざめている気がするが、気にすることではない。
ハリーが言うには、マリアンナが街で男と歩いていたのをミリエラが見かけたのだと。いつかと問えば、一週間ほど前。
「フレデリク、ミリエラ嬢が学園の外に出たことは?」
「ない、はずだが? 出たいとも聞いたことがない」
「ふうん……それならなぜ、ミリエラ嬢が街の外にいるマリアンナの姿を見たって話になるんだろうね? ねえ、ハリー・モンロー」
「し、知らない。俺はただ、そんな話があるって聞いただけで」
「確かな話でもないのに、広めてたのかい? マリアンナも身に覚えのない噂話をされて可哀想に。公爵家の名声に関わるのに……ああ、そういえばマリアンナは第一王子の婚約者なんだけど、そんな話広めて大丈夫なのかな?」
彼女の名を辱めると言うことは、パートナーであるギルバートの名を汚すのも同然だ。
「たまたま聞いてたのが僕で良かったね?」
本当に僕で良かった。
ギルバートが先に知ってしまったら、マリアンナが謂れのない罪できつく責められてしまうではないか。
噂話はまだきっと、広まり始めたばかり。
マリアンナに汚名を着せようとしているのは誰かな。
ハリーを睨み続けていると、彼は小さな声で呟いた。
吐いた名前は、マリアンナのクラスメイトだった。




