五話 授業、庇い合い
授業開始から数十分、中庭と森の近くをウロウロしていたが他の生徒は一度も僕らを狙わなかった。
中庭のベンチにマリアンナを座らせ、遠くで赤や青の魔法の光が飛び交うのを眺める。
「暇だねぇ、フレデリク?」
「暇だな」
「このままだと得点ゼロで終わってしまいそうだね」
授業結果による加点には興味はない。だがやる気がないと思われ、マリアンナの成績を下げられても不本意だ。
(ミリエラが転入してから、兄がらみで何度か彼女とマリアンナの間で衝突がある。教師に目はつけられているだろう)
このままギルバートとの関係が悪化すれば、王子の婚約者という肩書を失う。何かトラブルが起きたとして、皆が味方するのはギルバートとミリエラの方。
(大丈夫、今は僕がいる。あの女も勝手にすればいい。マリアンナに手出しさえしなければ、ギルバートとどこへでも行けばいいさ)
ミリエラが言ったことが全て正しくなる、おかしな世界。一体いつからこんなことになったのだろうか。
遠くで魔法を当てられた生徒がどんどん脱落していくのが見える。
そろそろ動くか。
さて、あの愚兄とミリエラはどこに行っただろう。
「仕方ない……授業は真面目に受けないとね。兄上はまだ生き残ってるはずだ。魔法を当てなきゃいけないなんて、弟である僕としても非常に心苦しいんだが……どうせ今一番稼いでいる得点保持者は兄上なんだろう? すごく、とっても心苦しいんだけど……そろそろ狩りに行こうか」
「あの、ギルバート殿下を狙うのですか?」
「うん、得点をぶんどってやろう。大丈夫、昔から兄上とはじゃれあってるし」
手加減は無用。
「セオドール、行くなら早い方が良い。残った組も少ないぞ。時間もな」
「おお、フレデリクはやる気だね。マリアンナ嬢、安心して。兄上がもしも君を狙うようなことがあったら、僕が徹底的にぶちのめしてあげるから」
「ぶ、ぶちのめ、し……っ」
「おい。アリアンナ嬢にとっては婚約者だぞ」
「その前にアレは僕の兄弟だよ?」
男兄弟なら手が出ることも珍しくないだろ、と首を傾げてみる。
「そうなんだろうか。うむ……よし、行くか」
「フレデリクさま!? そんな……フレデリク様も拳で語り合うタイプの方だったなんて……」
マリアンナ、フレデリクもって一体誰のことを言ってるんだい。
兄たちはというと、森の手前ですぐに見つかった。ギルバートに庇われるように、その背中に身を隠しているミリエラの姿を見つける。
「やあ、兄上! 順調かな」
「! セオ、お前たちも残っていたのか」
振り返ったギルバートはミリエラを僕たちから見えないように隠す。隣に立っていたマリアンナから息を呑む音が聞こえた。無理もない。こちらを見据える兄の表情は険しかった。あれは婚約者を見る目ではない。
「セオ、悪いがお前の分の得点も俺達がいただこう」
「残念、兄上。僕らはまだ誰とも遭遇してなくて得点がなくてね。授業もあと五分くらいかな」
ちらりとフレデリクを見ると、静かに頷かれた。残り時間もわずか。すぐにでも始めなければ。
「でも、得点がない僕らもさ。兄上を打ち負かせば逆転勝利も夢じゃないと思わない?」
「勝つつもりか? お前が俺に勝てるのか。いつも俺に負けてばかりいたのに。しかもマリアンナも連れてな」
ギルバートの言葉の最後はため息混じりだった。まるで彼女のことを足手纏いだとでもいうかのように。
よくも付き合いも長い婚約者相手にそんな態度が取れる。沸々と怒りが込み上げた。だが、兄の心境は理解できなくもなかった。
(もう視野が狭くなってるな。僕もあの頃は、あの女の呪いのせいで、ミリエラ以外の全てが鬱陶しく思えた。『マリアンナさえいなければ』、そう思っていたんだ)
今のギルバートの心境がわかるからこそ、まだ彼女との関係を修復できる時期だからこそ、やるせなさで怒りが溢れてしまう。
マリアンナを悲しませたくない、幸せにしてやりたい。それは目の前にいるギルバートだって、学園に来る前までは願っていたはずだ。
(城ではあんなに見せつけてきたくせに……まあ、正気に戻られても僕が困るんだけど)
そのまま狂っていろ。
鼻で笑い、手元に水の塊を出現させた。
この的当てゲーム、魔法が相手に当たれば良い。本当ならば、黒々とした呪いのようなものをぶつけたいくらいだが。
「時間もないので……では兄上」
ついでに風邪でも引いてしまえ。
兄が防御魔法を展開するよりも前に、僕は水の砲丸を投げつけた。
ギルバートの周囲の空気がゆらめく。オーロラ状に薄らと輝くヴェールのようなものが見え、放った水魔法は兄に当たることなく空中で弾けて消えた。
あのヴェールには見覚えがある。ミリエラの加護の魔法だ。
「まったく手が早いな、セオドールは」
「そろそろ授業が終わるからね。急いでるから」
ふわりと香る湿った匂い。兄の周囲で水滴が地面から浮き上がり、大きな塊を作る。
向こうも水魔法で対抗する気だ。
ヒュンと風を切る音がいくつか聞こえた。だが飛んできた兄の魔法は全て鋭い風でかき消される。隣に並び立ったフレデリクからは魔力を感じ、どうやら彼が撃ち落としてくれたらしい。
「さすがフレデリク」
「集中しろ、セオドール。濡れるぞ」
「はいはい」
魔法の制御能力も高い。未来の騎士団長様だけあると、思わず感心する。
突如顔の横を赤い光が掠めた。軌道を読み視線を向ければ、ギルバートの背後で両手を突き出すミリエラの姿が。
(ほう、狙ったのはマリアンナか? へえ……随分と好戦的じゃないか)
心の中でどす黒いものが渦巻くのを感じる。
「ヒッ! セ、セオドール様、その、今のは違くて! お兄様にと思って!」
「僕だろうがフレデリクだろうが関係ない」
フレデリクを狙ったそうだが、コントロールがてんでできていない。
念のため、マリアンナに当たっていないか振り返る。
「マリアンナ嬢、当たってはいないね?」
「は、はい。私は大丈夫です」
答える彼女の声は少しか細く、胸を締め付けるような感覚が庇護欲を刺激する。
安心させるために笑顔を浮かべると、マリアンナが見つめ返してくれた。綺麗な目だ。ずっと見つめてて欲しい。
「セオドール、前を見ろ!」
「……はいはい」
フレデリクの声に現実に引き戻された。
もう間も無くゲームも終わりだ。早く決めなければ。
「僕やマリアンナを狙う勇敢な君と兄上に」
向けたくもない笑みをミリエラに向ける。
兄がぐっと彼女の体を引き寄せた。その光景に、ビキリとこめかみに衝撃が走る。
「……避けられるものなら、避けてみな?」
ギルバートとミリエラの頭上に暗雲を発生させた。範囲は二人の肩幅程度に。
ミリエラの加護の力は魔法を無効化する力があるが、自然物理までは防げない。僕が発生させたのは雨雲だけだ。このまま雨に打たれてしまえばいい。
「雲……? ギ、ギルバート様、このままじゃ濡れちゃいます!」
「な、セオのやつ! ミリー、俺の服の下に!」
あたふたとするミリエラに、自身の上着をかけてやるギルバートの姿を見据える。
今から雨除けの魔法を唱えたところで間に合うまい。
勝ったな。
そう確信した時だった。ミリエラの全身が赤い光に包まれる。彼女の表情には焦りの色が滲んでいた。
「っ! ど、どうしよう、魔法が、制御できな」
不穏な言葉が聞こえた。
ぽつりと雨雲から雫が滴り始めると同時。ミリエラの周囲から赤い水が大砲のように弧を描き飛んできた。
落下地点は僕の数歩後ろ。そこにはマリアンナがいる。
「あっ、避けてください! マリアンナ様ぁ!」
また制御できなかったか。
甲高い声が響く。
このままではマリアンナに当たる。後ろを振り返り、濡れることも厭わずに彼女の肩を押すと立ち位置を変わった。冷水を頭から叩きつけられる。髪からは赤い液が滴り、顔にべたりと張り付いた。
「っ……セ、セオドール殿下!? 私を庇って……」
「……マリアンナ嬢、濡れていないね?」
「セオドール! 大丈夫か!」
マリアンナとフレデリクに両脇を挟まれる。
ミリエラの魔法は全て僕が被ったようで、マリアンナは濡れていなかった。どこにも赤い液体はなく、守りきれたことに安堵する。
水を吸い込んだ上着は赤く染まり、ずしりと重い。
ミリエラがギルバートの背後から飛び出し、駆け寄ろうとしてくるのをキツく睨んで止めた。
「っ……あ」
「あーあ、勝てると思ったんだけど、残念だ。今回も兄上の勝ちか」
「セオ……」
「セオドール様、あの、マリアンナ様……」
兄とミリエラが近付く。
「ミリエラ嬢? 声をかける権利は与えていないよ」
ミリエラにキッパリと告げる。
遠くで笛がなるのが聞こえた。ゲーム終了の合図だ。
呆然とした様子で僕を眺めるマリアンナに向き直る。濡れた手で彼女には触れられない。
「濡れなくてよかった。君の髪にこんな赤は似合わない」
血を思わせるような赤など、纏わせてなるものか。乱れた前髪をかきあげながら、指の間で絞るように水気を落とした。




