三十一話 騒然、大広間
◇◇◇
日が沈み、街灯が学園を照らす頃。
紺色の礼服に袖を通した僕は寮の自室を出た。
向かうはダンスホールとなっている大広間。
前世で僕がマリアンナを突き放した、忌まわしきダンス会場へと足を進める。
フェルディマンド公爵家で、マリアンナと会う約束をした。きっとギルバートが迎えに来ると思っている彼女は今日、婚約破棄を告げられることなど考えもしていないだろう。
鐘が鳴るまで、もう間も無く。
扉の前で待っている彼女の姿を想像しながら、気を引き締めて向かった。
すれ違う生徒達は、皆思い思いに着飾っている。見慣れた制服姿とは違い、色とりどりのドレスと装飾品を身につけた女子生徒らが楽しそうに大きく広がるスカートを揺らしていた。
鐘が鳴り、一つ二つと大きな音が学園中に響き渡る。
大広間の入り口に近付けば、閉じられた重い扉越しに優雅な音楽がかすかにだが聞こえた。
待ち合わせ場所に、マリアンナはいない。
扉の脇に立ち彼女を待つ。
最後の鐘が鳴る。だが、姿は見えない。
「……マリアンナがこない」
まさか学園内にいないわけではあるまい。
ふと、辺りが静かなのに気が付いた。大広間の中から聞こえていた楽器の音は何一つとして流れてこない。ダンスパーティーはこれからが本番というもの。静かなのはおかしい。
中の様子が気になり、扉を開けた。
かつて王家から寄贈されたシャンデリアが照らす広間は昼のように明るい。百人は超えるだろうか、多くの生徒らが集まる広間は、そんな明るさとは反対にシンと夜中のように静まっていた。人々の目はある一点に集中している。
皆が見つめる先は大広間の中央。
奥の広々と開けられたスペースには、白と桃色のドレスに身を包んだミリエラと赤い上着の礼服を身に纏ったギルバートの姿。二人は寄り添うように隣り合う。
兄の纏う雰囲気は恐ろしく冷めており、蔑んだ目で誰かを見下ろしていた。
あれは……。
生徒らの隙間を縫い、兄たちに近付こうとする。あと数列、人の波を避ければたどり着くところで、兄の声に足を止めた。
「……このハンカチをどこで盗んだ、マリアンナ」
「ち、ちがいます、殿下。私は、盗んでなど……こちらは、いただいたもので」
兄の目線の先にはマリアンナがいた。梅雨時に咲く花のような淡い紫色のドレスが視界に映る。紫陽花色に身を包んだ彼女は、スカートを床一面満開に広げて座り込んでいた。
「お前の物だというならこの紋章はなんだ。お前が持っていていい物ではない!」
「っ……本当に、盗んでなんか……」
ギルバートの手元には、白く輝くハンカチが。見覚えのある意匠……あれは以前マリアンナが怪我をした時にあげたものだ。持っていてくれたのか。
「人の物を盗むとはな。以前俺が彼女に貸したものと同じだ。ミリーが失くしたと言っていたが……連日の彼女の私物が失くなっていたのはお前のせいか、マリアンナ。お前以外にミリーの側にいた人間はいない」
「ち、違います! 私は決してそのようなことは!」
「黙れ、盗人め!」
兄の怒声に、大広間にざわめきが広がる。「もしかしてあの時の噂もほんとうだったのか」「別の男に会ってるとか」「公爵家がオストナー伯爵家に圧をかけたみたい」「伯爵令嬢の学生証がなくなったのも……?」と、知らない話まで耳に入ってくる。
「俺の側にいるミリーに嫉妬したか? それで彼女に嫌がらせをして、楽しかったか?」
「い、いいえ、私は……」
マリアンナの声は震え、聞こえなくなっていく。
誰も彼女を助ける者は現れない。
目の前で繰り広げられているのは、視点が異なるだけで前世と同じだ。彼女が生徒達の前で晒される運命は変わらないらしい。
「……この国の導き手は、マリアンナ・フェルディマンドではない」
ギルバートはそう言うと、ミリエラの体をぐっと抱き寄せた。
「女神はお前を選ばなかった。お前にこの国はふさわしくない。お前のような悪人を側には置いておけない……」
「あ……あんまりだわ……こんなこと……」
「その顔、何が不満だマリアンナ。お前を見てると苛立ってくる……婚約は解消だ。俺の前から消えるがいい」
「っ、そ、んな……」
マリアンナの声は掠れていく。
他の誰も言葉を発しなかった。
王子による婚約破棄。
王家と公爵家の繋がりが今、破れた。
「私は……、そんな……、つもりでは……」
呟くような声だが、しっかりと頭の中に響く。僕はゆっくりと前に進んだ。
「兄上、マリアンナとの婚約を破棄するって?」
周囲の人間が一斉に僕を見た。
マリアンナに視線を向ければ、首が落ちそうなくらいに俯きドレスの裾を握っている。哀れなほどに小さく丸まった姿。公衆の面前で晒された彼女の心は今にも砕けそうだ。
「ああセオドール、今宣言したとおりだ。公爵家との縁談を破棄する。嘘つきで姑息なヤツは、王家にふさわしくないからな」
「そう」
軽く言葉を返し、マリアンナの前に膝まずく。僕が目の前に来ても、彼女は顔を上げない。
「マリアンナ」
「……」
「……七つの鐘が鳴る頃、扉の前で待つって言ったよね」
「っ……」
彼女の体が揺れ、息を呑む音が聞こえた。
「待たせたね、アン。もう少し早く来たらよかった」
レディ、お手を。
俯いたままでも見えるように、彼女の顔の下に手を差し出した。




