二十九話 洞窟の泉、運命の女神
夜、洞窟の入り口でランタンを片手に、本来の聞き手であるミリエラが現れるのを待った。
洞窟があるのは学園の敷地にある森の中。さわさわと木々が揺れ、洞窟の奥に向かって涼やかな風が吹き抜けていく。
土の踏む音が聞こえ、ミリエラが灯りを持ったフレデリクと二人で現れた。彼女の手には白銀に輝く星の模様が彫られた盃が一つ。
「お、お待たせしました」
「すまない、待たせたか」
「いいや、さほど待ってはいないよ」
首を横に振りながら答える。
「コレです。この水筒に入ってる水を泉に注いだら良いらしいです、多分。……本当にこれだけでいいんですかね」
「やり方ならわかってるよ。フレデリク、早く行って終わらせよう。お祭りは明日が本番だからね、準備しておかないと」
フレデリクがミリエラと荷物を交換するのを見守る。
盃に入れた水を垂らし、現れた女神から予言を貰うだけ。
ここまで来たのだからミリエラ嬢にも同行してもらおうとかと考えたが、今や盃に刻まれた名前はミリエラではなくフレデリクに変わっている。
ギルバートとフレデリクか……何それ。
盃の文字に苦笑する。
名前が刻まれていない人間が洞窟内に入れることは知っているが、広い場所でもないため同行させる必要はないだろう。
僕は先に洞窟の入り口へと足を進めた。
「あのセオドール様!」
「……早く戻りなよ、明日はメインイベントだ。君も準備しておいた方がいい。誘われてるんだろう? 断れないよね、だって伯爵家から反故にするなって言われてるんだから」
「え、どうして、知って……」
「行こう、フレデリク。僕も明日は落ち着かない気がするから、早く終わらせたい」
「……ああ」
ミリエラはギルバートからダンスの相手に誘われている。フレデリクから聞いたが、伯爵家を通してだったという。王家からの言葉には逆らえない。
立ち尽くしている彼女を置いて奥へと進む。
ギルバートとミリエラの行く末はどうでもいい。僕はただ、目的を成すだけ。
洞窟の泉は、数分も歩かずに着いた。人一人が腕を軽く広げられるくらいの暗く細い通りの奥には、ぽっかりと丸くくり抜いたような空間が。
足元の岸は狭く、目の前には水底まで見通せる程澄んだ泉が広がっていた。
天井から滴る雫が泉に波紋を広げる。
泉は水底から青白く光を放ち、この空間だけやけに明るく照らしていた。
足元をじっと見据える。岸から一歩でも足を踏み外せば、頭まですぐに沈むだろう。
僕はしゃがむとランタンを置き、フレデリクに手を差し出した。
「盃と水筒ちょうだい。もう流しちゃおう」
「セオドール、お前な……この景色をもう少し見ようとかいう、情緒というものがないのか」
「初めて見るもんじゃないし、いいんだよ僕は。明日の方が大事なんだ」
女神の予言を必要としているのは王国。国を担うことになるギルバートには必要だろうが、僕にとってはさして重要ではない。
フレデリクから盃と水筒を受け取る。
水筒の蓋を回すと、キュポッと軽い音が洞窟内に響き渡った。盃に中身を流し込み素早く泉に垂らす。
暫く足元から奥に広がった波紋を眺めながら、洞窟内の水滴が落ちる音を聞いた。
「……なにも、起こらないな」
「まあ、盃にも名前があるように本来の聞き手はギルバートだし僕じゃない。予言は毎年詠まれてるとはいえ、無い年もあったらしいじゃないか。今年も無かった、それでいいだろ」
「だ、だが……、!? セオドール、泉の中央が!」
慌てた様子のフレデリクが指差すのを視線で追えば、中央の水底の光が強まっていた。ぶくぶくと水泡が奥から湧き起こり、大きな水柱が天井に向かって伸びる。
大量の水が落ちる音を響かせながら、中から長い青髪を垂らした女性が現れた。光沢のある無地の白いのドレスに身を包んだ女は、水面に浮かぶと、星の光ように煌めく銀の瞳を僕らに向ける。
「あらあら、私を呼んだのは誰かしらぁ……て、きゃああ! 片方は女の子を選んだつもりなのに男の子しかいないわぁ!」
僕は彼女を知っている。泉の女神、それが目の前の女の正体……。
「今回は男女ペアにしなさいって言われたから、気を付けてたのにぃ……」
女神は両手で頬を抑えると体をくねらせた。彼女の動きで水面が揺れ、岸に届いた波が僕の足元を濡らす。
呆然と女神を見つめるフレデリクを横目に、僕は片膝を付いた。
「……泉の女神。本年も貴方の目覚めに、我々人間一同感謝いたします。お目覚めにあたり……王国の未来のために、何かお言葉を頂戴願えないでしょうか」
「ハッ! そ、そうだったわ、そんな日だったわね……ちゃんとしなきゃ、ん、ごほんごほん。ええ如何にも、私がこの国の安寧を司る運命の女神……テレネー。今年もあなた方に予言を授けましょう」
仕切り直しだと言わんばかりに、女神の咳き込んだ声を聞く。
前世での記憶の中でも女神は厳格な雰囲気などなくこんな感じだった。元々気さくな性格なのだろう。
隣でフレデリクが動く気配がした。側に息遣いを感じることから、慌ててひざまづいたらしい。
「んんん……私が選んだ子はどこに行っちゃったのかしら……ではお二人とも、顔を上げなさい。選ばれし聞き手のギルバート・フォレクシア、そしてフレデリク・オストナー。あなた方に予言を授けます」
女神を見据える。前世の記憶の中にある姿の通り、彼女の輪郭がぼんやりと淡く光り、今まさに予言が降りようとしているのがわかる。
「お待ちください、女神」
突如フレデリクの凛とした声が響き、思わず振り返った。
「フレデリク、何を」
「女神よ、彼はギルバートではありません。盃に刻まれているのはギルバート殿下のお名前ですが、彼はセオドール・フォレクシア。ギルバート殿下の弟です」
「え、貴方はセ、セオドール……くん? あ、あら? ギルバートくんじゃないのね?」
キョトンと何度も瞬きしながら女神が言う。だが「でも?」と女神は首を大きく傾げた。
「フレデリク、予言の邪魔はしちゃダメだよ。……申し訳ございません、女神様。僕はギルバートの代理で聞き手を担う事となりました、セオドールと申します。名乗りが遅れ、大変申し訳なく」
「あら……でもギルバートくんよね」
「……」
「……女神?」
スッと背筋が冷え、表情が落ちるのを感じた。
フレデリクが不思議そうに言い返す。
「いいや、女神。彼はセオドールで」
「いいえ、フレデリクくん……この子はギルバートくんよ。私の盃に刻まれた名前に、間違いなんてないわ」
女神は片手を頬に添えながら、にっこりと微笑んだ。




