十六話 セオドール
「僕はセオドールだよ。ただのね」
「…………」
沈黙が落ちる。
だがすぐにまた寮の扉が開く音が聞こえ、人の気配が近付いた。静かな靴音を響かせ現れたのは、兄のギルバートだった。
「やあ兄上、ずいぶん帰りが遅いね」
「別に夜の挨拶をしに行っていただけだ。セオ、お前もそろそろ部屋に戻ったほうがいいんじゃないか。フレデリクだったよな、いつも弟がすまないな」
「……いいえ」
どうせミリエラにでも会いに行っていたのだろう。フレデリクに声をかけたのも、想いを寄せているミリエラの身内だからだ。好印象ポイントを稼ぎたいらしい。
「じゃ、僕は兄上と部屋に戻ろうかな。またね、フレデリク」
「あ、ああ」
「おい、セオ。 引っ張るな!」
兄の腕をわざとらしく引き寝室へと続く廊下へと進む。
ロビーが見えなくなる前に一瞬だけ振り返ってみたが、フレデリクはまだ座ったままだった。
「珍しいな、セオが俺といたがるなんて。いつぶりだ?」
「別に一緒にいたいわけじゃないよ? ちょうどいいタイミングだっただけさ」
階段を登りながら二人で話す。僕らの部屋は階段を二つ登った突き当たりにあった。
「最近のお前は連れないからなぁ。そんなにフレデリクといるのが楽しいか?」
「フレデリクは面白いやつだよ。堅物で、誰に対しても真面目で平等だ。僕に対しても」
「そうか」
出会ったばかりの頃は、これまで一切接点もなかったはずの第二王子が絡んで来たのが恐ろしかったらしく何度も逃げられたが。
まあ、自分自身に置き換えたら怖いとは思う。
しつこく絡めば諦めたのか、今はこうしてタメ口をきき合う仲。
部屋がある階に着き、あてがわれた自室に向かう。
ギルバートが一番奥で僕が一つ手前。
ドアノブに手を添え中に入ろうとした時、同じように部屋に入ろうとしていたギルバートが僕を振り向く。
「セオ、学園祭の相手は見つかったのか? フレデリクと踊るとかいうなよ。ははは」
「あははは! 兄上まさか。そんな冗談ー……」
笑いながら薄目で兄を見る。
僕の相手はマリアンナだ。彼女の手を取るまでは、フレデリクの側にはいるかもしれないが。
思えばフレデリクはペアは見つけたのだろうか。王侯貴族連中の大体は許婚と連れ立っての参加が多いが、学園の中で相手を見つける者も少なくない。
前世では、フレデリクはどこにいただろう。当時の学園の広間で、煌びやかな衣装に身を包んだ大勢の生徒たちの中にいたのか?
だがマリアンナが婚約者に糾弾されても、前世のフレデリクが彼女を庇い立てることはなかったが。
「……兄上こそ、学園祭は気を抜いてたら誰に足元を掬われるかわからないよ?」
「誰にだ。そんなことする輩がいるものか。ここは学園だぞ? フッ……おやすみ、セオ」
「僕だったりしてね」
「冗談言え」
「なんてね。おやすみ兄上、良い夢を」
「お前こそ、我が弟よ」
夜の挨拶も手短に部屋の中に入る。
僕が虎視眈々とマリアンナを狙っていることをギルバートは知らない。だがそれでいい。
マリアンナがギルバートに泣かされた時、その涙を拭うのは僕の役目。
彼女を幸せにする。
これが前世の君への一切の贖罪にならないことは、わかっているけれど。
夜、夢を見た。懐かしい夢だ。セオドールなんていなくて、僕が『ギルバート』だった頃のこの世界ではない記憶。
僕がマリアンナ……、俺がアンの家にお忍びで訪ねていった日のこと。
かつて一度だけ従者を街で撒き、単身フェルディマンド公爵家に突撃をかましたことがある。
突然訪ねてきた俺のことを公爵は驚きヨロヨロと腰を抜かしながらも、迎え入れてくれた。まあ追い返せないだろうが。
公爵が慌ててアンを呼びに行こうとしたが、勝手に訪ねてきたのは自分だからと止め、自ら探しに行くと言い庭を散策させてもらった。
位が高い公爵家だけあって屋敷も庭も手入れが行き通っていた。
公爵邸には幼い頃から何度も訪れたことがあり、広い敷地の中でも迷うことはない。
アンはきっと林檎の木の下にいる、そう当たり前をつけて探した。
公爵家にはかつて林檎好きの女主人がいて、その彼女が林檎農園の経営を始めた。林檎ジャムの製造に力を入れており毎月王城にも献納があったものだ。
父上も母上も、フェルディマンド家の林檎ジャムを気に入っていた。届いた日にはすぐ食事の席で出され、俺も楽しみにしていた。
農園の創設者が最初の木を植えた時、一株だけ公爵邸の庭に植えた。それが長い年月を経て大きく育ち、アンはこの木の下で本を読み、絵を描くのが好きだった。よくその姿を見かけている。
俺も、彼女と林檎の木の下で過ごす穏やかな時間が好きだった。
サクサクと草を踏む音が響く。
空を流れる雲が太陽を隠し、足元の影をかき消した。
庭の先、大きく育った木の下でアンを見つける。レモン色のワンピースに身を包んだ彼女は、幹の側に赤い布を敷いて座り込んでいた。彼女の膝にはスケッチブックがあり、鉛筆を持つ手がカリカリと何かを描き込んでいく。
すごい集中力。俺の存在に気づかない彼女に、後数歩というところまで近づいてから声を掛けた。
「……アン」
「…………え、……あ」
スッと彼女の顔が上がる。
「で、殿下!?」
「あははは、アン。びっくりした?」
「ま、まあ! どうして、こちらに!? 嫌だわ、私っ、お会いする予定があったかしら」
「ううん、俺が会いたかったから来ちゃった」
戸惑うアンは慌てた様子でスケッチブックを伏せるとスカートの裾で隠すように覆った。
彼女の顔は徐々に真っ赤に染まっていく。まるでフェルディマンド家で育てている林檎のように。
「何を描いてたんだ?」
「た、大したものではございませんわ」
「見てもいい?」
「お、お見せ出来るものではございませんの……!」
「そうかな? 俺は君の描く絵が好きなんだけど……? ダメかい」
「そ、そう、言われて、しまいましたら……」
もじもじと身を捩るアンの仕草が愛らしい。
可愛くてつい隣に座り込めば、反対にアンが立ち上がった。
「殿下、お召し物が汚れますわ! こちらをお使いになって……あ」
「あ、さっき描いてたのって」
立ち上がったせいで隠していたはずの絵が曝け出される。
スケッチブックに描かれていたのはドレスのデザイン。舞踏会がある度、アンが着ていた公爵家の気高さをイメージさせるような重いドレスとは異なる、ふわりとしたシルエットと小ぶりの可愛らしい装飾がついたデザイン。
「これは、その……最近はこういうのが流行っていると聞きまして」
「着てみたい?」
「……私が着る物は、お父様達が決めていますから」
歴代のフェルディマンド家に生まれた女子は王家に嫁いでいることが多い。そのため国の伝統を重んじる風潮があった。アンが身に纏うのは、重く大人らしい色味も落ち着いたデザインのドレスが多い。
本当はきっと、巷で流行っている可愛らしい花々の飾りを付けたようなドレスを着たいのだろう。
「着ないの?」
「いいのです。私が一番似合うのは、我が公爵家が選んだドレスですわ殿下」
「そうか……確かに、君に似合っているよ。でも、このドレスもよく似合いそうだ」
彼女の絵にそっと触れながら、陽だまりのような薄桃色のドレスを着たアンを思い浮かべてみる。
きっと似合う。似合わないはずがない。
だって君は、
「世界で一番美しい君に、似合わないドレスなんか存在しないよ」
彼女の絵を愛おしむように撫でながらそう呟く。
夢の中なのに、甘い林檎の香りがした気がした。




