エピローグ
谷中先生は一命を取り留めた。というより、僕のほうが遥かに重傷で、一命を取り留めたと言われたのは僕のほうだった。
結局、谷中先生は準備していた学会には出られず、9割がた出来上がっていた論文を向山先生が仕上げ、久山さんが代理で発表をしてきたらしい。
その話は向山研究室のなかで、それから数年は定期的に蒸し返される定番ネタとなった。
神白が僕を見舞いに来たのは一度きりで、しかも僕はそのとき深く眠っていた。
僕と神白がもう一度直接会ったのは、それから2年後だった。それなりに連絡は取り合っていたが、神白の仕事が不定休だということや、その後互いに恋人ができたり、別れたり、一人暮らしを始めたりと、目まぐるしく生活が変化する中で、わざわざ予定を擦り合わせて会うほどの用事もなく、月日は飛ぶように流れていった。
神白が僕のアパートを訪ねてきたのは、嵐の真夜中だった。
この地方には滅多に来ることのない、雨よりも風のほうが強い台風が近づいていた。安アパートの2階部屋は突風が来るたびに揺れていた。僕がちょうどテレビを消した直後でなければ、チャイムの音を聞き逃していたかもしれない。
玄関口に立つ神白は、青ざめて疲れ切った顔をし、目だけが燃えるように輝いていた。
「何か用?」と、僕は言った。
「僕、今からA県に行く」神白は唐突に宣言した。「しばらく連絡が取れなくなるかも知れないので、いちおう、それだけ言いに」
僕は黙って部屋の奥に戻り、財布と鍵を取り、すべての家電の電源を落とし、明かりも消した。
部屋を出ると、階段の下に神白の車がハザードランプを焚いて停まっているのが見えた。
僕は何か色んなことを言っている神白の言葉を全部無視して、無言で鍵を閉め、階段を降り、車のドアを開け、助手席に乗った。
「伊東君、僕、そんなつもりじゃなく……」神白は運転席に乗り込みながら、まだごちゃごちゃ言っていた。
「いいから。出して」と、僕は言った。
雨はまだ弱い。風だけが、不思議な熱気を持って大気をかき混ぜている。わずかに開けたままの窓の隙間から、むっとくるような湿気が繰り返し吹き込んだ。
中央分離帯に植わった街路樹が、異様なリズムで枝をうねらせている。
旅立ちの日としてはものすごく不吉だった。
車は点滅する赤信号を突っ切り、市街地を抜け、県北へ繋がる国道へと向かって行く。
僕は次第に笑いを抑えられなくなった。
「で、次はどこへ行きたいの?」
と、僕は聞いた。
「それなんだけどね、」
神白はアクセルを踏み込みながら、急にぱっと笑顔を見せて、明るい色の目を輝かせながら勢い込んで話し始めた。
(了)
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続編「怪獣をつかう者」noteに連載中です。そのうちこちらにも出します。




