番外編:それぞれの新人時代 二宮の場合
「あの野郎いつかギャフンと言わせてやるわ……」
「二宮さん荒れてるね……」
時間は9時を過ぎており、すでに退社した人間も多いが、まだまだ残業中の姿が多く見られるオフィスで先輩に話しかけられた。
私の名前は二宮沙織。22歳。医薬品メーカーに務めている。いわゆるMRってやつ。
今の私の立場は研修終わって現場配属されて1か月しか経ってないペーペーだ。
私が憤っていたのには当然理由がある。
営業現場を知らない甘ちゃんの私はまんまとしてやられてしまったのだ。
犯人は島村製薬の六本木、虫も殺さないような人の好さそうな顔をしておきながら、情け容赦なく弱者をいたぶる血も涙もない奴だ。
声を掛けてくれた先輩にこたえる。
「いや私この1か月で結構島村にやられちゃったじゃないですか。思い出したらムカムカしていきて」
「二宮さんの前に担当してたのって10年以上担当しているような長老株だったからね。よくあることだから気にしないで。社内でも誰も気にしてないよ」
慰めの言葉をかけてくれる。ただいくら慰められたところで消えた数字は返ってはこない。
やられた分はやり返すしかないんだ。
「いつかあの腐れ外道に吠え面かかせてあげますよ」
「うん、その意気なら大丈夫そうだね」
そうそうテスト勉強も頑張ってね、と言い残し先輩はその場を去っていった。
テストというのは12月に予定されているMR認定試験というもので、民間資格で特に法的に強制力のあるものではないが、合格率90%以上の受かって当たり前のテストである。
厳しい外資系の会社では2年連続不合格だと有無を言わさずクビになるという噂がまことしやかにささやかれているくらいだった。
――恥ずかしいことに私はあまり勉強が得意ではなかった。
そりゃあ心配もされる。
◇
「あの、先日はご迷惑おかけしてすいませんでした。不可抗力だったんですが」
とある得意先の待合室で並んで座っているときに六本木にそう話しかけられた。
何が不可抗力だ。そんな都合のいい話があるわけがない。
はいそうですかと納得するとでも思っているのか。舐められたものだ。
いちいち言動が気に障る男だ。そんな感情を1ミリも出さずに私は返事をする。
「お気になさらず。仕事ですから、こういうこともあると思います」
我ながら大人の対応ができたと思う。
六本木の野郎は気まずそうにヘラヘラとして表情を浮かべていた。
いつか泣かしちゃる。
◇
今日は私は県内の同業の同期会というのに参加していた。なんということもない、ただの飲み会だ。
どこの会社も全国転勤ありという会社がほとんどのため、地元出身者は基本的にいない。友達作りも兼ねてこういった会が企画されていると聞いている。
私はあまり乗り気でなかったので参加してこなかったのだが、同じ会社の同期の男が顔を出せとしつこいので仕方なく参加した。
参加するとすぐに後悔した。私はどうにもこういう馴れ合いは苦手なのだ。
隅の方で誰と会話することもなく同じように所在なさげにしている女性が一人ぽつんと座っているテーブルを見つけたため私も避難を兼ねてそこに移動した。
「ここいいかしら」
「見ての通り誰もいないのでお好きなように」
淡々とした返事が返ってきた。このままただ時間を浪費してもいいのだが、それももったいないような気がした。会費というよりは時間的な意味で。
それに向かいに座った女の子が、非常に可愛い子だったため興味も沸いた。
「私二宮沙織っていうの。あ会社は第三帝国ね。私初めて来たんだけどいつもこんなかんじ?」
「奇遇だね。私も初めて来たの。私は三本松涼香。島村製薬よ。まあこの飲み会はリピはないかな?」
そう言って二人で笑いあった。意外と気が合いそうだ。
「あんまり顔を合わせたことないけど二宮さんはどのあたりを担当しているの?」
「私はA市ねえ。ちょっと離れているし卸も管轄が違うせいかな?」
「A市なんだ。うちは六本木さんっていう男の人が行ってるけど、知ってる?」
あんまり思い出したくない名前を思い出してしまった。一気に不快指数が上昇した。
「知ってるけど、正直苦手かも」
「そうなの? 結構いい人だと思うけど」
そう話す彼女はさきほどまでと違った穏やかな表情をしていた。
……恋する乙女ってやつ?
◇
「三本松さん、もう1軒いこうよ!」
会がお開きとなって幹事の男が酒臭い息を吐きながらおぼつかない足取りでこちらに声を掛けてきた。
声だけでなく馴れ馴れしく彼女の肩に手まで回している。非常に不快だ。
……と思ったのも一瞬で、男はその場に崩れ落ちた。
「えーと、三本松さん何かした?」
彼女は一瞬答えづらそうに躊躇う素振りを見せたあと答えた。
「……ちょっと健康にいいツボを押してみたら思いのほか効果があったみたいだね」
私が知る限りそんなツボは聞いたことがない。しかし世の中には知らないほうがいいこともあるんだろう。私はそれ以上深く追求することはなかった。
「それより二宮さん、私ラーメン食べたいんだけど! 一緒にいかない? この辺りに二郎っぽい店があるらしいんだよね!」
コロコロと表情を変える彼女。最初の印象はほとんど残っていない。
友達なんて必要ない、そう思っていた時代が私にもありました……
彼女とは仲良くなれそう、そんな風に感じたのだった。




