第四話 「残酷なる猫は夢見る」 18
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思い出してしまった。恋人が死ぬ瞬間を。
ヨルは絶叫する。譲と戦った時と同じように。怒りに自分の全てを任さんとする。一瞬、正一と霊猫とリナとユイネ以外の全員が彼の存在を忘れかけた。譲の時と同じだ。怒りに任せて暴走すれば、確実に正一とフィーアを殺せるだろう。
こいつらがいなければ、俺は嫌な記憶を思い出さなくて済んだ。
現実逃避を続けられた。
こいつらさえいなければいいのだ。俺にとって邪魔な人間なのだ。
「成功か……?」
正一は呟く。彼は感じ始めていた。ヨルの周りに目には見えない魔法陣ができていることを。ユイネが使うことのできるあの魔法陣のような、羅列した文字の輪を。これで自分は任務を達成できる。彼は固唾を呑む。
霊猫とリナはヨルの元へ駆けつけようとするが、敵兵士の攻撃にて動きを制される。リナは舌打ちをし、拳銃を構えて反撃した。
何故俺達は戦闘しているのだろう。
全部俺の所為だ。
俺がいなければ霊猫達は戦わずに済んだはずだ。
罪悪感が一層強くヨルを縛り上げていた。幻の舞歌は嘲笑っているようにも見える。とうとうヨルは自我を忘れかけていた。罪悪感と責任感が彼の肉体と心を分離させているのだ。
俺がいなければ舞歌は死なずに済んだのだ。
虐められても、死ぬよりはマシじゃないか。
奥歯を噛み締める。絶叫を止め、何とか堪える。ここで叫んでいても、何かが起こるはずもない。事が良い方へ転ぶ可能性なら尚更。動かなければ何かが起こることはないのだ。悲劇も、喜劇も。絶対に事件には動きがあるのだ。
考えろ。
俺は今何をすべきだ。
叫ぶことか? 笑い飛ばすことか? これすらも「夢だ」と現実逃避するのか? 違うだろ。そうじゃない。それでは駄目なのだ。それでは今までと何ら変わりがない。幻影として見える舞歌にも笑われてしまう。
もう、臆病な俺は嫌になっていたんじゃないのか?
もう、情けない俺が嫌になっていたんじゃないのか?
考えろ。彼はそう繰り返した。暴走しそうな肉体を、臆病ながら心で制している。ふと気をそらせばきっと暴走する。
このままではまた同じだ。譲の時と同じ。暴走に任せて物事を解決してしまう。自暴自棄じゃないか、これでは。これでいいのか? 勝てない相手がいるからと諦めて怒りに身を委ねるのか?
情けない。情けなさ過ぎる。これでは舞歌に合わせる顔がない。
いいか、よく聞け、ヨル――いや、鈴科夜神。
少しくらい自分だけで問題を解決してみろ! こんなんじゃ駄目だろ!
ヨルは崩れ落ちたまま、自分の頭を思いっきり床へ叩きつけた。コンクリート製の床は固く、脳震盪が起きそうなほど頭が揺れた。超能力は一切使っていない為、痛みが直接伝わってくる。激突した額からは血が流れ出ている。
痛みなど無視して彼は立ち上がった。その時点で既に戦場は静まり返り、彼へ注目していた。誰も攻撃しようなどとは思わなかった。
そして、叫ぶ。今度は情けない絶叫とは違う。強い意志が籠った全力の嘆きだ。
叫べ! 舞歌が死んでから溜まった全ての痛みを、憂鬱を、鬱憤を! 喉が擦り切れてもいい、声帯が破れてもいい、叫ぶんだ!
感情の爆発と称されそうなこの叫びは全員の心に深く刻まれた。
「やっと答えが出たよ」
気が付けば彼は泣いていた。笑顔なのか悲しみによって口角が不自然に上がっているだけなのか、しかし心なしかやはり笑顔のように見えた。これがヨルの本質、鈴科夜神としての本質なのだ。
「死んだ人間は生き返らない。殺人が罪で、間違った行為だとしても、それは人間の本能だという考えは未だに変わらないけれど、大切な人間を喪う痛みがわかった」
幻影として見える舞歌は驚いている。
俺の中で起きた葛藤なんて心の持ちようだけで解決する単純な問題だったんだ。今までの悲劇も、俺自身が変わってしまえば簡単に解決していた。超能力とか理屈とか関係ない、必要ない。俺が彼女の死を認めれば良かったんだ。
ずるずる、ずるずると彼女の死を引きずっているのが悪かったんだ。
「世界が例え曖昧でも、俺はただ一つの真実を知ったよ。やっとだ。俺はずっと心の中の暗闇を〝泣きたい〟とばかり思っていたが、違う。俺はこれを言いたかったんだ」
周りの視線なんて気にしない。彼は舞歌へ向かって言う。
「例え君が死んで、この世に存在しなくても、俺は舞歌が好きだ」
それだけで良かったんだ。
事件自体は解決しなくても、それでいい。彼を縛る問題はこれで解決するのだ。これまでの悲しみや、これまで行ってきた自分の罪は、これで解決する。
罪悪感は消えなくても、それによって自分の人生が滅茶苦茶になるなど勿体ない。もう、解決したのだ。罪悪感を背負いながら前向きに生きてもいいのではないか。それの所為で人を殺め続ける方が間違っているのだ。
人生設計を立ててもいいのではないか。そろそろ俺は舞歌から自立しよう。
幻影が消えた。令嬢舞歌の形をしていた幻が、まるで霧のように消えていった。それにフィーアは驚きを隠せず、つい情けない声を上げてしまった。
「何をしている!」と正一は怒鳴るが、意味がない。フィーアはヨルへ幻想をかけようとするも、何故か効かない。そんなはずはない。
「簡単なことだな。対象に触れもしていないのに能力を発動、作用させるのは極めて珍しいとは思っていたが、考えれば簡単だ。例えば、超能力を伝える物質があったとする。それの透過率が百パーセントだかどうだかは置いておいて」
兵士はヨルへ集中射撃するが、全て跳ね返される。自分の銃と肩を貫かれ、兵士のほぼ全員が無効化された。
「例えばその物質が空気を通して俺へ接触し、操作しているおまえとのリンクが成功したなら。つまり空気を媒介して俺へ能力を発動させたら。俺は空気を反射してしまえば、おまえの能力を受け付けないことも可能ということだ」
フィーアの目の前まで歩んだヨルは言う。
「よくも舞歌を使ってくれたな」
ヨルは全力で彼を殴った。鈍い音が無音の部屋に反響し、意識を失って脱力した第五位の体がむなしく床に落下した。こうなってしまえば、健常者の正一に負けるはずがない。正一が彼に勝利する手段などない。
それを理解した正一が取った行動は、逃亡だ。一人奥のドアへ走って行って、奥の部屋へ逃げた。ヨルは走らず冷静に正一を追おうとしたが、彼が奥の部屋へ逃げてから十数秒後、銃声が奥の部屋から響き、正一の断末魔が聞こえた。何が起こったかはわからないが、彼は死んだのだろう。恨みを買った誰かに殺された。
念の為ヨルは奥の部屋を見たが、銃で額を貫かれた正一の死体が転がっていた。
ゴーストの兵士はヨルに怯えて、戦闘できる状態ではなかった。無力な人間を殺す無慈悲な鬼から卒業したヨルは、その兵を殺そうとは思わなかった。
これにて便利屋とゴーストの事件は決着した。
街には死角がある。
陰と陽という考えにも死角は存在する。例え影の中に影はできなかろうと、光を作り出すことはできる。
悲劇は人を地獄に落とす。地獄から這い上がれる人間は稀だ。
しかし、悲劇が人を救うこともある。人は果てしない暗闇の中光を作り、陽に生き続ける。影の中で幸福があり、人間としての本能を極限まで引き出すことができる。光がなければ作ればいいのだ。
悲劇が人を形成することもある。夜神は恋人の死によって暗闇にのまれ、しかしその影の中で「便利屋」という光を作った。太陽となる者は彼を救った恩人、彼が心を開いた存在であるリナだ。それから彼は数々の事件を経験し、光という潜在能力を秘めて影を生きた。
その姿は宛ら、影を纏った英雄のようであった。
臆病な鈴科夜神は前向きに生きる自信をなくしていた。正直、彼の中で「関わらなければよかった」という後悔がある。あの時舞歌に関わらなければよかった。やっぱりこうなるんだ。俺は死神か何かだから、人を不幸にしかできない。俺が誰かを幸せになんてできないのだ。そう後悔していた。
しかし、今は違う。彼がリナへそうするように、舞歌を信じている。
彼女は俺といれて幸せだったと願っている。俺は彼女の隣にいられて毎日が幸せだった。彼女も俺の隣にいて幸せでいられただろうか。頷いてくれる彼女を信じる。
彼は人を殺めようと、自分が死のうと、彼のままでい続けた。
一度は暗闇に落ちても、今日、この日に彼は暗闇から脱出できた。
人生には幾つものチャンスがある。
これから俺は光を照らし、道を示す人間になってやろう。
英雄にはなれなくても、救世主にはなれなくても、人を救える人間になってやろう。




