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仮想の現実は無法地帯  作者: 雪斎拓馬
仮想の現実は無法地帯 上
49/55

第四話 「残酷なる猫は夢見る」 17 *PAST 7


    17    ――PAST 7


 彼は思い出した。

 いつでも甦らせる記憶であったが、彼はいつしか固い扉の奥に封印していた。


 高校生活は順調に見えた。高校生になれば恋愛は普通になる。夜神と舞歌は周りの目を気にせずに、思うがまま生活していた。それもあってか、この一学期の半ば、夜神は舞歌を名前で呼び、互いに下の名前で呼び合うようになっていた。

 夜神、と呼ばれることを嫌う彼は、自分のことはヨルと呼んでくれと頼み、彼女は笑顔でそれを受け入れた。

 夏休みに入る直前のことだった。恋愛というものは機会を選ぶものだ。例えば卒業式に「好きです」と言えばインパクトがあるし、祭りの後に言うのも同じく。何か大切な、記念になる日に告白することは効果的なのだ。

 彼らの場合は夏休みに入る直前。舞歌から手書きの手紙を貰った。

「ありがとう。ここで読むのは流石に恥ずかしいから、家に帰ったら読むよ」

 夜神の表情は豊かになり、自然と笑えるようになっていた。舞歌と出会って成長したのだ。前向きに、プラスに、ポジティブに。

 もう、後ろ向きで、マイナスで、ネガティヴな自分には戻らない。と言い聞かせていた。舞歌がいる限りそうなるなどとは微塵にも思っていなかった。

 ひょっとするとそれが原因で彼は再びマイナスな人間は戻ってしまったのかもしれない。重要なのは心だ。モチベーションを上げるだけで人間は試合に勝つことができてしまうのだ。

 恋愛が機会を重要視するように、悲劇もまた機会を選ぶのだ。

 そこにある差と言えば、記念の日に行うか、記念の日を作るかの違いだけだ。

「鈴科、ちょっとこっち来い」

 舞歌から手紙を貰った数分後のこと、運悪く同じになったクラスメイトの長山が夜神を呼び出した。低い、どこか憎しみを帯びた声だ。夜神は一瞬驚くと、頷いて長山の後に付いて行った。

「長山さん、私は?」と舞歌が言うと、長山は付いてくるなとはっきり言ってみせた。

 舞歌と夜神は顔をしかめて、別れた。

 この高校では屋上に出てはいけないとの校則がある。何でも、フェンスが老朽化し、ただでさえ自殺者が出る可能性がある屋上でそういった不備があるからだという。夜神も元々屋上へ出るつもりもなかったので、その校則に不満はなかった。

 長山は高校に入っても問題児だ。屋上の鍵を盗むのも訳がないらしい。長山と夜神は屋上へ出た。

「何の用だ、長山」

 夜神は顔をしかめながら彼女へ問う。強い風が吹き荒れていた。

 問われた長山は彼を睨む。殺意が籠っていることは気のせいだと切り捨てた。

「おまえの所為で私の人生は滅茶苦茶だ」

 簡潔な答えだった。夜神の所為で自分は虐められる側に回ってしまったのだ、という事実。自業自得だ、とは口が裂けても言えなかった。

 何故? 言ってもいいだろう。自業自得だ。自分を虐めていた人間が虐められているのだぞ。ざまあみろと馬鹿にしても普通だ。咎められるはずもない。人の痛みも知らずに人を傷つけていた罰なのだから。

 ようやくここで夜神は長山の体に複数の痣や切り傷がついていることに気が付いた。

「おまえの所為で私が殴られる」

 夜神と舞歌を虐めていた件は教師に見つかることはなくても、生徒の目を誤魔化すことはできなかった。横断幕事件の真相を知った生徒が、教師ではなくもし長山を敵視する生徒に教えたならば、どうなるかなど考えるまでもない。

 長山は標的にされた。榊原もひょっとすると同じ目にあったのかもしれない。彼女は今も尚、街を歩けば知った顔の人間に暴力を振るわれる。殴り返そうと思っても相手は複数人で、太刀打ちできない。

 夜神を虐めていた時と全く同じだ。

 彼女は彼を複数人で虐めていた。標的が夜神から自分に変わっただけだ。その既視感に気付いた彼女は怒りを爆発させた。結果が今起きていることなのだから。

「殺してやる」

 冗談にも聞こえない言葉。夜神の胸には大して刺さるものではなかったが、歩み寄る長山が後ろに手を回したと思ったら、鈍く輝く武器を取り出した。

 折りたたみナイフだ。こんなもの百円ショップにも売っている。拳銃を取り出すなど、ファンタジーあるいはSFの物語でないとありえないことは現実世界では起こせない。しかし折りたたみナイフは現実でも起こりうる。百円ショップに売ってある果物ナイフで殺人事件が起こることなどしょっちゅうだ。

「待て、考えてみろ、長山さん。僕を殺したら君は殺人者としてこの世界の全員から罵られるんだぞ!」

 夜神は制したが、長山は聞かずに歩み寄る。

「知らないわ。元凶のおまえが死ねばそれで私の中の殺意は消える。この殺意の所為で私がどれだけ人生に苦労してきたことか」

 長山の視線は鋭く、殺意が十分に籠っている。

「私がこんな底辺高校に落とされたのもおまえの所為だ。おまえの所為で私が殴られ、勉強なんてする時間すら取れなかった。傷の所為で街の人間からも笑われた。おまえの所為だ、おまえが事の元凶だ」

「ナイフは、まずいだろ」流石の夜神も焦る。ナイフを持ち出された喧嘩などしたことが一度としてない。鋏とは違うのだ。刺されば切れる。

「おまえにこの屈辱がわかるか!」

 おまえとは違う。おまえのようにはならない。私は惨めな奴として認識されているが、おまえは可哀想な人間としか思われていない。この差が、この屈辱がわかるか。おまえなんかより下に捉えられる屈辱が、わかるか!

 彼女は叫ぶ。迫力のある演技でもない、彼女は本気だ。

「待ってくれ、ナイフはまずい。わかった、僕は君をわからないかもしれないけれど、せめて君を殴った奴を代わりに倒してきてやるから」

 その言葉を聞いて長山は黙る。夜神が自分の代わりに成敗する、と言うのだ。夜神は女子を殴っても感情は揺らがない、と自分を謳っている。その事実を知っている長山は静かにナイフを背中へ回した。

 夜神は安堵の溜息をついたが、その直後長山はナイフを振りかざした。

 突然のことだった為、夜神は避けきれなかった。腹に向かって突き出されたナイフを避けるべく右に跳んだ彼だが、左脇腹を刺された。

 血が瞬く間に、彼のワイシャツを赤に染めていく。彼は熱を帯びていく左脇腹を手で押さえ、再びナイフを振りかぶる長山を睨んだ。こいつ、とうとう手を出してきた。ナイフで刺されたという実感はなかったが、攻撃された事実は認識できていた。

「何をしているの!」

 と屋上に一つの声が響いた。残念ながら教師のものではなく、女子生徒のものだった。そう、舞歌が屋上へ駆けつけたのだ。恐らく、長山に連行された夜神の後を密かに追っていたのだろう。

 舞歌は屋上のドアから飛び出て、夜神を庇う形で長山と対峙した。

「ああ、あんたでもいいや。殺してやる」

 醜い喧嘩だった。喧嘩なんてレベルで済めばいいのだが。

 犬歯をむき出しにする長山はナイフを舞歌へ突き出す。夜神は喧嘩が強い方だ。痛みを忘れてしまった今は衰えているかもしれないが、と無理矢理立ち上がり、長山のナイフを蹴り飛ばしてから崩れ落ちた。

 ナイフを失った長山は怒りに、拳で彼を殴ろうとする。庇い合いの喧嘩というのは珍しいだろうが、漫画ではかっこう悪くても、それが現実だ。今度は舞歌が夜神を庇う。全力の殴打は彼女を投げるように後退させる。フェンスに衝突した舞歌は使命感を持っているのか、痛みを覚えながら長山に立ち向かおうとする。

「やめろ」と夜神は呟いた。

 それも当然、フェンスが軋む音を出していたからだ。この学校のフェンスの大方は老朽化しているが、常に陽を浴びる屋上は他よりも進んでいる。

 長山は敵意の行き場を見失っていた。夜神と舞歌、どちらを殴ろうか。考える余地もなく、彼女は無意識の内に行動していたのだ。怒りの行き場は定まっているからだ。再び舞歌を殴った。

 とうとう夜神も彼女を庇うことができなくなっていた。それこそが全ての原因だ。これこそが彼の「見殺し」なのだ。


 フェンスは舞歌を受け止め切れず、異様な音を立てて彼女と共に宙を舞った。


 屋上から放り出された人間が戻って来るはずもなく、一瞬の内に落下し、不快な音がむなしく耳に反響するだけだった。人間というものは、頭ではわかっていても無意識的に行動してしまう生き物だ。だから、自分を壊す危険行為を自らしてしまった。

 見てしまったのだ。恋人が落下する瞬間と、四散した彼女の死体を。

 口では言っていたものの本気で殺すつもりはなかった長山も、その死体を見て目を丸くし、呼吸を荒げ、汗を流していた。

「あ、あ…………あ」

 発狂することもできなかった。夜神は情けない声を漏らす以外、何もできなかった。

 鈴科夜神はどこへ行っても無能なのだ。




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