第四話 「残酷なる猫は夢見る」 13 *PAST 5
13 ――PAST 5
中学校二年目の生活が終了した。
しかし未だに夜神と舞歌は自分の中に存在する本音を告白できていない。夜神は彼女に対し心を開いていた。だが、嘘をついていないわけでもない。自分の仲の何かが他人によって揺らいでいる感覚にまだ慣れていないのだ。
横断幕事件以降、長山が二人に手を出したことはなかったが、依然と不機嫌であった。嫌われているなら嫌ってよし、と考える夜神は長山と仲良くもせず、一度として言葉を交わさない人間として最後の年を過ごした。
二人についての噂は学年の全員が知る程のものとなっていた。鈴科夜神と令嬢舞歌は付き合っている。恋人である。恋愛を望む年齢の中学生は仲の良い男女を恋人として噂をする。それはこの学校にも変わらず存在し、二人も変わらず噂をされている。それも当然、授業以外は常に共にいるのだ、あの二人は。
彼らの耳にも噂は流れ込んでくる。だが彼らは気にしない。そういった性格であることは前提ながら、そもそも彼らはまだ恋人同士ではないのだ。恋愛感情を持っていると告白していない。
恋愛に興味がないわけではないが、強い欲求もない夜神。しかし令嬢をただの友人として捉えたくはなかった。形はどうであれ、彼女は僕を救ってくれた恩人なのだ。
恩人? 救った? 一体何から、僕は何から救われた?
恋愛感情というよりは複雑な感情だ。根本的な問題として、この霧がかった心境が恋愛を望む感情だろうか、という疑問もある。令嬢は自分をどう捉えているのだろうか。僕は自分のことを「僕」と言うが、中学三年生にもなって自分のことを「僕」と呼ぶ男子は少ないだろう。俺なんてもう恥ずかしくて言えない。それにルックスも悪い、決していいなんて言えない、お世辞でも。少なくとも自分はこの顔が嫌いだ。性格も最悪だ。こんな、人間として不完全な僕を彼女は恋人として受け入れてくれるだろうか。答えは試してみないとわからないものだが、僕にはできない。
僕は愚かなのだ。彼は言い訳を考えていた。自分から逃走する為の都合のいい理由を。しかし見つからない。例えの一つもできない。臆病な僕は令嬢に告白なんてできない。ひょっとすると彼女も僕を想っているかもしれない。その上で、男子から告白されるのが普通……いやあいつに限ってそんな偉そうなことは考えないか……だから、僕からの告白を待っていたりするのではないだろうか。
彼は葛藤に似た複雑な想いを胸に押し込み、毎日を生活していた。友人を作ったことすらない彼にとって舞歌の存在は以上に大きかったのだ。
舞歌との会話は楽しい。笑える話ではなくても、彼女と話していると心が安らぐ。その反面胸が引き締められる苦痛を覚える。その痛みを好んでいない。自分の身体を縛る謎の感覚は、自分の自由を奪っているのだから、自由を何よりも尊重する彼にとって邪魔もの以外の何でもなかった。
たった一言だ。それだけでこの状況を一変し、開放されるというのに。
好きだ。
それだけでいい、その一言で全てが終わり、違う生活が始まるのだ。しかし言えない、いざという時に口が閉じてしまう。メールでもいいから、調子に乗って悪ふざけをする感覚で言えば解決すると考えても、いかんせん彼は悪ふざけという感覚を失ってしまった。無邪気な餓鬼の夜神は既に死んでいるのだ。
「好き」と「愛している」は違うニュアンスの言葉だ、と彼は考えていた。違いを説明しろと言えば、簡潔に言うと恋愛感情の有無だ。好きと言えば恋愛感情があると言えるが、愛しているという言葉は恋愛感情がなくても言える。
恋人と愛人は違う。偏見かもしれないが、恋人は恋愛関係を公式に結んでいる人間のこと、愛人は非公式に関係を結んでいる人間のことと考える。聞こえも、愛人は悪印象を持たれるだろう。
夜神は自分が臆病者であることは理解できていても、その臆病な自分を何よりも嫌っているのも事実だ。舞歌と出会ってから心境が何度も変わった。根本的な考え方は相変わらず変わらないが、鈴科夜神を鈴科夜神たらしめる要素が揺らいでいる。
中学三年も運がいいことに舞歌と同じクラスになった。普段暗い印象で、皆から距離を取る夜神と舞歌が男女交際をしていると耳にした教師達が慮ったのだろう。榊原も長山もいない。一見問題のないクラスだ。
中学三年に上がると受験の話で耳が痛くなる。正確に言えば、揚げ足を取れば、鬱陶しくて腹が立ってくる。
所詮日本などこんなものだ。「平和とは何ですか」という質問に日本人の十中八九は「穏やか」や「戦争がない」や「平等」と答えるだろう。だがどうだ、日本人の殆どが謳っている「平等」など日本にあるわけがない。そもそも日本は資本主義国だ、君主国だ。生まれながら良き家庭に生まれた人間は名を残す。
才能のある人間は得をし、才能のない人間は損をする。人権もあったりゃしない。平等でも何でもない。自由もない。日本は言語や性格と一致して曖昧過ぎるのだ。この国家そのものが曖昧過ぎる。無能共の集まった国政に、何かをすれば全国放送される天皇、国家自体が曖昧で、脆弱だ。
中学生は高校に上がらなければならない。これは社会的前提条件だ。しかし高校は義務教育ではないから受験をしなければならない。高校に上がれば次は大学だ。大学に行かない、特に男性はどこへ行っても不利だ。大学への入学もまた、社会的前提条件なのだ。卒業していなければならないのだ。
まるで軍隊だ。夜神は毎日考える。日本は国家自体が軍隊なのだ。法律でがんじがらめに拘束し、庶民の行動を制限し、義務と規則で制御、命令をする。僕達は勉強をするためだけに生きているようなものだ。勉強をし、より良い学校へ進出しなければ社会から外されるのだ。蚊帳の外などない。もしあるのだとしたらそれは犯罪者の集会所だ。自由を求める者は犯罪者になるのだ。
義務教育に縛られる十五年間半。それから社会的暗黙の了解に縛られる七年間。就職と法律に縛られるその後の六十歳までの人生。老いた肉体と死に対する恐怖に縛られる最期までの人生。日本という国に拘束され、駒のように生きる。これのどこに真の「自由」が存在するだろうか。
拘束に逆らうか、失敗をすれば容赦なく蹴落とされる。失敗は罪なのだ。失敗を次に生かすならば、罪を帳消しする強さの功績を残さなければいけないのだ。次がある、など軽々しく言えたものではない。国家において失敗は罪なのだ。酷い結果を出せばその罪に見合った罰が与えられるのだ。その内容が軽蔑か不合格か失職かはわからないが、そんなものなのだ。次などない。失敗を成功に変えることはできても、失敗が身を助けることはまずないのだ、罪なのだから。
一学期が終わる前にと彼は腹をくくった。もうこんな苦痛はごめんだ。
「令嬢、少しいいか?」
休み時間、いつも通り夜神は舞歌に話しかけた。しかしいつもとは雰囲気が違う。そもそもいつも通りならば「少しいいか」など言わない。
「何? 改まって」
「え、と……進路のことなのだが、令嬢はもうどこの高校に行くか決まっているか?」
「決まってないけれど……?」令嬢は首を傾げた。
はっきり言えず、遠回しに、口を濁すように彼は伝えた。自分の進路なんて正直どうだってよかった。県内一の馬鹿高校でもいいくらいだ。臆病な彼はとにかく、高校受験に落ちるという感覚を味わいたくないのだ。
「い、一緒に……の、高校に行かないか?」
一緒に同じ高校に通わないか? などストレートに言えなかった。だが彼自身直球に伝えたつもりだ。これで断られれば諦めよう。
「本当? 嬉しい!」
舞歌は目を輝かせて言った。予想外の言葉だった。もう少し遠回しに何かを伝えてくるのだろうとばかり思っていたが、彼女の言葉はストレートだった。嬉しい、一緒の学校に通えることは嬉しい、と彼女は言った。
その反応を見て次の言葉が出辛くなったが、声帯を無理矢理開いて声を出すように、彼は思い切って次に用意していた言葉を発した。
「僕の我儘だということは十分承知している。だけれど、僕は、その……君と、令嬢と一緒の学校に確実に通いたいから、私立高校に通いたいんだ」
要するに、私立単願で確実に同じ学校に通いたいというお願いだった。舞歌は一瞬目を丸くして驚くと、嬉いのか満面の笑みを浮かべて頷いた。
「いいね、その案はなかったよ。私も鈴科君と同じ学校に行きたい。離れたくない」
そこまで聞くと夜神はほっと安堵の息を漏らした。
これで進路が決まってしまった。私立単願を選ぶ生徒は多からずいるものだ。例えば、受験が面倒で確実に入れる私立単願を選んだり、夜神のような臆病者が受験に落ちることが怖くて選ぶこともある。
幸い夜神と舞歌の学力は大差ない。同じ公立にも通えそうだ。
「我儘だから、さ。令嬢の家計の問題とかもあるだろうから、後々ちゃんと決めよう」
彼は言った。自分の「一緒にいたい」という気持ちだけで人の自由を縛ってしまった罪悪感を背負って。進路は学力にそった小さな自由が存在する。学力が足りないと選ぶ場所が少なくなるという点では不自由だが、基本的にはどこを選んでもよい。その権利を彼は彼女から奪ってしまった。
「ごめん」と彼は内容を一言も喋らずに呟いた。
「いや、問題ないよ。本当に嬉しいから。私立単願は考えてなかったけど、鈴科君と同じ高校に行きたいってずっと思っていたから……その〝人の進路を縛った〟って罪悪感を背負わなくてもいいんだよ。元々私は鈴科君に付いて行きたかったんだから」
的確に舞歌から彼の負い目を突かれた。
「わかった。僕も、令嬢が頷いてくれて嬉しいよ」
彼は急に恥ずかしくなって顔を伏せ、それじゃ、と早めに席に戻ってしまった。
その後学校をやり過ごし、家へ帰った。いつもは帰りたくもない家だったが、今日は違う。両親に話がある。両親が夕食を取っている中、彼はドアを開けその部屋の中へ入って行った。滅多にない息子の行動に両親は訝しんだ。
「進路のことで話があるんだ」
自分がとんでもない無表情をしていることくらい、頬を触らなくてもわかる。目が全く笑っていない。口角が寧ろ下がっている。声色は自然と低い。両親を常に他人と思い続けてきた彼にとって、他人行儀になるのは当然だった。
「私立高校に単願で入りたい」
両親は単願を許可した。裕福な家庭に生まれたわけでも、貧しい家庭に生まれたわけでもない、ごく普通の家庭だ。金にはまだ困らないという。もし兄弟、姉妹がいればこの状況は変わっていたかもしれない。一人増えるだけで家計は変わる。
許可を貰っても彼は喜びもしなかった。喜ぶにはまだ早い。彼女の両親が単願を許しても、まだ早い。例え同じ高校に通うことになっても、まだ胸を縛る苦痛は消えないのだ。そんな程度で解決されない。
彼としては自分の気持ちを彼なりに伝えたつもりなのだが、まだ足りない。あれだけではまだ告白とは言えない。そもそもこの感情が恋愛からくるものなのかは定かではないが、彼は決して恋愛に興味がないわけではない。ひょっとすると僕は恋をしているのではないか、と思う。
ただし彼は気付いている。自分は恋人が欲しいわけではないのだ。恋人同士の他人を見て文句や悪口を言う奴らは口々に「彼女が欲しい」と言うが、彼はそんな感情を一切持っていない。令嬢舞歌という恋人が欲しいわけではなく、単に恋愛を理由にしてでも令嬢舞歌と共にいたかったのだ。
故に、舞歌が彼の告白に頷いて恋人同士になったとしても、遠距離恋愛をするならば彼は耐えきれないだろう。目的は恋人にすることではないのだ。共にいること。この自分の性格には気付いていた。遠距離恋愛では駄目なのだ。
翌日学校に行ってみると、舞歌が嬉しそうに満面の笑みで言った。
「両親がオーケー出してくれたよ!」
それを受け、夜神も笑顔になり、ありがとうと返した。
僕の人生はこれから始まるのだ。
季節は夏に移ろうとしていた。外を見れば雲一つない。夏の快晴は実に美しい。
遠くで積乱雲が徐々に成長して夏を満喫している。




