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仮想の現実は無法地帯  作者: 雪斎拓馬
仮想の現実は無法地帯 上
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第四話 「残酷なる猫は夢見る」 9 *PAST 3



    9  ――PAST 3


 体の奥底から湧き上がるその感覚を「青春」と捉えた時点で、彼は彼女に負けていたのだろう。

 世に青春と言われるものを彼は信じていなかったが、感覚的にこの衝動がそれであると捉えてしまった。彼も恋愛感情がないわけではない。ただ、偶然自分にちょっかいを出してくる人間を追い払ってくれた令嬢を恋愛対象として見ていたわけでもない。

 結局、それ故か彼は休憩時間に話しかけることもなく、中学二年生生活を始めようとしていた。彼は彼女をどこか上に置いていたわけだが、特別「好き」というわけでは全くないのである。

 驚きもしないが、彼のクラスには長山がいた。榊原は遠いクラスに消えたが、たちの悪い彼女が再び同じクラスになってしまったのだ。そうか、教師へ申告しなければこうなることもあるのか。素直にそう思った。やはり大人には何も期待しない。眼がないのだ、あいつらには。生徒を見ていない。期待していたわけではないが、その無能さを改めて思い知った。しょうがないか、僕は教師にも嫌われているからな。

 一年の学年評定は芳しくなかった。とは言え、そこまで学力が低いわけでもないので、彼自身高校は「行けるならどこでもいい」という考えだった。

 恋人という存在をあまりいいものと思っていなかった。恋人を慮れば、その分自分は不自由になる。想うだけならまだしも、どこかへ行ったり、一緒に遊んだり、それが彼にとって拘束的行為だった。彼の中では、恋人と呼ばれる存在は、一緒にいるだけで心が安らぐ人だった。もし令嬢が恋人ならば、僕は彼女に「常に笑顔でいろ」とお願いするのだろう。

 一週間経った頃、舞歌が休み時間に彼へ話しかけた。

「す、鈴科君……ちょっといいかな」

 夜神は席に着いて本を読んでいたが、彼女に話しかけると顔をしかめた。

「何だ?」

「恥ずかしいながら、数学でわからないところがあって……教えてくれないかな」

 舞歌は前の授業の内容が理解できなかったのか、ノートと教科書と文房具を持っていた。女子らしく、胸に抱えて少し赤面しながら言う。

 彼は少し考え、特に何の用もなく、本も特別面白い描写ではなかったので、優先度を目の前に変えて「問題ない」と答えた。彼女はありがとうと笑顔で言い、あのね、と話を切り出した。

『ふしぎな数あて』と書かれた教科書のページを見、彼は丁寧に教えた。所詮は中学二年生の問題である。それに、二年初めての数学の内容の難易度は、高く設定されていない。彼女は彼の説明を受けやっと理解し、ありがとう、ともう一度言った。

 丁度チャイムが鳴る。急いで教室へ駆け込む生徒に紛れて彼女は席に着いた。

 案外、彼女は勉強ができないのかもしれない。馬鹿元気というか、明る過ぎて学校を勉強の場として捉えず、友人と会話する場と考えているのかもしれない。それにしても、何故僕に勉強を教えてと来たのだろうか、彼女には僕以外に友人がいるだろうに。と彼は思ったが、気に留めなかった。

 彼女はその日を契機に夜神に話しかけてくるようになった。

 残念ながら、当の夜神はやはり友人がいないのか、と思った。

「鈴科君って何の本を読んでいるの?」

「最近は海外文庫だな、知っているか? フランツ・カフカの『変身』」

「ごめん、私は知らないな」

 何気ない会話をするようになったのはいつ頃だったか、二年生が始まってから二週間が過ぎていた。心を開いたわけではないが、彼は笑顔で話しかけてくる彼女に対して嫌悪感は覚えなかった。自然と少し笑っているようにも見えた。

 その様子を長山はよく思っていなかった。虐めがしたくて彼を見ているわけではない。彼女としては夜神もそうだが、何より舞歌が気に食わなかった。気に入らない、うざい、その感情が彼女を動かしているのだ。決して「虐めをしたい」と考えているわけではないのだ。

 そんな長山の視線を夜神は感じていた。しかし、この自分にとって少なからず居心地のいい日常を彼は維持したかった。必然的に、長山を敵視していた。

「どんなお話なの?」

 舞歌は夜神に訊いた。雑談を続けたい、という思いからだろう。

「ある青年グレゴール・ザムザが毒虫になる話だ。グレゴールは家族から距離をとられ、挙句の果てには妹に『あれ』呼ばわりされて死ぬ。そんな話」

「悲しい……、よく難しい本を読むね」

「難しくはないさ。寧ろ童話のような話だった」

 彼女はふふと笑った。

「そんな童話があったら、子供にはトラウマになっちゃうね」

 まあ、おまえは子供のような奴だからな。彼は心の中でつっこみ、少し考え、確かに子供がこの本を読んだらどうなるのだろうと気になったりした。

 何気ない会話は休憩時間の終わりと共に修了する。気が付けばまるで時間を盗まれたかのように、時計の針が進んでいるのだ。それを見て彼は、きっと満喫していたのだろうと珍しくポジティブに考えていた。

 彼と彼女の仲は知らずの内に深まっていた。相変わらず夜神が彼女に話しかけることはなかったのだが、彼は彼女に許すところがあった。

 一年の頃から好印象を持たれなかった二人はクラス内で浮いた存在になっていたが、彼らは大して気にしていなかった。類は友を呼ぶ、馬鹿同士僕達は仲良くなっているのかもしれない、と内心彼は思っていた。

 消極的な夜神に対して、舞歌は積極的な人間だった。しかし明る過ぎて「うざい」と言われる彼女に対して、夜神は無口過ぎて「かっこうつけ」と言われる人間だった。どうしようもない憎き()()()()()()にはどうしても勝てない。

 ひょっとすると根本的な考えからして夜神と舞歌は同じ存在なのかもしれないと思ったが、答えは出さずに胸の内に隠した。

 長山はどうしようもなく二人を嫌っていた。見ているだけで虫唾が走る。楽々と、それに笑顔で過ごしているあの二人がうざい、腹が立つ。

 ある時、榊原の虐めが発覚し、生徒指導を食らったという噂が流れた。その真相はしかし二年の新しいクラス内で、内気だった木田という少年が虐められ、木田による申告の結果だという。だが、木田は元々嫌われ者で、クラス内では何の動きも見せていなかった。榊原は危ない人間とレッテルを張られるだけで、悪としての印象は残らなかったのである。

 このことから、榊原は、同情の余地がない人間をターゲットとすることにより、自分を悪者扱いさせないようにしている、と夜神は理解した。自分もまた嫌われ者だ。同情の余地などあるはずがない。

 榊原の友人である長山は、それでも夜神達を嫌っていた。問題になって生徒指導を受けても知らない。とにかく腹が立つのだ、あの二人を見ていると。

 そして、それはとうとう爆発した。

 中学生になれば自分達で何かを作ることくらいはある。例年ならば体育祭は遠い月にやっていたが、今年は七月の初めに変わった。特別珍しいことではない。他の学校では、六月五月にやってしまうところもあった。

 クラスで体育祭に向けて横断幕を作っていた。色は絵具で塗る。消極的だが、クラスで決まったことには従わなければ授業の時間何するのか、と夜神も参加し、積極的な舞歌も当然参加した。夜神は簡単な黒色を担当し、舞歌は青緑色を担当した。

 半分程完成したある日、横断幕の殆どが青緑色に染まっていた。

 その日の学級活動は教師の指示により机を動かさず、教師が見せた横断幕を全員が見、そこでやっと発覚した事件だった。

 誰が犯人だったか。それがその日の学級活動だった。クラス全体でやるのはともかく、教師の指示によりそんな非人道的な会議をするのはおかしいと夜神は思った。そもそも横断幕を汚すような真似をした野郎も非人道的なのだが。それほどクラスにとって横断幕は全員が想いを乗せた物だったのだ。

 舞歌も同じだっただろう。横断幕に全力を尽くしていた。しかしどうだ、彼女が担当していた青緑色に染まった横断幕を見て、彼女はどう思ったのだろうか。彼女を見ると、目を丸く開き、口をぱくぱくと動かせ、「え?」と何度も頭の中で繰り返しているように見えた。戸惑いながらも夜神を見ていた。

 そこで誰かの声が飛んだ。

「青緑を担当していた池上君と令嬢さんが怪しいと思います」

 長山じゃない。この声は長山のものではない。じゃあ誰だ? こんなことを平気で言ってしまう人間は誰だ。

「令嬢さんが一番横断幕に触っていました。私も令嬢さんが怪しいと思います」

 小学生か、そんな直球に人を犯人に仕立て上げようとする奴は誰だ。

 その後教師が何かを言っていたが、夜神は何も聞いていなかった。クラス中が騒がしくなる一方、彼は腹の底から毒が湧いたように熱を帯びた感覚に沈んだ。

 夜神は息を詰める。心拍数が急激に速まる。とうとう怒りが爆発し、彼は自分の机を拳で叩いて立ち上がった。あまりの衝撃に机は軋み、歪み、螺子が一本弾け飛んだ。甲高く綺麗な音が長く教室と、生徒全員の心の奥底に響いた。


「令嬢がそんな最低なことするわけないだろ!」


 夜神は喧嘩が強い方だ。

 だが、喧嘩は起きなかった。彼の殺意の籠った険悪な表情と怒号に、周りの全員が呆気に取られたからだ。

 彼が怒りに身を任せたのは小学四年生になってから初めてだ。その姿にあの長山でさえ一歩退きそうになっていた。まさかターゲットがこんな恐ろしい奴だとは思っていなかったのだろう。それほど夜神は怒りに震えていた。

 結局、犯人はわからず仕舞いだったが、それが長山の仕業だということくらい、夜神も感付いていた。実際、あの事件を起こした人間は長山で、やはり学力の低さに比例して行動も頭の悪い彼女は、舞歌を事件の犯人に仕立て上げ、クラスの敵にしたかったのだろう。とはいえ、長山は失敗した恥ずかしさのみで罪悪感はなく、当の舞歌もクラスから同情はされなかった。

 それは夜神も同じで、クラスから同情されたり、馬鹿にされたり、褒められたり、そんな変化は一切なかった。

 クラスはあの事件をあたかも何事もなかったかのように振る舞った。きっと、夜神が怒鳴っていなければ、犯人は皆の中で舞歌になっていて、長山は笑い、クラス中は再び横断幕を作ることになっていたのだろう。

 二回目の横断幕は前回よりもクオリティが高く仕上がった。舞歌と夜神も参加したのだが、二人はあまり手を動かさなかった。

「横断幕、できあがったね」

 放課後、二人以外誰もいない教室にて、壁に張られた堂々たる横断幕を見て舞歌は言った。彼女の顔を見ると、作り笑いをしていた。やはり、犯人扱いされることは精神的に辛いのだろう。信用されないという辛さは心に傷をつける。

「ああ、できあがったな」

 彼はかっこういいことを言えずに、まるでオウム返しに言うようにした。

 二人の間に沈黙が走る。いつからだろう、無人の教室で二人きりになっても話せるようになったのは。二年生が始まってから一か月が過ぎていた。

「訊いていいか?」と夜神は言った。

「何?」いつもの調子で舞歌は返す。

「何故僕と関わるんだ? その……僕と一緒にいるだけで、おまえは悪者にされる」

 舞歌は作り笑いながら、綺麗な笑顔を浮かべた。

「そんなの平気だよ。それよりも本当にありがとう、あの時は」

 彼女があの事件に対して「ありがとう」と言うのは一体何回目だろう。彼は確かに彼女を守る形で怒ったわけだが、それに対して過剰に感謝されるのは困る。

「もうやめろよ。別に僕は……、その、令嬢。僕もなるべく他人行儀な振る舞いはやめるようにするから、おまえも僕に礼なんて言うなよ」

「でも、助かったから」

「自分で言うのもあれだけど、なら一回でいいから。何回もありがとうと言われると逆に少し距離を取られている感じになる」

 その言葉を聞いて彼女は満面の笑みを浮かべて()()のポーズを取って頷いた。

「じゃあこれからは夜神って呼ぶね」

 その名前を気に入っていない彼は少し引きつった笑いをするが、向き合って、

「あまり自分の名前に自信がないから、できればヨルと呼んでくれないか」

「ごめん。わかったよ、ヨル」

 夜神は珍しく自然な笑顔を浮かべた。




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