第四話 「残酷なる猫は夢見る」 4 *PAST 1
4 ――PAST 1
何故殺人を普通だと感じるようになったのかはわからない。人間の心理上、日常を過ごしてきた一般人が、現実で銃を握ると理性を失うのと同じように、彼も何をしても許される世界に洗脳されたのかもしれない。
鈴科夜神は喧嘩が強い方だ。しかし小学四年生に上がった途端、彼は喧嘩をしないようになった。相手を考えたのだ。喧嘩をすれば相手も自分も傷つく。慮ったのだ。元々友人がいなかった彼は孤立したまま卒業までの三年間を喧嘩なしで過ごした。悪口を言われてもからかわれても、基本無視を貫いた。
小学三年生の頃の話、彼は特別筋力がある方でもなかった。馬鹿力を常時出せる人間や、世界レベルのバーベルを軽々持ち上げてしまう程の化け物というわけでもなかった。ただ単純に、躊躇いがなかったのだ。
喧嘩をした。友人でもないクラスメイトに悪口を言われ、それを聞いた夜神は言い返す。更にからかうように延々と悪口を流され、とうとう彼の怒りは放たれた。まだ小学三年生だという肉体でありながら、幼き怒鳴り声を教室へ震わせ、彼は自分へ悪口を言ったクラスメイトの机を両手で持ち上げ、窓から校庭へ投げ捨てた。
家に帰って「あんたは何やっているんだよ」と母親に何度も言われたが、彼はさほど気にしなかった。これがあの時の解決法だと思い込んでいたのだ。机が校舎横、校庭と校舎の間にあるコンクリートでできた道路へ落下した大きな音は教室を空白色に染めた。静寂と夜神の怒りのみが支配していた。
彼はよくからかわれる方だ。夜神という名前は彼にとって一つのコンプレックスだ。苗字ではなく名前に「神」が入るなど、それに男子でなど、まだ幼かった彼らには考えられなかったのだ。
小学三年生までは男女問わず、気に食わなかったら暴走するという行為を繰り返していた。どれも彼から始まる問題はなかったのだが、問題の規模を拡大させるのは他でもない彼であったが。
小学四年生になった途端、彼の暴走はぴたりと止まった。決して友人ができるわけでもなかったが、それ故か彼に対する愚痴は減っていた。彼の中で、自分を馬鹿にする奴らなど目障りなだけ、と眼中に入れていなかった。無視を徹したのだ。暴言を吐かれても、気付いていないふりをして、寧ろ軽蔑した。
彼は全ての物事を「どうでもいい」と捉えたのだろう。
例え成績表で最低点を出しても、中学へ響くわけでもあるまい。中学受験をする気などさらさらない彼にとって、学校生活にて気を付けることはなくなっていたのだ。
なあなあで済ませた小学生時代。卒業式で涙を流す理由もなかった。
ほぼ同じメンバーで進学する喜びを、彼は微塵も感じでいなかった。元々ネガティヴだった彼である、友人を作ろうとも思わなかった。
結局、誰も友人はできなかった。交流会やレクリエーションの時も積極的に参加することはなかった。学生の本分は勉強という言葉を信じているかの如く、学校には勉強しか期待していなかった。
決して内気なわけではなかったが、彼のそういった点は中学校に上がると受け入れられず、二学期になるととうとう彼の噂が飛び交った。学力は平均、運動力も平均、成績表も平均。しかし問題は彼の態度である。何も期待していない眼、喋りたがらない口、友人を作ろうとしない性格。小学生までは許されたそれは、中学校では溶け込むことができず、誤解と偏見から生まれた出鱈目な噂がクラス間を渡った。
どこへ行っても虐めをする奴はいる。それは人間の心理上、自然なことであり、虐めが悪いとか許されることではないとか、そういうわけではない。虐めはごく自然なことであり、それに恐怖感を覚えるのもまた自然なことである。
どう彼を見たのかはわからないが、鈴科夜神という変わり者を、虐めのターゲットにした奴がいた。同じクラスで、学力の低い馬鹿野郎だった。そいつは違う小学校出身で、しかし昔夜神を虐めていた人を連れて彼の席へ寄った。
「何クール気取っているんだよ、まさかかっこいいとか思っているのか?」
ベタな悪口だった。その後も何言か続いていたが、夜神は至って冷静に返した。
「おまえらは誰かに罵声を浴びせ続けなければ気が済まない寂しがり屋なのか」
一言で「おまえらとは関わりたくない」と切り捨てた夜神。やがて彼へ向けられる視線は強くなり、誹謗中傷すら飛び交った。それが耳に入っても尚、彼は知らん顔をして無視をし続けた。〝無私〟を続けた。
元々彼は国、大人に期待などしていなかった。国政が嫌いだ、法律が嫌いだ。まさか殺人はするはずもなく、彼は未だ一度として法律に手を出したことはなかったが、テレビの画面から流れる事件を見て、彼は徐々に不満を抱くようになっていた。警察は僕達庶民を狩るのではなく、極悪人を取り押さえた方がいいだろう、とも考えた。ただ、まだ子供の頃の話だ。いち中学生が何かを起こすこともできるはずがなかった。
体育祭も参加はしたものの、全力は出さなかった。運動は嫌いでも苦手でもないのだが、それで勝敗を決めるという争いに、いまいち気が入らなかったのだ。自分は体育会系ではない、ただそれだけがわかった。
合唱祭、彼は歌うことが苦手だった。全力で取り組もうと思いもしなかった。自分の中では歌が苦手ということに理由がついていた。ただの言い訳でしかないのだが、彼は自分がコミュニケーションを不得意としている事実を自覚していた、歌声というものは上手くなければ自慢話の一つもできない恥ずかしいものである。自分の歌声に自身が出ず、彼は歌が苦手になった。
当然ながら彼にも思春期というものは訪れる。恋愛対象として誰かを見たことはなかったが、恋をしたいという衝動に駆られることが幾度かあった。彼はそれすらない程落ちていたわけでもなかった。
それ故か、彼女を見た瞬間特別な何かを感じた。ただの後付けかもしれないが、確かに彼は今までにない感情になった。
隣のクラスの令嬢舞歌を一目した時、正直可愛いと思った。
これが一目惚れや恋愛感情だ、など馬鹿なことは考えなかったが、男子が女子へ言うそれと全く同じで、ただ単純に「可愛い」と思ったのだ。綺麗、スタイルがいい、服が似合っている、そんなものだ。
彼女は平均過ぎる女子であった。身長も体重も顔も髪型もスタイルも口調も声色も学力も運動力も性格も行動も、普通過ぎる人間だった。明るいという特徴以外は言葉通り何の特徴もない平凡な女子だった。
彼の周りに令嬢舞歌が可愛いという噂は一切流れてこなかった。寧ろ明る過ぎてうざい、お喋り過ぎて鬱陶しいなど愚痴ばかりだ。試しに彼は友人とも思っていないクラスメイトに「隣の令嬢ってどう思う?」と質問したことがある。
期待を裏切らない、「おまえに似て変人だよ」という答えが返ってきた。彼は聞いてそれもそうかと自己解決した。質問されたクラスメイトが近くの同士に彼の悪口をひそひそと言っても、さして彼は嫌悪感を抱くわけでもなく聞き流した。
傍観主義ではない、彼はそういった類の人間ではない。ただ避けているのだ、面倒な問題を、面倒な行事を。
そこで気が付く。今の今まで何故自分の性格を把握できていなかったのか不思議に思う程単純なことであった。登下校通学という拘束、反論を出せぬ理不尽な説教、内容が決まった授業、曖昧な橋で繋がる友人関係、本能的衝動に駆られても身動きできない法律という概念への嫌悪感、人生を縛るものへの怒り。
僕は〝自由〟を求めているのだ。
中学一年生が終わろうとしたその頃の話である。彼は自分が何故自分であるか、宛ら存在意義を理解したかのように、感動した。そうか自分は自由を求めているのだ。誰からも拘束されない、自由の身になりたいのだ。
自由と一言に言っても規模が広すぎる。例えば、好きな職業に就けることが自由なのだろうか。江戸時代、それより昔、人間としても扱われなかった人達がいる。小学校では教わらない、俗に言う「穢多」である。彼らに職業の自由はなかった。それ以外の人々も職業を自由に選べない。
あるいは義務教育がない状態を自由と呼ぶ者もいるかもしれない。学校に縛られる生活を嫌い、それを不自由だと考える。
金銭及び通貨の概念が存在しない状態を自由と呼ぶ者もいるかもしれない。所詮、金があれば何でもできるのが世の中である。欲しい物を買える、人を買える、夢を買える、心を買える、命を買える、当然人生も買える。
それとも永遠の命だろうか。死という恐怖から脱出した状態こそが自由だろうか。自由に暮らし、それを自由な時間続けることができる。いつまでも生き、いつでも死ぬことができる。不老不死は人類の夢である、一昔前に空の飛行は既に達成している。
アンヴァーレでできた空気が入った、人生という檻の中、実態の知れぬ〝死〟という存在にびくびくと体を震わせていることが不自由だというのだろうか。逆らえぬ絶対的自然の法則に抗うのだ、愚かな人間は。叶いもしない夢を追うのだ。
アメリカ合衆国が目指した〝自由〟とは何だろうか。
人権か、職業か、生命か、政権か、宗教か。あの大国はどの自由を目指したのだろうか。それは調べれば簡単にわかることだろうが、想いが皆無であることに変わりはないのだ。その自由に一体どのような想いが込められていたのだろうか。
夜神は全ての自由を求めた。
自然現象や法則には求めていない。しかし人間が生み出した規則、概念全てに彼は抗ったのだ。国政に、法律に、全人類に、宣戦布告をしたのだ。
たった一回だけの宣戦布告は中学一年修了式の直前である。
彼の元に数名、いつもと同じメンバーが集まった。今日もまた彼を虐めに来たのだろう。彼はいつも通り知らん顔をして無視に徹した。欺くわけではない、呆れ返らせるのだ。抵抗しない獲物を見る狩人はやがて動く。
虐め側の一人が彼の頭に拳を叩き込んだ。彼が殴られるのは両親を抜かせば小学三年生以来であった。突然の攻撃に一瞬怯んだ彼は、しかし平然を装った。こいつらとは関わるな、汚れるだけだ。軽蔑の眼差しで狩人を嘲笑った。
その草むらへ一人の少女の声が届く。狩人と獲物は一斉に振り返った。
令嬢舞歌 夜神は思わずそう呟いた。
「あんた達、そんなにストレスが溜まっているわけ?」
気持ち悪い、正義のヒーロー気取りか、という文句の後、教師へ密告されるのが怖かったのか虐め側の全員は撤退した。夜神は一度も会話したことがない令嬢へ礼を言うと次にこう言った。
「僕は僕以外の誰も信じない」
彼はその宣戦布告を後悔はしていない。彼なりの『正義』であるからだ。




