第三話 「過去の遺志は受け継がれず」 12
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「そこを退けえぇッ――!」
ヨルは全力で叫んだ。その直後、雷鳴のような爆発音が街に轟く。しかし今や少なった群衆は本能的にその音が、人間にとって最も不愉快であることに気付く。
そして、現場の群衆、中継を通してその戦闘を観る全員がヨルの存在を忘れた 。
誰もヨルが誰だかを覚えていない。今何が起こっているのかはわかるが、どうしてこうなっているのかがわからない。譲は誰と戦っているのだったか、覚えていない。記憶にない。すっかり消えている。
ただし、譲と霊猫とリナと現場を傍観している男だけはヨルを忘れていなかった。
ヨルはまるで翼でも生えそうなオーラを出している。
気付けば譲の体が数十メートル先の建物まで吹き飛び、激突していた。建物が唸る。まるでそのまま倒壊しそうな勢いである。しかし全員は気付かない。何故譲が吹き飛ばされた。彼は確か最強だったはずだ。それをあれ程までに吹き飛ばす人間がどこにいようか。
譲も混乱していた。何故、俺の能力が効かなかった。確かに俺は剛速球で飛んでくる第一位を捕らえていた。ヨルの方が吹き飛ばされるはずだった。
不可解なことが起こり過ぎている。世界が狂おうとしていた。
いや、違うと譲は気付く。現状、完全治癒の能力が発動されていない。傷が治ろうとしていない。どういうことだ。彼は自分の意志で能力を展開する。しかし機能しない。能力が全く使えない。
ヨルは譲に一歩ずつ歩み寄る。気付かぬ内に彼は譲の目の前まで迫っていた。動けない譲の顔面を蹴り飛ばす。群衆はそれでも何が起きているか理解できない。
霊猫はそれを見て呆気にとられる。もはや敵に拘束されていることを忘れている。
殺意しか見えないヨルは譲に向けて放つ。
『――死ね――』
短いその言葉は現場にいる者、中継で見ている者、全員に直接重く響いた。まるで自分の心の闇を腹の奥底まで抉られる感覚に襲われる。どう強調しようと表現できない無機質な彼の言葉は人間を、世界の常識を、そして譲を崩壊させた。
譲が、魂が抜けたかのように脱力する。表情は驚愕のまま固定される。絶命したことは一目瞭然だった。
対してヨルも膝から崩れ落ちた。燃え尽きたかのようだった。
譲の死によって霊猫の拘束が解かれ、『破壊』で脱出できた霊猫は倒れるヨルの元へと駆けつける。彼の肩を抱いて、体を揺する。表情は深く眠ったように目を閉じ、絶対に変わらない。
「ヨル! あなたは――!」
霊猫は泣くことすらできなくなっていた。彼女すら何が起きたのかわからなかったのだ。あなたは何をしているの! と叫びたかったが寸でのところで発せない。
ここはどのような戦場だ。第一位と第三位の決闘は果たして世界に大ダメージを与えた。展開がわからない。物語にすれば支離滅裂で滅茶苦茶なこの決闘の結果を誰も知らない。譲は敗北し、勝者がわからない。
彼女を含めた全員がふと違和感を覚える。誰がその正体を発見したのか、伝染したように全員が気付き始める。
譲が綺麗に消えていた。崩れたはずのそこにいない。死んでいた彼が自分の足で消えるわけもない。かといって、ここにいる群衆の中で彼の死体を運ぶ者もいない。
永遠の謎が如く頂点の戦争は急展開で決着した。
しかし彼らは知らない。
この戦争はある一つの大事件の前半でしかないことを。
*
同時刻、リナは満身創痍ながら戦闘をしていた。
シェイクゲートにある「西軍」の拠点、その周辺にて、彼女は敵兵士の背後に回り、ヘッドロックで拘束して銃をこめかみに当て、尋問した。
「リーダーは誰かな」
敵兵士は答える。彼は知っている。自分達を襲撃したこの侵入者が超能力者であり、人間とは思えない程残酷であることを。
「そう、ありがとう」と言ってリナは首を締め上げる。兵士は苦しそうにもがく。声からして侵入者が女であることは覚えたが、それ以外何もわからない。
「この、化け物が……!」兵士は声を出すことすらままならないまま、しかし言う。
「違うわ。私は化け物でも超能力者でもなく――」
彼女は腕から力を抜く。兵士は戸惑う。この女は何を仕出かすかわかったものじゃない。ここまでこの女は何人殺してきたのだ。
「――ただの『信ずる者』よ」
兵士の顔面を壁にぶつけ、昏倒させる。彼女は一つの役目を果たしたのだった。
「全く、手間を取らせて……それにしても人が少なかったわね」
彼女は周囲を見る。敵は全員意識を失くしている。彼女は敵を殺さず、意識を奪っているのだ。灯りの消えた廃墟のように、騒然としていた会が一瞬で血に染まったように、静寂だけが部屋を支配していた。
「やはり、彼は私の為に動いていたか。感謝だな」
いつものようにクールを装う。彼女は右眼に眼帯をつけ、左手に包帯を巻き、体の軋みを感じながら、翌日あるいは数日後の為に戦った。
ヨルが元々この「西軍」にいたことは知っていたが、その軍隊のような面影は一つすらなく、どちらかと言えば暴力団の拠点のような場所となってしまったここを潰す為に、苦労は全くなかった。
「便利屋は良い仲間達だ」
彼女は呟く。倒れる敵を見ながら、見下すかのように。
「だから、私は君達を潰しにかかろう」
*
「主人公補正のようだって? 違うよ、あれはヨル君の能力だ」
ミハイルゲートの教会、十字架の立つ最も高い部屋にて、聖護院悠聖は血だらけの死体を見て、熱海正一へ言う。
灯りのない部屋は、しかし教会の窓から差し込む弱い陽によって微かに照らされていた。ここからは譲が今し方第一位と喧嘩していた戦場が綺麗に見える。傍観主義である彼らは、悠々と事件の一部始終を傍観していた。
「彼はエネルギーを操作する。この世界は結局機械だ。きっと機械であるこの世界自体のエネルギーを使ったのだろうね。ここは仮想地帯、つまりプログラムの中だ」
死体――原型をややとどめていない譲を見下す二人。死体はここへ運ばれたのだ。
「それに、主人公は他にもいるだろう。彼より主人公に相応しい少女が」
聖護院は軽く死体を蹴る。
「いや、予想はしていたけれど、期待以上だ! ははっ、君は最高だよ。さすがは僕が見込んだ人間だ。ヨルのシステム制御を出し抜いた上に、無法地帯への切符の紛失を僕へ見せてくれた!」
熱海は聖護院を狂っていると一瞬感じたが、これが悠聖さんかと撤回した。
聖護院は暫く笑うと、表情を嘲りへ戻していく。口角は上がったままの為、あまり変わらない。
「心配はしなくていい。裏切りの代名詞である、イエスを裏切ったユダだが、僕はユダとは違う。彼は元々イエスを神とは思っていなかったのだから、第十二使徒でありながらも信仰心などなかった。ユダにとってイエスはただの教師でしかなかったのだ。他の弟子はイエスを主と呼んでいたが、それすらもユダはしなかった」
不気味に微笑んでいる。リナや橘とは異なる、嘲りではなく、恐ろしい。彼からはその通り怖さを感じる。
「僕は君を裏切ったりはしない。ユダのように、元々君を信用していなかった、とはならないからだ。僕は君に期待をしていた。傍観主義である僕は君の結果が出るまで、手を出せないだろう」
彼はしかし綺麗な透き通る声で死体へ喋りかける。応答はない。
「そもそもイエスはユダが自分を裏切ると知っていながら、自らユダに指示されていたとも記されている。君は、僕が君を裏切るなんて考えもしなかっただろうから。ヨル君とリナの話ではないけれど、僕は君達を信用している」
英司の時も裏切ることはなかった。
「でもヨル君は詰めが甘いね。これでは現実世界では死んでいない。かといって、このままだと意識は戻らないので使い物にならない。だから、マスターが実装す予定だった処刑方法を使用するよ」
聖護院はどちらかと言えば静かそうな外見をしている。しかし今の彼を見れば、彼は仲間を殺すことを心から楽しんでいる。裏切るのではない、捨てるのだ。
『DELETE』
彼が無機質な声でそう言うと、ガラスが粉砕したように、死体が消滅した。
熱海は彼を見る。目には見えないが、何故だか彼はそれに気付いた。聖護院の周りに、あるいは彼を、文字が囲っていたのだ。
何語だ、こいつは。熱海は思う。聖護院が口から発した言葉は紛れもなく英語でいう「削除」を意味する「デリート」だが、実質はそうでない。熱海は感覚的にそれの存在に気付いた。
10001111101100010001100100という二進数の数字。
0001 4889E5 000e E8000000という意味不明の数字。
mov1 $.LC0 callという文字。
これらのような文字が羅列し、彼を囲う――そう感じる。
やがてそれらはフェードアウトするように、淡く消えていった。熱海はそれをまるでデータのようだとも思った。この世界にはデータと呼ばれる非物理的な概念が存在する。SF小説で出てきそうな、実体のない映像である。
聖護院の囲ったその無数の文字はそのデータに似ている。目には見えないが、決して多くない文字。感覚的あるいは直感的に想像できるその色は、データと同じだ。
「君には期待しているよ、正一君」
固い軍服を着ているのにもかかわらず、肩で息をしていた熱海に聖護院。君はこれから大事件を起こす。
「情報屋に拠点を破壊されてしまったけれど、それも流れの一つだ。君の仕事はこれからだからね、橘命名ゴーストのリーダー君」
熱海は呼吸を整え、いつも通りに気張る。聖護院はそれを見、笑顔を作る。
決して心からのものではない偽りの笑顔を。
ユダの裏切りを知ったイエスがもし笑ったのなら、こうなるだろう。
「世界征服は間違っていない目標だ、と僕は思うよ」
*
スーシェは滅多に便利屋には行かない。彼自身この世界が気に入っているからだ。彼はリナのことを好意的に見つつ、しかし一緒にいようとは思っていない。彼は彼女の後方支援をすると決めていたからだ。
目の前には大規模な拠点「西軍」が聳え立つ。現代的な基地だ。
セキュリティとなる監視隊及び警備兵を予め倒しておいた。彼を簡潔に言えばただの「暴力」である。彼自身、自分の筋力が異常に強いという自覚はあった。トラックは無理でも、バイクくらいならひょいと、下手したら軽自動車なら持ち上げられるかもしれない。彼は暴力に生きてきた。
その後、リナの到着を待ち、彼女の通る道へ巡回する敵を排除していく。結局、彼女はその道で警備していた兵を倒していく。
「相変わらず」と彼は呟く。リナに発砲された敵の銃弾は、彼女に着弾するとその軌道を戻っていき、敵兵の銃を破壊し、肩を貫く。宛ら「反射」のように。
宛ら第一位の超能力のように。
彼女が心から信ずる人の力のように。
嫉妬していないと言えば嘘になる。だが、今の自分こそが最も似合っていると考えている為気にはならない。振り向いて貰えなくてもいい。彼女に見てほしいわけではない。こんな自分を仲間と言った彼女を救い、彼女の背中を追い続けたいのだ。
暴力に生きたスーシェこと出虎新波に仲間及び友人などいなかった。彼は街で一番の不良だった。リナのような不良ではなく、街の至る場所で暴力事件を起こすような本物である。彼はその日々を良くも悪くも思っていなかった。
しかし、仲間がいらなかったわけではない。彼は常に独りであった。この世界に来ても尚変わらない。自分には力しかない。そんな自分だから、仲間を欲しがった。
「やはり、彼は私の為に動いていたか。感謝だな」
その為か彼女の呟きが彼の耳に届くと、彼は笑顔になって「西軍」を去った。
街には死角がある。
今も彼らの知らないところで事は進み、やがて収集する。一旦の終わりを迎えると、再びそれはそれぞれの死角へ散り、やはり一つになる。
死角は当事者以外誰にもわからない。発見者のみが知りえるのだ。それは移動し、交差する。一点に集った色は白になり、熱を帯びる。事件とは物語同様に起承転結である。火種が散り、成長し、それらは集い、やがて終結する。
彼らはまだ知らない。
この時点ではまだ大事件の前半しか終わっていないという事実を。
そして、この世界と人命を懸ける一つの物語の冒頭でしかないという真実を。
私は知っている。
幾つもの火種は事件を作り、終結する法則を。
その星々はやがて六年という長過ぎた時間をかけて一つに集うという未来を。
中心に位置する彼もそれを知っている。
それが私達の悲劇であることを。




