第三話 「過去の遺志は受け継がれず」 2
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令嬢舞歌は死んだ。
彼を罪悪感という底のない闇に突き落とした原因であり、彼の人生を大きく変えた出来事であった。彼の禁句、及び嫌いなものなど探せば幾らでも見つかる。女の死、敬礼、恋愛、それだけではない、女子、夜神、学校、自殺、言えばきりがないほどのマイナスを彼は器の小さな心に押し込んでいる。感情を噛み殺し、しかし我慢がきかなくなると爆発し、彼にとっての最善を尽くす。
彼は、まだ火がついていない煙草を燻らしている。便利屋から少し離れたトワイライトゲートの裏通り。壁に寄りかかって虚空を活気の失せた眼で睨んでいる。
「似合わないな、君に煙草は似合わない」
便利屋と反対の方角から聞こえた声に、彼は振り向く。
「待たせたな」と橘。
「似合わなくて結構だ。こいつには二十歳からの付き合いと決めている。だからまだ火はつけない」
ヨルは自虐するかのように笑って返答した。
「そうか、君のような不良なら煙草は好きになるだろう。似合わないがな。君はまだ子供だ、未熟で大人になろうとする薔薇色の子供だ」
「余計だ」ヨルは切って捨てた。
数秒の間を置き、彼は先日の話を始める。英司だ。無論橘は彼についての情報を既に掴んでいたのだが、しかし彼でも知らない点があった。
「蔵里英司がリナの本名を知っていた」
橘は老人らしく考える振りをすると、つまらないと言いたげに期待を裏切る言葉を放り投げた。
「奴はリナの近所だったと聞いたが?」
英司は何者かに現実世界で銃殺された。これは現実世界しかり、無法地帯でも話題になった。彼が見本となったのだ。唯一の法律を破ると無法地帯は死の国へ変わる。英司が木原奏の中学教員だったことから、かのんの近所だったと仮定していいが、対馬里奈も近くであったとは皆気付かなかった。
そこで勘のいい橘は状況や因果関係から判断して、リナ――対馬里奈が英司を銃殺した、と彼女へ電話をかけた。結局、彼女は隠そうともせず、橘、それからスーシェを含めた便利屋の全員へあの夜の事件を全て話した。既に蔵里英司という猟奇殺人鬼に追い回されていると気付いていたこと、その後彼を現実世界で殺したこと。
「いや、英司は中学教員だが、他の市から通勤していた。かのんがそれを話している。そもそもあいつはセクハラが問題で今年飛ばされたばかりだろう。家は変わっていないはずだ。だから、彼がリナの住所、そして本名を特定するのは非常に困難だ」
橘は、この話は意見を出せば出すほど埒が明かないと判断し、溜息一つと苦笑いと嘲笑いで済ませた。
「つまり、奴が本名、住所を誰かから聞いた、と?」
「そうだ」ヨルは即答した。「現実世界には金を払えば住所及び名前を教えてくれる裏会社があるらしいが、それと取引した瞬間に奴は死ぬ。とっつぁんもわかっているだろう? どれだけこいつの監視が厳しいか」
現実世界での法に抵触することをすれば命がない。と言っても、仮想空間で人の情報を得るのは不可能だ。それが、彼が感じた違和感と怒りだ。
それに、リナは現実世界で拳銃を使用した。銃声を小さくしようともせず、夜の道で英司へ二度も発砲した。何故彼女が無法地帯ではなく現実世界で拳銃を手にし、自宅へ訪問する予定だった英司を途中の道で殺害したのか、彼女は彼女らしくもなく口を閉ざし、頑なに応答を拒んだ。
「現実世界と無法地帯を繋げて、手の平で俺達を躍らせている野郎がいるかもしれない。俺はそれを確認しに来た。とっつぁん、あんたなら何か知っているだろう?」
「それは過大評価だ。私は確かに情報屋でもあるが、運営側の話などできん」
そもそも、運営の話ができる奴はおらんよ、と橘は続けた。差出人不明のメールと無法地帯へログインする為の機械。人によって運営されているのか、あるいは機械によってかすら判明していない状況である。
「この世界が私達に配られてから六年。私はこの世界の最初を知っている。今で言うオリジンゲートこそが名の通り最初の街だ。丘と建物しかない、ヨーロッパを連想させる小さな街だ。その時はまだ参加者人数が百か千かだった。戦争なんて考えられない、まるでゲームをしている気分だ。私達は当時殺し合いなどしなかった」
ヨルが黙っていると、橘は顔を上げて溜息を一つ。咳払いをするように言葉で沈黙を切った。
「と、私は最初のこの世界を語れるが、この六年間、私を含め全ての人間が運営について何かしらの情報を得たことはない。いや、誰かが運営側と交渉をしたかも知れぬが、表にも裏にもその情報は回らない」
運営側が現実と仮想を繋げているのだとすれば、ありえなくもないと彼自身は考えるが、それによって寧ろ運営は罪を犯したことになる。個人情報の漏洩は立派な犯罪である。氏名及び住所――今事件で対馬里奈という氏名と彼女の住所を蔵里英司へ流した場合は、運営側は彼ら自身が定めた唯一の法律にて処罰されるはずだ。
しかし運営は続き、英司の犯行も続き、結局英司は本命の目標に殺害されることになった。知らしめの為に彼の殺害を里奈に命令させたのならメリットは少なからずあるが、彼ら自身が定めた唯一の法律に触れることをすれば、メリットはない。
ヨルも橘も、それに気付いていながら、ヨルは運営の仕業、橘は他の誰かと推測して頑固意見を変えなかった。この差は恐らく無法地帯にいる時間によるものだろう。ヨルはこの世界に亡命して半年だが、橘は六年だ。運営の信頼度に差があってあたりまえだ。無法地帯に慣れた人間は運営を信頼し、存在を忘れる。
「そもそも君は何故リナの敵を探る」橘は言って、撤回した。「愚問だったな」
「いいさ、あんたには俺の過去を伝えていないからな」
二人の間に時間的空間が生じる。タブーはその通り禁句だ。これは無法地帯の住人が作り出した自然なる礼儀、所謂マナーだ。
「スーシェは元気か?」橘は何が面白いのか嘲りを浮かべて問う。
ヨルは唐突で予想もしていなかった質問に一瞬驚き、顔を引きつらせて答えた。
「あ、ああ、あいつは元気だ。先日も大暴れしていたしな」
「そうか、英司と喧嘩するとは、彼はやはりリナを好いているのだな。それに君と言えば彼女を自分よりも信じ、しかし避けている。多数の男から好意を寄せられる女の気分など知らぬがな」
「違うよ、俺はリナを恋愛対象として捉えているわけではない」
スーシェは恋愛対象として彼女を見続けているのだが、と彼は心の中で呟き、
「俺はただのリナ信者だ」
馬鹿な発言をする彼だったが、彼自身では本気だ。彼は心から彼女を信じている。
「信ずる者、格好つけたものだな。信ずる者は救われる、とでも言いたいのか?」
「何を。俺は彼女を信じるが、俺の命は俺が守る」
「前言を撤回しよう。格好悪いな、おまえ」
何気ない会話をする二人。無法地帯にいる時間差はあるが、人間は人間だ。生きた時間が幾ら離れようとも彼らは人間だ。笑い、馬鹿にし、喜び合う、下らない人間だ。超能力者第一位の少年と現実世界での実戦経験を持つ老人。たわい無い会話は長く続くが、しかし彼らは気付いていない。
街には死角がある。
例え心から信じる者が死の危機に直面していても、離れていては状況を瞬時に把握することはできない。そして、例え信ずる者は信仰対象の危機を察知しても、その裏側、その奥の事件には気付かない。例えば英司の猟奇殺人事件。英司は本命の目標であるリナを追い、リナはその英司の存在を知りつつも気付いていない振りをし、ヨルは何も知らずに、橘はそれを忘れ、一見ばらばらな視点は一つに収束する。かのんが便利屋を出て、英司は本命への道中にて一度手を出した女子生徒かのんと遭遇し襲撃、ヨルはその昨日橘から英司の情報を得てかのんの元へ駆けつけ、リナは状況を把握しつつ無視し、橘は傍観する。これにて全員が事件を知ったことになる。その後ヨルが英司を殺し、全てを把握していたリナが現実世界にて彼を殺害する。つまり、事件は多数視点から始まり、一度に集まってから英司の死によって幕を閉じる。
今回も彼らの知らぬ裏側で大きな事件が起きている。いや、事は連なって流れている。六年間の間に起きた数々の事件、表沙汰にもならず裏にも回らない事件が、いつかは収束し結末を迎える。例えばヨルが気にかけている個人情報の漏洩も、例えば三年前の核爆弾によって街全土が消え去った核戦争の指揮を裏で執っていた黒幕の存在も、大きな流れの一つになる。
事態は複雑に始まり、複雑に絡み合い、簡潔に収束する。そして、驚異の速度で展開される。
ほら、今回の主役が事件の尾に気が付いた。
「どうした?」橘が挙動不審なヨルに問いかける。
「あんたなら少しくらいは知っているのだろう?」ヨルは冷静ながら焦りと怒気を浮かべ質問で答える。彼は同時に橘を疑っていた。
橘はそうだな、といい加減に済ませ呟いた。
「そうか、とうとう動き出したか」
橘は笑いもせず、珍しく事態の深刻さを物語る険しい表情を浮かべていた。
「名前は!」ヨルが噛り付く。彼は組織の名を知りたいのだ。
「無い。さしずめ、ゴーストかな」橘は溜息をつきながら答え、さあ行ってこいと指を指した。
ヨルは「便利屋」の方角へ全力で飛んで行った。




