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仮想の現実は無法地帯  作者: 雪斎拓馬
仮想の現実は無法地帯 上
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第二話 「悪魔は日常に潜む」 6

    6


 蔵里英司は目標が外出したことを確認した後、自分も外へ出ようと支度を始めた。決して手を出すつもりはない。ただ下調べをするだけである。

「己の衝動は決して善だけではない。橘の旦那が言いそうな言葉だな。現実世界は法律が占領していて、人は偽善しかせず、正義を行動にする人間は皆監獄に連れていかれる。これもまた橘が心底から思う、彼の正義だ。だけど惜しいね」

 背後で呑気にソファーに座って自分へ語る男の言葉を聞きながら、何の返事もせずに英司は最後にナイフを腰にあるホルスターに収納した。

 ――これはヨルと橘が会う少し前の時刻の事である。

「ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』はそんな人間の本能、あり方を正確に書いている。無人島に墜落した飛行機に乗っていたラーフ達は最初上手く生活していたが、ラーフは救出される唯一の希望である烽火を何よりも大切にし、対してジャックは野心を表し、楽しくて無人島で生活する豚狩りを大切にした」

 やがてジャックは法螺貝による隊長命令に不満を覚え孤立する、と男は続けた。

「しかし子供達は野心に負けて豚狩りのジャックへつく。ラーフがジャックと共に獣退治をすると一時的に隣にいることになるが、そこでも喧嘩が起こり、ジャック達の儀式が始まった。儀式で蠅の王と会ったサイモンが犠牲になる。結局儀式で殺した獣がサイモンだと知っている人物はラーフとピギーだけだった」

 英司が支度を終わらせて靴を履いていても、男はまだ座ったまま語っていた。

「その小説のオチが何だか英司君はわかるかい?」

 英司は唐突な質問に振り向いた。男は依然として不気味に笑ったままだ。英司は何かを考えるわけでもなくいい加減に返答した。

「その二人がジャック……でしたっけ、を咎めて殺し合うのかな」

「そんな推理小説ではないよ。烽火の元であるピギーの眼鏡を奪われて、取り返すべく岩の城に向かうラーフ達二人は、そこでロジャーに岩を投げられ、ピギーを殺される。それに恐怖を覚えた仲間のいないラーフは島中を逃げ回る」

 英司はつまらなそうに聞きながら、ドアを開いた。陽が光のない部屋に差す。

「オチだが、ジャックの放火によって上がった煙が烽火の役目をして海軍に発見されて殺された二人以外全員が助かる。けれど、どうだろうね。本文には書いてないが、きっとジャックは烽火の重要性を、ラーフは生活を無視し、仲間さえ無視すると待っているものは死であると理解したのだろうね」

 英司は一歩外へ踏み出し、立ち止まってから振り返った。男は語っている間は窓から見える「便利屋」を見据えているのだろうが、話を終えた今、彼は英司の方を不気味な笑いを浮かべながら見ていた。陽が男の白い髪を照らしていた。

 いつもその男がいる訳でもない部屋ではあったが、男いての英司であった。

「引用ばかりする人は大抵馬鹿だと聞いたことがあるのだが、悠聖さん」

 白髪(はくはつ)の男――悠聖(ゆうせい)と呼ばれた男はより一層不気味に笑った。

「そうだね。よく言われるよ」

 英司はスーツ姿のまま、まるで会社にでも出勤するのか、道を迷いなく歩き出した。目標がどこにいくかくらいは把握している。彼は微々たるものだが他人よりは優れた観察力を持っている。それに目標は中学生や高校生といった子供などではなく、歴とした大人である。ある程度できた大人というのは行動が予測できる。子供のような急に違うことをしたりする生物ではなくなるからだ。

 彼はそれを知っている。自分も歴とした大人で、それに大学も出た公務員である。相手はまだ職を持っていない大学生だが、大人は大人だ。自分と似た者の行動を読むなど彼に取っては簡単だった。

 道は決して人がいるとは言い難かった。表通りを歩いているのだが、すれ違う人間はあまりいない。暫くすると公園のような広場に出た。そこで目標の姿を確認すると同時、思わぬ人影を二つ発見した。

 舌打ちをしてから英司は遠くの二人を気にせず歩き出したが、一応姿を確認した目標を見失わぬよう、視認しつつ歩いた。

 しかし、その歩いた距離は短く終わった。すぐに誰かと衝突したからだ。想定していなかった出来事に反応が遅れる。痛みを少し感じ、状況を理解した彼は衝突した相手を見やった。無駄な時間は費やしたくない。素直に謝って離れよう。

「おい、おまえ。俺は今最高に機嫌が悪いんだ――」

 相手を見て英司は言葉を失った。引きつったまま固定される表情。

 長身の男と衝突したまではよかったが、大して筋肉質でもない細身な相手からは何故だか威圧感を覚える。それも今までにない強大なものだ。きっと超能力者ランク一位の男と対峙しても、これ程の恐怖は覚えないだろう。

 と言っても、既に英司は第一位の男を知っている為、確かに恐怖心を覚えることはないだろう。彼の観察力は決して目標にだけ発揮される訳ではない。

「――だから、何の躊躇いもなくぶっ殺すけどいいよな!」

 いいわけがない。何の道理もわきまえていない。不条理で理不尽だ。英司から冷や汗が流れる。この男は何者だ。そう疑問を持った瞬間はこの後すぐに訪れる。

 長身の男は広場のベンチを掴んだと思うと、頑丈に地面へ固定されているはずなのにそのベンチを片手で持ち上げ、英司の方へ全力で投げた。英司は咄嗟に理解し難い攻撃を避けた。強い衝撃が体を襲い、次に砂埃が巻き上がる。信じられないことに地面に衝突したベンチは跳ね返って()()()()()()()()

 物理的にありえないだろう、その攻撃は。少なくとも私はそんな非物理的な状況など見たことはない。まさか、これが超能力か?

「避けるんじゃねえよ、スーツ野郎」

 語勢を強くした長身の男が、今度は近くの看板を引き抜く。投げるつもりはなく、飽く迄も武器として使用すると見た。英司は腰のホルスターからナイフを抜き、構える。こんな戦闘があるなら、早く取り出す為に足にホルスターをするべきだった。

 剛速球で飛んでくる長身の男そのもの。看板が視野角の広すぎる背景の中心のように小さく見えたと思うと、英司の体を薙ぎ払った。体の中で鈍く響く残酷な音。骨を何本か折った。日常的に使われない、漫画でしか使われない言葉がお似合いだった。

 ああ、こいつの情報は聞いたことがあるぞ。彼は必死に頭を回した。彼はこういう情報には疎いが、ニュースはよく見る方だ。男のことは猟奇殺人事件と同じ頻度で記事に掲載される。『暴力男再び!』と。男の詳細は一切載せられていない為、興味を引く者は少ないだろうが、彼は訳あって興味を示し、情報を探った。

 男はトワイライトゲートの便利屋の一員で、街の皆から「死神(スーシェ)」と呼ばれている程の狂暴な暴力男である。元々スーシェという名は持っておらず、名を探していた彼が便利屋の仲間である超能力者につけてもらったものだという。おそらく、中国語でいう死神の発音、スーシェンからきたのだろう。確かにこいつは死神だ、と英司は思う。

「おまえが死神なら、私は悪魔だ!」と心の中で叫んだが、実際にはただの雄叫びになっていただろう。

 無駄に大声を放ちながら、それによって沸き上がった力を全て使い、スーシェめがけてナイフを突き刺した。骨が数本折れている彼の攻撃だが、通常の人間ならば相手は大量の血をまき散らしていただろう。

 だが、ナイフはスーシェの腹の一センチメートルもないところまでしか刺さっていなかった。これでは少し深い切り傷にしかならない。

「ナイフとか包丁っつう刃物はなあ、突き刺すんじゃなくて――」

 そう言ってスーシェは英司の手を軽く捻り、ナイフを奪う。そしてすぐに英司へ切っ先を向け、振りかぶる。先ほどとは違って体ごと移動しているわけではないのにも関わらず、ナイフは先ほどの看板のように異常な速度を過剰に表現したように見えた。ただし、視認はしていない。

「――こうやって切り裂くものなんだよ」

 ナイフは英司の胸から腹を斜めに切り裂いた。よく研いだナイフだが、体を一振りで長く斬ることはできないはずだ。あるいは、皮膚だけを斬ったのか。だとすると死神は相当な技術を持っていることになる。そもそも自分がナイフを呆気なく奪われるのが間違いだった。落ち度はそこにある。

 ここまで戦闘が繰り広げられれば、もう何を使おうと文句は言われまい。英司は痛みを感じつつもスーツケースを開くと、銃を取り出しすかさず引き金を引いた。

 刹那、銃は異常に速くスライドが引かれ腕ごと跳ね上がり、銃弾はスーシェの体を貫いた。と言っても感覚が貫いたそれだったが、実際には男の体に穴を開けただけで、貫通していたわけではなかった。しかし、当然のはずの事態に英司は驚愕と恐怖を増して覚える。

 この銃はスナイパーライフルと同じ、つまり初速八百メートルもの速度で銃弾を発射するように改造されていた。無論衝撃が強くなり一発で銃本体が破滅するはずだが、そこは更に改造して反動を軽減している。だが、どうだろう。一秒間に八百メートル、約三マッハと言えばわかりやすいが、それほどの速度で発射される銃弾を、僅か五メートルしか離れていない人間が、貫通せずにいられるなど、ありえるだろうか。

 何だこいつは、化け物だ。

 こいつやはり超能力者か? ならば情報は私の元にも回ってくるはずだ。英司は対峙する死神を見ながら顔を引きつらせた。狙撃銃並みの威力を持つ銃に至近距離から撃たれたのにも関わらず、死神は倒れもせずただ激怒しているだけなのだから。

 こいつは人間なのか。超能力者なのか。脳の中で幾つもの疑問と恐怖が渦巻く。英司は危機にようやく気付き、逃亡を始めた。傷ついた体での必死の逃亡。この痛みは消えないが、この傷は明日になれば元に戻る。目を覚ませば傷は消えている。彼は後ろから追ってくる死神に対し、これもまた改造されている閃光手榴弾を投げる。さすがの死神も光と音には耐性はないはずだ。

 予想通り、閃光手榴弾が炸裂するとスーシェの足が止まった。英司は素早く角を折れて死角に入る。再び追いかけられるのもまた面倒な為、痛みを無視して更に走り続ける。目的地は無論、目標のいる場所だ。

 トワイライトゲートは名前の癖をして黄昏の要素は何一つない。サンドゲートと改名しても何の違和感もない。砂色の街。黄昏時のない世界。何故トワイライトゲートと名付けられたのか理解し難い。自由の世界の、しかし唯一政治家のいる街は何故かリバティーゲート。フリーダムではないにしても、リバティーでもない。先日テロを起こしたFWFの街シェイクゲートと、富豪が集まる高級な街ミライルゲートに至っては何がしたいのかわからない。

 この街は悪人の集まる不吉な場所だ。便利屋といい橘といい英司といい、悪人の溜まり場だ。砂色と青空に包まれた街は、無法地帯の中の無法地帯である。過疎だがそれが悪人の心をくすぐる。彼らは極悪人ではない。故に何もない田舎を見るとこう思う。どう壊しても良い。壊しても失うものがない。その単純過ぎる考えの所為で、都会よりも大草原よりもここには悪人が集まる。

 彼は血のあふれる傷に手を当て、目標へ歩んだ。戦場はこんなものだ。訓練を受けた兵士はいざ戦場へ赴くと硬直する。訓練での順位が最高で、例え賞すら貰えるほど優秀だとしても、戦場に足を運べば体が震える。実戦訓練があると聞いた立花康夫も恐らく、初めて戦場に立った時は不安と緊張と罪悪感で満たされていたのだろう。英司はただの大人だ。どこにでもいて、どこにでも転がっている、公務員だ。戦場に行ったことは愚か、ナイフで斬り付けられるなど経験したことはない。故に、彼が今感じている不安と痛みは初めての()()なのだろう。

 とは言っても、英司も馬鹿ではない。悪人の集まるこの街へ留まる為にも日々訓練をし続けた。時間は腐るほどあった。彼は通常の不良ならば、五人同時だろうと簡単に倒してしまう実力は手に入れた。しかし、スーシェという男に完膚なきまでに圧倒された。彼の中に再び不安と緊張が詰まる。あれが超能力者なら、一位の「ヨル」という男は一体どれほど恐ろしいものなのだろう。

 いや、と英司は自問自答する。例えヨルが強くとも、私は二人、彼よりも強い男を知っている。自信が出るわけでもなかったが、事をポジティブに整理した。

 彼が更に歩くと、目標を見つけた。彼は近くの建物に身を隠し、気付かれまいと角から目標を覗き込んだ。

「ああ、あれはただの女だ」

 思わず思った言葉を漏らした。英司は口角を上げてにやついた。

 視線の先、鋭い眼つきをした目標だが、笑顔でアクセサリーショップの店員と会話をしている。ああ、ただの女だ――()()()()()()()()()()()()()()

 目標、もとい()()は蔵里英司を視認していない。


 街には幾つもの死角がある。今回はまた違うものだ。街では色々な出来事が一斉に起こる。そして、その出来事が一つの事件としてまとまることがある。彼らが状況を理解した頃、その目標と、それの目標は事態に気付いていない。否、気付いていると思われない。

 怒りに満ちた彼が街を駆け巡る頃、あるいは新たな目標を確信した彼が興奮する頃、暗い部屋の中その全てを流れとして楽しむ彼が眠りにつく頃、大きな鐘の音が鳴り響いた。彼らの視界が暗転する。




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