第6章:螺旋の源流~世界の海へ
<長崎港の夜明けと偽りの名を捨てて>
──天正10年(1582年)6月中旬。
山崎の戦場では、羽柴秀吉──サルが、血眼になって「光秀の亡骸を探せッ!」と顔を真っ赤にして吠え散らかしていた。
日の本の歴史が、天才たちの描いたやらせの台本通りに動き始めていた、まさにその最中のことである。
当の明智十兵衛光秀、そして煕子とヤスケの3人は、イエズス会の秘密の防衛ネットワークに守られながら、何食わぬ顔で長崎の港へと無事に到着していた。
夜明けの紫色の光に染まる長崎の海。そこには、自分たちの未来と、日の本の行く末のすべてを乗せて旅立つ、巨大なポルトガル船(ガレオン船)が、静かに波に揺れていた。
十兵衛たちがその巨大な船体を見上げていた、その時である──
船影の向こうから、聞き覚えのある豪快な足音とともに、数人の影が姿を現した。
旅慣れた南蛮の服をまとい、不敵に笑う男──織田信長。その傍らには、相変わらず凛とした美しさを湛えた濃姫、そして眼鏡の奥の目を細めるルイス・フロイスの姿があった。
信長は、黒い目を本来の鮮やかな「海の青」へと戻した十兵衛の前に大股で歩み寄ると、あえてニヤリと笑って、お馴染みの外来語を投げかけた。
「──ヘイ、ヒデ!」
十兵衛は息を呑み、思わず膝を突きそうになった。
「の、信長様……っ!?」
「信長様はもうよいぞッ!」
男は十兵衛の肩をガシッと掴んで引きずり起こすと、白い歯を見せて笑った。
「これより、余のことはナガと呼べ」
ヒデとナガ。二人は数秒間、じっと互いの目を見つめ合った。
初めて岐阜城の大広間で出会った時の張り詰めた空気、二条城でのフロイスのエルボー、その仕返しの折檻。歴史の影に潜んでお互いのシステムをハッキングし合っていたあの日々、そして数日前のあの炎上する本能寺のもぬけの殻──
いつどこで、光秀のハーフの素性がバレたかなんて、そんなことはもうどうでもよかった。
目の前にいるのは、日の本の泥の椅子を同時に笑い飛ばした、最高にリアルな現実派の二人なのだから。
二人は同時に、クク……と喉を鳴らし、次の瞬間、長崎の港に響き渡る大爆笑を炸裂させた。
「クク、グ……クハハ……グワハハハハハッ!!!」
「ナガさんッ!」
「ヒデよッ!」
お互いの拳を突き出し、カチリと音を立ててグータッチを交わすと、そのまま男らしく強固なハグを交わす。
それを見ていたフロイスとヤスケが、驚いたように顔を見合わせた。
「何とッ! そんなファンキーな挨拶、私の故郷にもございませんぞ? だが……ソレはこれから、世界の共通の挨拶になりましょう!」
「ミーもそう思いマス、フロイス先生!」
笑い合う男たちの横から、濃姫が優しく歩み寄ってきた。
「お久しぶりね、光秀殿。……いいえ、初めまして。ヒデ、そして煕子」
「濃姫殿!」
「濃姫様!」
「キチョウと呼んでね」
キチョウはそう言って、顔の半分を南蛮の美しいレースで隠した煕子の手を優しく握りしめた。
「煕子、貴女のその純粋な愛の姿も、覚悟の精神も、私は心から尊敬しますわ。貴女のその顔は、世界で一番美しく輝き続けるでしょう。これからもよろしくね」
「キチョウ様、いえ、キチョウさん。ありがとうございます! 私のほうこそ色々と学ばせてくださいませ。よろしくお願い申し上げます」
「私は、『真・ヤスケ』です、ハハハ!」
ヤスケが嬉しそうに声を上げると、ナガがすかさずツッコミを入れた。
「何だヤスケよ、クク、結局一緒ではないかッ!」
「ハイ、ナガボス。これがミーの実名です。決してウツケではありませんッ!」
ヒデと煕子は、顔を見合わせてニヤリと笑った。
キチョウは煕子の包帯の施された美しい横顔を見つめ、優しく微笑む。「煕子は、ヒロコね」
「うふふ、それも、一緒でございますわね、キチョウさん」
ナガが楽しそうに、ヤスケの巨体を小突いた。
「ヤスケにも、そろそろパートナーが必要だな。いい年頃であろうッ?」
「ノープロブレムです、ナガボス。私にはヒデがいます、ハハハ!」
ヤスケが冗談を言うと、ヒロコがすかさず夫の前に立って、可愛らしく胸を張ってみせた。
「それは差し上げられませんわ、ヤスケ。ふふふ」
和やかに、しかしこれから始まる「晩廷の千年の嘘を暴く」という壮大な使命を、6人は固く、深く共有し合った。
「さあ、出帆ですッ! ナガさん、まずはポルトガルへ向かいます。
私の祖母──ベージュを紹介しますよ。私も留学した時にびっくりしたのですが、イエズス会の中で、けっこうな権威をお持ちの方でした」
ヒデの言葉に、フロイスが眼鏡を光らせて頷いた。
「ヘイ、ヒデ。アナタのお祖父さまは、キリスト教会の組織における伝説の最高幹部でしたよ。
日の本のあのフェイクニュースで塗り固められた偽りの血族(晩廷)とは違い、ヒデ、君には世界をハッキングする素晴らしい本物の血が流れているのです」
「……そうだったのか。」
(亡きお祖父さま、ベージュお祖母さま、感謝いたします)
タラップを上がり、ガレオン船の甲板に立ったヒデが、隣のナガに尋ねる。
「ナガさんは、これから海の向こうでどうされます?」
ナガは目の前に広がる圧倒的な大洋を見つめ、その屈強な身体を歓喜で震わせた。
「私は、興奮で震えておるぞ、ヒデ! 世界のすべてを学び、さらに西の、あの巨大な大きな大陸にも、我らの真実を広めてやろうぞッ!」
船は錨を上げ、日の本の歴史の檻を完全に飛び出して、新世界へと滑り出した──
<西の果て、螺旋の源流>
数ヶ月の航海を経て、船はポルトガルのリスボン港へと入港した。
優雅に前後に揺れるロッキングチェアを止め、邸宅の扉を開けたヒデの祖母──ベージュは、青い瞳の孫と、その仲間たちを大喜びで迎え入れた。
「お帰り、ヒデ。これからは、この家もずいぶんと賑やかになりますね」
ベージュの全面的なバックアップのもと、ナガとヒデの世界ハッキング計画は、サードステージへと移行した。
キチョウとヒロコの二人は、南蛮の格式高い邸宅で、西洋の最高峰の教養、高度な外交マナー、そして南蛮の調理法をすべて習得するのにさほど時間はかからなかった。
東洋から来た気品溢れるリッチな貴婦人として、ヨーロッパの社交界を瞬く間に魅了していった。
そして、戦国時代の日の本が産んだ選ばれし伝説──ナガとヒデ。
2人は、最新の活版印刷技術とイエズス会の秘密ネットワークを駆使していた。自分たちが、かつて目撃した衝撃。
『仁徳象徴陵の闇(在るはずのないオーパーツと、改変前の真・古事記)』
その写本を、様々な言語に翻訳し、世界中の知識人や特権階級へと極秘裏にばら撒き始めた。
『日の本という極東の島国は、1000年間、偽りの神話で民を支配している──』
皮肉にも、故郷である日の本を遠く離れた異国の地で、ナガとヒデは、日の本の根底をひっくり返し、未来の運命を完全に書き換えてしまうような、伝説の「シニカルなメッセンジャー(冷笑的な情報発信者)」へと成り変わっていったのである。
彼らが世界へ放ったその『真実のインテリジェンス』という名の螺旋のバトンは、海の向こうで、誰にも知られず、じわじわと、しかし確実に、歴史の裏側を侵食し始めていた──
(第6章・完)
すぐに続きます。




