第3章:神話を撃つ天下布武と禁忌の墓
<能あるインテリは爪を隠す>
ポルトガル留学から帰国する直前、ヒデは再び激痛に耐えて瞳を漆黒に染め上げていた。
没落浪人──「明智十兵衛光秀」という退屈な一般武将の仮面を被り直していた。
郷に入っては郷に従う。この陰湿な島国で最初から無双しすぎれば、晩廷の暗殺ネットワークに一発で検知されるからだった。
──永禄9年(1566年)越前・一乗谷。
没落した明智一族の生き残りとして朝倉家に身を寄せていた明智光安は、自らを訪問してきた眼前に立つ漆黒の瞳の青年を見て、腰を抜かさんばかりに驚愕した。
10年前、生存プログラムを渡して海外へ高飛びしたはずの天才児、十兵衛であった。
「じ、十兵衛……! おぉ、無事に生きておったか! その眼、まさか……!」
十兵衛は黒く染め直した仮面の瞳を細め、光安の耳元で冷徹に囁いた。
「お久しぶりです、光安伯父上。この明智十兵衛光秀、いつぞやの御礼も兼ねて、南蛮の最新銃術(チートOS)を携えて帰国いたしました。
……ただし、ワシが海の向こうへ留学していたことは、絶対の絶対に『内緒』にございます。
もし晩廷のシステムにこの事実が検知されれば、明智家は今度こそ跡形もなく消去されますゆえ……」
光安は背筋に冷や汗を流しながら、ごくりと唾を呑んだ。
「……あ、ああ、解っておる。誰が言うものか。お主はただの、諸国を流浪していた生真面目なインテリ浪人だ」
「フフ、話が早くて助かります。朝倉殿が鉄砲の弾道計算に困っていると聞きました。ワシを凡庸な浪人として朝倉家へ推薦していただけますか?」
「クク……良かろう。お主の知略、朝倉の檻で存分に活かし、静かに暴れ回してみせよッ!」
こうして十兵衛は、あえて朝倉家の中で「実務はできるが、目立たない凡庸な男」を完璧に演じ、じっと引きこもっていた。
──だが、チャンスは向こうから転がり込んできた。
──永禄10年(1567年)12月。
京都で兄将軍を殺され、命からがら逃げてきた足利義昭。
そして、その義昭を神輿として担ぎ、日の本の古い伝統を必死に守ろうとする文化オタク──細川藤孝(幽斎)が、朝倉家に駆け込んできたのだ。
朝倉義景が全く戦う気のない無能であることを見抜き、焦る細川藤孝。
(ククク、ここは一つワシが火種を撒いてやろうぞッ!)
十兵衛は引きこもり部屋からそっと出て、藤孝に何気ない口調で、しかし極めて冷徹な「悪魔のパス」を出した。
「細川様。朝倉殿が動かぬなら……いっそ、尾張の織田信長を頼り、義昭様を神輿にして上洛されてはいかがですか?」
藤孝は目を見開いた。
「織田だと? あの、うつけ者上がりの新興勢力をか?」
「ええ。操りやすい猛犬ほど、役に立つものはございませぬゆえ」
十兵衛が上品で格式高い所作と、理路整然とした完璧なロジックで説明する姿に、藤孝は完全に心を奪われた。
「お前、ただの浪人ではないな……よし、ならばその織田との交渉役、お前がやれ」
「ははっ! 仰せのままに」
平伏する十兵衛の唇が、暗闇で不敵に歪んだ。お膳立ては完了だ。晩廷の犬である細川藤孝を逆に利用し、ついに本命の大型重機──織田信長を釣り上げる舞台が整った。
<「天下布武」というキャッチコピー>
「お主が、明智十兵衛かッ!」
岐阜城の大広間で初めて対面した織田信長は、野生の獣のような鋭い眼光で十兵衛を睨みつけた。
十兵衛は一歩下がり、完璧な臣下の礼を取りながらも、信長の瞳の奥にある「古いシステムへの苛立ち」を一瞬で見抜いた。
この男もまた、うつけ者を演じて生きてきたインテリだ。
十兵衛は信長の破壊衝動をコントロールするため、懐から一枚の書状を取り出した。
「信長様。義昭将軍という神輿を使い、この泥の島国を平定するための、最高のキャッチフレーズを考えてまいりました」
書状に書かれていたのは、4つの漢字。
【天下布武】
現代で言えば「既得権益をぶっ壊す!」並に、民衆の脳髄に一発で刷り込まれる、過激で明快な宣伝文句であった。
武力をもって、この古い日の本の秩序を上書きする。
信長はその文字を見るなり、端正な顔を歓喜に歪めて大爆笑した。
「クハハハハ! 面白い! 十兵衛、お主、ただの生真面目な男ではないな! よし、その『天下布武』余が日の本中に広めてやろうぞ!」
信長は十兵衛を気に入り、すぐさま最前線の実務家として重用し始めた。
十兵衛は徹底して「一歩後ろ」を歩き、信長を立てながら、その圧倒的な進撃のスピードを裏からプログラミングしていった。
信長の元を辞した十兵衛ヒデ。
──その夜、安土城の奥御殿。
信長はワイングラスを揺らしながら、部屋の隅で静かに扇子を弄んでいた正室の濃姫に、面白そうに声をかけた。
「のうキチョウよ、あやつをどう思う?」
キチョウはパチリと扇子を閉じると、気品に満ちた笑みを浮かべて答えた。
「私の父から、何となく噂は聞いていたけどね……あの美濃の親子喧嘩の直前、一族の裏に異常に頭脳明晰な男がいたみたいよ。あれから最近までパタリと消息不明だったけれどね」
ナガの鋭い眼前に、あるしたたかな計算の光が走った。
「なるほどな。お前の父・道三を裏から嵌めて美濃のシステムを終わらせた黒幕、あやつであったか」
「ふふ、気になさることはないわ。父も時代遅れでしたのよ。
マムシだかハブだか知らないけれど、結局は古いやり方に固執したただの悪党だわ。十兵衛殿の新しい知性の前には、ただのバグにすぎなかったのかもね」
歴史上、最も評判の悪かった実の父親をサラリと切り捨てるキチョウの毒舌に、ナガは愉快そうに喉を鳴らした。
「ククク、違いない。あやつ、義昭の阿呆を神輿に担ぐと言いながら上品なツラをして、この余をも利用せんとする節がある。
……だが、まぁ良い! 面白い男だ。クク、しばらくはあやつの策略に担がれてやろうぞ!」
「主君と忠臣」を完璧に演じながら、裏ではお互いが相手を認めつつ駆け引きをしようとする、天才インテリたちの高度な化かし合いがスタートしたのである。
<「ヘイ、ヒデ。久しぶりだな」>
──1569年、春の京都。
堺を平定した信長は、将軍・足利義昭のために、すさまじい突貫工事で「二条城」を建設させていた。
その現場監督(奉行)として、ドタバタと走り回っていたのが十兵衛である。
信長が泥にまみれて家臣を怒鳴り散らす中、建築資材の確認をしていた十兵衛の背後に、音もなく一人の南蛮人が近づいてきた。
十兵衛にとっては、かつての留学時代の講師でもあった、宣教師ルイス・フロイスである。
フロイスは、イエズス会の誰もが認知する「十兵衛ヒデ」の真後ろに立つと、周囲に聞こえないような低い声で、流暢なポルトガル語を囁いた。
「──ヘイ、ヒデ。久しぶりだな。ずいぶんと立派なサムライの仮面を被っているじゃないか」
(……ッ!!!)
十兵衛の全身の毛穴が一瞬で収縮した。心の中で大パニックを起こしながら猛烈に脳内でツッコむ。
(うわっ! その言葉(ポルトガル語)で話しかけんなッ! バレたらどうするんだこのバカバテレン!)
十兵衛は一瞬で一般武将の顔を作り直すと、わざと慌てた素振りを演じ、大げさな身振り手振りで現場の奥で腕を組んで監視している信長の方を指差した。
「あ、あ、そちらの……ボス。あの方が、織田信長様です! 案内いたします!」
その様子を不審そうに見ていた信長が、大股で歩み寄ってきた。
「何だ十兵衛、お主、今の南蛮人の外来語が解るのか?」
十兵衛は冷や汗を拭うフリをして、上品にペコペコと頭を下げた。
「いえいえ! とんでもございませぬ! 何やら、こちらの客人がボスを探しているような身振りをされましたので、何となくその、勘で……」
信長が、ふむ、と納得してフロイスの方を向いた一瞬の死角──十兵衛はフロイスの脇腹をエルボーで思いっきり小突いた。
「オゥ・デゥスブッ!」
(なんてことしやがるッ!)
フロイスは、衝撃に息を詰めながらも、その眼鏡の奥の目を細め、十兵衛にそっとウインク(目配せ)の抵抗をしてみせた。
二人のこれまたインテリの、歴史書を騙す化かし合いの再会であった。
<禁忌の森、暴かれる千年の嘘>
その後、信長はフロイスの持つ世界最高峰のインテリジェンスに激しく魅了され、何度も彼を呼び寄せた。
「ほう、デウスの理とな? 地球は丸く、この海の向こうには巨大な新世界が広がっていると?」
ヨーロッパの最先端の科学や天文学を説くフロイス。信長の脳髄は、すでにこの狭い島国のイス取りゲームなど完全に超越しかけていた。
そしてフロイスは別れ際、十兵衛と秘密裏に計画していた「最高のエサ」を、何気ない口調で信長の旺盛な好奇心を煽るように放り込んだ。
「そういえば信長ボス。何年か前にイエズス会の測量士から小耳に挟みましたが……堺のすぐ南の森に、日の本の王の巨大な墓(盛り土)があるとか。
そこには、世界の始まりの真実が眠っているそうです。……では、幸運を祈ります」
フロイスは再び十兵衛に不敵なウインクを送り、去っていった。
信長の瞳に、猛烈な、狂気的なまでの「好奇心の炎」が灯った。
「十兵衛。行くぞ。余と、お主と、数人の隠密(従者)だけで十分だ」
──数ヶ月後のある夜。
淡い月光のなか、二つの影を異界の闇へと滑らせながら、信長と十兵衛は、堺の南──日の本の根底を揺るがす予感に胸を躍らせ、禁忌の森奥地へと忍び込んだ。
(……ここだ。父さん、覚えているぞ。ついに帰ってきた。母さん、もう少しだ、きっと……)
十兵衛は心の中で、亡きジョーベーと光子の名前を呼んだ。
崩れ落ちた古墳の石室の隙間。十兵衛が南蛮渡来の道具で岩を破砕し、松明の光を投げ込んだ瞬間、二人は絶句した。
森の外は真夏の灼熱の闇に歪んでいるはずが、この石室の空間は、まるで呪われた歴史そのものに凍り付いたかのような凄まじい底冷えに満ちていた。息を吸い込むと、肺の奥が痛いほどに冷える。
そこに広がっていたのは、数百年前に葬られた日の本の象徴の墓、などという生易しいものではなかった。
壁一面に施された精緻な南蛮のガラス細工が、松明の炎を反射して怪しく明滅している。
そして、中央に鎮座する巨大な甲冑と剣からは、かつて、この日の本の地を舞台に繰り広げられたであろう、歴史に埋もれた闇の侵略紛争を物語る痕跡──おびただしい血の匂いが苦く錆び付いて漂っていた。
奥の石造りの玉座には、謎の異質な遺体が横たわっている。その骨格は明らかに日本人とは異なり、南蛮人のように巨躯で、鼻が高い。
そのミイラは剥き出しの歯を尖らせ、今にも眼をカッと見開いて二人に襲いかかりそうな、凄まじい執念と怨念をその乾いた皮膚の奥に秘めていた。
さらにその足元には、古びた一冊の書物──現代の晩廷が「これこそが正統な歴史だ」と改変する前の、【古事記の真の原本】が残されていた。
十兵衛がそれをめくり、流暢な古典の知識で解読する。
「……見て下さい、信長様。日の本には、こんなガラス細工も、こんな巨大な剣の風習も存在しませぬ。この『旧・古事記』に書かれている世界の始まり……それは、神の降臨などではない。
海の向こうから謎の兵器を持って侵略してきた『渡来人』が、先住の民を虐殺し、自らを神の末裔と偽って築いた、ただの強盗の歴史ですッ!」
「な、何だと! やはりかッ!! まさか……ぐぬぬ、ぐ、グカハハハハハ!!!」
(しかし、こやつ……なかなか喰えん男よ、サラッと解読しおって……いったい……?)
松明の炎に照らされた信長の顔が、怒りと、それ以上の圧倒的な歓喜で猛烈に歪んだ。
「神の国だと? 晩廷は神の末裔だと? くだらん嘘八百を千年間も付きおって! 民をフェイクニュースで騙し、三職という犬の首輪で大名どもを飼い慣らす。
クソ喰らえぃ! そんな腐った檻など、余が跡形もなくぶっ潰してやるわ!」
信長は、その凄まじい脳髄で完全に理解した。朝廷の権威など、すべては支配のためのプログラミングにすぎない。
「十兵衛! 余が、この日の本の『新たなスタート(創世記)』になってやろうぞ! 晩廷どもに、これ以上オラオラと舐めた真似はさせん!」
「ハッ。どこまでもお供いたします、信長様!」
跪く十兵衛の黒い目の奥で、かつて両親の血で赤く染まった床下の記憶が、カチリと音を立ててリブート(再起動)した。
晩廷の千年の嘘をぶっ潰す。そのために、信長という最強無敵の大型重機が、ついに完全に覚醒したのだ。
暗黒の禁忌の森を後にする二人の天才の背後で、歴史の檻の崩壊を告げる、静かな、しかし決定的なカウントダウンが始まりを告げていた。
(第3章・完)
すぐに続きます。




