第2章:新世界への留学
<欧州での邂逅>
──弘治2年( 1556年)波濤を越えて、葡萄牙へ。
黒く染めた瞳を、再び本来の鮮やかな「海の青」へと戻した青年ヒデは、長崎の港から密航したポルトガル船の甲板に立っていた。
──美濃の斎藤親子の泥沼の喧嘩を、裏からの内通工作によって最短で終わらせ、その見返りに、伯父の明智光安から手に入れた自由のパスポート。
拾ってくれた明智一族に、「まもなくこの城は落ちる。道三は敗北するんだ。逃げろッ!」と情報を流していた。
マムシ道三の側に付いていた明智家に対する、冷徹な生存プログラム(生存戦略)を渡し義理は果たした。あんな狭い島国の、泥の椅子の取り合いなど、今のヒデの眼中にはない。
そして、イエズス会を訪ねてこれまでの経緯を淡々と冷静に理路整然と説明した。
組織内で優秀だった父ジョーベーが、命を賭けてその血を繋ぎ、彼の面影を遺している逸材のヒデ。
組織の協力を得て、長崎までのルートと父の故郷ポルトガルへの渡航を許されたのだった。
──船が荒れ狂うインド洋を越え、喜望峰を回り、ついに大西洋の果てにポルトガルの首都リスボンの港へたどり着いた時、ヒデは10代半ばの精悍な青年へと成長していた。
「……ここが、父さんの生きた世界か。日の本とはまるで違うな、何もかもが」
見上げるほどに巨大な石造りの大聖堂。行き交う馬車。日の本の人間が見れば「天狗の仕業」と腰を抜かすであろう、最先端の科学と富がそこには呼吸していた。
だが、ヒデに気後れなど一切なかった。幼少期から父に叩き込まれたポルトガル語は、すでに彼の第一言語に近い。
ヒデは流暢な現地語で、道行く人や南蛮寺の情報を頼りに、驚くほど容易に、父の実家へとたどり着いた。
歴史ある石造りの邸宅の扉を開けた時、そこには一人の老女がいた。
ジョーベーの母であり、ヒデにとっては血の繋がった祖母──ベージュである。
ベージュは、前後に優雅に揺れる曲線の脚を持った椅子に身を委ね、眼鏡をかけて聖書を開いていた。
日の本には存在しない、贅沢で静謐な時間がそこには流れていた。
「……どなたですか?」
顔を上げたベージュの前に、ヒデは静かに歩み寄り、胸に手を当てて深く一礼した。
「初めまして、お祖母さま。私はジョーベーの息子、ヒデです。日の本より、父の遺志を携えて参りました」
ヒデが語る、父ジョーベーと母光子の最期。堺の南の森で測量を行っていたこと。
そして、古い日本の権力者──三好三人衆の裏にいる晩廷によって、邪教徒の濡れ衣を着せられて惨殺された事実……
ベージュの目から、大粒の涙が溢れ落ちた。だが、彼女は驚かなかった。
イエズス会の世界的な秘密ネットワークは、すでに遠い日の本で起きた悲劇の概略を、彼女の元へと届けていたのだ。
ベージュはロッキングチェアから立ち上がると、愛する息子の面影を強く残す、青い瞳の孫を力強く抱きしめた。
「よくぞ生き延びて、ここまで来てくれました、ヒデや。ジョーベーの魂は、あなたの中に生きていますよ」
「お祖母さま、私は……私は父と母の無念を晴らすため、必ず日の本へ戻ります。父の遺言を確かめ、両親を殺したあの国の『千年の嘘』を世界へ発信するために。
この、かつて父が育ったこの地で世界の知識を身につけたい! そのために、私に力を貸してくださいませんか?」
ベージュは涙を拭い、毅然と頷いた。彼女が机の引き出しから取り出したのは、イエズス会の最高幹部へと宛てた、一通の重厚な紹介状であった。
「お祖母さま、これは……父は、いえお祖母さまはどういうお方なのですか?」
「オホホ、古い友人がいましてね。さぁ、お行きなさい。たまには顔をみせにおいでね」
「感謝いたします。いつか日の本で、父の正義を、日の本の闇を暴くことに成功したら、再びこの地へ、お祖母さまの暮らすこの家に帰って来ます」
<イエズス会での覚醒と、若き講師フロイス>
「ジョーベーの息子だと? ほう、あの優秀な測量士の血筋か。彼の損失は、我々にとっても大きな悲しみだった……君もよく乗り越えたな。よし来な、案内してやろう」
ベージュの紹介状を携え、ヒデが訪れたのは、当時のヨーロッパにおける最先端の学術・軍事・宗教の総本山である南蛮寺(イエズス会の修道院)であった。
父ジョーベーの多大なる功績を知る幹部たちは、流暢なポルトガル語を操り、異常なまでの実務能力を見せるこの東洋のハーフの青年を、大喜びで歓迎した。
「君を、世界で通用する一人前の男にしてやろう。日の本の嘘を暴くというなら、我々の知識をすべて授ける。
ここからは合理的な知性、そしてジョーベーの血を継ぐ誇りが、君の運命を導くだろう。……すなわち君次第だ!」
そこからのヒデの吸収力は、南蛮のインテリたちを驚愕させた。
キリスト教の壮大な歴史、神学、そして天文学、最新の航海術、医学(解剖学)、さらには火薬の精緻な調合比率や、鉄砲・大砲の高度な弾道計算(のちに日の本を震撼させる鉄砲術の基礎)──
日の本で培った仏教や古典の格式高い教養というベースの上に、ヨーロッパの最先端科学がインストールされていく。
ヒデという規格外のハードウェアに、世界最高峰のソフトウェアが組み合わさり、前代未聞の「スーパー武将」のプログラム(設計)が構築されていった。
「なんてクレイジーなヤツだ!! 信じられない! 我々の想像の遥か先だよ。参ったよ、まさに脱帽だッ! 凄いぞッ!!」
──そんなある日。
戦術論と地理学の講義の席で、ヒデは一人のうら若き講師と出会う。
「初めまして、ヒデ。私の名前は、ルイス・フロイス。近々、君の母国である日の本へ、キリスト教の宣教のために渡る予定の者です」
フロイス──のちに信長に愛され、光秀の悪口をリアルに書き残すことになる、あの歴史の目撃者であった。
驚くべきことに、フロイスはかつて海の向こうで、ヒデの父であるジョーベーの「有能な右腕」として働いていた男だったのだ。
「君の目は、ジョーベーにそっくりだ。彼もまた、世界の真実を見通す目を持っていた。私の尊敬する偉大な人間の一人だよ」
フロイスは優しく微笑んだが、その瞳の奥には、すべてを客観的に記録しようとする冷徹な文筆家の光があった。
ヒデとフロイスは、瞬時に互いのインテリジェンス(知性)を認め合い、深い師弟のような、あるいはチェスの対局相手のような、奇妙で強固な信頼関係を築いていった。
ある夜、修道院の書斎で、ヒデはフロイスに日の本の生々しい現状を語った。
「フロイス先生。あの国は、神話という巨大なフェイクニュースで民を支配しています。
その影に隠された堺の南には、その嘘の根底を揺るがす『在るはずのない闇』が眠っているんです。
父はそれに触れて消された。私はいつか必ず、父の無念を晴らしたい。そのために海を渡って来ました」
フロイスは静かにペンを止め、ヒデの青い目を見つめた。
フロイスは極めて頭が良い男だ。だからこそ、現時点ではその「闇」の核心には深く触れようとはしなかった。
(日の本の闇……面白い。だが、その秘密を開放するには、まだ時代が足りない。いつかその時が来れば──)
フロイスは、まだ自分が信長という怪物に出会うことも、歴史を揺るがす大舞台に立ち会うことも知らない。
しかし、ヒデの言葉を「来るべき転機」のために、胸の奥深くにそっと記録して秘めたのだった。
「ヒデ。いつか、あの黄金の島国で再会しましょう。君が完璧な『仮面』を被って舞台に立つその日を、私は楽しみにしています」
「ええ、先生。日の本で会う時は、私は黒い目の武士になっているはずです。お互いに、他人のフリをしましょう。クク……ハはは!」
<顔パスの密使と帰国子女のパイオニア>
それからの数年間、ヒデの南蛮寺およびイエズス会における立ち位置は、完全に「顔パス」のVIP(最重要人物)扱いとなった。
異国の地でありながら、組織の裏ネットワークを自由に使いこなし、資金や最新情報を裏からハッキングする影の密使。
だが、彼は決して驕らなかった。なぜなら、彼の目的はヨーロッパの権力者になることではなく、あくまで両親の敵討ちであり、日の本の檻をぶっ壊すことだからだ。
──そして、10年の歳月が流れた。
日の本では、天文から永禄へ時代が変わろうとしていた。
ある日、イエズス会の秘密通信が、ヒデの元へ日の本の「大パニック」を知らせにやってきた。
【永禄8年(1565年)京都。室町幕府13代将軍・足利義輝が、三好三人衆らによって暗殺される。
弟の義昭は命からがら逃亡中。日の本の政治システムは、完全に崩壊の危機にある】
「なんだとッ!!」
(三好三人衆、それに晩廷め。またお決まりの口封じを始めたか)
報告書を読んだヒデは、漆黒に染め直した瞳(日の本へ帰るため、彼は再びあの激痛を耐えて目を黒く染めていた)で、冷徹な復讐の炎を灯していた。
兄将軍を殺され、逃げ惑う哀れな弟・義昭。そして、その裏で糸を引く、両親の仇である晩廷と三好のヒットマンども。
「これ以上ない、完璧なお膳立て。これはチャンスだ。あの哀れな神輿(義昭)を私の手で担がせ、日の本の中枢へ攻め上がってやる」
ヒデは、使い慣れた南蛮の硝子の器をトランクに詰め、腰に日本の刀を帯びた。
西洋の最高峰の科学、医学、銃術、そしてイエズス会という世界最強のバックボーン(後ろ盾)を隠し持った、前代未聞の男。
歴史の教科書が決して書かない「帰国子女のパイオニア」が、ついに日の本の檻へと舞い戻る決意を固めたのだ。
「お祖母さま、行って参ります」
ベージュは揺り椅子を止め、孫の黒い瞳の奥にある「青き海の決意」を見て、深く頷いた。
「デウスの加護を、十兵衛ヒデよ」
(アナタ、このヒデを遠い空から見守ってあげてね。あの子は、アナタの伝説の血を間違いなく受け継いでます。私たちの宝ですよ……)
ベージュはヒデを強く抱きしめ、額にそっと唇をあてた。
「お祖母さま、キレイに片付け、必ずや戻って参ります。お身体御自愛ください」
──1566年、霧深き長崎の海。
一隻の南蛮船から、一人の男が静かに日の本の土を踏みしめた。その名は、明智十兵衛光秀。
その傍らには小さくて細い、しかし、凜とした佇まいで十兵衛と並んで歩く影があった。
古い日の本のシステムを内側から内部侵入し、晩廷の1000年の嘘を跡形もなく爆破するための、史上最大の復讐劇へといよいよ突入する──
(第2章・完)
すぐに続きます。




